第1章 魔都の出会い 3

「フィリスは、どこに住んでいるの?」

 そのリオンの問いに、フィリスはふるふる頭を振った。

 魔都フェリオスを出た、大城塞のような南門前である。

 グランターであるフィリスによっていかにリオンが闘魔種となったとはいえ、魔物が徘徊するフェリオス一層に止まることは危険だった。闘魔種に成り立てのリオンはまだ魔物との戦いに不慣れで、しかも夜である。帰るべきだった。

 ここに来るまでも、ゴブリンと二度遭遇している。四匹の群れからなる一度目は見つからず交戦を避けられたが、ゴブリン一匹だけの二度目は見つかってしまい戦闘になった。フィリスを庇いながらだったが、勝つことができた。

 グランター自身の戦闘力は、常人と変わりがない。

 それどころか、フィリスには武道の心得がないと、リオンは見ている。

「住んでるところがないとか?」

 フィリスの様子に首を傾げながら、リオンは半ば冗談のつもりで尋ねた。

 グランターは、闘魔種を生み出せる貴重な存在だ。周囲が放っておくはずもない。

「はい」

 だが、リオンの思いをよそに、フィリスは即答でそう答えた。

 リオンを見上げる金色の瞳は、どことなく期待に満ちている。

「え? どういうこと?」

 予想をしていなかった答えに、一瞬何を言われたのかリオンは分からない。

 思わず、聞き返してしまった。

「ですから、わたしは住んでいる場所がありません。リオンの家に厄介になれると、とても助かるのですが」

 何ら臆するところも恥じるところもなく、フィリスはそう言い切った。

 それから、作為的な上目遣いでリオンを見る。

「そ、そう。住んでるところがないって、大変だね」

 フィリスのわざとらしい上目遣いに、清純な見た目と違ってしたたかだと少し驚きながら、リオンは女々しく言うべきことを言わずに答えた。フィリスは、幼さを有した少女であり、子供とも女の子とも言い難かった。子供として接することもできず、一人の女性として接することもできない。

「そうです。とても大変です。夜もぐっすり眠れません」

 言うべき言葉を言わないリオンに、フィリスはストレーに言葉をぶつけてくる。

 じっと、神聖さすら感じさせる金の瞳に見詰められ、リオンは追い詰められた。

 そのため、フィリスの口元に悪い笑みが浮かんだのを見ていない。

「僕は、この土地の者じゃないんだ」

 困ったと思いながらも、リオンは降参した。

「王都ロクスにいる親戚の家に住んでる。闘魔種になるために、サウスに来たんだ。今は、宿屋に泊まってる。同じ部屋でよかったら、フィリスも泊まる?」

 最後の言葉を口にするとき、リオンはドギマギしてしまう。

 顔も、カーッと紅潮した。

 見た目一〇歳前後のフィリスを相手に、落ち着け自分とリオンは情けなくなる。が、相手は女の子と見ることも、子供と見ることもできる危うさのある難しい年頃だ。

「そう言ってくれるのを待っていました。リオンは、お利口さんですね」

 年下の者を相手にするように、フィリスはにこりと微笑んだ。

 そんなフィリスを、どことなくリオンは微笑ましく感じる。背伸びをしているように、見えるのだ。自然と、笑みが零れた。

「じゃあ、決まりだ」

「でも、おかしな真似は困ります。わたしとリオンは、グランターと契約した闘魔種の関係です。その一線は越えないようにお願いします」

 一人前のレディのように、フィリスはリオンに釘を刺してくる。

 リオンの微笑みが、引き攣ったものに変わる。

 いくら何でもフィリスのような小さな女の子にと思いはするが、意識し出すと綺麗に整った顔立ちや桜色の唇が艶めかしく見えてしまう。まだ未成熟な身体にも視線が行ってしまう。

 ――馬鹿! こんな清純可憐な小さな子に何を!

 と、リオンは自分を自分で叱責した。

「あ、当たり前じゃないか」

 幾分狼狽え気味に、リオンは答えた。

 小首を傾げつつ、フィリスはきょとんとしている。いかにも可愛らしい。

 分かってやっているのだろうかと、リオンは少しフィリスを怖く感じた。

「フィリスって、歳は幾つなの?」

「レディーに歳を尋ねるのは、どうかと思います。ですが、特別に教えます。一一歳です」

「はは、一一歳」

 一五歳の自分よりも四つも年下の女の子に、いいようにあしらわれている気持ちになり、リオンは少しだけ落ち込んだ。

「と、ところで、フィリスはギルドとかは作らないの?」

 疑問に思うことを尋ねた。

 グランターは、保護され敬われるべき存在だ。フィリスが、住む場所がないというのが、リオンには引っかかった。

「よからぬ者たちに、金蔓のように扱われたくありません。魔都フェリオスは、莫大な利益をもたらします」

 きっぱりと、フィリスは答えた。

 思わず、しっかりした子だなーと、リオンは感心してしまう。フィリスの言うことはよく分かる。フェリオスや魔物からのみ得られるものがあるのだ。それらは、高値で取引される。

