不具合 #005
七月十五日。
自分が放つ殺意の波動がそこら中に蔓延しているのがよく分かる。薄い壁対策に少しでも音をくぐもらせようと頑張るエンボス加工の白い壁紙がみるみる黒く染まっていくような重苦い空気が六畳ワンルームを満たしている。毛先の一本一本が棘と化し己の脱毛と引き換えにしてでも目の前の人間を突き刺すべく解き放ちたい思いが正気を瘴気へと変えていく。
「すまないが、リア充は帰ってくれないか」
今自分が出来る最大の譲歩を唱えた。何か色々思い出して首元に下ろすためのジッパーを探すが、この暑い中上着や作業着など着ているはずもない。汗が斑に滲んだランニングシャツから伸びるか細い腕が怒りで打ち震え、軟弱を体現した二の腕がそれはそれは弱そうに揺れた。
「ユウ! ユウ! 私たちリア充だってー! もう知ってるー!」
初見で下着姿と見間違い、思わずありがとうございます!! と叫んでしまった水色ビキニ姿の似非金髪女が甲高い声を上げ、横で小学生がよく使うゴムで口を作った全身がすっぽり被れるタオルをまとって俯いたままの黒髪ショートカット野郎に抱きつく。きゃーきゃー騒ぐ均整のとれたスタイルと対峙する相手の顔を覆ってしまうくらいの大きな胸、その柔肌の中で窒息のサインが両手からバタバタと振られる。
「リア充ってゆーか、リアバグ? うみとユウは二人で一つなのっ」
きゃー、と黒髪坊主に柔肌が再び襲い掛かった。
森羅万象の総意、しかと受け取った。よし、殴ろう!
――とは言ったものの、自分、女性には手を出さない主義でして。硬派ですから、えぇ。結局おにぎりを包んでいたラップを丸めて二個投げつけただけでした。全くもって収まる怒りがありません。
水浸しになったフローリングの上に、金髪ロングデカ胸女と全身バスタオルポンチョ野郎が濡れた髪もそのままにくっつき合っている。正確には金髪の肉が黒髪の顔に食い込んでいる。プログラムの世界では優雅に海水浴でもなさられていたのでしょうか。床、拭いてもらっていいですかね。それが終わったら10秒以内に穏やかに消えてくれませんでしょうか。
「あ」
――消し方知ってるわ、自分。
「うおぉ! 今日ほど全力で仕事出来そうな日は無いなぁ! ははははははは!」
「ねー、タオルー。ユウが風邪ひいちゃうー、持ってきてー、はやくー」
引っこ抜かれたマンドラゴラが白目向いて土に逃げ帰る程の断末魔が堪忍袋の留め紐から聞こえた。
「黙れこの野郎! プログラマの……独り身男の敵がっ!」
「てき? うみの事? うみはユウのハニーだよ?」
「うっせー! バグでリア充で人前でいちゃついてぎゃーぎゃーうるせえ跳満女! 速攻消してやっからな!!」
「バグってもハニー☆」
お前、それ言いたかっただけだろ。ネタが古いわ……思い切り世代だからちょっと口が緩みかけたけど。だが許さん。
非常に胸糞悪いので、全身全霊を以て仕事にとりかかる。必然的に出来事の不愉快な大部分を端折って30秒でわかる一部始終とかにでもしないと、思い出す度に絶叫して発狂して卒倒してしまいかねん。
はうえばー、自分も良い大人です。この不可解だったバグの人化にもある程度の抗体が付き、整合不整合など部屋の隅に蹴りやった自己最適解を念頭にこの非情事態を乗り切ろうと必死であります。今までの傾向を元に対策を講じるとするならば、この忌々しいリア充共に素性を識る必要がある、という事になるのであります。
「うみさん、ユウさん、ちょっと宜しいでしょうか」
「うわっ、なんかきもー」
嗚呼、どうしてズボンのポケットにたまたま手榴弾が入ってないんだろう。
「……少し、君達の事について教えて欲しいんだけど、いいかな」
傾向と対策。この身この頭がもたらした厄災、
「ちょっとー! 聞いてんのー!?」
「え? あ? ごめんごめん、それで?」
「だからー、ユウとうみは愛しあっていてー、永遠に愛しあう事になっていてー、それでそれでー、挙式はー」
はい、カーット。耳に入ってくる耳触りな情報はこちらが全身の血管を刺激して口からヘモグロビンがこんにちはする前に適当にフィルタリングした後、当人の解釈を経て任意に編集してまとめさせていただきまーす。
うみ。巨乳。一度口を開けば怒鳴りでもしない限り喋り続けるようなスタンドアロンスピーカーで巨乳。その内容の大多数は彼氏である隣にいる無口ボーイとの愛について。そして巨乳。ありがとうございます、そこだけは。
ユウ。未だ一度たりともその声を聞いたことがない程の無口。その代わりうみが五人分は喋って余りあるバグ災となっているのだけれども。引込思案で話しかけても目を合わせることすら拒む。何度か口が開きかけた事もあったが、その時にはもううみが代弁し終わっているというのがパターンのようだ。タオルにすっぽりと身を包んではいるが、それでも華奢である事が一目瞭然だ、そこまで隠されてしまったらタオル取ったらどんだけガリッガリやねんと多少の興味も湧く。
……さて。
同時進行で
「あんたん家、冷蔵庫からっぽすぎ……」
急に横から声がしてぎゃあと声を上げてしまった。
「ひっどーい! なにそれー!!」
「あ、ああいや、マジですまん。考え事してたから驚いただけ。って冷蔵庫勝手に開けんな!」
「だってー、ユウがお腹空いてると思ったんだから開けて当然でしょー?」
