宙の彼方のナディエージダ

あだがわ にな

(たったひとつの生きている白)

 星は希望の象徴だなんて、一体誰が決めたんだろう。


 膨張し続ける空間の中で誰に届くとも知れない光を放ち続ける孤独を知っていたら、そんな身勝手なことは言えないはずだ。少なくとも、片道十四時間の旅路に疲れ果てている今のオレには、到底無理。


「あいつらはどうして輝いているんだと思う? クドリャフカ」


 座席に腰かけたオレの目の前。操作盤のあらゆるランプを明滅させながら彼女は答える。


『恒星の光は、中心部で発生した熱が放射された結果。質問の対象が惑星であるならば、それは単なる反射です』


 味も素っ気もない答えだ。まぁ、宇宙航行用の自律プログラムに愛想を求めるのが、そもそも間違っているのかもしれない。


『五分後にナディエージダの大気圏に突入します。ベルトを装着して下さい』

「……りょーかい」


 口にしかけた反論の言葉は腹の底に呑み込んだ。彼女の言葉に従わないわけにはいかない。何せオレ達は有難くもクソ食らえな任務を課せられた、いわば運命共同体なのだから。


 今も約七万人の人々の生活のいしずえとなっているスペースコロニー・A027には寿命が近付いている。そこで掲げられた一大プロジェクトが、故郷である惑星ナディエージダへの帰還。八度の無人探査機派遣を経て、今回初めて有人調査艇の出航が決まった。それが今オレを運んでいるこいつ、スプートニク号ってわけ。


「つーか、もっと良い名前、あったろ」


 クドリャフカもスプートニクも、研究所の幹部達から授けられた名だ。これから宇宙に出航しようっていう船と、その操縦プログラムにつける名前にしちゃ、いくらなんでも縁起が悪すぎないか?


 遥か昔、宇宙開発技術の発展という名目のもとに散った、人工衛星と哀れな雌犬。


「やべ。これ聞かれたら後でどやされるな」


 所詮はプロジェクトチームの下っ端兼最年少者。今もコロニーで監視の目を光らせている上司に「研究の役に立って死ねるだけ有難いと思え」と言われたら、「ああそうですか」と言って宇宙の藻屑と化すしかない。


『大気圏突入まであと三分です』


 ここから先は電波障害によりコロニーとの通信が途絶える。そう思うと少しばかり気が楽になった。


 小さく息をつきながらベルトを装着すると、座席の背もたれに身体を預ける。コックピット前に貼られたシリカガラス越しに見えるのは、濁った灰白色の巨大な球面だ。


 惑星ナディエージダ。かつては緑の多い、恵まれた星だった、らしい。


 放射能汚染により人類が宇宙に住処を移した今。氷河期の到来によって、見渡す限りが氷床に覆われてしまっている。遠目に見るとまるで石灰の塊のようだ。


 あそこに住むって? 正直、気が触れてる。


『大気圏に突入します。五、四、三、二……』


 クドリャフカのカウントダウンに合わせて、歯を食いしばり目を閉じた。


 間もなく船全体にガツンと大きな衝撃。その数秒後にはもう、何が何だかわからなかった。体の全てが後方に後方にもっていかれる。


「クソッ……!」


 小さく舌打ちをした後は、悪態をつく余裕すらなかった。


 ただ、瞼の向こう側で光っている何かの存在だけが鮮明に感じられる。一分、二分と時間が経過していくにつれ、次第に強さを増していく光の蠢き。


「プラズマ……?」


 その解答に辿り着くのは比較的簡単だった。閉じた瞼の向こう側で、頷くように震える金色の光。


 やがて閃光がおさまったのを確認し、オレはゆっくりと目を開ける。ものすごい速さで近付いてくる白い地表と、そこに至るまでの空間を塗りつぶす暗い鈍色にびいろ


 やがて無彩色の世界に、赤いパラシュートの花が咲く。スプートニク号は二度の衝撃の後、無事地表へと着陸した。


『着陸完了。防護服装着後、ハッチと昇降口のロックを解除します』


 オレはよろけながら席を立ち、訓練通りの手順で防護服を身に着ける。


『ロック解除。遠隔通信モードへ移行します』


 ヘルメットのスピーカーから、直接クドリャフカの言葉が聞こえてきた。了承の意を伝えてハッチを開く。更にその向こうの分厚い扉を押しのけて、注意深く辺りを確認した。


 外に身を乗り出したオレを最初に出迎えたのは、思わず耳を塞ぎたくなるような轟音。唸り声をあげたのは気流だろう。体勢を立て直して、足を滑らせないようにゆっくりと梯子を降りる。


