第2章 災厄の巫女 1

「朝です。リオン、起きなさい」

 身体を揺り動かされ、リオンは瞼を持ち上げた。

 寝不足でけだるさが残る、目覚めだった。背中の下が、やけに固い。

 金色の瞳が覗き込んでいる。ああ、そうかとリオンは思った。昨夜は、フィリスにベッドを占領され、床で寝たのだ。お陰で、身体の節々が痛んだ。その上、まだ眠い。フィリスにおかしなことを言われ、妙に彼女を意識してしまいなかなか寝付けなかった。だから、今朝は寝坊してしまった。

「ふあ、お早う。フィリス」

「お早うございます。リオン」

 爽やかな笑みを浮かべながら、フィリスは挨拶を返す。

 その笑顔を見ながら、フィリスのしたたかさにリオンは少しだけ用心した。昨夜は、床に横になり眠れぬ夜を過ごしながら、出会ってからの言動を思い起こしていた。

 昨夜はリオンの憐憫を誘い、まんまと豪勢な夕食を奢らせた。宿屋の部屋に戻ってからさっさとベッドへ潜り込み、一人前のレディのようにフィリスはリオンに釘を刺してきた。見た目の幼さに似ず、ちゃっかりしてるというのが、リオンのフィリスに対する認識だった。

「どうしたのですか? 目の下に隈ができてますよ」

 天使のように笑み、フィリスはリオンに顔を近づけてきた。

 今日になってみると、若干その笑みが小悪魔的に見えなくもないリオンだった。

「そ、そう?」

 誰のせいだと思いつつ、フィリスを見て自分は闘魔種となったのだと、実感した。

 リオンも素早く身支度を済ませると、朝食を取りに宿屋の一階へ向かった。この宿屋の一階は、食事なども出す酒場となっていた。

「先ずは闘魔種会館へ行って、僕たちの登録を済ませないと」

 階段を下りながら、リオンはフィリスに話しかけた。

 闘魔種は、公的機関に登録をする必要があった。

「僕は、フィリスの契約闘魔種になった。今日から色々と忙しくなる」

 自然と、リオンの口調は弾んだものとなった。

 グランターと会うべく駆けずり回っていた昨日までとは、偉い違いだ。

「リオンは、このままサウスに留まるのですか? 家はロクスだと言っていましたが」

 前を歩くリオンに、フィリスが問いかけてきた。その声は、若干元気のないものだった。

「まさか。せっかく闘魔種になれたんだよ」

 振り返り、リオンはやや不安げな顔をしているフィリスを見た。

 魔都から離れたくないのだろうかと、リオンは推察した。グランターであるなら、当然だろうと思う。

「ですが、リオンはあまりお金がないのでは? サウスには一週間ほどしか留まれないと言っていました」

 なおも、フィリスは心配そうな声を発する。

「それは、昨日まで。フィリスが僕を闘魔種にしてくれたじゃないか。闘魔種のやることは、魔物を狩ること魔都フェリオスを攻略することだろう。ロクスに帰ったんじゃ、できないじゃないか? お金の心配はしなくて平気だよ。明日からでも、魔都へ魔物を討伐に行くから」

 意気揚々と、リオンはこれからの予定を口にした。

「それはよかったです。わたしは、故あって魔都フェリオスから離れるわけにはいきませんでしたから」

 幼さを含むフィリスの声に、安堵の雰囲気が滲んだ。

 やはりそのことが気にかかっていたのかと、リオンは納得する。

 一階の酒場兼食堂は、朝から喧噪に包まれていた。

 この宿に寝泊まりする者ばかりでなく、外からも客が来ているらしかった。案外、この店が出す料理が美味しいことを、リオンは知っていた。この賑わいも不思議ではない。

 朝っぱらだというのに、もう酒を飲んでいる者もいる。

 リオンとフィリスは、隅の空いている席に座り注文を済ます。

 少しすると、何だか視線が気になりだした。ちらちらと、客がこちらを見ている。こちらと言うより、フィリスを。昨夜もそうだったので、リオンは別に不思議とは思わない。綺麗に整った顔立ちをしたフィリスは、少女と子供の境界線といった危うさにいる。透くような白い肌に、セミショートの銀髪もさらさらで、全身は華奢で小柄ながら、数年先を期待させるものがあった。何より目立つであろう金色の双眸は、幻想めいた雰囲気を放っている。

