不具合 #011
一月一日。
新年あけましておめでとうございます。クリスマス前後の修羅場を切り抜けたと同時に仕事納めとなり、ひと通り持ち合わせた参考書も読み終わった後はだらだらの一途。そのまま気がつけば一年最後の日になっており、例年通り風物飾りなど一切用意していないいつも通りの六畳ワンルームではございますが、大晦日から新たな年の明けた今朝方まで夜通し酒を飲みっぱなしの予定であります。
お酒は好きだがそんなに量は飲めないので、肴代わりのお節料理……として使うと時短で便利な惣菜関連からビールに合いそうで安価なかまぼこやちょっと奮発した黒豆なんかを多めに用意いたしました。いやー、ワサビ醤油で食べるかまぼこがけったくそ旨くてですね、ペース配分を完全に忘れて年明け前にはぺろっと三分の二を平らげてしまっていたんですが、ワタクシの本命は甘く煮付けてあろうこの黒豆なのでございます。お酒に甘い物? と疑問に思われる人もいるでしょう、自分も少し前まではそう思っていました。本当は白かりんとうを買いに行ったんだけど見つからなかったのが悔やまれる。白かりんとう、合うんですよこれが。苦味と甘味の鍔迫り合いが口の中で非常に良い塩梅なのであります。雰囲気だけでも出そうと、蓋付き容器に移し替えておいた黒豆ちゃんをそろそろ解放しますかね。
たどたどしい足取りでキッチンに置いていた黒い深めの容器を取りに行く。どうしてこんなそれっぽい物を持っていたのかあまり良く覚えてはいないが、恐らくは何かの景品か粗品だろう。来場者全員プレゼント的なやつ。自分も戸棚を開けておあつらえ向きなこいつを見た時は、なんであんの、と驚いた。凍てつく水道水を手になるべく浴びないようにさっと容器を洗い、よく水気を切って入れておいた甘煮黒豆。好物の一つだけど、こんな時くらいしか手が出せなくて食べられないもんね。そろそろいただくとしましょうかね。蓋を開ければ、艶やかに光を反射して煌めく漆黒の粒が、五つ……
「ふぁいぶうぅう!?」
って、そうだった五粒だった! しかも二袋で! 物価高くなったねー、ますます生活が大変になっちゃうね。誰が政治をやっとるか! ぷんぷん!
「なこと、あるっかぼっけえぇええ!」
二袋で五粒しか入ってなかったら入れた段階で気づくわ! アホ! 葉書サイズのパウチ一袋に多くて三粒て。キャッチコピー、まるで黒いダイヤ! わー食べるの勿体無いからずっと見てよ! あほ!!
はっはっは。落ち着き給え君達。まぁ、よいではないか。正月だもの。黒豆の一粒や数十粒消えるくらいあるさね。
いやー、それにしても。昨日のうちに終わらせとけって話だけど、去年は色々ありましたねぇ。一年の大部分が説明するのも億劫なよくわからん事態だらけだったような気もするけれど、なんだかんだでなんとかかんとか食い繋いで来れたっつーのは、これも一重に、いや三重? いやいや十重に、お仕事を依頼してくださるクライアントのお陰ですなぁ、日々締め切りに追われながらも一所懸命にやってきた事が実を結んで種となり、次なる芽を吹かせているのだと信じたいよね、なんて。兎にも角にもありがてぇありがてぇ。あー黒豆うま。たった五往復の箸移動で無くなったけど。行儀の悪さは先に謝っておくとして、不服の態度が箸先に宿りカチンカチンと容器に怒りをぶつけた。
ころん。
空になった場違い容器に転がる一粒の黒いダイヤ。なんと、これは叩くと増えるポケットビスケッツ的な入れ物であったか! いただきまーす!
