第4章 弓姫 2

 リオンとフィリスを含むアーダの隊は、一二層南門前に到着した。

 今、人類が到達できる魔都フェリオスの最深部だった。闘魔種でも、現時点に於いてE以上といった最高ランクの者たちだけが来ることができる。

「一二層市門……フェリオス攻略の最前線……」

 淡褐色ヘーゼルの瞳を輝かせ、リオンは大城塞のように聳え立つ市門を見て、感動に打ち震えた。

 次元秩序崩壊により魔都フェリオスがこの世に現れて、約三〇〇年。ようやくここまで辿り着けたのだ。闘魔種になったばかりで最低のNランクであるリオンでは、来るのはまだまだ先になるはずだった場所。

 しかも、ここ一一層は、アーダの兄であった王太子ベルトナンによってつい最近攻略されたばかり。最新の層域だ。

「凄い!」

 思わずリオンは、ガッツポーズをしてしまう。

「ふふふ。リオンは大げさです」

 くすくすと、フィリスはおかしそうに小さく笑った。

「全く、お上りさんみたいよね」

 話が耳に入ったらしいルナが、ポニーテールを揺らしリオンとフィリスのところに、歩みよってきた。身に纏った繊細な作りをしたアザレア騎士団の鎧姿が、凜々しい。

「フェリオスに来て、そんなはしゃいでいるんだから」

 きりっと整った目鼻立ちをしたルナは、碧い瞳に気の強そうな色を浮かべている。それが、挑戦的になりがちな言動に現れていた。

「脳天気だな」

 呆れた声が、リオンの背後から聞こえた。

 振り返ると、アーダが立っていた。精緻な美貌には、不心得者を見るような表情が浮かび、青紫色ヴァイオレットの瞳はやや白んでいるように見える。

「だって、ここはフェリオス攻略の最前線ですよ」

 リオンは、力説する。ここに来て闘魔種なら、いや男なら感動しないはずがないと。

「わたしは、連日この層域に留まっていたからな。ここにいるアザレア騎士団の団員たちは、皆そうだ。特に、感動はないな。自分で来られたわけでもないのに、はしゃぐな」

 ピシャリと、アーダはリオンの浮ついた気持ちを戒めた。

 厳しいとリオンは思ってしまう。尤も、アーダが言っているのは事実だが。リオンは、実力でこの一一層に立っているわけではない。

「アーダ様、お飲み物の用意ができました。幕舎へ。リオン殿やフィリス殿も」

 ジゼルが、呼びに来た。

 柔らかそうな物腰は、人をホッとさせてくる。理知的な美貌に浮かぶ笑みは、和やかな雰囲気を作り出す。ジゼルの人徳なのだろうと、リオンは思う。

 皆で、アーダの幕舎へ移動した。

「アザレア騎士団を自由に動かせない今、狂戦士バーサーカー捜索のため少数の選抜パーティーを作る必要があるわ」

 アーダが、そう宣言した。

 広い幕舎の中には、アーダの他にリオン、フィリス、ジゼル、ルナがいる。中央にあるフルーツを割った飲み物が置かれたテーブルを囲み、皆椅子に座っていた。

「騎士団は、副団長のビュリュエットに引き続き任せることにするわ。副官のジゼルと近衛騎士のルナは一緒に来て。それからフィリスにも同行してもらう」

 闊達な口調で言い渡していく中、フィリスを見たときアーダの態度は確かに硬くなった。

 そう簡単に、アーダはフィリスを許せないでいるのだろう。

「リオンは、大人しく待っているように」

 最後に、厳格な態度と口調でアーダはリオンに言い渡した。

 神秘的な青紫色ヴァイオレットの瞳で、アーダはリオンをじっと見詰める。その目は、反論するなと言っていた。が、そう言われて、リオンは素直に聞き入れるわけにはいかない。

