第4章 弓姫 3

「わたしのために、無理はしないで欲しいです」

 宛がわれた幕舎に戻ったリオンは、アーダから狂戦士バーサーカー捜索に同行する許可を得られるかも知れないと喜んで伝えた。

 話を聞いたフィリスは、難しそうな顔をした。が、どことなく嬉しそうだった。

「まだ、リオンは一層を探索している最中です。それなにの、それ以上の深層に出現する魔物を相手にしようというのは、とても危険なことです」

 叱るように、フィリスは言った。

 自分と契約したばかりであり、闘魔種に成り立てのリオンを心配している様子だった。

「間違っても、一一層の魔物を倒そうだなんて思っていないよ。王女様が言うには、自分の身を守れれば一緒に来てもいいって」

 敢えて、リオンは気楽な口調で言った。

 様々な苦しみを抱えているであろうフィリスを、少しでも楽にしてあげたいと。アーダに憎まれ冷たく接されても、気丈に振る舞うフィリスを見ているとリオンはどうしても力になりたかった。

 せめて狂戦士バーサーカー捜索に同行することで、フィリスに向けられるアーダの憎悪から守りたいとリオンは思う。思慮深そうなジゼルはともかく、同行するルナがフィリスのことをどう思っているか分からないが、好意的である理由はない。

 フィリスの元契約闘魔種であるランヘルトは、王太子殺しをしたのだ。王女であるアーダは勿論、フィリスを憎んでいる。ルナはロクサーヌ王国に仕える騎士だ。次期国王を殺された憎しみが、フィリスに向けられることは容易だ。

 闘魔種としてこのような深層で、自分が役に立てるとリオンは思っていない。ただ、フィリスを悪意から守りたいとの強い思いがあるだけだ。まだ、一一歳の女の子でしかないフィリスが負うには重すぎる罪だ。

 リオンは、フィリスを見た。とても、華奢な身体だ。そんな彼女は、罪から逃れようと全くしていない。全てを受け止めている。フィリスが置かれた状況を思うと、リオンは自分が守らなくてはと思う。

「それでも無茶です」

 フィリスは、透いた金色の瞳に心配そうな色を宿しリオンを見た。

 自分を頼ろうとしないフィリスに、リオンはもどかしさを感じる。

「僕は、フィリスを守りたいんだ」

 偽らざるリオンの思いだ。

 フィリスが自分の契約グランターとなったのはたまたまだが、もう既にリオンは彼女と知り合ってしまった。元は、聖眼の巫女と呼ばれ期待を一身に受けていた反動で、今は災厄の巫女などと呼ばれている。フィリスの置かれている状況は、あまりにも過酷すぎた。

「……ありがとうございます」

 顔を伏せがちにフィリスはした。

 そっと、胸に手を置いている。これまで辛い思いをしてきたフィリスは、与えられた優しさをしみじみと感じているようだった。

 そのようなフィリスを見ると、リオンの胸がちくりと痛む。迫害に近い仕打ちを受けてきたフィリスは、子供と少女の間にあって揺れている年頃だ。どうしてそんな子が、このような目に遭わなくてはならないのかと、憤りをリオンは感じる。

 フィリスを裏切ったランヘルトに対する怒りが、湧いてくる。それから、フィリスの周囲の者に。アーダもアーダだと、リオンは思う。全くフィリスに責任がないとは言わないが、目の敵にしすぎだと思う。罪を負うべきは、闇墜ちし狂戦士バーサーカーとなったランヘルトだ。兄を殺された怒りは、分からなくはないが。

「ですが、無茶はいけません」

 顔を上げたフィリスは、作っているのが分かる厳しい表情でリオンを窘めてくる。

 その態度は、一一歳の女の子としてはませているように、リオンの目には映る。強がっているわけではない。フィリスの芯の強さを感じてしまう。だから、尚更リオンはフィリスを放っておけない。全てを背負い込みがちなフィリスを、危なくリオンは感じる。

 今のままでは、フィリスはずっとこのままだ。災厄の巫女のままだ。それでは、一生十字架を背負っていくようなものだ。それは、無理なことだった。いつかどこかで、きっと地に倒れ伏すことだろうとリオンは思う。

 だから、せめて自分が傍にいなくてはと、決意を強くする。

 契約する闘魔種が、魔物討伐や魔都フェリオス攻略で功績を挙げれば、そのグランターも評価される。王太子殺しの闇墜ちした元闘魔種の契約グランターとの汚名をそそげる可能性は、ある。そのためには、よほどの活躍をリオンがしなければならないが。

 現状、フィリスが契約闘魔種を得ることは難しい。多くの優れた者がフィリスと契約し闘魔種となれば、自ずと彼女の名前は上がる。それが、できない状況なのだ。本来なら、フィリスの元には当たり前に闘魔種となりたい者が集まるのだが、負った汚名のためそうならない。だから、リオンはその分頑張らなければならないのだ。

 アーダが、フィリスに対する感情を和らげれば、或いは状況が少しは好転するかも知れないが、難しい。決してアーダは悪い人物ではないとリオンは思っているが、今のアーダは憎しみに取り憑かれている。