「もひとつ叩くと黒豆ちゃんがふったっつっ♪」
六畳ワンルームに不躾な音が響き渡る。当たり前だが黒豆が増えるはずもない。蓋の裏にでもくっついていたのが落ちてきたのだろう、という所まで思考が及ぶまでにこの行儀悪い行為をあと三回は繰り返した事をここに白状致します。
容器の蓋を手に取り、くるくるヒラヒラさせながら思った。
「……限界だな、頭が」
これ飲みきったら寝よ。
ころん。
うそん。
「増えた! 黒豆増えた!!! 今、黒豆増えた!!!!!」
想像してください。正月の、初日の出ももう少し後だから一眠りしとこうかという時間帯に、明らかに独り身の男の部屋から突如聞こえる「黒豆増えた」の二連大声。室内は室内で、箸を両手に一本ずつ握りしめて立ち上がり、がに股で双剣が如く突き出した箸の指し示す方には黒豆の転がる音がした場違いの黒い器。今気付いたけど炬燵もカーペットも暖房器具も無いこの部屋で上トレーナーに下トランクス+靴下。これには流石に返ろうとしていた我も視線を逸らしながら背を向けた。
「
こここ。狐が嗤うとこんな感じなのかな。
いくら芸術などに無知無頓着な自分でもそこまで御大層なら判ってしまいますよオホホホホ、と言いたくなる程の絶妙な縁の歪みと新緑色の釉薬が目にも鮮やかな平角皿にこんもり盛られた黒いダイヤ達、その一粒をこれまた一本一本紙包に入っていそうな爪楊枝でぷすりと刺し、あーんと開けた大きな口にぽいと放り込もうとしている。簡素ではあるが色彩華やかな――これは晴れ着ってやつでいいのか?――統一した覚えのない地味色のみで構成された六畳ワンルームの布団の上に似つかわしくない彩りが添えられたよう。喉奥まで見えそうな大口からは殺傷能力の高そうな八重歯が見える。ぱくんと上向きだった顔が急に正面を向き、爪楊枝を人差指と中指に挟みながら翻した手のひらを頬に当てて、細めた目とにんまり笑った口元を緩やかに左右に振りながら美味しいを表現してくる。こちらまで垂涎を誘われる、子役のグルメレポーターにでもなったら一躍脚光を浴びそうだ。でもな――
「ん〜〜〜んん♪」
「ん〜んん♪ じゃねーよ、おい!」
「んぐ、あなかま」
あ、あな…?
「…かま? お、お前まさか冷蔵庫のかまぼこまで狙ってんのか! 誰が渡すか! てかまず返せ、その黒豆を返せ! 全部だこのやろう!」
「かよわぬか……わりなし」
おおよそ全ての長すぎる筈の袖や裾を巧みに操り、何の造作も無く鎮座していたベッドからすとんと降りた。ちっさ。背、ちっさ。下見ないで歩いてたら膝が鼻にクリーンヒットしそうな背丈に、着物はぶかぶかずるずるだぼだぼなのに何故かそう感じさせない奇術のような布の取り回し。赤茶色の髪なんだけど眉間の部分だけ少し色素が薄い、おませか。猫耳カチューシャつけた上からおかっぱカツラかぶったらこうなりましたー、みたいな、頭上の左右対称な二箇所が少しだけ盛り上がった変な髪型。成人式とかによく見る白いもこもこふぁっさーが首というか体の半分くらいを覆っている、でかすぎだろそれ。細めていたと思っていた目は元が細かったようで、それがさらにやれやれと言った表情なものだから最早ただの一本線。そんな姿形の少女……なのか? それにしても、
「ちっさ!」
「大きさで物事を判断する程愚かな事は無いぞ、かまびすしき者よ」
舞い上がった避けきれるはずのない埃を何度も避けながら、裾を払ってあーあと言った顔。それ以上細めたらなくなるんちゃうか、目。
