15 困惑

 葵と神門を乗せたタクシーは、約10分ほど走った後、新築の高層マンションのエントランス前に停車した。

「うわ……。何かものすごいんですけど……」

葵は聳え立つその建造物を見上げて、思わず呟いた。

「そうだよなあ。官舎に住むのが嫌で、ローン組んで買ったんだよ」

「すごいですね課長。まあ私も官舎が嫌でアパートに住んでますけど」

「官舎、家賃は安いんだが、組合が五月蠅くて」

「そうそう!非番の日まで同僚と一緒は勘弁してほしいです!」

一瞬、2人の空気が固まった。

「……すまない、菱峰君……」

神門は項垂れてしまった。

「あっ……!!違いますよ課長!!同僚っていっても、少年課の……」

葵は必死に釈明した。

「……すみません」

「あ、ぼ、僕は大丈夫だから!家まで案内するよ」

「は、はい!」

2人はエレベータに乗り込んだ。

目的地は11階にある角部屋だ。

神門は鍵を開け、

「さ、どうぞ、上がって」

と葵をエスコートした。

神門は洗練された大人の男だ。

「はい、お邪魔します」

葵は神門の所作の美しさに感心していた。

 神門の部屋は3LDKの、恐らくこのフロアでは最高値の部屋であった。玄関入ってすぐ右側にトイレがあり、左側に書斎にしている6畳の部屋があった。リビングに繋がる廊下の右側にはバスルームがあり、ドラム式洗濯乾燥機が設置されていた。部屋の中央にリビングがあり、ベランダ側にあとの2部屋(6畳・4.5畳)、そしてキッチンの隣に2畳ほどのサービスルームが置かれていた。

「課長、すごく素敵なお部屋ですね」

葵はリビングの真ん中に立ちながら、思ったままを言葉にした。

「有難う。僕もモデルルームを見て気に入ってね」

神門はキッチンで嬉しそうに応えた。

「あのぅ、ローン、何年組みました?」

葵は無粋なことを尋ねていた。

「うん、フラット35だから、35年かな」

神門は隠さず答えた。

「課長!フラット35って、総額だとかなり高くなりますよ!」

「えっ、そうなのかい?」

「はい!フラット35って、所謂元利均等型のローンなんです」

「元利均等型?」

「はい!元本と利子とを均等割りにしているタイプなんです!一見安く感じるんですけど、同じ35年間で見ると、元本均等型のローンと比べて利子分が割高になるんです!」

「そうなのか……。僕はその方面には疎くて。何で君はそんなに詳しいんだい?」

「知り合いにファイナンシャル・プランナーがいるんです。うちの親戚が一軒家を買う時に一緒に話を聴いたんです。親戚、結局キャッシュで家買いましたけどね」

「キャッシュか……。まあ君の親戚なら納得だ」

「はあ……。そのあと税務署が入ったんですよ、親戚のところに。大変でした」

「そりゃそうだろうね。一軒家をキャッシュでだもんな」

2人は暫く家の話をした。

「よし、食事の用意ができたよ」

神門は葵に改めて声を掛けた。

「わーい!失礼しまーす!」

葵は嬉しそうにダイニングまでやってきた。

テーブルの上には、真鯛の尾頭付きが真ん中に配置され、汁物と香の物、小鉢と茶碗蒸しが2人分並べられていた。

「うわ……嘘……」

その光景を目にした葵は言葉に詰まった。

「ささ、座って」

神門はにこっと微笑んで葵を席に促した。

「これ、全部課長が作ったの……?」

「ああ。実家が日本料理屋やってるからね。僕も少し修行したんだよ。お口に合うかなあ?」

「あのぅ、すご過ぎなんですけど、課長」

「あ、有難う。ちらし寿司もあるから食べてくれ」

「い……いっただっきまーす!!」

葵は嬉しそうに箸を手にした。

汁物(鯛のアラのおすまし)を最初にすすって、一瞬手を止めた後、

「お、美味しい……」

と、軽く涙ぐみながらそう感想を述べた。

「有難う。どんどん食べてくれよ。沢山作ったからね」

神門は嬉しそうに葵に声を掛けた。

何故涙が出るのか解らないまま、葵は神門の手料理を堪能した。

その様子に、神門は優しい眼差しを向けていた。

暫しの時が過ぎ、食事が終わった。

涙顔はいつの間にか満面の笑みに変わっていた。

2人はダイニングからリビングのソファに移動した。

「ごちそうさまでした、課長!すごく美味しかったです!」

「お粗末様でした」

「……で課長、私に何かお話があったんですよね」

葵は今日のお呼ばれの本題に触れた。

「……ああ。そうなんだが……」

神門は一瞬固まって、次の言葉を発するのを躊躇していた。

「……どうされたんですか?」

葵は神門の様子を窺いつつ、そう訊ねた。

「うん……。あの、その……」

「課長?」

「……実は僕、その、伊藤君から告られてね」

神門は額に汗をかきながら、葵に伝えた。

それを聞いた葵は刹那、目が点になり、開いた口が塞がらなくなった。

すぐさま頭を横にぶんぶん振りながら、葵は我に返り、

「ななな何ですとおおおお!!?」

と、まさかの事態に驚きを隠せずに叫びたおした。

「その、どうやって断ったらいいのか解らなくて」

「うーん……私にも解らないです……」

「そうだよなあ……。僕も初めての経験で……、男に告られるのは……」

「聖子は中身は女ですけど、外は立派な男ですもんね」

「僕……いいなと思っている女性がいるんだけど……」

「そうなんですか?でしたらそうやって聖子に伝えた方がいいですよ」

「そうだよなあ……」

「そうです!課長の為にも聖子の為にも、早めになさった方がいいですよ!」

「……分かった、そうするよ」

「はい!」

話が纏まった直後、神門がこう切り出した。

「……で、今日の本当の本題なんだが……」

それを聞いた葵は

「えっ?」

と訊き返すしかなかった。

「菱峰君、僕の婚約者になってくれないか?」

真面目な顔で神門はそう訊ねた。

「ええっ!?」

急な話に葵は困惑してしまった。

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