こいつは。
「……えー、あー、えーとだな。上の戸棚の左んとこにカステラあるから。やるよ。食えよ」
ぼけぇ! と心の中で叫ぶ。
「カステラとかセンスなさすぎ……他にないなら食べるけど」
期間限定なんとか市でどうしても食べたくて買ったカステラ。烏骨鶏の卵を惜しみなく使い、素材を最大限に活かす伝統の技の結晶をこの舌でご堪能するはずが、後ろからあれだけ非難していた口から美味いだのもう一個だのはいあーんだのと発せられる単語に、"カステラ全滅"と書かれた判決等即報用手持幡を持って誰かが走ってくる苦い苦い足音が聞こえるだけとなってしまった。
秘蔵の甘味ストックを放出してでも一秒でも早く
システムの根幹ともいえる大きな関数があった。その中で処理される事は多種多様であり、処理を分散するかその場で行なってしまうかの判断を幾重にも施してある回転力を要する関数だ。自分でも何故こんなプログラムが組めてしまったんだろうと自負して小躍りしていた所でもあった。思いつく限りのアイディアを練り込む事に成功し一発で盤石なコアが出来上がった事を鮮明に覚えている。こんなにスムーズでいいのだろうかとビールの栓を開けたことも。陽気に放り投げたビーナッツが五回連続で口キャッチを成功したことも――
「ユウ、ちょっといいか?」
「なによー」
「うみ、ちょっと黙っててくれないか。ユウに話がある」
「ユウとうみは一緒なのー、ユウの代わりにあたしが答えて」
「すぐ済む。うみ、ちょっと、黙ってて、くれないか。で、ユウ。聞きたいのは一つだけだから、頼むわ」
少しだけ顔が上がった気がする。相変わらず絶妙な長さの前髪で目は見えないけど。
「ユウはうみの事、どう思っているんだ?」
「そんなの決まってるでしょ、うみとユウは」
手に持って空になっていたガラスのコップを床に叩きつけた。直後にあ、やべぇと思った。どちらかというと物は大事にする方です。物損によるストレス解消をしてきた経緯もありません。なのにどうしてそんな荒々しい事をしてしまったのか自分でもよく解らなかったんだけど、やってしまったもんはやってしまった、みたいだ。自分はそこまでリア充を憎んでいたのか? 冗談半分羨望半分でわーわー言うことで自分を鼓舞していただけじゃないんだっけか。ははは、自分でやって自分でパニックになってるんだからしょうがないな。ガラスの粉砕音というのはあまり聞きたくないものだが、そのインパクト音にはどこか魅力的というか己の内に眠る衝動を震わせるような興奮、周囲の雰囲気を瞬間的に掌握してしまう代償として撒き散った。
「ひっ」
うみの引きつりと同時にユウが驚いた顔でこちらを初めて見た。あまりにもイメージとして模範的なショタとか言うやつなのかな。
「わ、わりぃ。手が滑った」
という事にしても多分無理だろうけど。思い切り振りかぶっちゃったし。
「暫く動くなよ、破片飛んでっかもしんねーから。見つけても手では触るな、いいな。すまん、マジで」
あまり使わず机の下に立てかけておいたスリッパを足で器用に取って履き、玄関からほうきとちり取りを取る。途中で浴室の戸をあけて大きめのバスタオルを摘みながら戻り、少し怯えた様子のうみの肩をタオルでぽんと叩いた。
「服ねーんなら肩からかぶっとけ」
「あ、うん……」
うみになるべく近づかないように破片を探しながら全体を掃き、ユウの周り、仕事机へと箒の穂先を進めていく。汚い話、掃除機無いんだわ。あっても掃除めんどいから使わないだろうしさ。その代わり、床に頬つけて光る破片が無いか調べまくったから多分もう大丈夫だろう。今までの時短策が全て無駄になり返って時間がかかってしまった挙句、更にこの一件が色々話を中断に追いやってしまい再度尋ねることもなんとなく憚られるような雰囲気だったので、うみが無言となる事で途端に場の空気が重苦しくなった六畳ワンルームで修正作業を続けた。
それから、やはりこの訳の分からない苛立ちはユウとうみの行動が原因としてのきっかけではあるものの、大部分はその起因が自分にあるという事への嘆き、難しくまとめてみたけど詰まる所八つ当たりであります事をこの騒動に乗じて告白しておきます。
――ただ見落としていたのは、あまりにその中枢を過大評価し過信してしまったがために、共にこの案件を戦う見ず知らずのプログラマが最適化してくれた関数をそんな物使わなくたってこちらで全て賄ってしまえるんじゃないかと自信作のプログラムに大半を任せてしまうように設計を変えた綻びから顔を出した慢心がゆっくりと血管を詰まらせて全体へ致命的な影響を及ぼしてしまっていた。それがうみであり、ユウなのだろう。今までの後悔と反省を経て自分は周りの多くの力添えあって今なおこの社会に残存している事を、よもや自画自賛に溺れた何の検保証も無い自惚れプログラム一つで全てをぶち壊してしまった。それが八方に散ったガラスの破片の正体だった。
「……見つけて、理解して、把握しました」
――そして、解決策の確信を持った。
リア充爆ぜろ系を中心に色々言いたいことはあるけれど、自分が撒いた種という事でこのズタボロの斬れそうもない剣を威勢をもって鞘に収めるとしよう。さよならだ。とはいえ、もう振り返っても二人はいないのだろうけれど。
「いますけどー」
は?
