第13話:俺と私の

 後期入試が終わった次の日、つまりは三月十六日が白石がこの町を立つ日だと、母ちゃんから聞いた。俺はそれに対して、おそらく「ふーん、そう」としか返さなかったと思う。ここしばらくはとりあえず机に向かい、ペンを動かして、勉強のことしか考えていなかった。二つのことを同時に深く考えられるほど、俺の頭の容量は大きくないのだ。が、いざ最後の入試が終わり、することがなくなってみるとどうしても白石の後ろ姿が頭にちらつく。俺は畳の上にどんっと置かれたベッドにひっくり返って、一回しっかりと考えてみることにした。

 一つ、白石は何かに怒った。

 二つ、俺とは友達になんかなりたくないらしい。

 三つ、そして今日、白石はこの町を出でいく。


「……なんだ」


 俺はため息をこぼす。

 ――白石は俺のことが嫌いだったってことだけじゃねえか。

 結論はあっさりと出てしまった。白石というのは頑固で執念深い、そんな奴だ。俺は小学生のこと散々白石をからかいまくったし、そのことを根に持たれていたとしても納得がいく。俺はあの秋の日に仲直りができたと勝手に認識していたけれど、それは俺一人が思っていたことなのだ。白石はなんとなく俺に声をかけてみただけだった。

 寝返りを打つとスプリングがぎしりっと鳴った。馬鹿みてえ。けれど白石も白石だ。嫌だったのならマネージャーも断れば良かったのに。


「ホント、バカだな」


 俺も白石も、だ。が、これで終わりだ。白石はこの町を出ていき、もう会うことはないだろう。目をつぶる。このまま眠ってしまおうか。そう思ったとき、階下でけたたましい音が響いた。電話だ。家中のどこにいても気が付けるように大きな音量で設定されているのでとてもうるさい。電話は母ちゃんが取ったようですぐさま静かになった。しかし「大樹――っ!」と今度は母ちゃんのだみ声が響き、かりそめの静寂は破られた。

 俺は仕方がなく上体を持ち上げ、ベッドから下りた。部屋を出て、階段を下りながら、「なんだよ!」と叫ぶと「中村くんって子から!」と返ってくる。電話を取りたくなくなった。が、リビングに入ると母ちゃんがふんふんっと無駄に鼻息荒く受話器を押し付けてくる。俺が白石のことを何も言わないから機嫌が悪いのだ。めんどくせえ。


「はい、代わりまし……」

「よう、竹内! お疲れさん! 実はさあ、お前もやっとこさ受験終わったし集まんねえかなって話になってよ。どう?」


 ……やっぱりめんどくせえ。

 反射的に受話器を下ろしそうになるのをギリギリのところで堪えた。突然の耳元での大声に頭が刺激され、ようやく目が覚めた気がした。


「いいよ、もうみんなはやったんだろ」

「いやいや、そういうことにもいかねーべ。竹内はお好み焼きと焼き鳥、どっちがいい? ちなみに河田ん家か岡崎の家かってことなんだけどよ」


 同輩の名前を挙げ、何がおかしいのかケタケタと中村は笑う。河田の家はお好み焼き屋、岡崎の家は焼き鳥屋を営んでいるのだ。


「どっちかっていうと腹に溜まりそうなお好み焼きだけどよ……別に集まんなくても」

「あのさあ……竹内。分かってんのかしらねえけど、これからはなかなか会えなくなるんだぞ。離れたとこに行く奴とは大げさに言えば今生の別れになるかもしれないってことだべ。お前この前さっさと帰っちまったから他の奴らも集まっときたいってさ」

「……あ、おう」


 ――今生の別れ。

 大袈裟にもほどがあると思ったが、その言葉は嫌に俺の胸を冷たくした。

 小学校、中学校と同じだった地元の奴らと、今はどれだけ連絡をとっているだろう? 俺は高校から携帯を持ち始めたので個人的な連絡先は知らない。連絡網で家の電話は知っているけれど何も用がないのに連絡はできない。それこそ今日の中村のような用事がなければ。歩けば数分に住んでいるはずの家の奴にもここ二年近く会っていない。

 ――なら、白石とは?