「その、かまびきおすしって何だよ、食わせろ」
寿司なら黒豆の代わりにくれよ。半分は食っただろお前。
「あな、これもか。お主にも理解できるように話しはじめたつもりじゃったがのう――」
呆れていたのか、言葉を選んでいたのか、少し間を置いてちんちくりんは言った。
「――騒がしき者よ」
物凄く視線は下から上なのに、物腰が完全に上から下なんですよね。丁度自分の下丹田を中心に描かれる十字攻撃、ずばしゃー、でゅくしでゅくし。
「黒豆取ったのはそっちだろ!」
「小さい事を気にし続けると、それしか収まらぬ器になるぞ」
「ねぇもん! 器なんて元からねーもんちーせーもん! だから返せよ黒豆ぇえ!」
「図星で開き直ったか」
「何とでも言え。黒豆」
こここ。
「ただの閉じ籠りじゃな――」
ことり、と、ちゃぶ台に平皿を置き、赤子のような指で音もなく皿を中央へ寄せた。
「――面白き者よ」
位が上がりました。やったね。やかましいわ。
高級そうな爪楊枝が二本、各々黒豆に刺さったまま直立している平皿と、一粒だけ転がっている深めの器。奪い合うように黒豆を頬張り続け、残り三粒となった所で互いに甘さ疲れを起こした。あれだけこの部屋には場違いだった黒い器が、適当に置かれたもう一つの場違い器によってその居場所を確立し、今度は逆にこの床が、ベッドが、仕事机が、蛍光灯が、六畳ワンルームが似つかわしく無い側になってしまった気がする。皿だろ? ただのお皿。たった一枚、十センチにも満たない四方のそれが、そこまで場を変える力を持っているってのか? 物の価値とか創作とか、そういうのまるっきしわかんないけど、目が止まって気になって、という事はこれまでに何回かはあった気がする――それが建物だったか絵だったか、はたまたその辺に転がっていた空き缶だったかは覚えていないけれど、漠然に漠然を重ねて曖昧でコーティングした、なんかいいな、という感想に着地する気持ちになった事が。プログラミングにだって似たような事はありますよ。実行結果は全く同じな異なる二つのプログラムがあっても、その内容を見て、こっちの方がいいな、というのはある。勿論技術的に、処理速度的に、より高効率だったり視認性が良かったりといった理由もあれど、別段どちらでも構わない、著しく何かが変わるわけでもないのに、なんとなく、でも明確に、あっちのプログラムの方が良いなと思ってしまう事がある。自分には無い何かを感じてしまう事はある。考えていて思ったけれど、何かに限った話ではないな、これ。世界は"なんとなくの塊"が少しずつ剥がれ落ちながら出来たんじゃないかとさえ――正誤真偽など分かりきり且つどうでもよく――そう思ってしまう事が、デスマーチで瀕死な現実逃避中にしばしば思います。あ、そうそう、ズボン履きました。
「その皿、お高い?」
「物の価値を金銭の天秤で」
「わーってるよ。じゃあ、えーっと……名品、って聞いちゃ同じか、んー、芳名な誰かの作品だとか…そういう皿なの?」
妙に惹きつけられるんだけど。
「ひゃっきん」
「ごめん、わからん。さっきの"おかまおすし"みたいに翻訳して」
「ひゃっきんは、ひゃっきんじゃ」
「だーかーらー」
「百円均一の店で買うた。ナズナだかセリナだか言う所じゃ。よもや知らぬわけあるまい?」
ちょっと待て、行くのかよ行けるのかよ、しかも百均て。えー、その格好で? お金は? 靴は? えー??