「フィリスが危険に身を置くのに、僕だけ安全な場所にはいられません」

 淡褐色ヘーゼルの瞳で、まっすぐ青紫色ヴァイオレツトの瞳を見詰める。

 絶対に譲れないと、リオンは言葉と目で伝える。

「やはり、そうきたか」

 飲み物を手にしながら、形のいい細い眉をアーダは僅かに吊り上げた。

狂戦士バーサーカーは、成り立ての闘魔種がどうこうできる相手ではないし、今のリオンでは途中出くわす魔物と戦うことは無理だ。ついてこられても、足手まといだ」

 口調と表情をきつくし、アーダはリオンを突き放すように言った。

「まだ、王女様を信用したわけではありません」

「ほう?」

 アーダの精緻な美貌が、さっと冷たさを帯びた。そうすると、なまじ美しい顔をしているだけに、氷のような雰囲気が発せられる。

「王女様のフィリスに対する扱いが、気に入りません」

「確かに、アーダ様らしくありませんわね」

 ジゼルは頬に手をやり、ちらりとアーダを見遣った。穏やかな気性を持つ彼女も、アーダがフィリスに冷たく接するのをどうにかならないかと、思っているようだった。

 アーダは、リオンに厳しい視線を注いでいる。

「わたしなら、平気です。リオン」

 気丈にフィリスは、自分なら大丈夫だとリオンに笑いかけた。

「リオンは、自分がいかに未熟か理解していないのよ。ここに来るときだって、襲ってきた魔物を捌ききれてなかった。姫様が助けてくれたのを忘れたの?」

 気の強いルナは、リオンをなじった。

「確かに僕は闘魔種に成り立てだ。だけど、ずっと闘魔種になりたいって思ってきた。これまで、遊んできたわけじゃない。剣だって師匠について習った」

 リオンも負けずに言い返す。

「どうせ、子供の手習いに教えている街の先生でしょう」

 さらにルナは、リオンをやり込めようとしてくる。

「ルナ」

 困った顔を、ジゼルはする。ルナの言い方がきつすぎると思ったようだった。

「僕も行く」

「全く」

 一つ、アーダは溜息を珊瑚色の唇に乗せた。

 その様は、闊達さの中に色香が弾けたような鮮烈さを、見る者に与える。

「そうまで言うのなら、わたしがリオンの腕試しをしよう。それで、駄目なようなら今回は大人しくここにいるように」

 アーダは、それ以上は譲らないと厳しい表情でリオンを見た。


 金属が打ち合わされる音が響く。

 短めの幅広の剣ブロードソードと長剣がぶつかり合い、激しい火花を散らした。

 リオンが持つダマスカス鋼製の幅広の剣ブロードソードは、木目状の縞模様が剣身にあり陽光を反射してキラリと輝く。アーダが持つミスリル製の長剣は、一片の曇りもなく冴えた剣身が陽光を白っぽい銀色に反射していた。

 それぞれの得物を持って、リオンとアーダは戦っていた。

 鋭い斬撃がアーダから放たれる。

 それをリオンは、幅広の剣ブロードソードで擦り上げるように長剣の軌道を逸らす。

 アーダは、誘導された軌道に敢えて乗せて長剣を振り抜き、バックステップ。

 リオンから、距離を取る。

 金色の長い髪が、靡いた。

 アーダは軽く後ろに飛んだだけだが、闘魔種であるので五ルアンは離れた場所に着地する。

 さっと、アーダは距離を詰めリオンに肉薄し、長剣を振り抜く。

 リオンは、その斬撃を幅広の剣ブロードソードで受け止めた。

 暫し、二人の動きが止まる。

 そのまま鍔迫り合いに、リオンは持っていこうとする。力ならば、男である自分の方が上だと思ったからだ。

 だが、そのリオンの考えは甘かった。闘魔種に於いて、男も女も関係なかった。ただそこにあるのは、ランクといった差のみだ。闘魔種に成り立てで、普通の感覚で物事を捉えがちなリオンの失態。

 リオンは、最低のNランク。対して、アーダは、現段階で到達できる最高ランクにある一人だ。逆にリオンが押される形となった。

 そのまま押し切られるわけにはいかない。

 アーダが長剣で押してくる力を、幅広の剣ブロードソードの角度を絶妙に変えることで流す。

 感嘆したように、アーダの目が見開かれる。

 アーダが体勢を崩すことをリオンは期待したのだが、流麗に動きバランスを保ち地を蹴る。

 リオンの脇をアーダはすり抜ける。

 振り向きながら、リオンは幅広の剣ブロードソードを構え直す。

 リオンとアーダの向きが、一瞬で入れ替わる。

 アーダの青紫色ヴァイオレットの瞳が、鋭く輝く。

「いやっ!」

 素早くアーダは動き、短い気合いの声と共に長剣の一撃を見舞ってきた。

 受け流すが、アーダはそのまま猛然と連撃を加えてきた。続く、アーダの猛攻。ラッシュラッシュラッシュ――。リオンは、防戦一方に追い込まれてしまう。

 ――強い!

 剣ならば、そうそう自分が後れをとることはないと高を括っていたリオンは、考えが甘かったと思い知らされる。アーダの剣技は、磨き抜かれていた。それに、闘魔種としてのランクの差が加わる。どうにか凌ぐことで、リオンは精一杯だ。

 ――まるで、師匠のようだ。

 かつて、自分に剣を教えてくれた男を、アーダは彷彿とさせた。

 それほど、アーダは強かった。

 一層激しい金属音が響いた。

 少しして、離れた場所でカランと音がする。

 アーダの長剣に弾き飛ばされたリオンの幅広の剣ブロードソードが、地に落ちたのだ。

「わたしの勝ちだ」

 リオンの喉元に長剣の切っ先を突きつけ、アーダは勝ち誇った顔をした。

 首を仰け反らせ、「負けです」とリオンは敗北を認める。

 弓姫と異名を取るアーダだったが、剣士としても熟達し洗練された技を持っていた。リオンは、自分との差を嫌というほど教えられた。自分は思い上がっていたのだと、リオンにあった自信が打ち砕かれた。

 アザレア騎士団本部に捕らえられていたときの恐怖は、今のリオンにはない。アーダはロクサーヌ王国第三王女で、騎士団本部には団員も多数いた。フィリスのこともあり、とても怖かった。アーダが折れてくれたことで今のリオンは、決して不必要な恐れを抱いていなかった。身体も思うとおりに動いた。なのに負けた。

 ――強い――とても。

 自分も目の前の少女のようになりたいと、リオンは切に思う。

「僕に、戦い方を教えてください」

 かつての師匠にそうしたように、リオンは地面に突っ伏しそう懇願した。

「な、何を言い出すのよ」

 アーダは、地に這いつくばるリオンに、困惑し狼狽え気味になった。


 地に伏した少年を見て、アーダはどうしたものかと困った顔をした。

 こうも明け透けに教えを請われるなど、これまでなかった。正直、動揺していた。だが、ひたむきに或いは貪欲に力を求めるリオンを、アーダは嫌いではない。

 ふっと、アーダの口元が笑った。

「確かに、リオンは強い」

 平伏し、戦い方を教えてくれと懇願するリオンを見て、平静さを取り戻したアーダは絹のように滑らかな声で告げた。

 本心で、そう言った。正直、リオンの剣技には感心していた。ルナが先ほど言ったように、子供の手習いに教えている街の先生に師事していたのだろうと思っていた。だが、リオンの剣はそのように手ぬるい代物ではない。明らかに、実戦が想定されている。

「だが、まだまだ闘魔種としての戦い方に不慣れだ。身体能力に振り回されているし、相手の身体能力にも注意を払い切れていない」

 声を厳しくし、アーダはリオンに告げる。

 だが、慣れればどうだろうと、アーダは思う。今の時点で、リオンには光るものがある。剣の腕は、正直見事の一言だ。小さな頃から、鍛練を積んできたアーダは、そのことがよく分かった。本当は、剣士として闘魔種としての力量差を教え、同行を諦めさせようと思っていた。が、惜しいとアーダの剣士として闘魔種としての部分が語りかけてくる。

 アーダは、闘魔種としての戦い方を、リオンに教えてみようと思った。

「この攻撃は当てないから、見ていろ」

 アーダの言葉に、リオンは上体を起こす。

 おもむろにアーダは、長剣を振りきった。

 おかしなことが起きた。アーダの長剣から、リオンの足元に銀光が飛んだ。それは、地を抉った。

「これって?」

 リオンは、目を見開いている。

「ここに来るときも、王女様はおかしな攻撃をしました。弓なんて持っていなかったのに、急に現れて光の矢で魔物を倒しました」

 しきりにリオンは首を傾げている。

「今のは恩恵の片鱗グリンプスと呼ばれるものだ。わたしのものは、斬撃を飛ばすことができる。体内に宿した神聖核ホーリーコアを一層活性化することで、発現する攻撃だ。誰でも使えるものではなく、会得できる者は数少ない」

 アーダは、リオンの淡褐色ヘーゼルの瞳を見詰めた。

 狂戦士バーサーカー捜索に、このままのリオンを連れて行くことはできない。

 条件を出してみようと、アーダは思った。駄目なようなら、リオンには諦めさせる。

「もし、リオンが会得できたら、狂戦士バーサーカー捜索に同行させてもいい。明日から五日間猶予を与える。わたしも協力しよう。恩恵の片鱗グリンプスを使えるなら、格上の魔物から最低限身を守ることができるだろう。お荷物は困るのでな」

 我ながら無茶なことを言う、とアーダは思った。

 恩恵の片鱗グリンプスを発現できるのは、限られた者だけだ。

 だが、リオンにその素質があるのならば、自分たちに同行することはいい経験になる。

「分かりました」

 決意を顔に浮かべ、リオンは頷いた。

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