第1章 魔都の出会い 2
少し先に、大城塞を思わせる市門が迫っていた。
ぐるりと延々と続く分厚い市壁に囲まれた都市に知らず近づいていた。魔の都は、静けさの中にあった。その静寂は、この世界から隔てられているような疑念を抱かせる。
背後に残した、サウスにあった喧噪が嘘のようだった。
連日、グランターとの面会を断られ続けたリオンは、疲れ果てていた。眼前の異様にも気付いていない。自分が今、魔都フェリオスの間近にいることも。虚ろな目でただ歩き続ける。向かう先が魔境であろうと関係なく。
西の空は、茜色に燃えていた。落日の光を受けて、周囲は全て黄昏色に染まっている。その光景にも、リオンは全く気付いたふうもない。目には映っているが、何の意味もなしていないのだ。目標に近づけないことが、辛かった。
サウスにいられる期間も限られている。
路銀も一週間分ほどしか残っていない。
闘魔種となるためリオンは働き、サウスに来る資金を貯めた。それが、もう底を突こうとしている。時間は限られているのだ。
だが、一向にうまくいかない。
親戚夫婦の家のこともあった。
リオンは、王都ロクスに住んでいる。両親を失ったあと、叔父と叔母の家で世話になった。よくしてくれたが、決して裕福ではなかった。近々、リオンより三つ年上の娘が、結婚する。本来ならリオンが働き金を稼ぎ、少しでも結婚費用の足しにすべきだった。こうして、一人サウスに来ていることに後ろめたさもなくはなかった。
グランターと契約を結び闘魔種となり、それで得られるお金を親戚夫婦に仕送りするつもりでいたのだが、うまくいかない。
帰るべきだと、リオンの理性が告げてくる。
一方で、情熱は必ず闘魔種となるべきだと訴えかけてきた。
考えれば考えるほど憂鬱になった。自然、様々なことがリオンを現実から切り離れさせた。絶望的な状況。それと面と向き合うことは、今のリオンには辛かった。少しでも思いをめぐらせれば、自分は甘く考えていたと責め苛まれる。
もう何も考えたくなかった。
とうとう、リオンはフェリオス南門に到達した。厳めしい城門のような入り口が、大きな口を開けていた。聳えるように立つ分厚い市壁は、優に一五ルアン(㍍)以上ある。市壁は魔力を帯びており、その上は外部からは障壁となっていて梯子をかけてよじ登り越えることはできない。
昔、この一層の市門を突破するために、甚大な犠牲が出たという。リオンが見る限り、市門の攻略は至難に思えた。しっかり閉ざされれば、魔力を帯びた扉は生中な破城槌をものともしないだろう。魔物の軍団が、外へ出るときにだけ開かれた。そのときを狙って、攻撃を仕掛け市門の主導権を奪うのだ。
南門の近くには監視塔があり、傍らに詰め所があった。
常に、大陸会議から派遣された闘魔種が常駐している。
人間がフェリオスへ出入りすることに制限はない。闘魔種からなる騎士団だけでなく、ギルドやフリーの闘魔種が自由に出入りできるようにしている。そのため市門は開かれたままだ。監視塔が目を光らせているのは、ときおり出てこようとする魔物に対してだ。大挙して魔物が出てきたときなどには、打ち漏らすこともあるが。
考えなしに、リオンは南門をくぐった。
中には、整然とした街並みが広がっていた。
初めてフェリオスの中へ入るリオンは、意外に感じた。
魔物の巣窟である魔界の都だ。もっとこう、殺伐とした風景を想像していた。だが、見渡す限り人が住んでいてもおかしくなく見えた。住居などが建っている。魔物が居住しているわけではあるまいに、とリオンは思う。
ふと、思い出したことがあった。
王都ロクスで、先生について語学や一般教養を学んでいたとき、それを聞いた。魔都フェリオスは、元々この世界の都市であった可能性があるということだった。最もあり得るのは、古代に繁栄を極めたトルキア帝国の帝都イクスであったという説だ。敵からの襲撃に備え、幾重にも市壁をめぐらせたと伝わっており、フェリオスはそれと合致しなくもない。
