第6話 配管に潜む
黄昏先輩の趣味は真っ昼間に心霊スポットをめぐることだ。
夜中に行かないのは家族に怒られるため、そしてなにより怖いから。
じゃあなんで心霊スポットなんかに行くんだよと不思議な気持ちにもなるが、その答えを彼女に求めることは無駄の一言である。
ともあれ、こんな話を切り出すということは当然のように僕が黄昏先輩に連れられて心霊スポット巡りに来ているということだ。
「結構歩いたねぇ!」
「近くのバス停からかれこれ20分ですか……。こんな辺鄙なところに何があるっているんですか先輩。そろそろ教えて下さいよ」
閑散とした住宅街を歩きながら黄昏先輩に問う。
初めて来た場所だが、ここはどうやらかつてベッドタウンとして作られた街らしく、マンションが複数立ち並んでいる。
しかし残念ながら絶望的なまでに活気がなく、道路も街路樹の落ち葉で汚れるばかり、車もさほど通っていない様子だ。
もちろん住宅もどこか古臭く、マンションにいたってはコンクリートがむき出しの古い集合住宅で、更に雨風で劣化しているのか不気味な模様がべっとりとその壁面にこびりついていた。
「何って、決まってるじゃないか。心霊スポットだ。いや、スポットというわけではないのかな?」
「え? 何か幽霊でも出るんじゃないですか? 雰囲気とかもそんな感じですよ」
「いやなに、以前ちょっと過去の地域新聞を見ていたらね、この辺りで殺人事件が起こったって記事を見つけたんだ。結構凄惨だったらしいから何かないかなと思ってね」
「あんまりいい趣味とは言えませんね。そもそもいるかどうかも分からないんでしょう?」
「まぁそう言うなよ竜胆くん。君ちょっと運動不足気味な雰囲気あるから、一風変わったウォーキングだとでも思っておきたまえよ」
「はぁ……まぁいいですけどね」
なんて毎度恒例となったやり取りを交わしていると。
スッと、背筋に寒気が走った。
最近気づくことがある。これは合図だ。
何か良くないものが近くにいる、入ってはならない場所に入ってしまった、そんな合図……。
僕は心霊現象を心から信じていないが、どうやら僕の気持ちとは裏腹に向こうの世界は僕を離してくれないらしい。
ひしひしと感じるこの寒気が決して気のせいではないと証明するかのように、黄昏先輩の表情が一際輝いた。
「っと、ここだな! さぁ行くぞ竜胆くん、住人の人は見当たらないし、こっそりと部屋の前まで行って――」
不思議なことが起こった。
目の前にはマンションの入口――集合住宅の棟名が書かれた看板がある。
奥にはマンション。周りのそれよりも一層古臭くて、どんよりとした空気を感じるものだ。
件のマンションがあれだとするならば、黄昏先輩が取る行動は僕を放っていかんばかりにご機嫌な足取りであの薄気味悪い場所へ向かうことだが……。
何故か先輩が口を閉ざし、その場で釘付けになったように歩みを止めてしまった。
「……先輩? どうしたんですか? 何か気になることでもありました?」
返事はない、それどころか口元を抑えて気持ち悪そうに前かがみになっている。
珍しい先輩の態度に、僕も慌てて彼女の側へとより、背中を擦るように手を添える。
「先輩?」
「竜胆くん。すまないが今回はちょっと中止に――うっぷ」
「先輩! ちょ、大丈夫ですか!? 先輩!!」
* * *
あの後は特に語ることはない。
ただ気分の優れない先輩と一緒に帰ってきただけだ。
どうやら例のマンションに何かを見たらしい先輩は、原因である場所から離れることによってやや元気を取り戻してくれた。
今は駅前まで戻ってきてファミレスでカフェタイムだ。
先輩が頼んだ品がいつものようなパフェではなく、アイスティーだけだったことが彼女の不調を言外に伝えてきている。
「いやぁ、不覚だった。竜胆くん、悪かったね」
「いえ、それはいいんです。体調も少し戻ったみたいでよかったですよ」
「うんうん。竜胆くんの献身的な介護があったおかげだね。実に頼りがいのある後輩だ」
気分も落ち着いたのだろう。
軽口を言い出す先輩に心底安堵しながら、あの瞬間に先輩が見せた表情を思い出す。
それは恐ろしいものを見たというよりももっと別の……。
「先輩。それであのマンションで何を見たんですか? えっと、その、差し支えなかったら教えて欲しいんですけど……」
本当ならばあまり聞くべきではないのだろう。
さほど時間の経っていないこのタイミングの話ならなおさらだ。
だが僕の内に湧いた好奇心はどうしても抑えることができず、彼女を心配しているがゆえの行動だと誤魔化しにもならない誤魔化しをしながら、あの瞬間に先輩が見たであろうものについて尋ねる。