 広がっていたのは、空からずっと眺め続けた、どこまでも続く灰白色の地平だった。


 呼吸を詰めながら、ゆっくりとそれを踏みしめてみる。みしっという音と共に、自重で少し身体が沈んだ。


「これが、雪……」


 唇の隙間から、知らず知らずのうちに呟きが零れた。


 少し勇気を出して、つま先で思い切り蹴り上げてみる。飛び散ったそれらは吹きすさぶ風に乗り、薄明かりを反射しながらきらきらと辺りを舞い踊っていた。


「すげぇ……」


 思わず声が漏れる。次いだのは感嘆の息。そして自然と利き手の指先が、その輝きを捕まえようと宙をかいていた。


 触れたらきっと冷たいのだろう、その温度を感じてみたい。雪片の形が失われる様をもっと近くで見ていたい。――おかしな話だ。目の前できらめいてみせたこの光だって、惑星の放つものと同じ。所詮はただの反射にすぎないというのに。


「――大気の汚染レベルは?」

『規定値よりマイナス七ポイント。放射能汚染は改善の傾向にあるようです』


 彼女の言葉に背中を押されたのだろうか。オレはゆっくりと右手のグローブを外す。


『凍傷を起こす危険性があります。ただちにグローブを装着して下さい』

「……わかってるっつの」


 外気温は人間が生存できる環境のそれではない。そんなことは承知の上だ。ならばどうしてそんなことを、ともう一人のオレがせせら笑う。さぁね。そんなのオレが知りてぇよ。


「痛ってぇ……」


 過ぎた冷感は痛みを与えるという知識はあったが、コロニーの整えられた環境の中では体験する機会がなかった。ゆっくりと腰を屈め、かじかむ指で足元の雪に触れてみる。


「つめたっ!」


 当たり前だ。氷の塊のようなものなんだから。そう思っているのに、どうしてこんなに驚いているんだろう。


 そのまま五本の指で、雪をすくい上げる。掌の上のそれを、思い切り頭の上に放り投げてみた。きらきらと、はらはらと、落ちる。舞う。叩く。ぶつかっては、くっついて、また一つになっていく。


 それを単なる降水現象の結果だと言ってしまうのは簡単だった。所詮、水蒸気の成れの果て。それ以上でも、以下でもない筈だ。それなのに、どうしてこんなにも。


「……?」


 さきほど雪をすくい上げた箇所に、違和感をおぼえて目を細める。


 真っ白い世界に、一点だけインクを落としたように冴えわたる暗緑。オレは恐る恐る腰を屈めると、注意深くそれの輪郭を覆う雪を取り払った。


 やはりそうだ。緑色のつやつやとした、葉。


「クドリャフカ……この、植物の名前は?」


 大きく目を開いて、見つめること数十秒。気が付けば彼女にそう尋ねていた。


『マザーオブサウザンズ。常緑の多年草です。サクシフラガ、ユキノシタとも呼ばれます』


 合成音声が鼓膜を震わせているのを感じながら、指先でゆっくりと、その葉を、茎を辿っていく。そこをごうごうと流れる水の音が、皮膚を通じて身体の奥底まで、響き渡っているような気がした。


「――いき、てる」


 自然とその言葉が唇から零れ落ちる。目の前のそいつも、クドリャフカも、何も答えない。けれど今視界にある全てのものが、その姿、在り方でもって、オレに何かを教えようとしている。そんな気がした。多分、笑っちゃうくらい幼稚で子供じみた、思い込みにすぎないのだろうけど。


 ナディエージダ。その名前をもう一度頭の中で繰り返す。数ある古の言葉の中で、それを故郷の星にあてた、親の親のそのまた親の、願い続けた願いを思って。


「……行こう」


 オレは勢いよく立ち上がると、膝の雪を払い歩き出した。辺りにはしんしんと雪が降り始めていたが、不思議と気持ちは晴れやかだ。


「オレ達は希望ナディエージダをかなえるために来たんだ」


 前向きな台詞は慣れないけれど、言い切ってしまえば存外スカッとする。


「クドリャフカ。地質調査に最適なポイントを教えてくれ」

『承知しました。ナビゲートします』


 そうやってオレ達は、一歩一歩歩き始める。


 ほの白く辺りを照らす雪明かりが道しるべだ。――例えそれが自らの生み出した光ではなかったとしても。


「んじゃあ、行くとしますか」


 そう呟いた口元は、自然と笑んでいた。


 雪がやまずとも、人の心に春は訪れる。そう遠くない未来の話だ。

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宙の彼方のナディエージダ あだがわ にな @adagawanina

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