 そもそもあんな消極的な奴、部活が一緒でなければ高校の時で縁が切れていてもおかしくはない。まして、これからは東京だ。家も近かったので携帯の連絡先すら交換していない。俺は白石と連絡をとる手段がなくなり、白石はおそらく……もう連絡しておないだろう。そういう奴だ。真面目な顔して、「用もないのにどうして連絡するの?」と聞いてくるような奴なのだから。以前それで女子の友達を困らせていたのを見たことだある。だから、ここで俺から縁を切ってしまえば会うことはないだろう。たとえ、白石がこの地に再び遊びに来ても、俺は白石に会わない。白石も変な遠慮をして、きっと会いにはこない。


「……で、みんながなるべく集まれる日時をきめたいんだけど……」

「……悪い」

「明後日とかどうって、は?」

「ちょっと出かけてくる」

「え? は? ちょっと竹う――っ!」


 ガッシャンと受話器を勢いに任せて置いた。母ちゃんの小言が飛んでくるがそれは無視して出かける準備し、家を出た。自転車に飛び乗り、ペダルを踏む。車体は緩やかに加速を始め、風を切って勢いよく進んだ。

 白石の乗る電車の発車時刻はいつのまにか頭の中に入っていた。気にしていないつもりだったけれど、そういうわけにはいかなかったようだ。自分の馬鹿さ加減に笑いがこぼれた。





◇◇◇


「あら桜のつぼみがもうあんなに膨らんで……きっと今年もいい花が咲くわねえ」

「うん……今年も見たかったなあ」


 駅のホームから見えるソメイヨシノの木を指さして、タエさんは穏やかに笑った。まだ電車の時間には余裕があるのだが、何となく急いてタエさんの家を出てきてしまった。この街にやってきたときと同じく手荷物は肩掛けカバンとキャリーバックのみだ。持っていく家具も特にはないので身軽だった。


「た、タエさん……やっぱり東京に住む気はないの?」


 所在なく私が前髪をいじりながらそう聞く。それは私が大学は東京に戻ると決めたときから話していていた問題で、結論はもう出ている。しかし、私は最後に確認せずにはいられなかった。タエさんは笑って頷いた。


「悠子ちゃんにも貴子ちゃんにも、そう言ってもらえるのは嬉しいけどねえ。ここには健次郎さんもいるし、子供たちも……いつかは帰ってきてくれるかも知れないから……」

「そっか」

「ええ。もう少しこの地で待ってみるわ」

「……そっか。わ、私、また遊びに来るから」

「ありがとう。あなたと過ごせて本当に楽しかった」


 鼻の奥がツンっとして泣きそうになった。辺りの景色を眺めてみるとどこもかしこも見慣れた場所で、それがいっそう私を悲しくさせる。


「……さびしいなあ」


 ぽつりと零した言葉にタエさんは少し驚いた顔をした。私の言を噛みしめるように目をつむり、「そう、ね」と言う。

 空気の匂いまで心に留めて置きたくて深呼吸をすると、冬の終わりの気配が、春の始まりの気配が体に吹き渡った。どこからか、ホーホケキョ、と鳥の鳴き声が聞こえる。


「春ちゃんとはちゃんとお別れできたの」

「うん。春も……学校は少し遠いみたいだし……ここに帰ってきても会えるかわからないから、うん、だからさびしい」

「そうなの……そういえば大樹くんはどうなったの? まだ受験だっておばさんから聞いたけど」


 言葉が詰まった。

 大樹くんとはしっかりと話もできずに今日まできてしまった。もちろん大樹くんは私立で早々に終わった私とは違って忙しかった。しかし、それはただの言い訳にしか過ぎないことは分かっていた。いつが入試で、いつに終わって、何学部に行くのか。そんなことすら知らなかった。


「どう、かな。よくわからない……」

「俺が、なんだよ」

「ひゅわああ!」


 突然かけられた声に変な悲鳴が口から出る。振り返ると肩で息をした大樹くんが立っていた。下唇を一度噛み、決まりが悪そうにそっぽを向く。


「ど、どうして。なんで?」

「なんでって……なんとなくだよ」

「そ、そっか。なんとなくかあ……」


 まさかここに来るとは思わず、私もしどろもどろしながら会話をする。タエさんが要らぬ気を使って「少し駅員さんとおじゃべりしてくるわねえ」と私たちから離れて行ってしまった。残された二人はしばしの間沈黙に浸って、ようやくベンチの端と端に腰掛ける。それでも口を開くきっかけが見当たらず、私は膝の上に置かれた手を見ていた。


「あのさ」

「な、なに?」


 声が上ずる。


「うちのババアがさ、婆さんの家で菓子とか食べるの嫌らしいんだけどなんでか知ってるか」


 唐突の質問に私は「へ?」と間抜けな声を漏らしてしまう。てっきりこの間のことについて問い詰められると思っていたので拍子抜けした。驚きで顔を上げた私に大樹くんは視線をやって、片眉を器用に持ち上げた。


「なんだよ、お前にも分かんねえのか」

「いや、えっと……それは後々のお礼とか町内会内の立ち位置とか、色々あると思うけど……」

「町内会?」

「う、うん。タエさんは割と保守的だから今の若い人たちとはあんまり馬が合わないみたいだよ。ほら大きな道路を新しく作ろうって話でだいぶ揉めてるよね。そのこともあるだろうし……」

