人形の体

 自慢ではないが、我が家の風呂は広い。


 住む家を決める際に私が最もこだわったのが、風呂の広さだったからだ。


「はーい、両手を上げてー」

「はい」


 風呂に合わせて広めに設計されている脱衣所で、リオネの服を脱がせる。

 両腕を上げさせ、すぽん、とネグリジェ風の衣服を引き抜く。

 すると、それだけでリオネは、人間で言うところの「生まれたままの姿」になってしまった。下着をつけていないとは予想外であった。


 さらされたリオネの肢体に、私は息を呑む。


 胸の膨らみは僅かなものの、確かな女性を感じさせるなだらかな曲線の造形。一片のくすみもない白の裸体は、一切の翳りを拒む至高の少女像であった。


 これは人形だ、と改めて思う。

 こんな完成された造形は、人間ではありえない。


「よし。じゃあ、入ろうか」

「はい」


 さっさと私も服を脱ぎ、リオネの手を引いて浴室に移動する。

 人形の前に裸体を晒すことは大して恥ずかしくないが、輝くような容姿のリオネにじっと見つめられて、何故だか少し、申し訳ない気持ちになった。


 浴室用の椅子にリオネを座らせ、シャワーの湯を、その足にかける。


「熱くない? 大丈夫?」

「はい。大丈夫です。ご主人様」


 様子を確かめながら、リオネの全身をシャワーで洗い流していく。

 次第に体が温まってきたのか、リオネの白い素肌に淡いピンク色が浮かんだ。


「まずは髪を洗うからね。ちょっと上を向いて……うん、それで、いいって言うまで、ぎゅっと目を瞑っているんだよ?」

「はい。ご主人様」


 リオネに軽く上を向かせ、見るからに繊細そうな銀髪を洗う。

 前屈みの姿勢のほうが目に湯やシャンプーが入りづらくなるが、長い髪を傷めずに洗うには上を向いた状態で髪の毛の流れに沿って洗うほうがいい。

 ただ、人間ならそれでいいとしても、人形の髪の洗い方としてそれが正しいかはわからない。今度、詳しく調べておいたほうがよさそうだ。


 丁寧にシャンプーを済ませるまでの間、リオネは私の言ったとおりずっと目を瞑っていた。


「もういいよ、リオネ。目を開けて」

「はい」


 リオネは、しばらく目をパチパチさせていたが、シャンプーが入り込んだりはしていないようだった。


 ここまで念入りに洗ってやれば樟脳の匂いは取れただろう。念のため、リオネの頭に鼻をくっつけてみたが、シャンプーの香りがするばかりであった。


 他人の髪を洗うというのは初めての経験だったが、意外にも楽で驚いた。自分で洗う際には、ほとんど手探りの状態で洗っているわけだから、むしろ他人に洗ってもらったほうが洗い残しなどがなくてよいのかもしれない。


 髪の次に体を洗う。

 ボディソープがつかないよう、洗ったばかりの髪をタオル地のヘアバンドで束ねてやり、ボディスポンジを使ってリオネの体を泡で包み込むように洗っていく。


 しかし、これが相当に難儀であった。


「右腕を上げてー」

「はい」

「……よし、じゃあ、今度は左腕上げてー」

「はい」


 他人の全身をくまなく洗うには、どうしたって洗われる側の協力が必要不可欠だ。リオネは素直に指示に従ってくれるが、これがもし聞き分けの悪い子供だったりしたら、途方もない難行であろう。


 本当は手足の先から洗っていくのがよいらしいが、座った状態のリオネでそれをやるのは難しい。仕方なく、首のあたりから順に、下半身へ下がっていく格好で洗っていくことにした。


 お腹と腰のあたりまで洗ったところで、私は手を止めた。


「リオネ。ちょっと立ってくれる?」

「はい。ご主人様」


 腰より下を洗うには座ったままの状態では難しいので、リオネに立ち上がるよう指示をする。


「それで、えーっと……そっちの壁に手を突いてみて」

「はい」


 さらに、浴室の壁に両手を突かせ、尻を突き出すような姿勢を取らせた。

 そうしてから、リオネの背後にしゃがみ、後から下半身を洗っていくことにした。

 肌を傷つけないよう、さするように優しくスポンジを滑らせる。腕を回して下腹部から太股を通り、内股の付け根あたりを洗っていると、


「……ん」


 リオネが吐息のような声を上げ、僅かに身じろぎした。


「どうした? くすぐったかった?」

「はい。少しだけ……」

「そっか。もうちょっと我慢してね。すぐ終わるから」

「はい」


 匂いを消すだけなのだから、あまり敏感な部分を入念に洗う必要はないだろう。


 太股の裏からスポンジを上に滑らせ、リオネの白桃のようなお尻を洗う。

 その際、尻肉が揺れ、尻の中心部のピンク色をした窄まりが見えた。


 私自身のそれを含め、人間の肛門をまじまじと観察したことなどないが、リオネのそれは、少しリアルすぎる造形のように思えた。人形は排泄する必要がないのに、肛門をここまで作り込む必要があるのだろうか……。


 と、そこまで考えたところで、取扱説明書の一文が脳裏を過ぎった。



『本製品は疑似体液の分泌などの機能によってとなっておりますが、妊娠や出産、月経などの機能は再現されておりません。ご了承ください』



 

 もしや、これは性行為に利用するための作り込みなのだろうか。

 仮に、人形との性行為を求める客が一定数いたとして、そのために女性器を緻密に再現するだけならまだしも、肛門のディテールまでも作り込もうというのは、いささか常軌を逸しているように思われる。


 考えていたのは一瞬のことで、私はすぐリオネの体を洗い清める作業へと戻った。


 膝裏からふくらはぎ、足の指の間まで、丹念に洗っていく。高価な芸術品を展示のために磨き上げているような気分だった。


 リオネの小さな裸体がシャボンの泡で包まれたのを確認してから、シャワーで一気に洗い流す。そのとき、ついでに私自身の体も軽く洗い流した。私も頭くらいは洗いたかったが、あまり時間をかけすぎるとリオネが寒がるかもしれない。


「よし。さっぱりしたね」

「はい」


 こくん、と頷くリオネの頬は、湯に温められたせいか朱に染まっていた。

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