 目立つことは間違いない。

 リオンにしても、こんな子が近くにいれば盗み見ることだろう。

 だが、皆の視線が興味や嫉視とは少し違ったものだと、リオンは気付かなかった。

 食事が運ばれてくる頃になると、客たちの視線が突き刺さるようになった。いくら何でも、失礼だとリオンが感じ始めたとき、その声が聞こえた。

「災厄の巫女だ」

 と、誰かが言った。

「あの金の瞳、間違いないぜ」

狂戦士バーサーカーを生み出した、呪われたグランター」

「あの容姿間違いねー。グランターのフィリスだ」

 と、口々に客たちはフィリスを中傷しだした。

 リオンは、客たちの様子に不愉快さが募っていった。自分が契約したグランターが悪く言われているのだ。

 次第に、客たちから剣呑な空気が流れ出した。

 仕舞いには、宿の主がリオンたちの席にやってきた。

「昨夜は燐火灯の加減で、その金色の瞳の色が分からなかった」

 じっと、主はフィリスの金色の双眸を見詰める。

「災厄の巫女に食わせる物はねー。金を払ったらさっさと出て行ってくれ。部屋にはもう戻ってくるな」

 リオンとフィリスは、宿屋を追い出されてしまった。


 宿屋から遠くないサウス中央にある噴水広場へと、リオンとフィリスは来ていた。

 リオンは、フィリスを見て客たちが言っていたことが引っかかった。それに、グランターであるフィリスが、誰からも保護や支援を受けていないということが気になった。

「さっき、宿屋の人たちが言っていたことって、どういうことなの?」

 リオンは、尋ねずにいられなかった。

 俯き、フィリスは桜色の唇を噛み締めている。それから、顔を上げた。

「わたしは、リオンに謝らないといけません」

 そう、フィリスは前置きした。

「リオンをわたしの闘魔種としてしまったことは、申し訳なく思います」

「どうしてさ? さっぱり僕には分からないよ。災厄の巫女って?」

 リオンは、宿にいた者たちがフィリスに取った態度に困惑気味だった。覚えている言葉を、口にした。まるで、フィリスを疫病神のように罵っていた。彼女と契約したリオンとしては、腹立たしい限りだ。

「一二日前のことです。わたしが契約していた闘魔種が、闇墜ちしたのです」

 フィリスは、目を伏せがちにして告げた。

 辛そうな表情が、フィリスの綺麗な面に浮かぶ。痛みにでも耐えているような。

「闇墜ち……魔人になったの?」

「はい。名前はランヘルト・クラッセン。三年前に契約した、わたしの唯一の闘魔種でした」

 誠実に或いは真摯に、フィリスはリオンに答えた。

 金色の瞳には、悲しげな色が浮かんでいる。

「わたしは、不名誉なグランターなのです」

「でも、闇墜ちって多くはないけど、それなりにあることじゃないか。力に取り憑かれた闘魔種が、グランターから離れてしまう」

 まるで迫害のような仕打ちを、フィリスが受けている理由がリオンには分からない。

 こんな子があのように、とリオンは宿での一件を思い起こす。

「闇墜ちし魔人となったランヘルトは、一週間前、一一層攻略の英雄であるベルトナン・デューク・ロクサーヌを殺害したのです。ベルトナン様は、ロクサーヌ王国の第一王子。次期国王でした」

 金色の瞳が、リオンの淡褐色ヘーゼルの瞳を射貫いた。

 リオンは、その言葉に目を見開いた。まさか、あの王太子殺害の犯人が、フィリスが契約していた闇墜ちした闘魔種だったとは、と。言うべき言葉を、リオンは咄嗟に見付けられなかった。グランターと会うことに忙しかったリオンは、王太子の死を悼みながらも詳細について知らなかった。

「わたしは、ランヘルトを探し出し救わねばならないのです」

 決然と、フィリスは言い切った。

「昨日、一人でフェリオスにいたのは、そのため?」

「そうです。ランヘルトを探しに魔都フェリオスに入りました」

「無茶な」

「はい。魔物に見つかってしまいました。わたしは助かりたい一心で、居合わせたリオンを闘魔種としたのです」

 金色の瞳でリオンを見詰めながら、フィリスの顔に寂しげな表情がふと浮かぶ。

「今ならリオンに蓄積された魔の天秤エビルスピリットの量は、問題ありません。闘魔種となることは諦めなければいけませんが。わたしといれば、いずれどのような災難がリオンに降りかかるか分かりません。リオン、ロクスに帰るのです」