「そうだなぁ、確かに君には言ってもいいかな……」
アイスティーをちびちびと飲んでいた黄昏先輩は、ぽつりとそう呟いた。
その表情にはいつもの唯我独尊じみた自信もなく、太陽の様に晴れやかな心地よさもなかった。
「竜胆くんは、不慮の事故や、失意の死を迎えた人間が、死後もその場で同じ死に様を繰り返す――という話を聞いたことはあるかい?」
「ええ、よく聞きますよ。事故で死んだ霊が、自分が死んだことを理解できずにその場所で死に続ける。みたいな」
特に自殺者は多い。
飛び降り自殺した人が、その場でなんども飛び降り続ける。なんてのは安い怪談の定番だ。
「うんうん。そんな話だ。あれはあながち間違いじゃなくてね。衝撃的な死に方をした人間。特に死後のバタバタで満足に供養されなかったり、遺体がちゃんとした形で荼毘に付されなかったりした死者は、得てしてそういう行動を取りやすいんだ」
「あの場所は……」
「うん。殺人事件が起こったって言ったよね? あの場所はさ、人が殺されて、証拠隠滅のためバラバラにされて、ミキサーでぐしゃぐしゃに撹拌されて、それで排水口に流された現場なんだよ。当時は話題になったらしいね。あの辺り一帯が閑散としているのも、そんな事件があったかららしい」
人を殺してそのような処理をするなんておおよそ聞いたことがない。
いや、物語やミステリー作品の中ではたまに聞くくらいだろうか?
異常な殺され方によって亡くなった人間。
もしかりに、先ほどの話とおりその人が未だにそこで死に続けているとしたら――先輩は。
「もしかして、見たんですか?」
「見えすぎるってのもちと厄介だなと久しぶりに思ったよ。
――見えないはずなのに、配管にびっしり詰まってた」
少しばかり考えて、首を振る。おおよそ正気を保てるような光景ではない。
そりゃあ気分も悪くなるだろう。
先輩は何も無敵の心霊大好き人間というわけではないのだ。
恐ろしい物は恐ろしいと感じるし、気持ち悪いものは気持ち悪いと感じる。
むしろ普通の人よりもその辺りの感受性は高いだろう。
そんな先輩が配管にびっしりと詰まる人の残骸を見たのだとしたら……。
「なぁ竜胆くん」
「なんでしょうか?」
カランと溶けた氷がグラスを鳴らす音と同時に、先輩が静かに僕の名を呼んだ。
少しだけ真剣味を帯びたその声色に僕が不思議に思っていると、先輩はしばし何かを考える素振りを見せた後、ゆっくりと口を開く。
「私が万が一死んだら。ちゃんと供養してお経を読んでもらって、そしてお墓を立ててくれないか? 家族以外に、誰か約束してくれる人がいてもいいと思ったんだ」
あのマンションで先輩が見た光景。
配管に潜んでいたものがどのような人生を送り、どのような思いで最後を迎えたのかは僕には分からない。
けどあの場で先輩が幻視した光景は事実で、だからこそ恐ろしくなったのだろう。
「死んでもあんなことになるなんて、嫌だからな」
珍しく弱音を吐いた先輩は酷く儚げで、どこかに行ってしまいそうな希薄さがあった。
なんと励ましたら良いのだろうか?
だが思わず口をついたのはいつもと変わらぬ先輩と僕の関係、その言葉だった。
「先輩は死にませんよ。多分百歳位まで平然と生きるタイプだと思います」
「君は存外に嫌なやつだなぁ……」
「縁起でもないこと言うからですよ。僕もそんなことにはなって欲しくないですし」
「…………むぅ」
膨れた。どうやらお気に召さなかったらしい。
まるで小さな女の子のような態度に軽く笑うと、いつもの様に急降下する先輩の機嫌を立て直すべく言葉を繋ぐ。
「けど、一応承りました。もしもの時は僕がちゃんと責任をもって先輩を見届けます」
「ありがとう。――うんうん、さすが持つべきものは後輩だ。実によいぞ竜胆くん」
小さく頷き破顔し、先輩の中でこの件は解決したらしい。
決して内心を表に出さず、僕も心のなかで安堵の溜息を吐く。
「……代わりに、僕が先に死んだらその時はお願いしますね」
「ええ、すごく面倒くさそうだな。自分でなんとかし給えよ」
ひどく理不尽な言い草だったが、憑き物が落ちたように先輩の表情に輝きが戻っていたのでよしとする。
ずずずと飲み込んだアイスコーヒーが、じんじんと体の芯を焼く夏の暑さを和らげてくれる。
黙りこくった僕を見て勘違いしたのか、少し慌て気味に「やっぱりちゃんと供養してやろう」とか言い出した先輩がとても可愛らしく見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます