第4章 弓姫 1
午前中の陽射しが、魔都フェリオスを爽やかに洗う。
この魔界の都の街並みの建築様式は、かなり古い。リオンは、王都ロクスで先生について語学や一般教養を習ったとき、繁栄を極めた古代の国々の建築と現在の建築について学んだ。フェリオスの街並みを形成する家屋は、現在のものとは明らかに異なるのだ。
古代と現在の建築に於いて、それぞれに優れている点が違っている。現在と比べて、古代の建物の方が頑丈なのだそうだ。お洒落な外観に現在は重点を置いているためもあるが、古代は火山活動が活発だったとかで、大きな地震が多かったためと言われている。
王都ロクスの洗練された街並みや、抗魔四都市の一つサウスの賑やかしい街並みも嫌いではないが、古代と共通する建築様式を有したフェリオスの街並みもリオンは嫌いではない。朴訥な実用性からくる力強さを感じる。
尤も、ここは魔界の都だ。古代に滅んだトルキア帝国の帝都であるという説もあるが、魔物をエヌキア大陸――現在はロクサーヌ王国に送り込む魔都。中は、魔物が徘徊する忌まわしい場所だった。
今、リオンは五層目に入っている。
本来であればNランクの闘魔種であるリオンは、一層の魔物を討伐し探索するのが妥当なのだが、今は弓姫と名高いアーダ・デューク・ロクサーヌ率いるアザレア騎士団と行動を共にしている。馬を与えられ、フィリスを後ろに乗せ移動していた。
「こんな深層に来られるなんて、信じられない」
リオンは、強く感動した。
少し離れた場所を、リオンが見たこともない魔物が群れをなしている。一層の魔物と比べ、どれほど強いのだろうと興味が湧く。
「リオン、間違っても一層以外の魔物と戦おうなどと、思っては駄目です」
リオンの思いを見透かすように、後ろに乗るフィリスが注意してくる。
綺麗に整った顔に、しかつめらしい表情が浮かんでいる。風に、銀色をしたセミショートの髪が揺れる。肌は、透くように白い。不思議な金色の双眸は、周囲の景色を映し出していた。
「分かってるよ」
「Nランクの内から深い層域に来られたのは、リオンにとって幸運なことかも知れない」
フィリスと話していたリオンに、アーダが馬を寄せてきた。
さらりとした長い金髪が、風に揺れる。思わず、はっとリオンは息を飲む。いつ見ても、アーダの美は損なわれることはない。他の女騎士たちと同様に頭の周囲をサークレット状に覆った細やかな作りをしたヘルムのバイザーは上げられ、精緻な美貌がはっきりと見える。ミスリル製の鎧は、精妙でアーダにとても映えた。神秘的な
昨日、リオンの同行が決まってから、アーダが文句を言うことはなかった。そこら辺は、さすが弓姫と名高い武勇に名高い英傑だと、リオンは思う。自分の決断に責任を持っている。ときおり、先輩闘魔種としてリオンに色々教えてくれた。
「王女様のお陰です。ありがとうございます」
「いや、いい」
リオンの礼に、さらりとアーダは答えた。アザレア騎士団の団員には砕けた口調だが、リオンやフィリスに対しては、アーダの口調は少々固い。
「それにしても、物々しいですね」
前後に続くアザレア騎士団を、リオンは見遣った。今いる団員は、アーダ直属の隊で二〇名ほどだが、荷馬車だとかが、がらがら音を立てながら同行している。一〇名ほどを率いて先頭をルナが行き、後続の輜重部隊と警護の騎士たちをジゼルが率いていた。
「アザレア騎士団は、ずっとフェリオス内にある。武器や食料を補給しなければならないからな。つい最近、一二層の市門から魔物の軍勢が現れた。一一層の南門をアザレア騎士団は暫く守ってサウスに戻るはずだったが、今は一二層の南門前を守っている。いつ戻れるか、分からない状況でな」
アーダが、最前線の様子を教えてくれる。
「諸国の遠征軍が帰り、大陸会議の円卓騎士団もロクスに戻った。兄が死に、率いていた南門にある
「……済みません、アーダ王女……」
フィリスの顔が曇った。口調は悲しげだった。
王太子殺しを自分が契約していた元闘魔種のランヘルトがしたことに、フィリスは重い責任を感じている様子だった。
「謝られても、兄は戻ってこない」
冷たく、アーダはフィリスに言い放つ。
「そういう言い方をしなくても。フィリスのせいじゃありません」
リオンは、フィリスを庇う。まだ一一歳の少女が、負わねばならないことではないと思う。アーダがフィリスに抱く憎しみを、リオンも理解できる。だからこそ、表情は困ったものとなってしまう。
「……どうだか」
きつい視線を、アーダはフィリスに送った。
フィリスは、悲しげな顔をしていたが、まっすぐアーダを見た。
「ふん」
アーダは、子供っぽくそっぽを向いた。
どうにかアーダの憎しみが和らがないかとリオンは思い、アーダを眺めた。ふと、疑問に思うことがあった。アーダの格好だ。ミスリル製の軽そうな精妙な作りをした鎧。それから、腰に佩いた長剣。黒地に銀色をした
だが、肝心な物がないように、リオンは思う。アーダの異名は、弓姫だ。それなのに、弓をを持っていない。リオンは首を捻った。
「王女様は、弓姫って呼ばれているんですよね?」
場の雰囲気を変えるつもりで、リオンは尋ねた。
「らしいな」
リオンに振り返り、どことなく惚けるようにアーダは答えた。
アザレア騎士団団長として硬い雰囲気でリオンに接しているアーダから、少しだけ茶目っ気のようなものが垣間見えた。
「弓を持っていませんけど?」
しげしげと、リオンはアーダを見た。
その様子に、アーダは綺麗な眉を少し吊り上げた。
