第4話 疳の虫
高校で二つ年上の先輩である
ただ実際はお化けが出ると噂の隣県にある心霊スポットに休日の真っ昼間から遊びに行っては、何も無かったと不貞腐れる先輩を宥めすかすだけのくたびれ儲けな遠足だ。
そもそも真っ昼間から心霊スポットに行って何が楽しいのだろうか?
黄昏先輩いわく「別にいるかいないかを確認するのだったら昼間でも問題ない」とのことらしいが。
確かに僕も真っ昼間からそのような存在を目撃した経験がある。
どこか心の底で納得しながらも、ならそんないわくのある場所に連れて行かないでくれと祈った。
「それで。なぜ僕が
「それは簡単な理由だよ
わざわざ電車とバスを乗り継いででかけた場所が満足いかなかったことから不機嫌だった黄昏さん。
その機嫌が喫茶店で僕がおごったパフェによってみるみると回復してくれるのは喜ぶべきことだ。
金がないのに結構なお値段のするパフェを平然と奢らされた僕の財布の中身を考えなければ、だが。
相変わらず幸せそうにパフェを食べる黄昏先輩をぼんやりと眺めていると、視線を感じたのか彼女の手が止まる。
「なんだね。君もパフェを食べたかったのかい? では私が食べさせてあげよう。ほら、あーん」
スプーンで生クリームといちごの乗ったパフェをひとすくい、そのまま僕の前まで差し出してくる。
これは、どうすればいいのだろうか?
関節キスじゃないか? とか、これって恋人同士みたいだな。とか、様々な考えが脳内を駆け巡っていく。
思いがけないその行動に図らずもドキドキと胸を高鳴らせながら、同じくあーんと口を開けて餌を待つひな鳥の様にパフェを待つ。
……が、口に入ろうとする寸前でスプーンはUターン。
そのままスッと黄昏先輩の小さな口へと消えていってしまう。
「ふふふ。甘い、甘いぞ竜胆くん。このストロベリースイートパフェの様に甘い」
「ご機嫌ですねぇ」
からかわれたことに少しだけ頬が赤くなる思いだったが、それ以上に彼女がご機嫌だったので思わず許してしまう。
この笑顔を見ることが出来たから良しとしようか。
目の前のコーヒーをぐいっと飲み干し、苦々しい思いを一緒に胃の中へ流し込む。
突然静かな喫茶店に大きな鳴き声が響いた。
キンキンと少しばかり耳にくるその声は赤子のものだ。
視線を声の方へ向けると母親が困った顔で赤子を必死にあやしている。
赤ちゃんは泣くことが仕事とはいえ、こっちの誰かさんみたいにパフェ一つでご機嫌を直してくれるようなことは無いから大変だろう。
「あっちはご機嫌斜めみたいですね」
「ふむ……」
なんの気なしに呟いた言葉だったが、その返事におや? と首を傾げる。
先ほどまでニコニコとパフェを突いていた黄昏さんが、その手を止めて赤子をじっと眺めていたからだ。
「どうかしましたか?」
「あれは"
「
何処かで聞いた名前だが、なんだったか……。
僕の態度から話が通じていないことに気がついたのだろう。黄昏さんは「うん? 知らないのか?」と少し驚いた表情を見せると、テーブルに両肘を突きながらぐいっとこちらに顔を寄せてスプーンをスッと立てる。
「疳の虫って言うのはね。赤ちゃんの時にかかる特有の症状のことをこう言うのさ。夜泣きや
そういえば聞いたことがる。
確か死んだ爺ちゃんが言っていたんだっけか? 両親は非科学的だと笑っていたし、実際僕も笑いはしなかったものの古い時代の風習だと思っていた。
「けど所詮は迷信でしょう?」
「はっはっは! 本当にそう思うかい?」
だが黄昏さんはそうではなかったらしい。
彼女はこのような迷信や心霊、お化けや怪談といったことにめっぽう強い。しかも行動力があって好奇心も旺盛だ。
さらに悪いことに実際に視えるときている。
その彼女が何やら思わせぶりな態度をとっている。
「じゃあ私のおばあちゃんが昔やっていた疳の虫封じの話をしてやろう」
そうして僕の懸念とは裏腹に、その話は始まった。
………
……
…
黄昏先輩がお祖母ちゃんから聞いた話だ。
彼女の祖母は、
現在は高齢もあってその役割を黄昏先輩に任せているのだが、まぁその頃はまだ店を開いていたらしい。
この古物店についての詳しい話はまた後日としたいが、この店少々曰くがあり日々風変わりな客がやって来る。ちょうどその日の客もそういった類のものだった。