「ま、まじかよ……ちょ、ちょっと待って、ストップ、タイム」
嘘だと言ってよ。なんだったんだよさっきまでのは。すげー語っちゃったぞ、場を変える力とか感想に着地とか世界とか言っちゃったぞ、おい。
「面白き所よの、あれは――」
こここ。
「――お主のような所じゃった」
摘んだ爪楊枝を天に掲げたままちゃぶ台に突っ伏した頭上に、変わった笑い声がたしなめるように降り注いだ。
生憎麦茶も番茶も切らしていたので、冗談でビールを勧めたら、なんだそれはさっきから気になっていたのだ、なんだ酒か酒は好物だはようせいとか言い出して俄然飲む気になってしまってなだめるのに苦労した。人を見て呉れで判断してはいけないとは言われたものの、先入観と罪悪感にも似た何かが余裕で押し勝った。代替品として、仕事始めの景気付けに飲もうと思っていた瓶入り超濃縮りんごジュースを献上せざるを得なくなり、初めは
「もう甘い物は間に合っておる」
とか何とかほざいてたのに、やれ一口飲もうものならさっきから、
「成程……成程……!」
と、超速理解戦士ナルホドマンになってしまったこのちんまいのを横に、残り僅かな黒豆をすっかり酸化したビールを流し込む起爆剤にしていた。
「また怒られるかもしんねーけど聞いていい?」
「るほろん?」
吟味中で変な声出たね、わざとだ。
「
そういや誰だお前!
「唯乃でよい」
「ゆいの、そうなんだよな?」
「成程……」
りんごジュース、取り上げていっすか。そう茶化そうかと思うや否や、さっきまでにない深刻さを察したのか、横目でちらりをこちらを見やるなり晴れ着に両手抱えのワイングラス――これは間違いなく来場者全員プレゼント――という咄嗟に思いついて注いだにしては中々面白かった構図で舌鼓を打っていた唯乃だったが、グラスを置き、神妙な面持ちで衿下をこちらに向け直した。人に上から物をいうだけの事はあるのか、所作がね、どれを取っても小気味良い。ちっさいからかな。失言。
「その"ばぐ"とやらだとしたら、何だというのじゃ?」
やっぱそうなのか?
「仕事をしなければならない。めちゃくちゃ酔ってるのに、正月なのに、だ」
「ほう……なのめならぬ、さながら
今まで突如現れた
「聞いた事実より確かめた事実の方が信じやすかろう。術はあるのじゃろ?」
こここ。再びワイングラスに手を伸ばす。ちくしょう、なんでちょっと楽しそうなんだよ。顔赤いし。アルコール入ってねぇぞ、それ。着膨れか?
――はぁ、一旦落ち着こう。ぐるぐる回る視界と思考は酔いの所為か焦りの所為か。つい先週までやっていた事じゃないか、簡単な事だ。ぬっせい、と、今まで出したことのない掛け声で膝を立て、机の上に無造作に置かれた携帯電話を取りに行くも、途中で気付く。着信や受信のランプが光ってはいない。携帯に伸ばしていた手はそのまま物の上を通過して、もう仕事始めまで点けねぇからなと、捨て台詞を叩きつけたものの結局ニュース記事読んだりで日常利用していたパソコンの電源ボタンへ人差し指を押しこむ。一体何の案件が炎上しているんだろうか。年末のあれやこれはチェックが通ったはずだし、一週間近く経ってもバグレポートよろしき連絡は一度も無かった。行事を重んじる事が唯一絶対的休日の確保に直結している事の多い職業だ、よほどの致命的な問題でも無い限り、流石に正月くらいは過ぎてからでもいいかと矛を収めてくれようものだけれど。もしくは、それも出来ないくらい致命的な何かだったり。こわ。
「どうじゃ? 何かわかったか?」
……わからん事がわかった。面識はないが一方的に近況を報告してくる海外の女性(写真という名のプログラムファイル付き)以外は、主だったメールの受信は一件も無い。メールをもっとスピーディーにしたような対話が可能なチャットワークシステムも誰一人起動してはいなかった。これはつまり、気付いているのは――
「自分だけって事か……?」
背中を走る冷たい何かが背筋を登り伝って脳天を突き抜けていくような悪寒を感じた。最悪な覚め方と冷め方、今まで何度悩まされ助けられてきた、解らないのにそこに在る
聞いていたシナリオとは全く異なる劇の内容に支配人が慌てて幕を下ろそうとするように、自分も我に返る。
