人形の服

 脱衣所で体を拭き、リオネに付属品の衣服を着せる。最初に着ていたのとは色違いの、淡い緑色をしたネグリジェ風の衣服だ。

 湯冷めしないよう、その上から私のYシャツを羽織らせた。小柄なリオネの体には大きすぎて、Yシャツというよりポンチョを被っているような格好になった。


 髪の毛は体以上に入念に水気を拭き取る。早目に乾燥させないと痛んでしまう……のは人間の髪の場合だが、髪を洗った際の手触りなどは人間の髪と変わらなかったので、一応、人間の作法で渇かしておくことにした。


「リオネの髪は綺麗だね」

「ありがとうございます。ご主人様」


 乾いた髪を櫛でとかしながら褒めると、馬鹿丁寧な返事が返ってきた。

 思わず、苦笑する。

 人間の女の子らしい返事が返ってくるようになるまで、どれくらいの時間が必要になるかはわからないが、これはこれで可愛らしいじゃないか。


 髪の毛と、それから首筋に鼻をくっつけて、匂いを確認する。樟脳のような匂いはすっかり消えていた。これなら外出しても大丈夫だろう。


 早々に外出の支度を整える。リオネには私のシャツを羽織らせたまま連れて行くことにした。

 薄い緑色をしたネグリジェの上に大人用のYシャツを羽織る、という些か珍妙というか、的外れな感覚のファッションになってしまっているが、ネグリジェのままでは、風邪はひかないにしても怪我が心配だった。


 私のほうはと言えば、あえて特筆する必要もない、普段の外出用の装いである。


 外はよく晴れていた。この季節にしては気温も高めだろう。

 戸締まりを確認してから、リオネの手を引いて、歩き出す。


 歩き慣れた道も、リオネと一緒に歩いていると、少し違って感じられる。それは多分、リオネの歩幅に合わせて、ゆっくりと歩いているからだ。


 リオネの様子に気を配りつつ、なるべく車どおりの少ない道を選んで、目的の店へと向かう。

 我が家から最寄りの駅に向かう途中にある店で、今さら道に迷うことはない。私一人であれば徒歩で五分ほどの距離だが、今日はリオネも一緒で、遠回りもしたため、十五分ほどかかった。


 店に入ると、穏やかなクラシック音楽と、ほのかなアロマの香りが私たちを出迎えてくれた。

 黒を基調とした高級感の漂う外観に対し、店内に飾られている人形用の服飾品は派手なデザインの物が多い。たっぷりとフリルをあしらった、いわゆるロリータファッションから、アニメのキャラクターのような衣装まである。


 店の前を通ったことは何度もあるが、こうして店内に入ったのは初めてだ。

 品揃えの豊富さに感心し、リオネの手を握ったままキョロキョロしていると、女性の店員が声をかけてきた。


「いらっしゃいませー。何かお探しですかー?」


 そう言われても、何を探せばいいのかもわかりません、としか答えようがない。本当に自慢にならないのだが、私は人形どころか人間のファッションにだって疎い。


 私の戸惑いを察したのか、女性店員は朗らかに笑うと、


「よろしければ、こちらでお選びいたしましょうか? インナーからアクセサリーにシューズまで、お嬢様にピッタリのコーディネートをご提供させていただきます」

「そんなことできるんですか?」

「はい!」

「じゃあ、お願いします」


 そういうことになった。


「では、ご予算のほうはおいくらほどになりますでしょうか? 全身コーディネートですと、八千円から承ることができますが」


 意外とリーズナブルである。

 だが、リオネに初めて買ってあげる衣服だ。ここは少し奮発しよう。


「それなら、二万円くらいでお願いできますか?」

「ご予算二万円ですね。かしこまりました。コーディネートについて、何かご要望はございますか? 外出用や部屋着などの用途ですとか、お姫様のような衣装といったイメージですとか……」

