7 邂逅

 凹み倒している葵の左腕を半ば強引に引っ張り、洸二は通用口に向かって廊下を歩いていた。

 2階の階段を降りようとした矢先、

「あら、深谷さんじゃないですか」

と声を掛けた人物がいた。洸二は声の主がいる方向を見た。

 そこには、かっちりとした黒のタイトスカートのスーツを身にまとい、胸元にギャザーの入った白のシャツブラウスを中に着込み、10センチほどある黒のピンヒールを履き、長い髪をバレッタでまとめた、背が高くてスレンダーな20代後半の、典型的な平安美人といった顔立ちの女性が立っていた。

 弁護士・島谷美香子だ。

 勿論葵も彼女の姿を確認した。そして、やはり顔が途端に蒼くなった。その様子を見た美香子は、

「深谷さん、お久し振りね」」

と洸二にだけ挨拶した。

「あ、ああ久し振り」

洸二は平静を装って返した。

「これから鈴村純さんと接見なんです」

「そうか。お手柔らかにな」

「こちらこそ。よろしくお願いします」

「ああ……。帰るわ。非番なんで、俺達」

洸二はそう言って青ざめた葵を引っ張って階段を急いで駆け下りた。それを美香子は黙って見ていた。

「……菱峰葵……今度こそ……」

美香子は般若の様な形相でつぶやいていた。

 通用口を出て、助手席に葵を押し込み、洸二は自分の車をさっさと出した。

「状況によっては捜査から外れてもらうぞ」

洸二は葵にそう声を掛けた。

「……はい」

葵は沈んだ様子で答えた。

「……まあいいわ。今日は非番だからな。ゆっくり休め」

「……はい」

暫し沈黙が続いていた時、バイブ音が葵のバッグの中から聞こえた。

葵は携帯電話を取り出し、表示されている名前を確認して洸二に尋ねた。

「……あ、出ていいですか?」

「……ああいいよ」

洸二は前を見たまま答えた。

「……はい。……うん、……うん。……わかった、7時に『ノアール』で待ってる。じゃあね」

と必要事項だけを話して葵は電話を切った。

そして

「……失礼しました深谷さん」

と声を掛けた。

「ああ」

洸二はやはり最小限の返事だけをした。

 再び沈黙が車内を支配した。

 洸二はパーキングに車を停めた。

「……あれ、深谷さんここ……」

葵は半ば困惑した様子で洸二に訊ねた。

「ああ、公園だよ」

洸二は答えた。

横浜港が見渡せるあの公園だ。

「降りろ。ついて来い」

と声を掛け、洸二は車を出た。葵は、戸惑いながらも洸二の後について行った。

 晴れ渡る青空。その青をそのまま映す穏やかな海の水面。港には大型客船が停泊していた。平日という事もあり、公園に人は少なかった。

「久し振りに見ました、この景色」

葵は、先程までとは違う、晴れやかな表情で振り返って洸二にそう言った。

「俺は時々見に来てるぜ」

洸二はそう答えた。

「ええっ!?サボりですか!?」

「アホか!!日曜に来てんだよ!!俺の仕事がサボれると思ってんのかおまえ!?」

「うん。だって大学の時もゼミサボってたでしょ深谷先輩」

「ああサボってたさ!!家庭教師のバイトしなくちゃならなかったからな。3年くらい見てた子がちょうど受験生だったし」

「じゃあ今は?」

「今はマジで勤務中にそんな時間はないな」

「そうなんですか。検事ってもっと暇なのかって思ってました」

「アホか!!死ぬほど忙しいわ!!事件が減らないんだからな!!」

そう答えた洸二を見つめて、

「そっか。……深谷さん、有難うございます」

と葵は礼を言った。

それを聞いて、洸二は

「なっ……急に何言ってんだよ」

と、照れながら尋ねた。

「ホントに有難うございます」

そう言って、葵は再び前を向いて海を見ていた。その様子を見ていた洸二は、葵に対する想いがこみ上げてきた。そしてそっと後ろから抱きしめた。

 葵は驚いて、

「ちょ……深谷さん何してるんですか!?」

と焦っていた。

「……暫くこうしてていいか……?」

普段とは違う優しい声で洸二は耳元で囁いた。葵は躊躇ったが、

「……はい。暫くだけですよ」

と、顔を赤らめながらそう答えた。

 2人は暫く黙ってその体勢を保っていた。穏やかな時が過ぎていた。がしかし、その時間は女性の悲鳴と共に寸断されてしまった。

 新たな他殺体が、その女性によって発見された。

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