「そう。フィリスは、他に契約している闘魔種はいないの?」

「……今は……いません」

 一瞬、フィリスの顔が曇った。

 それまでのフィリスと違い、戸惑いながら自信なさげに答えた。

 何かあったのだろうかと、リオンは思った。

「じゃあ、僕はついていたんだ。闘魔種になるためにサウスに来たけど、なかなかうまくいかなくて路銀も尽きかけていたときに、フィリスと契約できたんだから」

 話題を逸らすように、わざと元気にリオンはそう口にした。

 フィリスが答えないなら、今は深く尋ねるべきではない。もっと親密な関係になったら話してくれるだろう。互いに信頼関係が築けるほどに。

「リオンは、お金がないのですか?」

 途端、悲しそうな顔をフィリスはした。

「まだ、少しは残ってるけど、せいぜいあと一週間くらいしかサウスにはいられないくらい」

 リオンは、恥ずかしい自分の財政事情を正直に打ち明けた。

「そうですか。なら、よかったです。わたしは、お腹がすきました」

「ああ、そう……」

 けろりと元の表情に戻ったフィリスを、意外と現金な子なのだろうかとリオンは思った。

 別に嫌なわけではないが、出会ったときの印象と、こうして話をしたときの印象が違っている。初めてちゃんとフィリスを見たとき、現実味の伴わぬ容姿に神の巫女――グランターを目の前にしているのだと感じた。正直、どう接していいのか分からなかった。

「じゃあ、宿に帰る前に何か食べてく?」

「はい」

 にこやかに、フィリスは微笑んだ。まるで、天界の天使のように。

「大通りに出ている屋台は名物だから、それを食べて帰ろう」

 リオンとフィリスは、サウスへと急いだ。


 都市は、青白い明かりに彩られていた。

 無数の燐火灯りんかとうが、夜に対抗する不夜城さながらに、サウスを明るくしていた。大通りには、等間隔で青白い光を発する燐火灯が設置され、軒を連ねる店からも明かりが発せられている。幻想的に、リオンの目には映る。

 もうすっかり夜だというのに、歩くのに全く困ることがない。

 サウス北門から広がる都市は、無数の光り輝く宝石をばらまいたかのようだった。数えきれぬ光源が煌めいて見える。

 燐火灯は、魔物から採取できる魔の欠片ダークフォトンから作られる燐火粒りんかりゅうを用いた照明器具だ。火と違って燃焼するわけではなく、粒子を消耗し発光するのだ。火事の心配がなく手軽で便利なので、普及していた。これに、鉱石の粉末を加えると熱源にもなる。

 大通りは、大勢の人出でごった返していた。王都ロクス以上の活気を感じさせてきた。フェリオスから戻った鎧や戦闘衣バトルクロスを纏った闘魔種らしい者たちもちらほら見える。まるで、お祭りのようだと、リオンは思った。

 洗練された王都とは、違った魅力がある。都会っ子であるリオンにも、夜ごと賑わうサウスは新鮮だった。人々から感じる生命力は、若いリオンにとって引きつけられるものがあった。

「サウスに来るのは、久し振りです」

 金色の瞳は光を映し出し、本来の色を分かりづらくさせていた。

 綺麗な顔を薄く青が入った光に照らし出される様は、この世ならざる存在にフィリスを見せていた。フィリスは眩しそうな表情をしている。

「え、そうなの? フィリスはフェリオス南門近くにいたんじゃ? どこに住んでいたの?」

 はてなと、リオンは首を傾げる。

 てっきりサウスから来たのだと思い込んでいた。が、フィリスは住んでいる場所がないと言っていた。お金もないようなので、都市での生活は無理かと思う。一体、どうやって暮らしてきたのか、リオンは疑問だった。それは、顔に出た。

「ウェストにある聖教会せいきょうかいから、施しを受けていました」

 聡いフィリスはリオンの疑問を酌み取り、何ら臆面もなくどうしてきたのか教えた。

 それを聞いたリオンは、何とも言えない表情をした。

 まだ、小さな女の子が誰も頼りにできず、教会が路頭に迷った人のため提供している施設の世話になっていたのかと、憐憫が湧く。

「ですので、今夜は期待しています。ただで恵んでいただきながら申し訳ないのですが、聖教会が出す炊き出しはとても質素なのです」

 にこやかに、フィリスは笑った。

 フィリスの華奢な身体に自然とリオンの視線が向いた。細い手足は、決してガリガリに痩せ細っているわけではないが、話の流れで栄養を十分にとれていないとリオンに思わせた。今夜は、奮発しようとリオンは心に決めた。

「任せておいてよ」

 無理に笑顔を作り、リオンは胸を叩いた。

「はい。リオンの度量の広いところを見せてもらいます」

 そう言うフィリスの微笑みは、天使のそれだった。

 清純可憐な容姿をしたフィリスであるので、真面目に言っているようにリオンには聞こえてしまう。自分は、フィリスに量られているのだろうかと、勘ぐってしまう。宿賃やらを天秤にかけて、今夜はどれくらい夕食代に充てられるか財布の中身を考える。