「――そういう訳で、この子の夜泣きを治してくれませんでしょうか? うちの家族が、宵闇堂のお祖母ちゃんなら疳の虫をとってくれるって言っていたので……」
「ほうほう、そうかい。そうかい」
黄昏先輩の祖母である
やってきたのは二十代と思しき若い夫婦と、可愛らしい赤ん坊。
店の奥にある居間に案内し、渋めのお茶を出しつつ話を聞いてみると、どうにも夜泣きが酷い子供をどうしたものかと困り果てていたらしい。
そうした折に疳の虫の話を家族から聞いて藁をも縋る思いでやってきたとのこと。
だが話半分にももしかしたらと期待する奥さんの方とは裏腹に、旦那さんの方は憮然とした態度で、明らかに疳の虫など信じていない様子だった。
「一応言っておきますけど、私は迷信とかは信じていません。妻が言うからついてきただけで、もし子供に変なことでも仕様者なら弁護士を立てて訴えさせてもらいますから」
「あなた、やめてよ。失礼よ……」
「俺は間違ったことは言ってない。こういう胡散臭い話をのさばらせておくから詐欺なんかが増えるんだ」
「あなた! いい加減にして!」
今にも大喧嘩をおっぱじめそうな夫婦をまぁまぁと宥め、雲婆さんはキョロキョロと興味深げに辺りを観察している赤ちゃんにニコニコと手を振る。
「しかしまぁ。これはこれは、えらくまぁ育った疳の虫じゃねぇ……」
「やっぱり息子の夜泣きは疳の虫のせいなんでしょうか? 本当に酷くて酷くて、夜も眠れないんです……」
よく見れば母親の目には薄っすらとクマが見える。
旦那さんの方も終始イライラとしており、どうにも余裕が無いように思えた。
二人の様子をじぃっと眺めた雲婆さんは、ニッコリと笑って大きく頷く。
「おう、おう、大丈夫さね。この婆に任せておき」
「ではお願いできますか? ほら、よしよし、おばあちゃんに疳の虫をとってもらおうねぇ」
赤ん坊はニコニコと実に大人しく
だぁだぁと実にご機嫌で、一見しても気難しそうな感じはしない。夜泣きどころかとてもおとなしい子だ。
すると台所から水が入った椀を持ってきた雲婆さんは、椀の前にチョコンと座らされた赤ん坊を見て、何故か不思議なことを言い出した。
「ああ、この子じゃないさね」
「えっと、どういうことでしょうか……?」
両親も訝しむ。
疳の虫の対処を願いに来たのだ。事実として赤ん坊の夜泣きは存在する。
はたしてこの老婆はどの様な言葉でこの子ではないと言ったのだろうか?
意図せぬ返答は不信へと繋がる。
「赤ん坊はねぇ、感受性が高いんだよ。周りに癇癪な人がいると特にダメだ。途端に怖がって泣いちまう。口にしなくても、声に出さなくても、分かるんだろうねぇ……おお、よしよし。お父ちゃんのこと分かってるんだねぇ、勘の鋭い、良い子だねぇ」
「何を訳のわからないことを・・・って、ちょっとおい! なにするんだ!」
雲婆さんはそう言うと、御年八十という年齢に似つかわぬ機敏な動きで旦那さんの腕を掴んだ。
迷信などたいして信じてもいないのに胡散臭い老婆にいきなり腕を掴まれたとあればさぞかし驚いたのだろう。先ほどの言葉も不信感を募らせる要因となっている。
旦那さんは抗議の為か声をこれでもかと荒らげ、釣られて赤ん坊が泣き出す。
だがそれでも腕はビクリともしなかった。
「昔はねぇ、そこらかしこに
そう説明しながら、空いた手で手早く椀に呪い文字を書き、旦那さんの手を茶碗にぐいと押し付けた。
するとどうしたことか……。
旦那さんの腕、その指先が茶碗の水に触れた瞬間。
「ひっ! ひぃぃ!!」
いい年した気勢の良い大人が、思わず情けない声を上げる。
先程までの勢いはどうしたことが、顔を真っ青にして腰を抜かしたようにへたり込んでいる。
それもそのはず。
「ほうら、育ちに育った
彼の指先、爪と肌の間から、細長く透明な、ミミズほどの大きさまで育った疳の虫が、何かから逃げる様にぞろぞろと椀の中へと這い出てきていた……。
………
……
…
「この位のやつが、びっくりするほど出てきたそうだよ」
そう両手で長さを教えてくれる黄昏さんは、実に楽しそうな笑みを浮かべていた。
この心底嬉しそうな笑顔が、この日の心霊スポット巡りで一番印象に残った出来事だった。
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