調査団が持ち帰った資料によれば、発見された文字は遙か古代に失われたものだとか。かつて、今のような事象――次元秩序崩壊が起こり町や村を飲み込んだように、太古の都市が魔界に飲み込まれたのだと言う者もいる。太古滅んだトルキア帝国は、現存する資料が不思議なほど少ないという。帝都の場所も謎とされ、ロクサーヌ王国とその近隣諸国の領土に帝国があったとしか知られていない。魔都フェリオスの出現により、この場所にこそ帝都があったと言う者もいるが、遙か大昔のことであり定かではなかった。
今一つ、リオンはその話を飲み込めないでいた。そんな古代都市が、魔界の都として次元秩序崩壊以降この世界に出現する理由が分からなかった。
魔都フェリオスは、直径三〇ルーニア(?)以上に及ぶ巨大都市だ。
ここには、魔物がいる。
魔物は人間に害をなす。
それだけ分かっていれば、リオンには十分だった。
魔物は、人間より遙かに強い。ただの人間では太刀打ちできない。リオンの両親がそうだったように。幸い、魔物と出くわすことなく、リオンはフェリオス一層を徘徊した。一五段の市壁に囲まれたフェリオスは、一五の層域に別れている。中央には、峻険に聳え立つ〝魔神〟が住まうという王城が、影のように見て取れる。
辺りは、知らぬ間に夜の帳が降りていた。
今夜は、冷え込んだ。
夜空は冴え渡り、天空には星々が煌々と輝いていた。
上弦の月が、蒼い光を魔の都に降り注がせていて、暗くて困るということはなかった。月明かりに照らされたフェリオスの街は、神秘的に見えた。
魔物が徘徊するこの世ならざる都市。
世界から隔絶された場所。
人の気配が周囲にないことから、死の都といった単語が思い浮かぶ。ただの人間である自分が一人ここにいることを、リオンは急に心細く感じた。
呆然としていた頭は夜気ですっかり冷まされ、もう戻ろうかと思ったそのとき――、
「きゃああああああああああああああああああ」
女性の悲鳴が辺りに響いた。
その声は、幼さを含んでいた。
何ごとと、リオンは声の方へ静まりかえった街中を、走って突っ切る。
建物の陰から、あとずさっていく少女の姿をリオンの
リオンは、大通りへと出る。
一匹のゴブリンが、刃が途中で反った黒ずんだコピシュを振り上げ、少女に迫っていた。
低級な魔物だと、リオンがこれまで学んだフェリオスに関する知識が教えてくれる。が、低級とは言っても、それはフェリオス内でのことで、ただの人間が勝てる相手ではなかった。
逃げ出すべきだと、リオンの理性は告げてくる。
それをリオンの熱い部分が押しとどめる。一五歳の自分よりずっと幼いいたいけな少女を見捨てて逃げ出せるかと、理性を感情が上書きする。
蛮勇を奮い起こし、長剣を抜剣。
走る速度を上げ、両手で柄を掴み一気に迫る。
短い気合いの声を発しゴブリンに斬りかかるが、コピシュで易々と弾かれてしまう。
「馬鹿力!」
ずっしりとした重みが、リオンの両腕にのしかかる。
横にステップし、打ち据えてくるコピシュを躱す。
すぐさま石畳の地面を蹴り、リオンは怯まず長剣を一閃させる。
その一撃は、ゴブリンが再び繰り出してきた斬撃に合わせ、巧みに角度を変えた。
長剣が、コピシュの側面を打つ。リオンは相手のコピシュの軌道をずらし畳みかけず距離を取る。初めて戦う魔物に、慎重になる。力の差には、用心しなければならない。
「ギャギャ、生、意気、ギャ――」
怒りの声を発するゴブリンは、遮二無二斬撃を加えてきた。
ゴブリンが振るったコピシュを躱し様、再び長剣を閃かせる。
胸を覆ったアーマーに当たり、長剣が滑る。
体勢が崩れそうになるが、リオンはそれを狙っていた。そのまま回転。
次の一撃を繰り出す。
今度は、確実にゴブリンの身体を捉えた。冴え渡る妙技。
が、
硬い体皮に、その斬撃は弾かれた。リオンの力も長剣も、魔物に及ばなかった。
尋常ならざる防御力。
これが魔物かと、全身に粟立つのをリオンは感じた。
それでも、攻撃の手をリオンは緩めない。
透かさず長剣を振るい、同時に攻撃に出ていたゴブリンが振るうコピシュと真っ向から打ち合った。