「無礼だぞ」
無遠慮な眼差しに、アーダは不機嫌そうにリオンを注意する。
「済みません。でも、やっぱり気になります」
異名の由来である肝心の弓がないことが、リオンに首を傾げさせずにはいられない。
「リオン。闘魔種は、決して身体能力が常人より優れているだけではないのです。装備している武器だけで判断してはいけません」
契約グランターであるフィリスは、闘魔種に成り立てのリオンに教えようと口を開く。リオンは知らなければならないことが、たくさんあるのだ。
「賢しいな、フィリス」
冷たくアーダの言葉が、響く。峻厳さを帯びた
「そんな言い方、しなくてもいいでしょう」
リオンは、アーダをきつく睨んだ。
アーダは、フィリスに辛く当たってばかりだ。リオンは、アーダの憎しみも分かる。が、どうにかフィリスを許してもらえないかと思う。アーダと接してみて、本来公正な人となりをしていると分かる。団員たちなどには、気さくで闊達だ。
一つ、アーダは溜息を吐いた。
「済まなかった。フィリスも許せ」
「いいえ」
フィリスは、とても悲しげな顔をしながらも、ひたむきな眼差しをアーダに注ぐ。
ばつが悪そうな顔をして、アーダはつとフィリスから視線を外す。
自分でも、子供じみた態度だと分かっているのだろう。昨日はかなり感情的になっていたアーダも、一晩経って頭が冷えたとリオンは思う。それでも、フィリスに冷たく接してしまう。
「その内、見る機会があるかも知れない」
「え?」
「わたしの、異名の由来だ」
アーダは、そう言って誤魔化した。
「大陸会議は、決してロクサーヌ王国の味方ではない」
「ええと……」
にわかに話し出したアーダに、リオンは戸惑った。
「愚痴に、少し付き合え」
フィリスのことで悪くなった雰囲気を、アーダは変えたいらしかった。
「はい」
リオンも、アーダがフィリスに抱く憎しみを蒸し返したくなかったので、素直に頷いた。
「形だけの遠征軍。兄上の一一層攻略に様々に反発した。大陸会議は、魔都フェリオスから得られる収入に目が眩んだ連中の集まりだ。魔都を本気で攻略しようなどとは思ってはいない」
吐き捨てるように、アーダは言った。
政治的な事柄に疎いリオンだったが、アーダが言うことは何となく分かる。
「魔物を倒せば確実に抽出できる
アーダは、腰からフォトンポットを外した。微量に紫色をした粒子が溜まっている。フェリオスに入ってから、部下に殆どの戦闘を任せていたので量は少ない。
「これ一つとっても、得られる利益は莫大だ。
アーダの口調は、忌々しげだった。
「今のわたしたちの暮らしは、魔都フェリオスにあまりにも寄りかかっている。燐火ランプに燐火灯、燐火竈。日常に入り込みすぎて、もう燐火粒なしには生活することが難しくなっている。これは、とても危険だ」
「危険?」
「魔都攻略を真剣に考えなくなる。それどころか、魔都を失ってはならないと、民衆に思い込ませることもできる」
「まさか、大陸会議が、積極的に魔都から得られる資源を利用させている、と?」
アーダの言葉にピンときたリオンは、有り得ベからざることに戦慄した。彼女がたとえに出した物は、どれも生活に欠かせないものだ。
「さあな」
惚けてみせたが、アーダは満足そうに笑った。
「
そう言いつつ、アーダは腰に佩いた長剣を引き抜いた。
朝の陽射しを浴びて、鉄にはない煌めきを放っている。
「それから、魔力を生み出すヒヒイロガネ。神聖力を生み出すアダスト。これらの価値は、計り知れません。どれもこれも
遠慮がちに、フィリスも口を開く。
ちらりとアーダは何か言いたげにフィリスを見たが、軽く頷いた。
「これらの価値は、いかほどか想像できないほどだ。その莫大な富を、大陸会議が手放す気があるのか。首座をつとめるのは大国エリオット帝国。それに比べ、我がロクサーヌ王国は小国だ。魔物の被害が自国に及ばぬから、他国と語らい圧力を加えてくる始末」
「そんなこと許されません。フェリオス以外で魔物に殺される人間はいるんです」
「そうだ。魔都をこの世界から消し去らなければ、ロクサーヌに平和は訪れない」
リオンの言葉に、アーダは真剣に答えた。
真摯さが溢れる眼差しに、リオンは嬉しく思った。両親を、王都ロクスで魔物に殺されたのだ。魔都をこの世から消し去りたいと、強く願っている。
そのとき、風を切る音が聞こえた。
「リオン!」
フィリスが叫び声を上げる。
魔物が、リオンに襲いかかってきたのだ。「うわっ」と声を上げ、リオンは落馬した。
青黒いビーバーのような姿をした、リオンが名を知らぬ中域の魔物。
「動くな!」
アーダの鋭い声が響く。
応戦しようと短めの
左腕をアーダは差し出した。すると、一瞬光の粒子が現れ弓を形作った。
アーダは、弓を構える。光の矢が出現し引き絞られた。
放たれた光の矢は、狙い違わず魔物を貫いた。その一瞬、とてつもない
ビーバーのような魔物は、光の矢で粉々に砕け散り破片は霧散し消失する。
「今のは!」
リオンの目は、見開かれていた。
一体、アーダが何をしたのか分からない。
アーダの手から、弓が光の粒子となり消え去った。
「弓姫――」
リオンは、アーダをまじまじと見詰め、彼女の異名の由来を知るのだった。
「何をしたんですか?」
「まだ、リオンが知るのは早い」
リオンの問いを、アーダは請け合わなかった。
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