第5章 狂戦士 1

「リオン殿、フィリス殿、もう起きていますか?」

 朝早く幕舎の入り口から、声がかけられた。

 声で、ジゼルだと分かったリオンは、「はい」と返事をする。

 入り口の布が手で押しのけられ、鎧下姿のジゼルが姿を現す。女性的起伏を十全に有した身体のラインがよく分かり、リオンは目のやり場に困り視線を泳がす。

 ジゼルは理知的な美貌を軽く笑ませ、リオンとフィリスに穏やかな視線を注いだ。リオンが話したことがあるアザレア騎士団の団員は、団長であるアーダを除けば、副官のジゼルと近衛騎士のルナだけだ。その中で、ジゼルは優しいお姉さんといった印象だ。

「お早うございます、ジゼルさん」

 丁寧にフィリスは、朝の挨拶を口にする。

 リオンがアーダやルナと一緒に一一層の魔物を相手に鍛錬をしていた間、フィリスはジゼルと留守番をする日々が続いた。そのためか、フィリスはジゼルに打ち解けている雰囲気を、リオンは覚えた。

 これは、ジゼルの人柄だろうと、リオンは思う。柔らかな物腰で包容力を感じさせるジゼルは、ここでは居ることが針の筵であろうフィリスの心を開いている。

「お早うございます」

 リオンも、朝の挨拶を口にする。

「お早うございます、リオン殿、フィリス殿」

 爽やかに朝の挨拶を交わしながら、ジゼルは幕舎の中に入ってきた。

 幕舎の中は、片付けられた寝具が隅に置かれ、あとはリオンの武具があるだけだ。

「朝食はまだですね?」

 二人の様子を見ながら、ジゼルは尋ねた。

「はい、今もらいに行こうとしていたところで、済みません」

 ルナが迎えに来た昨日は、今朝より起きるのが遅くこの時間まだリオンは寝ていた。格上の魔物を相手にしている疲労を心配したフィリスが起こさなかったのだ。今朝は、フィリスが早い時間に起こしてくれた。余裕があると思っていたのだが、ジゼルがやって来た。

「でしたら、丁度よかった。アーダ様が、お二人を朝食にお呼びです」

 リオンが恐縮していると、少しおかしそうにジゼルは言った。

「王女様が?」

「用件は、だいたい察しがつきます」

 不思議そうな顔をリオンがしていると、澄まし顔でフィリスが言った。

 まだ一一歳だが、フィリスの綺麗に整った顔は聡明そうだ。セミショートの銀髪と不思議な金色の瞳を持ち、フィリスは幻想的に見える。大人びたことを言っても、違和感がなかった。どこかこの世ならざる存在に、フィリスをリオンはときおり感じる。

「ふふ」

 リオンとフィリスを見比べて、ジゼルは軽く笑った。

「では、行きましょう」

 ジゼルの言葉で、リオンとフィリスは幕舎を後にした。


 アーダの幕舎には、彼女以外にルナともう一人知らない女騎士がテーブルを囲んでいた。

 皆、鎧下だけの楽な格好をしていた。

「三人とも、座って」

 団員たちに囲まれているためか、ここ数日リオンを相手にしていたときと違って、アーダの口調は柔らかい。年相応の闊達な女の子の口調だった。

 リオンは、それを素敵に感じる。アザレア騎士団団長――王女として凜々しく振る舞うアーダと、本来の彼女とのギャップはとても魅力的だった。王女としての仮面を被らぬアーダに、鮮烈な色彩を与えている。

 リオンたちは、席に着いた。前には、湯気を立てるスープと黒パンが置かれてあった。質素だが、当番の団員たちがしっかり作っていることが分かる。アザレア騎士団は、貴族や騎士の家系の子女たちで構成されているが、必要なことは全て自分たちで行っている。アーダにしたところで本来はロクサーヌ王国第三王女といった身分だが、皆と同じ食事をしていた。全員が闘魔種であり、まさに魔物と戦う精鋭だった。

「フィリス、リオンが昨日使った技の命名は、契約神からあったか?」

 アーダは、フィリスに思うところはあるようで口調が硬く冷たくなったが、そう尋ねた。

 神の恩寵グレイスの名前は、契約する神が命名する。昨日、帰ってからフィリスとアーダに、リオンはそう教えられた。そう聞いたリオンは、よく分からぬまま凄いことだと単純に思った。わざわざグランターが契約する神自身が名付けるとは、と。

