第4章 弓姫 4

「リオン、姫様を待たせるなんて失礼よ。さっさと支度しなさい」

 幕舎の入り口の布が押しのけられ、鎧姿のルナが姿を現した。

 ポニーテールにした茶髪を揺らしながら、リオンを急かしてくる。きりっとした目鼻立ちと強い光を宿した碧い瞳は、いかにも気が強そうだ。細身の身体に纏った繊細な作りをしたアザレア騎士団の鎧が、よく似合っている。

「す、済みません」

 朝食を食べている途中だったリオンは、慌てて立ち上がろうとした。

「いけません、リオン。全部食べないと」

 フィリスが注意してくる。金色の瞳に咎めるような色を宿しながら、リオンを見る。

 リオンは、フィリスとルナを交互に見遣って、半分腰を浮かせた体勢で動けなくなった。どちらの言葉に従うべきか、迷った。

「ルナさん、少し待ってください」

 優柔不断なリオンと違い、フィリスは強い口調でルナに言った。

「早くして」

 仕方なさそうに、ルナは折れた。

 リオンとしては、ルナがフィリスに特に含むところがないことがありがたい。少々きつい性格をしている彼女だったが、さばさばとしている。

「さ、リオン。ちゃんと食べてください」

 フィリスは、腰を浮かせたリオンの強化衣インナーを掴み、座らせる。

「う、うん」

 リオンは、フィリスの言葉に従い、朝食の続きを食べ始める。

 支給された朝食は質素で、パンとベーコンを卵と合わせて炒めたものだ。質素と言っても、魔都フェリオスの中にあって、きちんとした食事だ。アザレア騎士団の団員も同じ物を食べている。この娘子軍は、貴族や騎士の家系の子女から編成されている。高貴な身分の者たちだ。そのような者たちが何の文句も言わず食べているのだから、リオンとしては文句などはない。

「今日で四日目ね。恩恵の片鱗グリンプスを発現させる期限は、明日まで。ま、せいぜい頑張るのね」

 リオンが、朝食を食べるのを眺めながら、ルナは少々冷たい言い方をした。

 アーダに恩恵の片鱗グリンプス発現を狂戦士バーサーカー捜索に加わる条件とされ、この三日間、リオンは一一層の自分よりも遙かに強い魔物の相手をさせられていた。お陰で、身体の節々が痛んだ。今朝は、寝坊してしまった。フィリスはリオンが疲れていることを気遣って、敢えて起こさなかったようだ。そのことに、リオンは文句を言わない。全て自分の闘魔種としての弱さがいけないと、分かっている。

 フィリスを守ると言っておきながら、酷い体たらくだと自分をリオンは情けなく感じた。無様さを晒しただけの三日間だった。

「はい……」

 力なく、リオンは答えた。

「アーダ王女も無茶です。恩恵の片鱗グリンプスをたった五日間で発現させろとは」

 フィリスは、文句を口にした。

「ま、わたしもそう思うけれど、姫様の決定だから。元々、わたしたちにリオンが同行しようっていうのが無茶なわけだし」

 ルナは、仕方がないと言った。

「済みません、ルナさん」

 リオンは、ルナに頭を下げた。彼女には、無様な様を散々この三日間で見られている。

 ルナは、高貴な家柄の子女だというのに、剣士として闘魔種としてリオンよりも遙かに勇敢で有能だった。

「ルナさんは、王女様の近衛騎士なんですよね?」

「そうよ。そう言えば、ちゃんと名乗っていなかったわね。ルナ・フィー・エルミナードよ。恐れ多くも、アザレア騎士団では近衛騎士を拝命しているわ」

 ルナは、腰に手を当て誇らしげに名乗った。

「強いわけですよね」

 リオンは、ここ三日間ルナが見せた力量に舌を巻いていた。リオンが全く歯が立たない魔物を、当たり前に屠っていた。

 朝食を食べ終わると、リオンは手早く強化衣インナーの上から、鞣した革の胸当てと小手を身に付ける。ブーツは既に履いているので、腰に短めの幅広の剣ブロードソードを佩いて装備は終わりだ。