「王女様とその部下だけの中に、フィリスを一人置いてはおけないよ」

「何だか、リオンはわたしのことを子供扱いしています」

 じとっとした金色の瞳を、フィリスはリオンに向けた。

「わたしは、一人でも大丈夫です」

 そっぽを向き、面白くなさそうにフィリスは言った。

「それは、フィリスは大人だものね」

 普段の調子を取り戻してきたフィリスに、リオンはにっと笑った。

「リオンは、意地悪です」

 むっとした表情で、フィリスはリオンを見た。

「リオンの方こそ、わたしたちと一緒になんて行かせられません。駆け出しの闘魔種が歩いていい層域ではありません」

「絶対、一緒に行くから」

 リオンは、強く言い切った。

「まぁ、リオンが同行することはないでしょう」

 普段の彼女に戻ってきたフィリスは、口元を悪そうに笑ませる。

「どうして?」

 リオンは、分からないというふうに首を傾げる。

「アーダ王女がリオンに出した条件は、無理難題だからです。五日の内に、恩恵の片鱗グリンプスをリオンが発現させるのは、不可能です」

「そんなのやってみなくちゃ、分からないじゃないか」

 フィリスの言葉に、リオンは少々面白くなかった。

 アーダ王女が使ってみせた恩恵の片鱗グリンプスを思い出す。剣を振るっただけで、地を抉るような衝撃波を撃ち出していた。自分も、あのようなことをやってみたいと子供っぽくリオンは思っている。

「誰でも使えるものではないのです。それを条件に出してくるのですから、アーダ王女はリオンを同行させるつもりはないのです」

「そんな! 僕、王女様に――」

 リオンの声が途切れた。誰何する声が、幕舎の前からかけられたからだ。

「はい」

 リオンは、返事をする。

 幕舎の入り口の布が押しのけられ、そこからジゼルが姿を現した。彼女は、鎧下だけの姿になっている。女性的起伏を十分に有したジゼルの身体が、リオンには眩しく映る。

「お食事をお持ちしました」

 二人分のスープとパンが載せられたトレーを、ジゼルはリオンとフィリスの前に置いた。

「済みません。こんなことをさせてしまって。ええと、ジゼルさん?」

「アーダ様の副官をしております、ジゼル・フィー・ワイヤーです。リオン・ベレスフォード殿」

 ジゼルは、右目の下に泣きぼくろのある、色香を感じさせる理知的な美貌を笑ませた。

「ありがとうございます」

 フィリスも、ぺこりと頭を下げた。

「いいえ、まだこの野営地の勝手が分からないでしょう」

 にこやかに、ジゼルは礼を受ける。

 リオンは、ジゼルから受けていた優しそうといった印象は間違っていないと、確信した。

「今日はお疲れ様でした、リオン殿」

 ジゼルは、腕試しの後、アーダにリオンがしごかれたことを労った。

「王女様に稽古をつけていただけるなんて、勿体ありません」

 言いつつ、リオンはアーダの見事な剣の技量を思い出していた。

 剣の腕には自信を持っていたリオンだったが、アーダの技にはほれぼれとさせられた。アーダは、リオンの剣の師匠を彷彿とさせるほどだった。師匠ほどの剣士を、リオンは知らない。

「リオン殿は、なかなかおやりになるようですね。見ておりましたが、剣の腕はかなりのものでした。ふふ、ルナなどは驚いていましたね。リオン殿の剣の師匠は、よほどの方だったのですね。同僚のルナが無礼なことを言いました。お詫びいたします」

 ジゼルは、一つ頭を下げた。

「そんな、ジゼルさんが謝らないでください」

 慌てて、リオンは頭を上げてくださいと言った。

「フィリス殿、アーダ様をどうか悪く思われないでください。敬愛していた王太子だった兄上を殺され、今は少しだけ普段のアーダ様ではないのです」

 申し訳なさそうな顔を、ジゼルはフィリスに向けた。

 リオンは、ジゼルの様子にホッとした。フィリスを憎むようなことはない。

「分かります。国民から次期国王と慕われていた兄君――王太子ベルトナン様を殺されたのです。平静でいられるわけがありません。わたしを憎むのは、仕方のないことです」

 フィリスは、きっぱりとそう口にした。

 大人びていると、リオンは思った。それは、決していいことではなく、不安が過ぎる。

「そう言っていただけると助かるのですが、フィリス殿はご自分を殺していませんか? 聖眼を持つグランター。周囲の期待を受けて、フィリス殿は生きてこられました。子供らしくしろとは言いませんが、もっとご自分を出されてもいいのですよ?」

 琥珀色アンバーの瞳に、問いかける色をジゼルは浮かべた。

 リオンは、ジゼルを改めて見直した。自分が感じ明確に言葉にできなかったことを、口にしていた。フィリスをよく分かっていると思う。

「わたしは、これで普通です」

 フィリスは、感情を浮かべぬ顔でそう答える。

 リオンは、それを強がりだと思った。

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