 綺麗に整った顔に、フィリスは強い意志を浮かべた。

 一一歳の女の子。か弱そうに見えるフィリスだったが、このままリオンを頼ろうとはしなかった。フィリスなりに、リオンのことを考えている。

 ちくりと、リオンの胸が痛んだ。

「それはできないよ。僕の夢は、闘魔種になって魔物を倒すこと、魔都フェリオスを攻略することだから。フィリスから離れるわけにはいかない」

 敢えて、リオンは自分勝手な言い方をした。

 フィリスに同情的なことは、一切言わない。

「わたしは、ランヘルト捜索にリオンを利用しようとしていたのです。わたし一人では、魔都フェリオスを捜索することもできないのです。ですから、リオンと暫く契約を結び使い捨てようと。昨夜は、そう考えていました。でも、先ほど客たちに言われたことで気付きました。わたしと契約した闘魔種であると知れれば、この先未来はないと。わたしの目的のために、リオンの人生を台無しにはできません」

 淡い微笑みを、フィリスは浮かべる。

 自分の望みのために他人を踏みつけにできない子なのだと、リオンは嬉しく感じた。

「フィリスと一緒にいて人生が台無しになるかは、僕が決めることだよ」

 自然、リオンの口調は強いものとなる。

「昨夜は、色々とリオンを試してみました。我が儘を言ってみたりして。それで、リオンはお人好しだと分かりました。わたしが、涙ながらに頼ればきっと助けてくれます。だからこそ、わたしはリオンの助けを受けることはできません。リオンは、嫌える人ではありませんから」

 悲しげに、フィリスの金色の瞳が曇った。

 綺麗に整った顔には、硬質な表情が浮かんでいる。

 一度は、たまたま闘魔種としたリオンを利用することをフィリスは考えたのだろう。だが、彼女の性根がそれを許さない。一人を救うために、他者を犠牲にするでは意味がないのだ。フィリスは、他人を思いやれる女の子だった。

「ねぇ、フィリス。昨日はあんなに我が儘だったのに、どうしての? らしくないよ」

 この場の雰囲気に相応しくなく、リオンの口調はからかうようだった。

「ですから、あれはわざとです」

 フィリスは、顔を赤らめながら頬を膨らませた。

 少しだけ、フィリスの強ばった表情が和らいだ。

「フィリスは、そのランヘルトって人を探したいんだろう。フィリス一人じゃ無理だよ。僕を利用してよ。僕もフィリスを利用して闘魔種としてやっていく」

 表情を改め、リオンは真摯にフィリスの金色の瞳を見詰めた。

 フィリスは、珍しいものを見るような視線をリオンに向ける。

 それから、金色の瞳に透いた液体を溜めた。

「リオンは、お馬鹿さんです」

 すっと、頬を雫が伝い落ちた。

 まだ幼さが残る女の子である。誰も頼れず生きていくのは辛すぎる。リオンの言葉で、フィリスの感情が決壊した。

「底抜けのお人好しです。救いようがありません」

 顔をくしゃくしゃにさせながら、その声音には嬉しそうな響きがあった。

「そうかも知れない」

 リオンは、こそばゆく鼻の頭をポリポリと掻いた。

「そうです」

 フィリスは、涙を拭いながら心地よさそうな表情になる。

「先ずは、フィリスの服を買わないと」

「服ですか?」

 まだ鼻声のフィリスは、きょとんとした顔で首を傾げる。

「フード付きのローブを買わなきゃ。目とか隠せた方が都合がいいから」

 にっと、リオンは笑った。

「でしたら、しっかりした仕立てのものがいいです。長く使えるように」

 つられるように、フィリスも笑った。

 もう、昨日と同じちゃっかりしたフィリスに戻り、しっかり注文を付けてくる。

 昨日はわざと我が儘を言ったと主張しているフィリスだが、どうもこれが地であるらしい。

「いいよ。それから、闘魔種会館へ行って登録もしてこないと」

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