「電話、電話しなきゃ」
発信履歴の一番上を選んで携帯を耳に当てる。現在、たいへん混み合っているため繋がりにくくなっております。ひぃ。
「もしかして、電話も、メールも……」
正月の回線圧迫で繋がらないし、届いていないだけなんじゃ――
「つ、詰んだ……」
いや待て。これはもう、事実、動くに動けないという事でいいんじゃないか? 正月だもの。電話もメールも繋がりにくい状態で、例え連絡が来ていたとしても見る事が出来ていなかったのなら、エスパーじゃないんだ手を尽くそうという発想すら出てこないのは当たり前じゃないか? 正月だもの。逆に、本来ならば知る由もなかった
「本当に、それでよいのか?」
「よくねぇよ!」
「なんじゃ、即答ではないか」
「当たりめーだろ! 自分だけ咎められるんなら嫌だけどまだいいわ! 嫌だけど! でもな、自分のミスでとばっちり受けて頭下げて嫌な思いしたりする人がもう居るかもしれねーんだ。正月だぞ正月! しかもな、そういう役回りの人達に限ってそれが仕事ですから、とか言いやがるんだ! 投げやって言ってんじゃねぇぞ、本当にそう思ってるし、実際そうなんだよ。目に見えない責任に真正面からぶつかる覚悟をしてくれる人が上にいるから自分みたいな立ち位置の奴が肩に変な力入れなくても動けるようになって、やれる事精一杯やろうって思わせてくれるんだよ。だから余計に悔しいんだよこういうのは! あるより無い方が良いにきまってんだろ! それが先方の策略でまんまと自分が術中にハマってんだとしたらどんだけ救われるか知らんわ! 恵まれ過ぎなんだよ自分は! アホか! 自分が辛いの嫌だけど! 責任負うとかどうしていいかわかんねぇからすげぇ嫌だけど、怖ぇけど!!」
自分の尻だもん、拭うよ。その覚悟が無くて何がフリーランスだ、先の折れた槍なんか誰が見定めようとするか。怖いけど。
……。
目、開いてんのかな。
こちらが素に戻ってしまうくらいには時間が経った気がして――後で確認したらたかだか数分だったんだけど――こんな事態なのに唯乃に変なツッコミを入れそうになってしまった。それくらい、長い袖がただ絡まっているだけのように見える腕組をしたまま、こちらをじっと見たまま動かなくなってしまったのだ。なにこれ、蛹かなんか?
「うむ」
「え?」
「すまぬ」
赤子のような頬を指でぽりぽりと書きながら、唯乃が謝ってきた。
「へ?」
なんかされた覚えが無いんですけど。
「お主の言う"ばぐ"とやらではない」
「え、そんなら、やっぱただの迷子じゃないでちゅかぁ、ゆいのちゅわん」
「たわけ! あの、そう、あれじゃ、あれ」
両手をばっさばっさしながら、絵に描いたような慌てふためき方をしている。はるかに年上のような語り口調かと思えば、子供以上に見え見えの嘘の付こうとしかた。いつの間にやら完全に主導権が変わってしまったようなので、どんなおもろい言い訳をするか期待しましょう。
「ざ、座敷童子。そう! 座敷童子みたいなもんじゃ。お主に小さな幸せを届けにはるばるやってきた」
こここ。けほけほ。
「こここ、じゃねーよ! そっちもそっちで十分超御伽現象じゃねーか! しかもはるばる幸せ届けにて、サンタか! 一週間遅いわ! そもそもだ、家に居着いてるもんじゃねーのかよ座敷童子ってのはよ」
ぐぬぬ、って体現したらこうなるんだな。へっへっへ、大人げなく仕返しだ!
「おい、唯乃ちゃんよ。達者な口の割に合わず迷子かよ。迷子なら迷子って最初から言えよ。まぁ、今日くらい夜更かししてもぉーって感じで近所の神社に初詣に付いてったはいいけどはぐれましたとかそういう状態? 人ん家勝手に上がり込んで、普通なら犯罪だぞ? わかるか? は ん ざ い。鍵閉めとかなかったこっちも悪いけど」
ヘッドレスト付きエキストラハイバックチェアにどっかと降ろしていた腰をあげ、玄関の方へ。つーか普通勝手に入ってくるかぁ、あれだけ口の達者なおしゃまさんでも、真夜中の一人歩きは堪えたのかな。子供のした事だ、咎めはしねーけど、せめてインターホンくらい鳴らせ……って、そうか届かねぇか。ん? あれ? 何か変じゃない?
