第2章 災厄の巫女 4
食事と入浴を済ませ、リオンは自室のベッドで横になっていた。
貸家には、部屋が幾つかある。当然、フィリスとは別々だった。
今日一日、魔都フェリオスで行った魔物との戦闘をリオンは思い出していた。日を重ねるにつれ、一層の魔物を相手することに慣れてきていると思う。決して油断ではなく、冷静に自分の戦闘を見直してみて。
ひやりとする場面は、何度かあった。まだ、稽古ではない本物の戦闘の勝手が分かっていない。感覚が魔物と戦うためのものになりきっていない。戦いの場である魔都フェリオスは、市街地だ。遮蔽物が幾つもあった。物陰に潜む魔物に気付くのが遅れるといったことが、何度かあった。これは、早く慣れねば命取りになりかねないと、リオンは肝に銘じる。
やはり、ネックとなるのは集団の魔物を相手取るときだった。リオンは、ギルドに所属をしているわけでもなく、一人だ。
ソロで魔都フェリオスに入る者は、ちらほらといたが圧倒的にパーティーが多い。まだ、リオンは闘魔種となって日が浅く魔都フェリオスの魔物討伐を始めたばかりだ。ただ、漠然とパーティーでの討伐に憧れを抱いているだけだ。一人でも十分に魔物を狩ることができた。それでも、多数の魔物を相手取ると、あわやという場面が多くなる。せめてもう一人いれば対処が楽なのにと、思わなくもなかった。
その内、ソロの者に声をかけてみようかと思いはするが、フィリスのことがあった。フィリスが契約していた闘魔種は闇墜ちし魔人となった。しかも、ロクサーヌ王国の王太子ベルトナンを殺害した。そのため、フィリスは皆から疎んじられている。自分のグランターを知られることは、フィリスに危険が及ぶ可能性があった。迂闊に他の闘魔種と接触することは、避けなければならない。
人目に付けば、身体的特徴からフィリスとすぐばれてしまう。金色の瞳など、リオンは彼女以外知らない。他のグランターもそのような瞳を持っているなどと、聞いたこともない。幻想的な金色の瞳。まるで、神々の秘儀の一端に触れるような。
と、そのようなことをリオンが考えていると、ドアをノックする音が控えめにコツコツと鳴った。思考の迷路から、現実に引き戻される。
「フィリス?」
「…………」
リオンの問いかけに、ドアの向こうで息を詰めるような雰囲気があった。
躊躇うような気配。
「ドアは開いてるよ」
リオンは、ベッドから起き上がりドア越しに声をかける。
カチャリと静かな音を立てて、ドアが開いた。燐火ランプを消してあるリオンの部屋に、光が差し込む。
開いたドアの隙間には、フィリスが立っていた。光を背にしているので、影になっている。
「どうしたの?」
そろそろ深夜と言える時刻に、フィリスが部屋に来たことをリオンは訝しむ。
リオンの問いに、フィリスは顔を俯かせる。何かを言い淀んでいるのが伝わってくる。暫くして、フィリスは顔を上げリオンのベッドに歩みよってきた。
「わたしと関わりを絶てば、リオンは契約を解消できます。皆に疎まれるわたしの闘魔種でなくなることができるのです」
微かにフィリスの声には、涙が混じっている。
リオンは、フィリスの様子と言葉の意味から、あることに思い至った。
「
一言だけ、リオンは告げた。
リオンの傍に近づいたフィリスの肩が揺れる。
「フィリスは、グランターとしての
思い当たったことを、リオンは口にした。
リオンが言う
「契約してから、フィリスは一度も僕から受けていない。前の契約者がフィリスの元を去ってからそれなりに日が経っているはずだ」
事実をリオンは指摘する。
グランターとして必要不可欠な
そのままだと、グランターとしての
「わ、わたしは――」
フィリスの声は掠れていた。
雲に隠れていた上弦を少し過ぎた月が顔を出し、フィリスの面を照らし出した。
幻想的な金色の瞳は、絶えず涙をこぼしていた。
「わたしが
決然とした顔で、フィリスはリオンを見詰める。
「リオンを闘魔種としたのは、ただわたしが助かりたかったからだけです。そのあとは利用しようとしました」
「それは、この前話したじゃないか」
「でも、やはり駄目です。わたしは、リオンを利用しようとしています。わたしと契約していても、リオンは不利なだけです。闘魔種として名をなすことはできません」
フィリスは悲しげに顔を曇らせていた。
ああ、とリオンは思った。フィリスは、自分のことを色々と心配してくれているのだと。リオン自身、フィリスと契約した闘魔種であることで、様々な制約を受けている。たとえば、ソロのグランターに声をかけることが、躊躇われるとか。
だが、フィリスをこのまま見捨てることはできない。フィリスは、一一歳の女の子に過ぎない。そんな子が、一人でこの先やっていけるとリオンには思えない。しかも、不名誉なグランターと烙印を押されている。フィリスの力にリオンはなりたかった。
「僕は、君のものだ」
リオンは、言い切る。
「だから、
あくまでも、リオンはフィリスを憐れむような言い方はしない。
フィリスを下にするようなことは、したくなかった。今、フィリスが置かれている状況が、過酷なだけだとリオンは自分に言い聞かせる。
「わ、わたし……え、えっ、えぐ――」
それまで我慢していた嗚咽が、フィリスから漏れる。
年相応の、一一歳の女の子らしい泣き声が。
「ごめんなさい」
フィリスは、リオンの首に両腕を絡めしがみつく。
そして、鋭くなった犬歯をリオンの首筋に突き立てた。
軽く、リオンは痛みを感じた。
フィリスの身体が、薄らと白く輝く。リオンの
リオンは、フィリスの頭に手をやり優しく撫でた。
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