「は? なんだよそれ? 知らねえぞ」

「ええ!?」


 私の驚きの声に気分を害したように大樹くんは口を尖らせた。


「んだよ。悪いか」

「い、いや、悪いとか悪くないとかではないと思うけど……うん。少しびっくりしただけだよ」

「そうか。ありがとな」


 また静かになった。ホームの上を鳩が闊歩し、首をしきりに傾げている。


「なんでそんなこと聞くの?」


 私が素直に疑問をぶつけると、大樹くんは苦い顔をして笑い、「もう聞けなくなるから」と言った。


「これまでの疑問を晴らしておこうと思ってよ」

「そう……なんだ」


 ぎこちない会話。

 嫌な沈黙。

 心地よい静寂。

 手を伸ばしても微妙に届かない距離。

 突き放すような言葉とおどおどした言葉。

 互いにどうでもいいと思われていると信じてる、私達。

 すべてはこの町に根付いているもので、ここからは持ち出せはしないのだと私は思った。大樹くんでさえ、これが別れだと認識しているのだ。やっぱりさびしかった。


「俺は教育学部を受けたんだ。教師になろうって思って。やっぱり公務員だと親も安心するし、そこでさ野球部の顧問でもできたら最高だと思ってよ。でも小学校でもいいよな。雄造みたいな奴、いたら声かけてやりたい。俺、バカだからよく分かんねえことがいっぱいあるけど、それでもいいって言ってくれる奴もいたからさ」

「え?」


 大樹くんは照れくさそうにほほを僅かに赤く染めていた。その眼はきらきらと光って見えて、眩しい。どうしてそんなことを今言うの、と尋ねようとした瞬間、アナウンスが入った。十時十分発。私が乗る予定の電車だった。


「これか?」

「う、うん」


 一度言おうとして、けれど飲み込んでしまった言葉は二度も出ては来なかった。タエさんも駅員さんとの話を切り上げて戻ってくる。すぐに電車がホームに入り、ぷしゅーという気の抜けた音と共に扉が開いた。車内は閑散としていて人は少なかった。五駅ほど先に大きな駅があるのでそこから混みだすだろう。

 キャリーバックを大樹くんに手伝ってもらって、車内に運んだ。それから、タエさんと言葉を交わして、ホームで扉の入り口に立つ大樹くんと向き合った。大樹くんの視線はまっすぐと私を見ていた。そんなところも好きな理由の一つだ。


「わ、私ね」


 それに突き動かされるように私は口を開く。


「大樹くんのこと、きらいじゃないの」

「はあ? じゃ、なんで友達になりなくないなんて言ったんだよ」

「友達にはなりたくないんだけど……ううん。やっぱり友達から、だよね。友達にならなきゃ」


 舌を噛みそうになりながら、私はなんとか大樹くんに心の内を伝えようとした。


「……意味分かんねえよ、お前」

「うん、ご、ごめん」

「それに友達なんて自然となるもんだろ」


 そうなのかもしれない。

 大樹くんはよく自分をバカと言うけれど、私はそうは思わない。大樹くんの言葉はいつも私の心を動かしてくれるのだ。


「……お前はっ!」


 大樹くんが大きく息を吸って、そして私の眼を見て言った。


「何の学部に入ってさ、何になりたいんだ」

「え?」

「俺だけ言うなんて不公平だろ」


 ジリリリッと発車ベルが鳴る。これで、最後だ。なのに、口はやっぱりうまく動いてはくれなかった。動け、動け。


「私は――」

「言わなくていい」


 その言葉に肩を震わせる。この前の私が言ったひどい言葉への意趣返しなのだろうか? 大樹くんはやっぱり怒っているのかもしれない。けれど、こんなサヨナラの仕方は――


「そういうこと書いて手紙で送れ。俺も結果が分かったら返事書くから。そうでもしないとお前――友達のくせに連絡なんかとらねえだろ」


 返事をする前に電車の扉が無情にも閉じていった。ガラス一枚の向こう側でタエさんは優しく微笑んで手を振って、大樹くんはいつもの仏頂面で佇んでいた。それもだんだんと小さくなって、小さくなって、やがて見えなくなった。ガタンッゴトンッと車体が揺れ、私は思わずその場にしゃがみ込んだ。目からは涙が、喉からは嗚咽が、心からは温かな感情が零れだして、止まらなかった。

 好きとかいう感情は分からないけれど、一緒にいたいなと思った人はいる。一緒にいても決して居心地がいいわけでも、安心するわけでもない。けれど私はそれが『すき』というものかもしれない、と考えている。ならば、しばしこの感情をもう少し暖かくなるまで胸の中に大切にしまっておこうと思った。

 手紙なんて、年賀状以外で書いたこともないけれど、口にできない臆病者の私にでもそこに記すことくらいできる気がした。

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俺の友達、私の知り合い。 睦月山 @mutsuki-yama

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