「鍵かかってら。入る時わざわざ閉めたのか、律儀だな」
完全に落ちていない腑の丸出し加減を見ながら、唯乃は当初の表情に戻って言った。
「ほれ、この丈を見ても何も思わぬか」
戻ってきた自分の前で、何かの舞踊か、両手を高々――といっても低いけど――掲げ、ひらひらと舞って見せた。時折ぴょんぴょん飛ぶんだけど、子供が遊んで跳ねるのとは全く違い、なんというか、動き全てが優雅なんだよなぁ。着地一つとっても余計な音がしないというか、手足や背丈までもがすうっと一時的に伸びたようなしなやかさがある。が、それを考慮してもやはり小さいは小さい。いくら背伸びをしても飛ぼうとも、自分のかざした手に触れる事すら出来ないだろうな、はっはっは。
「……あ」
「悟ったか?」
「届かねぇ」
虚空で捻ったシミュレートドアノブの高さに到底及ばない唯乃のジャンプ。開いてた鍵をかける以前の問題だ。
「つまり、そういう事じゃ。お主がこれまで遭遇してきた灰汁の強い面々と似てはおるが少々異質なものと思えばよい」
元々異質な事が更に少々異質になった所で、それは異質です。
「そうかぁ、理解はしきれないかもしれんけど、まぁそういう事にしておくわ」
「物分りの良い人間は嫌いではないぞ」
「そりゃどーも。それよか、何か要件があったから、はるばるやってきたんじゃねーの? 最悪な感じで酔いも覚めてきたから、そろそろ本題に入って欲しいんだけど」
「うむ、それなんじゃがな」
「あー、長くなりそうだから先に言っとくわ。唯乃が
お、が母音の何かを発しそうな口をしたまま唯乃の動きが再び止まった。へへーん、"ばぐ"とやら、なんて言ってた奴がどうしてこれまでに起こってきた超常現象の存在を知ってるんだって話だ。今までの
「変な所だけ察しが良いのだな」
「お互い様だろ。で、どうなの」
「……そうじゃ、お主の言う通り」
そうなのか。流石にそこは違うって言って欲しかったな。
「――な事が見事に何一つも無いからさっきから片腹痛うてな」
こっこっこっこっこ。
「はー!? じゃあ何しに来たんだよ!!」
「話、じゃ」
「はなしぃ〜!??」
お前、ちょっと格好つけて『ついにボロを出しやがったな子狐め、こっちが判っちまった事を悟られぬように追い込んで自ら吐露させてやるぜ!』とか思ってたんだぞ!
