第1章 魔都の出会い 1

「さっさと帰れ、小僧」

 頭が禿げ上がった大柄の男に、リオンは突き飛ばされた。

 細い身体が、男の力で簡単に後ろへ吹き飛ぶ。

 石畳の上に、リオンは思いきり尻餅をついた。

 腰に佩いた長剣が、ガチャリと音を立て剣身が顕わになった。

「つっ――」

 痛みを堪える声が、リオンの口から呻くように漏れ出る。伏せた面に亜麻色あまいろの髪がかかり、顔はよく見えない。

 すぐさま、リオンは顔を上げた。

 さらりと髪が後ろに流れる。真剣な眼差しを浮かべる淡褐色ヘーゼルの瞳には、曇り一つなかった。顔立ちは、少し幼さが残りどちらかと言えば可愛い。

「お願いです。僕をグランターに会わせてください」

 必死な面差しで、リオンは食い下がった。

 長剣を鞘に収め跳ねるように起き上がり、大柄の男の真っ正面に立つ。

「だから、おめーに用はねーんだよ。それに何だ、その剣は? 安物じゃないか。そんなんで魔物に傷を付けられるかよ。闘魔種になろうってんなら、ダマスカス鋼か玉鋼で作った剣を持ちやがれ」

 大柄の男にそう言われ、リオンは顔を紅潮させた。男は目利きであるようで、ちらりと見たリオンの長剣が魔物との戦闘に耐えない物だと見抜いた。

 これは、以前骨董屋で剣の練習のために買い求めた物だ。男が言ういずれの素材も、魔物から得られる魔の欠片ダークフォトンを用いて妖精族が精製できる最上級の鋼だ。同じ物を作るには、現在の炉では温度が低すぎると言われている。

 とても高価で、リオンには手が出せない。通常の鋼で作られた、中古の剣を買うのがやっとなのだ。

 大柄の男は、リオンを上から下までじろじろ眺めた。品定めをされているようで――いや、実際にされているのだろうが、リオンは嫌な気持ちがした。

 腰に長剣を佩いていたが、鎧や戦闘衣バトルクロスの類いは身に付けず平服で身体の線も細かった。目の前の男と比べると、いかにも頼りなげに見える。

「なら、剣の腕を見てください。自信はあります」

 視線に怯まず、リオンは言い切る。

 その言葉は、本当だった。尊敬する剣の師匠に鍛えられた。剣の腕はそれなりと、自負していた。

「こっちも暇じゃねーんだ。な、怪我しないうちにさっさと帰りな」

 男は、リオンの目の前で、ポキポキと指の骨を慣らしてみせた。

 いかにも弱そうなリオンならば、怯むだろうと思ってのことだ。

「僕、どうしても闘魔種にならなければいけないんです。グランターに会わせてください」

 表情を引き締め、リオンは男の強面をじっと見詰める。

 正直怖かったが、引き下がるわけにはいかないのだ。

 闘魔種は、唯一魔物と戦える存在だ。人間は、身体能力が格段に魔物に劣る。それを、グランターは埋め合わせることができる存在なのだ。

「だから、それが無理だって言ってんだよ、小僧」

 男は、リオンを睨み付けた。

 どうあっても、リオンの望みを叶えるつもりはないと、その強面が語っていた。

「どうしてです? 闘魔種は、一人でも多い方がいいでしょう」

 人に害をなす魔物を狩ることができる存在は、多いにこしたことはない。

 だが、現実にリオンは未だ一人のグランターとも会えたためしがない。

「あのなー、小僧。一人のグランターが契約できる闘魔種の人数には限りがあるんだ。そりゃもう猛者どもが、闘魔種になりたいってひっきりなしなんだよ」

 男は、煩わしそうに言った。

 物分かりの悪い奴といった視線を、リオンに注ぐ。

「貴重な契約だ。おめーみたいな貧弱な小僧をおいそれとグランターに会わせるわけにはいかねーんだ。なんたって、うちの巫女様はお優しい方だからな。必死に頼み込まれたりしたら、情にほだされて言うこと聞いちまうかも知れねー」

