第10話「おきつねさまと旅立ちの日」
今まで、良いことも悪いことも、沢山あった。それでも、悪いことの話ばかりになると、ようないからの。あの船で一番よかったことの話を、するとしようかの。
「出立の日取りが、決まりました」
と。例の『代表』がそう云うとった。まぁ、その言葉で、そういえば今いる場所が船じゃった、と思い出したんじゃが。
どういう仕組みかはよう知らんが、空が低くて曲がっとる他は、星の上とほとんど変わらんでの。ついつい、忘れてしまいそうになるんじゃが。
それで、船を出す前に、祭りをするんじゃと。「最後のお祭り騒ぎですし。どうせならお祭りっぽいこと、全部やろうかと」とか、言うておったかの。
さんばかーにばるとか、いーすたーとか、ようわからん出し物も沢山あったんじゃが。その中に、縁日があったんじゃ。
それでな、市が立ったんじゃよ。
社の前に夜店が並んでの。こんなに人が居ったのかと思うくらいに、皆が集まって。こんな場所で。こんな景色に巡り会えるとは、思うてもおらんかったでの。
妾も、近くで祭りを見るのはほんに久方ぶりのことでの。あの頃ほど、夜は暗うないが。それでも、風に乗って、祭囃子が聞こえよる。
社の前には出店が並んで、空には花火が上がって。気のせいか、山の草木の香りまで漂ってきそうな按配じゃった。
あの晩はほんに、いい夜じゃった。
もしも、妾の定めが少しばかり違うて。どこぞの土地の氏神にでもなっとったら。……もしかすると、こんな光景を毎年見られたのやもしれん。
そんなことまで、考えてしまっておった。
ただ一つ難点があったとすればの。専門の神職が居らんとかで、代理があの『代表』だった、ということくらいじゃろうか。
まぁ、ちと祝詞が怪しいとか、そんなこともなく、なかなか堂に入ったもんじゃったがな。
「いやぁ、初めてなので緊張しましたねぇ」
祭りが終わった後。『代表』は一人で、妾の社の前の地べたに座り込んでおった。空には月……というても、紛い物らしいんじゃが……の光が差し込んで、明るい夜じゃった。
あやつは巫女姿のまま神酒をがばがば開けて、酔っ払っておったのかの。実に珍しいことじゃった。まぁ、その酒、妾の供え物なんじゃが。
「でもこれでしばらくの間、お別れです」
そして、『代表』は、こう零しおった。
まぁ、船が旅立つとなれば、仕事も増えるんじゃろうか、とも思ったんじゃが。少しばかり様子が違っての。
「この船が往くのは、片道数十年の旅です。なので、道中わたしは眠っているわけです。ローテーションで起きますけど、わたしの番は到着寸前なので」
続く言の葉で。そういうことか、と納得が行ったんじゃ。
冷蔵庫と暇潰しに話しとった時に、なんぞそういう話も聞いたような気が覚えがある。確か、こーるどすりーぷとか、そういう名前じゃったか。三年寝太郎みたいなのがあるんじゃと。
「まぁ、神様の類には、多分大した時間じゃないんでしょうけど」
と、『代表』は……いや、ただのおなごはそう付け加えて。神酒を口に運んでおった。
たかが数十年。されど、数十年。妾には大したことがなくとも。人の子には、重い月日じゃろうて。
「というか、問題なのは、数十年わたしの目が届かないことなんですけどね!?」
まぁ、なんだか付け加えるようにそんなことを言ってもおったが。
そうして、誰も彼もが、去ってゆく。
その言葉通り。『代表』は、次の日から姿を見かけんようになった。妾は、割と真面目に無事を祈っておった。
まぁ、それがもともとの役目、というのもあるんじゃが。一番この社に足を運んでおったのは、なんだかんだで、あのおなごであった故の。
その祈りは結局、届かなんだが。
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