第11話:門出の日

 卒業式はつつがなく執り行われ、俺はあっさりと三年間過ごした高校を卒業した。

 いざ門出の日を迎えてみるともうここに生徒として入れないことが驚きだ。小学生の時も中学生の時もそうだった。俺もそういえばもう十八なのだということを思い、不思議な感覚にとらわれる。

 立派な大学生、社会人として……、大人の仲間入りを……、とつらつら語っていた校長の話が思い出される。大人としての自立やら責任やらを滔々と話していたような気がするが、卒業を迎えたからと言ってすぐさま大人に変身できる気はしない。できたら苦労しないだろう。

 そんなことを思っていても単位さえあれば卒業はできるもので、百二十七人の卒業生がこの日に集まっていた。今は思い思いの場所で卒業アルバムの書き込みなどを行っている。俺もクラスの奴らと喋りつつ、腕時計に目をやった。時刻は十二時少し前。これからみんなで集まって食事をするのだが、俺は欠席の旨を連絡していた。そろそろ帰ったほうがいいかもしれない。別れを惜しむよりも大切なことが今はある。そもそも卒業式に来るか自体迷ったのだ。


「だ、大樹くん!」


 よし帰るか。そう決意したところで白石に声をかけられた。胸に付けた造花を揺らしながら、白石はこちらに近寄ってくる。その後ろに四十代くらいの女性がいた。黒スーツをばっちりと着こなし、メイクも何だか馴染んでいる。どこが、と言われれば分からないが、ここら辺のひとではない雰囲気を持っていた。

 一方の白石は息を整えてから口を開く。


「ひ、さしぶり」

「おう。てか、名前……もういいか」


 結局直されることはなかった呼び名にため息をついて、俺は「何か用か」と先を促した。


「う、うん。おばさんは来てる? お母さんが話したいって」

「へー、あれが噂のお前の母親か。母ちゃんなら田中の母親と話してるのをさっき見たけど……木ノ下のばあさんは来てねえの」

「あ、いるよ。でも疲れたみたいだから体育館のベンチのほうにいるの」

「ふーん、あっそ」


 寂しいと零していたあの夜のことが頭をよぎった。木ノ下のばあさんは白石にその思いを絶対に伝えたりしなかっただろう。そう思うと、ひどく腹が立ったが俺は口をつぐんだ。馬鹿な俺よりも白石のほうがきっと分かってる。


「あ、あと野球部みんなで白田先生に挨拶に行こうって。後輩も集まってくれてるみたいだから」


 白田先生は野球部の顧問だ。負けてしまったあの最後の試合の日、一人で勝手に帰ってしまった俺のことを「単独行動はするなよ。まあ白石がついててくれたか。お疲れさま」の言葉だけで許してくれた気のいい奴でもある。


「いや、でも俺、そろそろ帰ろうかと……」

「で、でも白田先生、いつ転勤するかわからないんだし……ね、行こうよ。少しだけだから」


 少し迷った末、俺はみんなが集まっているという校舎の方へと足を向けた。落ち込んだ気分が少しでも持ち上がるかもしれない。







 前期入試の結果が出たのは昨日のことだった。パソコンの画面に受験番号を打ち込めば、――不合格の文字が厳めしいフォントで現れた。打ち間違えたかもしれないと未練がましく何度か試してみても結果は同じで……さすがに落ち込まざるを得なかった。

 しかし、一日寝て気をとり直した。残るは十日後に控えた後期入試のみだ。落ち込むよりも勉強した方が得。それが俺の中での結論だった。単純な性格をしていると面倒くさくなくて楽だ。

 しかし、いくら俺が納得していても周りは気を遣うらしい。先ほどの白石然り、担任――昨日の時点で連絡を入れていた――然り。だから反応が俺でも容易に想像できて、仲の良かった部活の奴らに会う気分ではなかった。

 案の定、集合場所まで行き、まだ進路が決まっていないことが発覚すると皆一様に難しそうな顔をした。うちの学校では後期入試までずれ込む奴は少ない。卒業式の日はぱあっと楽しく過ごしたいのだろう。それは俺もだ。