 男は、わざとらしい身振りを交え、大きな溜息を吐いた。

 それから、リオンに胡乱げな目を向ける。

「いい加減、帰れ小僧。身の程をわきまえやがれ」

「帰りません。僕、闘魔種にならないといけないんです」

 必死にリオンは、食い下がる。

 ここで引き下がれば、決してグランターとは会えない。

「どうして、俺たちみたいな柄の悪い人間がグランターの傍にいると思う。ああ?」

 男は凄んだ。そうすると強面と禿頭、さらに筋骨隆々な身体から、嫌でも獰猛な気配が発散される。

「おめーみたいな唐変木が来るからだよ。さっさと帰れ!」

 一喝が、リオンに飛ぶ。

 ひしひしと暴力的な威圧感が、リオンを襲う。内心、リオンは、それだけで震え上がりそうだった。それを、表に出すまいと必死に耐えている。

「嫌です」

「怪我してーのか?」

 あくまでも意志を曲げぬリオンに、男は恫喝の声を上げる。

「グランターに会わせてください」

 また、ここに来た最初の台詞を何度となく繰り返す。

 ここで引き下がっては、リオンは目的を達することができない。

「ああ?」

 男は、ことさら声を荒げた。

「…………」

 黙って、じっとリオンは男を見ていた。

「ちっ、おめーもしつけーな」

 怒りを通り越し、男は呆れ顔になった。

「いいか、馬鹿なおめーにも分かり易く言ってやる」

 そう、男は前置きした。

「グランターと契約できる、闘魔種になれる奴は限られた者だけだ。貴重な契約だ。これぞと見込める奴しか、闘魔種にはしねー。超一流の剣士だとか格闘家だとかだ。選ばれた奴しかなれねーんだ」

 男は、小馬鹿にした視線をリオンに向ける。

 どう見ても、リオンは強そうには見えない。

「だから、僕の剣の腕を試してください」

 もう一度、リオンは男に頼み込む。

 自分の見た目を、よくよく理解している。ならば、実力で証明するしかないのだ。自分は、闘魔種となる資格がある、と。

「そんな必要は、ねーよ」

 言いつつ、男はリオンの胸ぐらを掴んできた。

 あっさりと、リオンの身体が石畳から離れる。

 片腕で、宙づりにされてしまった。男の力に、リオンは冷や汗を流す。

「俺にこうして追い返されるような奴に、闘魔種になる資格はねー」

 思い切りよく、男はリオンを放り投げた。

 細い身体でも分かるように、リオンの体重は軽かった。

 リオンの身体は放物線を描き、樽が重ねて置かれた場所に落ちた。派手な音を立て、空樽があちこちに散らばる。

「一昨日来やがれ」

 リオンに背を向け、男は館の入り口の門を閉ざした。

 通行人が、転がる空樽に身を埋めるリオンを、ある者は気の毒そうに、ある者は面白そうに見ながら通り過ぎていく。

 リオンは、それらの視線を無視して、空を仰ぎ見た。

 嫌みなくらい澄み切った蒼穹が、網膜に突き刺さる。

 暫く、無表情なままでいた。

「また、駄目だった」

 ぽつりと、リオンは呟いた。

 ガラゴロと音をさせながら、ゆっくり上体を起こし立ち上がる。

 もう何度目だろうと、リオンは憂鬱な気持ちになった。

 こうして、グランターに面会を求めるのは。

 その度、今回のように追い返された。一〇回目で数えるのを止めた。

 ぴっしりと閉ざされた門扉を、怨めしげにリオンは眺める。

 長い溜息を吐くと、その場を離れ心ここにあらずといった体で歩き出した。

 どうして、このようなことをしているのかというと、唯一魔物と戦える存在――闘魔種となるためだ。

 エヌキア大陸、特にここロクサーヌ王国は、魔物と魔界の脅威に晒されていた。

 約三〇〇年前に起こった次元秩序崩壊。

 それによって、世界は魔界からの影響を強く受けるようになってしまった。

 魔界の都であるフェリオスが、周辺の町や村を飲み込み突如ロクサーヌ王国内に出現したのだ。魔都から吐き出された魔物は、エヌキア大陸各地に散らばった。一時、人間たちは魔物の勢いに押されたが、神々が救済措置をとった。闘魔種が生み出されたのだ。

 闘魔種は、通常の人間を遙かに超える身体能力を持っていた。闘魔種たちにより、大陸に散った魔物は討伐された。魔都フェリオスに魔物を押し込める形となり、現在では闘魔種たちが逆に攻め込んでいた。天高く聳え立つ王城に住む〝魔神〟を倒せば次元秩序崩壊は収まると言われているが、フェリオスの最奥に近づけば近づくほど強力になる魔物に、未だにもって〝魔神〟の元へ到達できていなかった。

 リオンは、魔物やその元凶となっている魔都フェリオスをこの世から消し去りたかった。

 それは小さな頃、リオンの両親が魔物によって殺されたからだ。リオンが、こうして必死になってグランターと会おうとしている理由だった。

 ロクサーヌ王国王都ロクスで生まれ育ったリオンは、親戚の家で育てられた。

 その間、魔物を倒すため役立つであろうことは、何でもやった。偶然知り合った人物に、剣の師匠になってもらった。師匠の剣は、今思い起こしても洗練されたものだった。一生かけても、自分があの域に達することは不可能なのではと、思わせるほどに。