「早く行きましょう。姫様を大分待たせてしまったわ」

 ルナに促され、リオンとフィリスは宛がわれた幕舎から出た。

 向かったひときわ大きな幕舎の中には、既に完全武装を整えたアーダがいた。同行しないジゼルは、鎧下姿だ。

「随分待たせたな」

 リオンを待っていたらしいアーダは、絹のように滑らかな声に不機嫌さを滲ませた。

 輝く金髪を背に流し、ミスリル製の精妙な作りをした若干アザレア騎士団の物とは異なった鎧を纏う姿は、いつ見ても凜々しい。戦女神がその場に顕現したようだ。

「済みません」

 リオンは、頭を下げた。

「毎日、このような無茶な魔物討伐をしていれば、疲れもたまります」

 フィリスが、アーダに抗議を口にした。

「それを望んだのは、リオンだ」

 青紫色ヴァイオレットの瞳を鋭くしながら、アーダはフィリスを射貫いた。

 はらはらしながら、リオンはその様子を眺めていた。肝が据わっているのか、フィリスはアーダにそのような視線を向けられても怯む様子を見せない。

「ふん。では出発しよう。フィリスが逃げ出さないように、ジゼルが見張っていてくれ」

「逃げ出したりなんて、しません」

 むっとした様子で、フィリスの金色の双眸は不満げだった。

「フィリス殿。わたしと一緒に留守番をしていましょう」

 やんわりと、ジゼルが二人の間に割って入った。

 理知的な美貌に浮かぶ笑みはジゼルを懐深く見せて、不思議と話を聞くべきだと思わせてくる。鎧下姿で顕わになった彼女の女性的起伏を十分に有した身体は大人の雰囲気を感じさせてきて、歳はリオンより少しだけ上であるはずだが、ずっと年長者だと錯覚させられる。

「行くぞ」

 短く、アーダは言い幕舎を後にした。

 リオンとルナもその後に従い、外へと出た。


 リオンが振るう幅広の剣ブロードソードが、弾かれる。

 竜種に属する小型の地竜を、リオンは相手にしていた。これまで戦ってきた一層の魔物とは偉い違いだった。まず、皮膚が硬くリオンの斬撃がとおらない。ダマスカス鋼の幅広の剣ブロードソードは、刃こぼれ一つしておらず武器には問題がない。ただ単に、リオンの力がこの層域の魔物を相手するには不足しているだけだ。

 地竜は後ろ足で立ったと思うと、全体重を乗せ鈍い地響きをさせて姿勢を前傾させる。

 リオンは、バックステップし巻き込まれぬよう逃れる。

「グルルルルルルルルルルルルルル」

 低い唸り声を、地竜は上げている。

 慎重に、リオンは間合いをはかる。

「せいっ」

 気合いの声を上げ、リオンは地竜に突っ込み鋭い突きを入れる。が、激しい音を立て硬い体皮の上を切っ先が滑る。

「くっ」

 崩れそうになる体勢を、どうにか持ち堪える。

「Nランクのリオンが、いくら力任せに剣を振るっても手傷一つ負わせることはできないぞ。恩恵の片鱗グリンプスを発現させられないことには、今のリオンではどうにもならない」