 また、契約神が命名することで、発現した能力ちから神の恩寵グレイスであることが確定する。

 神聖核ホーリーコアを活性化させ神の力を顕現させる恩恵の片鱗グリンプスですら、有する者は少数だ。その上位に位置する神の恩寵グレイスは別格で、ほんの一握りの者だけが発現することができる。神自身の命名ということからだけでも、どれほど特別なことか分かる。

 リオンの身体は、緊張に強ばる。起きてから、フィリスはそのことを言っていない。尤も、起きてすぐにジゼルが呼びに来たため、あまり話せなかったということもあるが。

聖宿の剣セイクリッドソードと、ブリュンヒルデ様は告げられました」

 静かにどことなく厳かに、フィリスは答えた。

 不思議な金色の瞳と少々現実味の希薄した容姿が相俟って、正に託宣を下す巫女そのものにフィリスは見る者の目に映る。

「……聖宿の剣セイクリッドソード

 リオンは、小さく口の中で呟いた。

 あまりに神聖な響きに、リオンは目眩が起きそうだった。昨日は、アーダに恐らく神の恩寵グレイスだろうと言われたが、実感が湧かなかった。フィリスの言葉で、自分は闘魔種でも一握りの者だけが有することができる能力ちからを得たのだと、少しだけ怖くなった。

 小さな頃、魔物に両親を殺され、闘魔種になり魔物を討伐し魔都フェリオスを攻略することを願ってきたリオンであり、強くなりたいと当然思っていた。だが、実際に自分が特別と言っていい能力ちからを得て、本当にいいのだろうかと尻込みしてしまっている。

「いい名だ。これで神の恩寵グレイスであると、はっきりした」

 珊瑚色の唇が、厳かな口調で短く賞賛を紡いだ。

 リオンを見るアーダの神秘的な青紫色ヴァイオレットの双眸は、笑んでいる。

 ああ、自分は本当に神の恩寵グレイスを得たのだと、アーダの認める態度にリオンは実感した。

「まさか、恩恵の片鱗グリンプスを発現させようとして、神の恩寵グレイスを得るとは、驚きです。昨夜は、アーダ様も大変なお喜びようでした」

 笑みを浮かべながら、ジゼルはリオンに頷きかける。

「よけいなことは言わないで、ジゼル。それに、リオンはまだNランクよ。神の恩寵グレイスを得てどうにか狂戦士バーサーカー捜索に同行させられるレベルだわ」

 ジゼルに文句を言うアーダは、慌てたように本来の彼女の口調に戻った。それから、少しの間俯き顔を上げると、精緻な美貌に厳めしい表情を貼り付けていた。

「さすがは、聖眼の巫女の契約闘魔種といったところでしょうか」

 リオンの知らぬ女騎士が、自分とフィリスに微笑みかけてきた。

 笑んだ美貌は、高貴さを感じさせる。緩やかにウェーブのかかったプラチナブロンドの一部が肩にのり、あとは背に柔らかく流していた。碧い瞳は、少し悪戯っぽい。青い鎧下だけの全身は、ジゼルに劣らぬ豊かな起伏を有している。

 誰だろう、とリオンは思った。

「たまたまでしょ」

 つんと澄ましたルナが、リオンを冷たく睨んだ。

 どことなく、拗ねている感じだ。ルナは、リオンがいきなり自分より上位の技を使えるようになったことが、面白くなさそうだった。

「聖眼の巫女ではなく、災厄の巫女だろう」

 そのアーダの言葉で、場がピキリと凍り付く。

 リオンの隣に座るフィリスは、ギュッと身体を強ばらせた。

 アーダは、それまで抑えていたフィリスに対する感情を、女騎士の言葉で顕わにした。王太子であった兄をフィリスの元契約闘魔種だったランヘルトに殺された、怒りと憎しみ。ふとした弾みで、それは表に出てしまう。

 フィリスが、殺したわけではない。ランヘルトがやったことだ。そのことを、当然アーダは分かっているが、割り切れないのだろうとリオンは思った。だが、このままフィリスを憎み続けるでは、不毛なばかりだ。