 一時近くなったところで俺は帰ることにした。腹も減ったし、ほかの奴らは場所を移動するようだったので、「帰る」と人と人の間をふらふらしていた中村に声をかける。


「えー、こねえの」

「うぜえ。勉強するから」


 中村に声をかけたことを三秒で後悔した。不満そうな顔をしていた中村が「あ、そうだ」と何かを思い出したかのように声を上げた。


「白石とどう?」

「どうもこうもねえよ」

「東京、行くんだろ。まあオレも県外だけど」

「え」


 初耳だった。そういえば中村の進路を尋ねたことはなかった。みんなが一歩先を行っているような気になる。らしくもない焦りを覚えた。


「医学部、いくんだ」

「す、すげえな」


 中村があっさりと言った学部名に、俺は素直な賞賛の言葉を口にした。要領のよい奴だということは知っていたけれど、そこまで頭がいいことは知らなかった。


「ま、頑張れよ」

「それはオレがお前に言う言葉だべ。……なんかやっぱお前っていい奴だよな」

「は? なんだよ、それ」


 ストレートな物言いに俺は若干狼狽えた。褒められることには慣れていないのだ。


「竹内ってさ良くも悪くも正直だから。こういうこと言うと素直に返してくれるから安心する。ありがとな」


 ――分からなくて、いい。分からないでいてくれてありがとう。

 ――大樹くんには分からないよ。

 ――でも、たぶん、それでよかったんだとおもう。


 雄造の、白石の、意味の分からない言葉が頭をよぎった。俺は中村に「馬鹿じゃねえの」と返す。中村はへらへらと笑ってごまかした。


「なんだか、中村って俺の昔のダチに似てんのかもな」

「は? なんだよ、別れの日に」

「だからすげえムカつく」

「はあ? なんだべ、それ?」


 「じゃあ、またな」と手を軽く上げて、俺は別れを告げ、中村も「じゃあな」と言って俺を見送った。

 皆が卒業証書と卒業アルバムを手に持ち、造花をつけた胸を張っているように見えた。

 ――ありがとな。

 中村の言葉を反芻してみる。まあ、褒められて悪い気はしない。

 息を深く吸い込むと腹に澄んだ空気が溜まった。そこにはもう微かな春の香りが混じっていた。








◇◇◇


 気が付いたら、大樹くんは集団からいなくなっていた。


「あれ、大樹くんは?」


 私がそう尋ねると中村くんが「帰ったよー」と教えてくれた。視線を彷徨わせてみても、大樹くんの後ろ姿は見当たらない。しまった。うっかりしていた。

 私はこの後、野球部の方ではなく、春やクラスの仲の良い子と食事に行く予定だったので、とりあえずこの場を抜け出すことにした。残るマネージャー二人の後輩に「頑張ってね」と激励の言葉を投げかける。幼く見える一年生と二年生の後輩はぶんぶんと頭を縦に振り、涙目で頷いてくれた。

 とりあえず春に連絡しなくちゃ。そう判断してあちこちを走り始める。体育館、校庭、昇降口……思い当たるところを覗いてみるが覘いてみるが、春の姿は見えなかった。後はどこだろう、と思案する。下駄箱はもう空だったので外に出ているはずなのだが……。


「白石先輩」


 掛けられたその声に肩がびくりっと震える。恐る恐る振り返ってみると、予想を違わず田中くんがそこにいた。髪は受験期中、気にかけていなかったらしい三年生の頭とは違い、しっかりと刈り込まれている。それがなんだか卒業生と在校生の境界線のようだ。たった一つしか歳は変わらないのに田中くんは後輩なのだ。


「卒業おめでとうございます」

「う、うん。ありがとう」

「平山先輩なら校門のところにいましたよ」

「あ、校門……」


 校庭はぐるりと一回りしてい見たけれど校門までは見ていなかった。そこには『卒業式』と書かれた看板があり、記念写真を撮るにはうってつけの場所だったのに。


「ありがとう」

「いえ……」

「じゃあ……」


 どうにも気まずくて私はお礼を言い、早急に立ち去ろうとした。しかし、手首をいきなりつかまれる。私の体は硬直し、喉からはかすれた声が出た。


「な、なに?」

「待って、ください。ちょっとだけ、なんで」


 ゆるり、と静かに私の手首から手を放して、田中くんは言った。俯いた顔は微かに赤い。私は話の内容が想像でき、けれどどうしたら良いか分からずにいた。手先が風にさらされ、冷たくなっていく。昇降口には幸か不幸か誰もいない。田中くんの声が響く。


「先輩が東京に行くって聞いて……俺、ほんとに先輩のこと好きなんです。一年のときに辛かったり、落ち込んでたりすると先輩が声かけたり、飲み物くれたりして……。だから好きで、最後にどうしても」

「ごめん」


 遮るようにして私は言った。


「ごめん。前も言ったけど、つ、付き合うとかいうのは無理なの。ごめん、ありがとう」


 ここで未練なんか残させてはいけないと思った。田中くんはこわばった顔をどうにか動かして笑みらしきものを作った。頭の後ろを掻いて、乾いた声を出す。


「いえ、こっちこそ……すみません。なんか、俺、すごい女々しいことしてました。恥ずかしいっすね」

「ううん。……来年度からも頑張って。副部長だよね」

「はい」

「悔いが残らないように頑張って」

「っはい」


 私は「……じゃあね」と本当に最後のお別れをして昇降口を立ち去った。田中くんが教えてくれた校門に向かう。普段通りだったはずの歩調はすぐに早足になり、我慢できず私は全速力で走り始めた。

 何だか涙が出そうだった。目の奥が熱くなり、喉が引きつる。胸が痛い。なんでこんなになってるんだろう、私。

 泣きたいのは田中くんのはずだ。いい子なのに。大樹くんよりもきっと優しくて、人の気持ちを考えられる人だ。なのに、どうして――すきになれないんだろう。人を好きになって、その気持ちに応えてもらえる可能性ってどのくらいなんだろう。それはとてつもなく少ないように私には思えた。

 言いたい言葉はたくさんあるのに言葉にならない。体の中を永遠にぐるぐると回っている。窒息してしまいそうだ。自分の意気地なさに眩暈がしてくる。――頑張れってなんだ。みんなもう精一杯やってる。月並みな言葉しか口に出せない自分も、きらいだ。

 私は多分、田中くんを通して自分を見ている。自分を、見ている。

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