激しい金属音が鳴り響き、火花が飛び散る。
あっさりと、リオンは力負けした。
バックステップし、振り下ろされたコピシュを避ける。
体勢を立て直し次の斬撃を繰り出すが、またもゴブリンにダメージを与えられない。
リオンの剣の腕は、かなりのものだった。だが、魔物であるゴブリンに全く通用しない。種としての越えられない絶対的な壁が、立ちはだかる。
純然たる身体能力の差。
無造作に近くにあったリオンの身体を、ゴブリンは腕で払った。
リオンの身体が吹き飛ぶ。
「ぐふっ――」
無様な呻き声を、リオンは漏らした。
信じられない力だった。
相手が魔物であることを、実感させられた。
嫌な汗が、ぶわりと湧き出る。
人ならざる存在が有する絶対的な力が、リオンを非力な存在として確定する。
視界の端に、再びゴブリンが少女に襲いかかろうとするのが見えた。
石畳に転がった身体をぐるりと回転させ、リオンは起き上がる。
だっと、石畳をリオンの足が蹴り飛ばす。
今正にコピシュを振り下ろそうとしているゴブリンに、リオンは飛びつく。
目の前の少女よりも、身体に張り付く異物――リオンにゴブリンは気を取られた。
ぶんぶん身体を振り、リオンを引き剥がそうとする。
必死に、リオンはゴブリンにしがみつくが、力の差で振り払われてしまった。
ドサリと、少女のすぐ傍に落下した。
「かっ――」
身体を石畳に打ち付けられ、一瞬呼吸が止まる。
「ギャギャ、人間は、死ね、ギャギャギャ――」
不快な生理的に嫌悪感を催す声を、ゴブリンは発した。
再び、コピシュを振り上げようとする。
痛む身体に鞭打ちリオンは起き上がると、少女の手を掴み立ち上がらせる。
「逃げるよ」
少女の手を引き、リオンは走り出した。
近くにある民家の影に、少女の華奢な身体を押し込み自分も隠れる。
ゴブリンは、一瞬きょろきょろ辺りを見回したが、すぐにリオンたちの方を向いた。
少女共々、絶体絶命の危機だった。
ただの人間では、魔物を倒せないと言われる意味を、リオンは身をもって実感した。
決して、ゴブリンの剣技が優れているわけではない。ただただ、相手を斬ることを目的とした単調なものだ。剣の腕なら、遙かにリオンの方が優れている。あの技量でただの人間なら、何人いようと後れをとることはない。
だが、様々な面が人とは異なっている。リオンが振るう長剣は、ゴブリンの硬質な体皮を全く切り裂けない。
すぐ傍まで、ゴブリンはやって来た。
「あなたは、生きたいですか?」
囁くような声で、それまで黙っていた少女はリオンにそう問いかけてきた。
「当たり前だよ」
「どんなことになっても?」
「うん。僕は生きたい」
ゴブリンの様子を覗っていたリオンは、背後の少女に振り返り答えた。
「分かりました」
少女は、リオンの腕を掴み自分の方へと向けさせようとした。
弱い力に、リオンは抵抗しなかった。
はっと、リオンは息を飲む。
少女の瞳は、これまで見たことのない幻想的な金色をしていた。
桜色の唇が、小さく開かれる。そして、不思議な言葉を紡いだ。
「気高き乙女よ」
少女の金色の瞳が、澄んだ光を放った。
「ときは満ちた」
少女の身体が、白い光に包まれる。
目の前で起きていることに、リオンは目を見張った。
「この者に、あなたの
棒状をした光が少女の空いた方の手に現れ、リオンに向けられる。左手に
「戦乱の巷をおさめよ」
すると光の棒は、剣の姿になった。
少女は、光の剣をリオンに突き立てた。
「な、何を!」
いきなりなことに、リオンは慌てた。光の剣で刺し貫かれたのだ。
が、痛みはなかった。ふっと、リオンを刺し貫いた光の剣が消えた。
自分の中で何かが脈打つのを、リオンは感じた。力が湧いてくる。少女は確かに
「ギャギャ、こんな、とこ、ろに隠れて、る。ギャギャ――」
耳障りなゴブリンの声が、背後で聞こえた。
咄嗟に、リオンは地を蹴る。
「え?」
間抜けな声を、リオンは発した。
リオンの身体は高々と上昇し、ゴブリンの身体を飛び越えてしまった。