「えーっと、普段の外出に使える服装でお願いします。あんまり派手じゃない見た目で……あと、なるべく動きやすいような格好がいいです」


 手早くメモを取る店員を、私の隣のリオネは、じっと見上げている。


「お嬢様のお名前をお伺いしてもよろしいですか?」

「リオネです。カタカナで」

「リオネ様、ですね。おいくつですか?」


 一瞬、私の年齢を訊かれたのかと思ったが、すぐに思い直す。


「いや、実は今日届いたばかりで……」

「あら、そうでしたか」


 人形の年齢(起動してからの期間)を訊ねるのは、服を着替えさせるのに、どの程度の補助が必要か確認するためだろう。

 人間の子供だって幼いうちは着替えを手伝ってあげなくてはならないが、人形の場合、外見で年齢を判断するのは不可能だ。


「……はい、ご注文、承りました。それでは、お嬢様をお預かりいたしますので、ご命令をお願いできますか?」

「え? 命令?」

「ご主人様にご命令していただかないと、お嬢様は私の言葉を聞き入れてくださらないので……」

「あ、はい」


 私はその場にしゃがみ、リオネに視線を合わせた。


「リオネ。店員さんの言うことを聞いて、服を着替えさせてもらいなさい」


 このように命令しなければ、リオネは私という『ご主人様』以外の人間の指示を一切受け付けない。疑似人格が成熟すれば多少は融通が利くようになるかもしれないけれど、今はまだ無理だろう。


「はい」


 リオネは素直に頷いた。

 その頭を、いい子だ、と言って撫でてやる。


「それでは、お嬢様をお預かりいたしますね。お着替えが済みましたらお呼びいたしますので、こちらの番号札をお持ちになってお待ちください」

「よろしくお願いします」


 番号札を受け取り、握っていた手を離すと、リオネは店員に連れられてフィッティングルームへと向かった。


 リオネの体温の残る手の平が、名残を惜しんでいるような気がした。



     ◆ ◆ ◆



 着替えが済むまでの間、私は店内を見て回った。


 始めて入る店のこと、普段の状態を知らないため比較のしようもないが、客はあまり多くないように思う。

 時間帯の問題だろうか、店内にまばらに散った客たちは、ほとんどが大人の女性と少女の姿をした人形の二人連れだ。


 色鮮やかな衣服を眺めるうち、私は少し焦ってきた。

 買わなければならない物が沢山あることに気づいたからである。


 外出着だけではない。パジャマに、下着に、靴下に、季節が変わればコートやジャケットなどの上着も必要になる。

 リオネが生活するのに不足しない程度の衣服を、なるべく早くに揃えてやらなくてはならない。

 そして、それらは漠然と想像していたよりもずっと大量なのである。


 私の頭が買い物リストでいっぱいになりつつあったとき、番号札の番号を呼ばれたので、フィッティングルームのほうへと移動した。


「お待たせいたしましたー。お嬢様、とってもいい子でしたよ」


 店員に礼を言い、カーテンを開いて出てきたリオネの姿を眺める。


 上はサイズのピッタリあったYシャツに短めのネクタイを締め、下は紺色のプリーツスカートという、どこかの学校の制服のような出で立ちである。

 少女にネクタイというのは少し奇異な組み合わせだが、これが意外なほどにマッチしていた。

 足元は黒のハイソックスに、歩きやすそうなスニーカーを履いている。スニーカーは、よく小学生などが履いているマジックテープのバンドでとめるタイプの物だ。履きやすいようにと配慮してくれたのだろう。


「いかがですか? どこかイメージと違う部分などはございませんか?」


 店員の問いに、はっきりと「いいえ」と答える。お世辞ではなく、本当にリオネによく似合っている。お任せして正解だった。


「リオネ」


 呼びかけながら、リオネの頭を撫でる。


「とっても可愛い。よく似合っているよ」

「ありがとうございます。ご主人様」


 そのとき、私の見間違いかもしれないが、ほんの一瞬だけ、リオネが微笑んでくれたような気がした。

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