 リオンとフィリスが夕食の場所に選んだのは、当初の予定どおり大通りに出ている屋台だった。美味しそうな匂いを漂わせている。

「この香草が入った肉団子は、とても美味しいです」

 香草と挽肉を混ぜて丸めた串に刺さった肉団子を、せっせとフィリスは口に運ぶ。

 見かけによらず、フィリスは健啖家だった。あっという間に、最初の一品目を平らげた。その食欲に、リオンはちらりと不安を覚えた。

 今リオンも同様な物を食べているが、女の子なら十分一食分に足りる。この屋台は、珍しい香草と新鮮な食材を贅沢に使い特製の出汁を売り物にしていて、他の格安の屋台と比べると値段が高い。わざわざフィリスのために選んだ店だったが、財政事情をついつい考えてしまう。

 これも契約したグランターに度量の広さを見せるためと、リオンはまんまとフィリスの口車に乗せられていた。

「次は、ミルクがたっぷり入ったシチューを食べたいです」

 屋台の奥にある燐火竈りんかがまの上に載った人が入れるほど大きな寸胴鍋で暖められているシチューを見て、フィリスは目を輝かせた。

「食べたい物は、好きに注文して」

 気前よく、リオンは言った。

 内心では、財布の中身を心配しつつ見栄を張る。

「はいです。おじさん、シチューを一人前」

 早速、背を向けている主人にフィリスは注文する。

 ほくほくと湯気を立てるミルクをたっぷり使ったクリーム色のシチューが、フィリスの前に運ばれた。たまたま、フィリスは下を向いていた。リオンも美味しそうだなと、横目で見た。

 嬉しそうに、フィリスは木の匙を口に運び始めた。

 リオンは、自分も頼もうかと迷ったがやめておいた。今後の宿賃と食事代を確保しておかなくてはならない。隣で舌鼓を打ちつつ食べるフィリスを羨ましく思いながら、ゆっくりと香草の入った肉団子を頬張った。

 結局、フィリスは四品も平らげた。

 その分、リオンの財布は軽くなった。


 何故か、フィリスは俯き加減で宿屋へ入った。

 食事も出す酒場となっている一階には、客が大勢いた。入ってきたリオンたちに視線を向けてくる者も何人かいた。リオンを睨む者もいる。理由は、リオンも分かる。

 さらさらのセミショートの銀髪に整った綺麗な顔立ち。華奢でまだ未成熟な、成長が楽しみな全身。フィリスの清純可憐な容姿は、嫌でも人目を惹くのだ。

 顔を伏せがちにしたフィリスは、誰とも目を合わせようとしない。

 リオンは、フィリスに袖を引っ張られた。

「お酒の匂いは、嫌いです」

 そう囁くような声で、フィリスは言った。

 その様は、小さいながらいかにも可憐な女の子だ。

「部屋に行こうか」

 少し緊張しながら、リオンは頷く。

 自分はフィリスに対しやましい思いなんて抱いていないと、言い聞かせながら。

 二人は、階段を上って二階にある部屋へと入った。

 ささっと、フィリスは小走りに窓辺のベッドに走り寄り、

「お休みなさい、リオン」

 と、ベッドに潜り込んだ。

「お休みって、え? もう寝るの?」

 いきなりな言葉に、リオンは少々驚いた。

 契約したばかりのグランターと闘魔種。話すべきことは、たくさんあるように思えた。明日からの予定だとか。

 すると、フィリスは被った毛布から顔を出し、にこやかな笑みを浮かべリオンを見た。

 冗談だとフィリスは言うのだろうと、リオンは思った。自分も笑みを浮かべ、リオンはフィリスの言葉を待った。

「越えてはならない一線は越えないでくださいね」

 天使のように清らかな笑みはそのままに、フィリスはそう告げた。

 リオンの笑みが凍り付く。再び釘を刺された。部屋で二人きりのときに。自分はどのように思われているのだろうと、不安になる。

「な、な、何を言ってるの?」

「寝込みを襲ったりしないでくださいね、と言っているのです」

 清純な笑みを変えることなく、さらにとどめをフィリスはリオンに刺す。

 思わず、リオンは仰け反りそうになった。思い切りぶん殴られたような気分だ。

「ぼ、ぼ、僕……」

 あたふたと、リオンは慌てふためいた。

 フィリスのようなまだ幼さが残る女の子に、はっきりと言われてしまった。

「では、本当にお休みです。リオン」

 そう言うと、フィリスは頭から毛布を被った。

 ちらりと恨みがましい視線をフィリスへ送ったリオンも、寝ることにした。青白い光を発する燐火りんかランプのスウィッチを切る。

 ごろりと、床の上で横になったリオンは悶々としてしまう。

 フィリスがよけいなことを言うから緊張するじゃないかと、頭の中で文句の言葉を並べつつリオンは長い夜を過ごした。

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