とんでもない跳躍力だった。
それで、リオンは確信する。
少女は神の巫女たるグランターであり、自分は闘魔種となったのだと。
ゴブリンが振るってくるコピシュを、真っ向から受け止める。
先ほどまでと違い、逆に力で押している。コピシュを弾いた。
人を越える身体能力を得たリオンは、一度引いた長剣を鋭く閃かせる。
悲鳴のような金属音が鳴り響き、中ほどから長剣が折れた。
闘魔種としての身体能力を得たリオンの力と魔物の体皮のぶつかり合いに、ただの鋼でできた長剣は耐えられなかったのだ。
「これを!」
そう叫ぶと共に、少女は持っていた短めの
リオンは、それを掴み抜剣。
木目状の縞模様が、剣身にあった。ダマスカス剛で作られた剣に違いなかった。ダマスカス剛は、魔物から得られる
先ほどまでとおらなかったゴブリンの体皮を、易々と切り裂く。
とどめの一撃。
心臓に
「グホッ――」
短い呻き声を上げ、ゴブリンは真後ろに倒れ淡い光に包まれ霧散し消失した。
ホッと、リオンは一息吐く。
と同時に、自分の身体をまじまじと見た。見た目は変わらないが、信じられない身体能力だった。
「君は、グランターなの?」
少女に歩み寄りながら、リオンは尋ねた。
それから、再び息を飲む。不思議な金色の瞳をしていることは勿論驚きだが、その容姿に心奪われる。幼いが、綺麗に整った顔立ちをしている。その顔をセミロングのさらさらした銀髪が縁取る。体付きは、華奢で小柄だった。肌は、磁器のように滑らかで白い。見たところ、一〇歳前後だろうか。
何となく、現世にそぐわぬ雰囲気を少女は有していた。
「そうです。わたしは、神ブリュンヒルデの巫女」
少女は、あっさりと認めた。
「ああしなければ、あなたとわたしはゴブリンに殺されていました。あなたを闘魔種にしてしまったことは、お詫びします」
申し訳なさそうな口調で少女は告げ、深々と頭を下げた。
セミショートの銀髪が、さらりと顔にかかった。
「謝ることなんてないよ。僕を闘魔種にしてくれるだなんて。むしろ感謝しているよ」
リオンは顔を輝かせ、少女の手を取りぶんぶん振り回した。
少女は、一瞬、整った顔を顰めた。
「僕、闘魔種になりたくて、サウスに来たんだ。だけど、僕みたいな貧弱な小僧には用はないって、グランターに会う前に追い返される毎日でさ。落ち込んでいたんだ。君は、僕を闘魔種にしてくれた」
嬉しそうに、ありがとうとリオンは感謝の言葉を重ねる。
金色の瞳が、リオンの顔と握る手を交互に見る。それから、顰めていた顔に一瞬だけ、ふっと笑みを掠めさせた。
「あなたは、闘魔種になりたかったのですね?」
じっと、少女の金色の瞳は、リオンの
「うん」
澄んだ金色の瞳に吸い込まれそうになりながら、大きくリオンは頷いた。
少女の口元が、悪そうに笑っていることに気付かない。
「フィリス・ルノアといいます。あなたは、わたしと契約して闘魔種となりました。名前を教えてください」
フィリスという少女は、リオンに問いかけた。
「僕は、リオン・ベレスフォード」
満面の笑顔でリオンは、元気よく名乗る。
念願の闘魔種となれて、嬉しくて仕方がないのだ。
「よろしく、フィリス」
フィリスの手を握るリオンの手に、知らず力が入る。
自分の手を握るリオンの手を、フィリスは気むずかしげな表情を浮かべ見た。
「どうしたの?」
フィリスの様子に、リオンは首を傾げる。
「手、痛いです」
短く、フィリスは抗議を口にする。
その言葉で、リオンはフィリスの手をずっと握りっぱなしだったことに気付いた。
「あっ、ご、ごめん」
リオンは手を放そうとしたが、フィリスが握り返してきた。
その華奢な感触に、リオンはドキリとした。
フィリスの手は、ひんやりとしていて心地いい。
「よろしくです。リオン」
不思議な金色の瞳にリオンを映し出し、フィリスはそう告げる。
これが、幻想的な少女フィリスとリオンの出会いだった。
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