人形の表情

 着替える前に着ていたリオネの服を受け取り、私たちは店をあとにした。


 応対してくれた店員はとても親切で、記念撮影までしてくれた。

 やはり微笑みは私の錯覚だったのか、リオネはすっかり無表情であったが、これはこれで記念にはなる。

 いつか、リオネが本当に表情豊かな〈女の子〉になったときに、この写真を見せてあげよう。


 店を出たとき、空を見上げると、すでに赤らみ始めていた。


 私は少し考え、帰宅する前に、夕飯の買い物を済ませることにした。


「リオネ。これからちょっとスーパーに寄っていくけど、疲れてない?」

「はい。大丈夫です。ご主人様」


 こちらを見上げ、こくん、と頷くリオネ。

 思わず、また頭を撫でてやりたい衝動に駆られた。無表情なのに動作がいちいち可愛らしいから困る。


 スーパーは洋服店の目と鼻の先にあった。比喩ではなく、本当に、片側二車線の道路を挟んだ真向かいに位置している。比較的大型の店舗で、食料品だけでなく日用雑貨も取り扱っている。


 時間帯が早いためか客の姿がまばらな店内を、右手で買い物用のカートを押し、左手にリオネの手を握りながら物色する。


 今日はジャガイモが安いようだ。五個で百五十八円。

 さらにタマネギも安い。三個で九十五円。

 おまけにニンジンも安い。三本で九十八円。

 ついでに鶏のモモ肉も安い。百グラム七十八円。


「よし。今日はカレーにしよう」


 一人暮らしをしているとなかなか手を出しにくいメニューだ。市販のルゥを使おうとすると、どうしたって余ってしまう。

 だが、今日からはリオネが一緒だ。人形がどれくらいの量を食べられるのかはわからないが、一人で処理しようとするよりは楽なはずだ。


 カレーライスに加え、簡単なサラダを作ることにして、食材を買い物カゴへと放り込んでいく。

 その際、ふと思いつき、


「リオネ、あそこにあるレタスを一個、持ってきてくれるかな」


 と、頼んでみた。


「はい。わかりました」


 リオネは頷いて、ととと、という感じで歩いて行き、レタスを手に取ると、また、ととと、という感じで戻ってきて、レタスを買い物カゴに納めた。


 その一連の仕草の、なんと愛らしいこと。


 投げたボールを拾ってくる子犬を思い起こさせる姿に、思わず抱き締めて撫で繰り回したくなる衝動を抑え、頭を撫でてやりながら、


「ありがとう、リオネ」


 と、褒めてあげると、白くて柔らかい頬に、僅かに朱色が浮かぶ。喜んでくれているのだろうか。


 そうして、リオネの可愛らしさを堪能しつつ買い物を続け、一通り食材を集めたのでレジに並ぼうかと考えたとき、


「……しまった」


 私は、重大なミスに気づいて呻いた。


 ――リオネが使う食器がない。


 我が家には、私一人が暮らす上で最低限必要なだけの食器しかない。カレーライスを盛りつけられそうな器も、一つしかない。それだけではなく、スプーンやコップだって必要になるだろう。


「まいったな。どうしよう」


 思案する私を、リオネは小首を傾げて見上げていた。


 しばし考えて、思い出す。ここのスーパーには日用雑貨もあったはずだ。普段使いの食器だけなら揃えられる。今日のところはカレー皿やスプーンなど、今日必要な分だけ買っておき、他は明日以降に買い集めればいい。


「はぁー……」


 溜め息が、私の口から零れ出た。安堵に落胆の混じった溜め息だ。


 ――我ながら、情けない。


 名前のことといい、衣服のことといい、人形が来るのを待ちわびていたくせに、人形を迎えるための準備が全くできていなかった。人形と暮らすということがどういうことか、想像が足りていなかったのだ。


 自己嫌悪に落ち込んでいると、左手を軽く引かれた。


「……ご主人様?」


 見ると、リオネがこちらを見上げていた。

 無表情ではあったが、私のことを心配してくれているのだとわかった。


「ごめん。大丈夫だよ。心配してくれて、ありがとう」


 そう言って、頭を撫でる。精一杯の感謝を込めて。


 本当に、誤魔化しではなく、感謝したい気持ちだった。誰かが自分のことを心配してくれる、ただそれだけのことが、元気に繋がることがある。それは相手が人形であったとしても、変わらないことなのだろう。


 それから、私たちは買い物を再開し、リオネが使いやすいよう小さめの食器と、子供用の歯ブラシを買った。一緒に食事をしたあとに何が必要になるか、しっかりと想像することができた。

 まあ、人形の歯を磨く必要があるのかどうかは、わからないのだが。


 買った物をレジ袋にまとめて外に出ると、空はすっかり夕暮れに染まっていた。


「帰ろうか、リオネ」

「はい。ご主人様」


 二人で手を繋ぎ、夕焼けの中を歩く。

 私たちの家に向かって。

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