「王女様、そんな言い方をしなくてもいいでしょう」

 リオンは、淡褐色ヘーゼルの瞳に怒りの色を浮かべアーダを睨んだ。

狂戦士バーサーカー――ランヘルトのことは、フィリスが悪いんじゃありません。王女様の気持ちも分かりますが、フィリスへの侮辱は許しません」

 十分に、フィリスは罰を受けているとリオンは思う。

 まだ、一一歳。

 そんなフィリスが、世間から迫害のような仕打ちを受けているのだ。これ以上、リオンはフィリスを傷つけさせたくなかった。

「ほう、どう許さないというのだ?」

 絹のように滑らかな声に剣呑な響きを、アーダは含ませた。

 アーダの青紫色ヴァイオレットの瞳と、リオンのそれがぶつかり合う。

「わたしのことは、いいのです。リオン」

 フィリスは、リオンの強化衣インナーを引っ張り、制止する。

 険悪な雰囲気となったリオンとアーダに、フィリスは表情を緊張させた。自分のために、二人が争うのが嫌だというのが伝わってきた。せっかく、アーダはリオンを認めつつあるのだ。それなのに、自分の存在で台無しにしたくないのだろう。

 リオンは、そんなフィリスを見て、アーダが許せない。

「よくないよ、フィリス。だって――」

「アーダ様、フィリス殿も進んで協力を申し出ているのです。そのような言い方はどうかと」

 リオンの言葉を遮り、困った顔をしながらジゼルが仲裁に入る。

 ルナは、一瞬憐れむような目をフィリスに向けたが、押し黙った。

「ふん」

 アーダは、そっぽを向いた。

 大人げないと自分でも分かっているのだろうが、感情を抑えられずにいるようだ。どうしても、フィリスを許せずにいる。

「ゴホン」

 青い鎧下を着用した女騎士が、一つ咳払いをした。

「わたくしのことを、お二人に紹介していただけないでしょうか? 団長」

 まるで何ごともなかったかのように、女騎士はアーダを見遣った。

 全くそれまでの空気を斟酌する様子がない。このような場を和らげ仲裁するジゼルとは、全く違う。女騎士はどこまでも自分のままで、余裕すら漂っている。アーダの前でわざとそのような態度を取っているならば、女傑と言えた。歳は、ジゼルと同じくらいだ。

「ああ、そうだったわね。ごめんなさい」

 毒気を抜かれたように、アーダは返事をする。

 気持ちを切り替えるように、アーダは一つ息を深く吸い込んだ。

「リオン、フィリス。彼女は、アザレア騎士団の副団長をつとめている」

 アーダは、女騎士を指し示した。

 女騎士は、興味深そうに碧い瞳を輝かせて、リオンとフィリスを見た。

「ビュリュエット・フィー・ベシエールと申します。リオン殿、フィリス殿。どうぞ、お見知りおきを」

 座りながらだったが、優雅さを感じさせるお辞儀をビュリュエットはした。

「こちらこそ。僕は、リオン・ベレスフォードです」

「フィリス・ルノアです」

 リオンとフィリスも、それぞれ名乗った。

 副団長か、とリオンはビュリュエットの余裕の態度に納得した。アーダに対して、あまり遠慮がないのも頷ける。

「わたしたちが、狂戦士バーサーカー捜索を行っている間、ビュリュエットにアザレア騎士団を任せる。顔合わせをしておいた方がいいと思ったから、呼んだ」

 そう、アーダは説明した。

「あら、団長は冷たいですわね。せっかく面白そうな客人が騎士団にいるといいますのに、わたくしには用がなければご紹介いただけないだなんて」

 つと流し目を、ビュリュエットはアーダに送る。

 アーダは、平然とその視線を受ける。

「我がアザレア騎士団の副団長は、茶目っ気が多くて困る。リオンとフィリスは、遊びに来ているわけではない」

 謹厳な口調を作り、アーダは言った。

「有望な闘魔種に高名なグランターですのよ」

「関係ないな」

「つれないですわ」

 つまらなそうな顔を、ビュリュエットはした。

「では、朝食を食べたら準備をして、捜索組は出発しよう」

 絡んでくるビュリュエットを無視して、アーダは告げた。

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