「話はもう十分じゃ、面白き者よ。もう一つは、さっきも言ったろう、小さな幸せを届けに、とな」
「……なんだよそれ」
頭痛が一気に酷くなってきた。だって、これ、マジじゃん。さっき自分で自称名推察しながら、あれー、なんか大事な事忘れてるなーって思ったけど、これ、マジじゃん。去年の大騒動は、円周率を三にするくらいの割り切り方で"妄想だった"の一言でギリギリ終えられそうなレベルの話なのに、これ、マジじゃん。御伽話の世界じゃん。
「とか言って、本当は唯乃も
「拭い去れない混乱から救われんとするのに最たる求道は、混乱に呑まれ狂う事ぞ」
「じゃあどうすりゃいいんだよ……酔いが変に戻ってきて、頭ガンガンしてきてんだよ……」
目が回ってその場にへたり込む。ちゃぶ台に突っ伏して頭に腕を絡めた隙間から、唯乃が近くに座り直すのが見えた。
「そろそろ終わりにするかの」
「たのむわ……」
「良いのか?」
「何が良いのかわかんねーし、考える力も残ってないわーもー好きにしてー」
なんか、部屋全体がうねり始めたのかってぐらいにぐらんぐらんしてきた。
「そうじゃな」
唯乃の声のトーンは、眠気をかき集めてくるように穏やかで――笑い声ですら。
「ただの気まぐれだったとしたら、怒るか?」
「怒らねー。あんま思いたくねーけど、面白かった時も助かった時もあったからなー」
「未練は無いか?」
「ねーよ。あってもそれは未練じゃねー」
「では、何じゃ?」
「……未熟」
「未熟、か」
「思い知ったわー、痛すぎる程になー、はっはー」
申し訳無さから思い切り泣きたくなる程にな。何回も自分を救う為に言ってた事だけど、人がプログラムを書く以上、
でもさ、そういう自分の中のトラウマや傷が作り出す理想的な妄想と同化しちゃう前に、何が発端でこんな事になっちゃったんだっけ、って、"対話"が出来るかどうかが重要なんだと知った。完全に自分にしか当て嵌らない持論かもしんねーし、それが難しいんだろうがって思われるのかもしれねーけど。……話す、ってさ、基本一人じゃ出来ないし、パワー要るし、状況によってはめんどくせーし、頑張って話しても伝わんなかったら嫌になるし、何かと億劫な面倒事と感じている人は少なからず居るはず。自分もどっちかっつーと、そっちだ。正確には、そっち、だった、かな。色んな
勿論、仕事相手との仕事の話は別だ、そうじゃない。仕事をしていく中で、仕事内容とは関係ない、仕事への考え方や悩み、自分のしている事の再確認と葛藤、疑問や不安、現在と将来、誰かに話すにはあまりに自分の中だけに在ることで具体化が難しく、それでもしてみようと思うと途端に面倒臭くなる類の奴だ。その中の一つに、
「もう、良い」
ぽん、と小さな感触が頭を揺らした。天地が完全にひっくり返った気がした。
「お主は、本当に――」
携帯が鳴る。赤と緑のビビット色と共に。
「………………はい、もしもし。あ、はい、明けましておめでとうご……ざ、い、ます!? は、はぁ、いや、大丈夫ですよ、正月に外出なんて独り身には世知辛いんで! はっはっは! お仕事いただけるなら願ったり叶ったりです、なので、遠慮なく。いえ、ありがたいです本当に。。。はい、はい、分かりました取り敢えず送っていただいたメール見ますんで、少しお待ちいただいても宜しいですか?」
パソコンが省電力状態から解除されるまでの短い時間に窓の外を見やると、初日の出が最も高い位置にまで登っていた。寝覚めから一瞬にして三が日が仕事で埋まるという、仕事始め用に買っておいた瓶入り超濃縮りんごジュースを今飲まなくてはならない状況になった。
「あ、そっか、無いのか……あ! す、すすすみません! 正月を良いことに朝までビール飲んでたもので、完全に寝起きなんです、すみません。で、ですね、これならご希望の日時に何とか間に合わせれるんじゃないかな、と思いますので、早速一式送ってもらっちゃってもいいですかね?」
応対を続けるうちにはっきりしてきた意識は、既に気配の無い唯乃の言葉を思い出していた。小さな幸せを届けに、か。もしかして三が日を仕事ずくめにしておいてやったぞ、さあ喜べ! 働け! みたいな事ですか。十分だけどなサンキューこのやろう! "11分15秒"
なんかね。唯乃の話を思い出せば出す程、うっすら感じ始めている事があって。
もう、起こらないんじゃないかな、
そんな、ちょっと寂しいなぁとか感慨に耽っちゃいそうになったお察しも、唯乃が置いていったのかもしれない"小さな幸せ"とやらも、もっと無茶苦茶な形で破茶滅茶な事になろうとは、この時は予想だに、望みにも似た気持ちを込めて、少しだけ感じていたのでした、まる。
――げに、なつかしき者よの。
不具合 #011 修正範囲無し
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