第12話:なりたくないもの
私がようやく大樹くんに追いついたのは地元の改札に出たところだ。ホームからいつもの乗るバス停とは反対方向に大樹くんが見え、私は慌てて走って追いかけた。
「だ、大樹くん!」
大樹くんは振り返り、息を絶え絶えにして声をかける私に目を丸くした。
「どうしたんだよ」
「あの、かぎ」
「カギ?」
「家の鍵を忘れていったって、おばさんが。渡すように頼まれてたのに忘れてて」
何とか息を整えてそう言うと、大樹くんはあきれ顔でため息をついた。
「そんなののために追いかけてきたのかよ、バカじゃねえの」
「ばっ」
「鍵なんかどうにでもなるっつーの。一階の廊下の窓とか、押して隙間作れば鍵開くし、公民館のほうには爺ちゃんと婆ちゃんがいるし」
「う……そっか」
「母ちゃんもできたら、ぐらいの気持ちだろうよ。……まったく、あのババアも言葉がたりねえんだよな」
それから無言で手を差し出してくる。私はそのうえに鍵を置いた。言葉が足りてないのは大樹くんも一緒だ。絶対に田中くんより優しくない。でも……それでいいんだ。
「お前ってさ……」
大樹くんが神妙な顔でこちらをのぞき込んでくる。
「な、なに」
「滅多に怒らないよな。わざわざこんなとこまで走らされたのに。舌打ちもしねえし。意味わかんねえ」
「そ、そんなことないよ。それに怒るのって疲れるし……」
「そういうこと考えてんのが疲れる原因じゃねえの」
「あ、でも、怒ることはあるよ」
大樹くんに対しては二度ほど怒ったことがあるとがある。しかしあれは怒ったことにカウントして良いのか微妙なものだ。あれはただ苛立ちをぶつけただけに過ぎない。
「そういや『感情がないとでも思ってるの』だっけ」
「あ、あれはひどいと思ったから。あんなに泣いてたのに忘れちゃうなんて、昔の大樹くんのこと、蔑ろにしてるみたいで……」
「な、泣いてねえよッ!」
すぐに私がどのことを言っているのか思い当たったのだろう。大樹くんは声を荒げて否定した。
「そうだっけ……?」
「そうだよ。肝心なとこ覚えてねえな、お前……」
舌打ちを一つ零して、大樹くんは再び歩き始めてしまった。私はなんとなく追いかけて、弁明してみた。
「そ、そのくらいの剣幕だったというか」
「ああ、もう! その話はいい。お前、平山とかと約束してんだろ。さっさと行けよ」
「うん。それはそうなんだけど……そういえば歩いて帰るつもりだったの? バスは……というよりも帰りは一緒だけど朝はバスで会わないけど……」
バス停の反対方向にいるのが気になり、聞いてみる。大樹くんは黙った。どうしたのかな、と今度は私から覗き込むと難しい顔になり、「うー」と数秒唸って、バツが悪そうな顔をした。
「……いや、俺、基本チャリか歩きだったから」
「へ?」
予想外の答えに変な声が出た。
「バスは高えし、体力作りにもなるからな……」
「え、でも」
「帰りは母ちゃんから送るように言われてたからやっただけだ。気味悪いこと考えんなよ」
気味悪いことって何。今のはイラッとしないこともない。けれど……すぐに消えてしまう。それよりも哀しみが上回るのだ。いつもそうだ。怒りよりも哀しみのほうが大きくて、言葉が詰まる。
「それに友達ならそれくらいするだろ……ま、お前にとっちゃあ友達でもないんだっけか。意外とレータンだよな。そういうとこ母親に似たんじゃねえの」
大樹くんは「ははっ」と薄っぺらい声で笑った。私は何も言えずに俯いた。
言葉を選んでいるうちに時間が勝手に流れていってしまう。みんなを笑わせる言葉とか、感心させられる言葉とか、そんなものは思い浮かんではこなかった。けれどこのままでは大樹くんの言葉に何も返せず、ぎくしゃくしてしまったあの夏の日と同じだ。あの日と同じになってしまう。私は大樹くんをまだ見ることができていないのだろうか。しっかりと正面から向き合うことが……。
――俺のことは、どうでもいいよな。
思い出したセリフに自分への苛立ちと焦りが限界を超えた。
「……大樹くんだって――私のこと、どうでもいいよね」
「はあ?」
大樹くんは意味が分からない、とでも言うように眉を顰めた。私の囗は止まってくれなかった。自分の意志じゃないように――いや、これは詭弁だ。私は自分の意志で言葉を吐いた。
「私は! 大樹くんと友達にはなりたくない。友達になんて、なりたくなかったっ!」
私の震える叫び声に大樹くんの顔が歪んだ。それを見てすぐさま私は後悔する。大樹くんを傷つけた。ほうら、やっぱり哀しみの方が強まっていく。
ぐるぐる、ぐるぐる。目の前で洗濯機が回っているような気分だ。ひどく世界が不安定にみえる。
「ごめんなさいっ!」
結局、出てきたのはありきたりな謝罪だった。恥ずかしさに顔が熱くなり、私は逃げ出した。
大樹くんは声を掛けたり、追いかけてきたりはしなかった。それは今の私にとってはありがたかったけれど、これが大樹くんとの最後の別れになると思うと、無性に悲しかった。
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