 今は、闘魔種となるため魔都フェリオス南側に位置する都市、サウスに来ていた。

 王都であるロクスの上品な雰囲気とはまるで違うが、とても繁栄した都市だった。

 ロクスにはない活気が、ここにはある。

 魔都フェリオス近くに位置し、魔物を狩る闘魔種たちが拠点とする都市の一つ。

 物資や人の行き来が、活発だった。

 今、大通りを歩いているが、サウスに住まう者は生気に溢れている。落ち着いた瀟洒しょうしゃな者たちが住まう歴史ある王都とは、全く違った熱気が都市には満ちていた。

 わざわざ、魔物を生み出す魔都フェリオスに近い都市に住む者たちだ。自ずと、活力があるのだ。若いリオンは、この雰囲気が嫌いではなかった。

 歩いていると、立派な鎧や戦闘衣バトルクロスを纏った闘魔種であろう者たちと、ときおりすれ違う。

 市民たちは、彼らに憧憬と畏怖が混じった視線を送る。

 リオンにしたところで、そうだ。彼らに憧れを抱き自分もそうなりたいと願っている。

 羨望の眼差しを、リオンは闘魔種であろう者たちに注いだ。

 人間以上の身体能力を持った余裕からか、歩く姿は颯爽としていた。そして、ちょっとした身ごなしに隙がない。先ほどの男が言っていたとおり、彼ら彼女らは元から優れた剣士であったり格闘家なのだ。そこに、人を越える器を与えられている。

 それを見て、リオンの中で焦燥が湧き上がった。

 リオンが会いたがったグランターとは、契約を結び人間を闘魔種にできる存在のことだ。

 次元秩序崩壊が起きたとき人間の世に干渉してくる魔界を、神々は警戒した。魔物に対抗できる人間を作り出すことに決めた。

 神との媒介となる人間、〝holy core granter〟=神聖核付与者、略してグランターと呼ばれる神の代理である一種の巫女的存在を神々は選んだ。

 グランターと契約するとは、神聖核ホーリーコアを体内に宿させることだ。

 それにより、人間を遙かに超えた身体能力を得る。

 神聖核ホーリーコアを得グランターと契約を結んだ者を、闘魔種と呼ぶ。

 闘魔種は、フェリオスに巣くう或いは出てきた魔物を狩る責務を負わされる。非情に危険な職業だった。誰もが誰もなりたがるものではなく、なれるものでもなかった。

 そのことをこの一〇日間で、嫌というほどリオンは教え込まれた。

 グランターの元を訪れるが、これまで全て門前払いを喰らった。

 先ほど追い返されたのは、ギルドだ。

 グランターを中心として人が集まり、ギルドが結成されることは多い。神の巫女であるグランターは、保護され敬われる。

 適性や様々な要因により、一人のグランターが契約できる闘魔種の数は限られている。

 だからこそ、選び抜かれた者のみにだけ、神聖核ホーリーコアを与えるのだ。

 当然、国お抱えのグランターも存在している。

 リオンを乱暴に追い返したのも、頷けることだった。腹は立つが、仕方がないといった思いがリオンにもある。

 剣士として名を馳せているわけでもなく、見た目も一五歳としては弱々しかった。

 これまで、剣の鍛錬に励んできたリオンだったが、がっちりとした身体にはならなかった。師匠によれば、筋肉が付きすぎるのはよくないとのことだった。

 連日見た目で判断され、もっと厳つく鋼のような身体になれるよう、師匠には指導して欲しかったとついつい思ってしまう。鍛錬以外で筋力を鍛えようとすると、師匠に止められた記憶が蘇る。それが、面白くなかった。剣士として、リオンは見た目に拘っていた。

 本人は自覚していないが、リオンの身体は無駄のない柔らかな筋肉で覆われていた。剣士として理想的な身体となっているのだ。よけいな筋肉は重量を生み出し、身体の動きを鈍らせ俊敏さを失わせる。人間を越える身体能力を有する闘魔種ならば、そんな少しの重みなど関係ないだろうとリオンは思ったが、師匠は許さなかった。

 一日も早く闘魔種となりたいと願うリオンは、焦燥が募っていく。サウスに滞在できるお金も、目減りしている。のんびりやっているわけにはいかないのだ。

「今日は、もう回れないか……」

 陽は大分傾いてきた。蒼穹も先ほどより、色合いに深みを増している。西の下方は、薄らと赤みを帯び始めていた。

 暮れてから食事時に行っても、心証を悪くするだけだ。

「ここに来れば、闘魔種になれると思っていたのに」

 一向にその願いは、叶えられる素振りがなかった。

 連日断られ続けて、リオンはさすがに落ち込んでいた。これまで、復讐心から芽生えた夢とやる気だけで、グランターの元を訪れていた。だが、もう限界がきていた。リオンの中にあった、何かがプツリと音を立てて切れた。淡褐色ヘーゼルの瞳からも、光が消えた。

「疲れた……もう何も考えたくない」

 精神的に、リオンは疲弊していた。

 気が付けば、サウス北門に来ていた。

 考えることなく、ふらりとリオンは北門をくぐった。

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