 少し離れた場所からリオンの戦う様子を見ているアーダが、声をかけてくる。

 今日で四日。

 リオンは格違いの魔物を相手している。それもこれも神聖核ホーリーコアに眠る能力ちから恩恵の片鱗グリンプスを発現させるためだ。

「約束どおり、恩恵の片鱗グリンプスを発現できれば狂戦士バーサーカー捜索に連れて行く。できなければ、同行は諦めてもらう」

 冷たく、アーダは言い放つ。

 その言葉に、リオンは歯を食いしばり後退する地竜に向かっていく。

「あっ」

 リオンの口から、しくじりを後悔する声が漏れた。

 後ろに下がった地竜に攻勢に出ようと突出したリオンを、背後に隠れた尻尾が襲ってきたのだ。ぶち当たれば、大怪我は免れない。

「油断よ」

 叱責の言葉を発しながら、ルナが長剣を一閃させる。間合いの外であるはずだが、地竜の尻尾は弾かれた。

「――――?」

 ここ数日、そのような攻撃をルナはときおり行いリオンに疑問を抱かせた。

 今のは見間違いなく、完全に剣の範囲外から地竜の尻尾を弾き返している。

「今のって?」

 リオンは、地竜と距離を取りながら、ルナに問いかける。

「やっと気付いたわね。わたしの恩恵の片鱗グリンプスは、攻撃範囲拡張。剣が届く範囲外からでも、攻撃することができるの」

 長剣と赤地に白い鷲が描かれた紋章盾を構えたルナが、得意げに発現させた自分の能力ちからを説明する。やっと、リオンが尋ねてくれたと言うように。

「凄い」

 感嘆の声を、リオンは発した。

 間合い外から攻撃できるとは、実に大きなことだ。剣に精通したリオンであるので、尚更その有効性がよく分かる。

「感心してばかりもいられないぞ、リオン。明日で期限だ」

 精緻な美貌に表情を覗わせず、冷厳なアーダの言葉が響く。

 リオンは、再び地竜に向き直り愚直に戦う。危なくなると、ルナが攻撃範囲拡張を交えた剣で、アーダが剣から衝撃波を放ち援護してくれた。

 長時間、同じ地竜を相手にリオンは剣を振るい続けた。明日で期限だと、小さくはない焦りを覚えつつ。アーダは、約束を守れなければリオンの同行を許さないだろう。フィリス一人をアーダたちと一緒に行かせることを、リオンは心配している。アーダのフィリスに対する怒りや憎しみは、嫌というほど感じる。

 必死になってときには地竜に吹き飛ばされながら剣を振るっていると、おかしなことが起こった。リオンの握る短めの幅広の剣ブロードソードが、一瞬光を帯びたのだ。

「今のは?」

 ルナが、リオンをまじまじと見た。

 一旦、地竜から距離を取り、リオンは己の剣を見たが光は収まっている。

「ほう。我ながら無茶なことを命じたと思ったが、そうでもなかったか」

 アーダの青紫色ヴァイオレットの双眸に、興味深げな色合いが浮かぶ。

恩恵の片鱗グリンプスは、グランターによって体内に宿された神聖核ホーリーコアを一層活性化させることで、発現する。身内にある力を感じろ、リオン」

 そう、アーダはリオンにアドバイスを送る。

 リオンは、言われた言葉を反芻しながら、地竜に向き直る。前足を振るってきた攻撃を避けて、一撃を加えるが幅広の剣ブロードソードには何の変化もない。

「僕の中にある神聖核ホーリーコア……それを感じて……」

 さらに深く、身内をリオンは探る。

 果たして、あった。自分の身体に脈打つ未知の力。それを、必死に感じようとリオンは努める。そして、その力を顕わそうと。

 リオンの幅広の剣ブロードソードが、にわかに光を発する。その光は白く清らかだった。

 地竜が地を蹴り、リオンに突進してくる。咄嗟にリオンは剣を振るう。

 一閃。

 それまで弾かれていた体皮を、リオンの白い光を帯びた幅広の剣ブロードソードが切り裂いた。

「嘘? 恩恵の片鱗グリンプスを持てるのは、少数の者だけ。闘魔種になったばかりのリオンが発現させるですって? それにそれって……恒常的だし……発現の段階が……」

 信じられないものを見るように、ルナはリオンを見ていた。

「ちょっとした美味しい魚を釣りに行って、大魚を吊り上げたらしいな」

 上機嫌に、嬉しそうな顔をアーダはリオンに向けた。

「これって、恩恵の片鱗グリンプス?」

 白く光る幅広の剣ブロードソードを見て、リオンは喜びの声を上げた。

「リオン、恐らくそれは恩恵の片鱗グリンプスではない」

「え? これじゃ駄目なんですか?」

 アーダに違うと言われ、リオンは落ち込みそうになった。

「いや」

 アーダは、静かに首を振った。

「それは、恐らく神の恩寵グレイスだ。恩恵の片鱗グリンプスの上位に位置する。この前、わたしが弓を出現させて光りの矢を射っただろう。あれは、月光の矢ムーンアローと言う神の恩寵グレイスだ。ほんの一握りの者だけが有する恩恵。合格だ、リオン。狂戦士バーサーカー捜索の同行を許可しよう」

 満足げにその精緻な美貌を、アーダは笑ませた。

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