「独り言ぶつぶつキモイしー、いみわかんなーい」
「はぁあ!? なんでまだ居るんだよ! おい!!」
出たー、座面ジャンピング半回転捻り起立からのお母さんにやっちゃダメって言われた人指差しぃー。
おかしいな。おかしいよ。ほら、ここをこうして一つの関数に色んな処理をまとめちゃってた所を全部取っ払うでしょ。既存の関数に置き換えるよう導線を加えるでしょ。これでうみがわーわーやったり言ったりする事も無くなって理路整然とした清楚なお嬢様が優秀かつ美麗に作業を円滑に振り分けてくれて、ユウも口下手が治りはっきりとした役割と主張を持ってうみをサポートする、これにはモテないに水を含ませ力任せに捏ねて適当に象って間違った温度で焼いて出来たような器を持ったワタクシも認めざるをえないかなぁと思える正真正銘のリア充になるのでしょう。眩しいなー、おじさん眩しくて目を瞑るです。
「う、うわ、マジひく……」
「引くっておまえなぁ! え!? また喋ってた! え!? まだいる!? えー!!?」
「……ユウ、あたし、この人怖い……」
これにはユウまでもがゆっくりと頷く異常事態にまで発展してしまったのです。
「君たち、少し落ち着こうか」
「あんたよ、バカ」
フタの開いていないペットボトルの先を口にふくもうとした所をうみに止められ、巻いていたタオルでキャップをこれ見よがしに拭かれるも何かを見かねたのか開栓をして手渡してくれた。ユウはその様子をみてタオルを更に被り眉から上を出した繭になっており、心なしか小刻みに震えている。
「……ユウ、笑ってんのか?」
繭が一瞬飛び跳ね、中から小さくけほけほと音がした。何か少しだけ二人の空気が変わったような気がしなくもない。
「えーとだな、まず、お前達だと思われる
「はぁ」
「今までの経験上、そうなるとお前達はここから消えてしまうんだわ。何処行くかはしらんけど」
「いますけど」
「いますね……」
「ちょっと!? なんで泣くの!?」
泣いてなんかないやい。
「ユウ〜、ユウも丸くなってないで何か言ってよぉ、泣いてるよこの人ぉ〜」
ぐい、とユウのタオルを引っ張る布ズレの音に混じってぷちぷちとプラスチックの留め具が外れていく音が聞こえた。取り払われるタオルと共にやああという聞いたことのない声が響く。ユウのあまりにもか細い体を出来るだけ隠すように両手両足を入り組ませてはいるが、端々に現れる濃紺の撥水生地に敏感に反応するセンサーの唸りを聴き逃しはしなかった。
「な、なんじゃそりゃあ!!」
す、すすす、スクール水着やないですか!? 海パンじゃなくて!!
うみからタオルを取り返そうと片手をじだじださせるが、うみはそんなユウをお構いなしに抱きつき、こちらを指さす。お母さんから習わなかったのか、人をむやみに指差しちゃいけないんだぞ。
「ユウ、なんか言ってやって! あたしもう無理!」
ユウはこちらを見やり、再び慌てふためいて体の色んな所を隠そうとする。ぱくぱくと口を開くが耳まで真っ赤になった顔に焼かれ、言葉が喉元で気化してしまっているようだった。うみはそんなユウを盾にして出来るだけ死角に入ろうとしている。酷すぎるぞお前。
だがしかし、これは好都合でもあるな。
「……なぁ、ユウ。聞いてただろ、一連の話。お前、どう思う?」
水槽を叩かれた飼い慣らされた魚みたいになっている。いや、温度管理が適温オーバーの水槽で慌てふためく魚か。
「あぁ、悪い。てっきり男だと思ってたから。あっち向いとくから、意見聞かせてくれ、な」
ヘッドレスト付き以下略をくるりと回し、モニタを見た。小声でやだーとかこわーとか聞こえるが気にしない様にする。
「……まだ」
お?
「まだ、うみちゃんしか、だから……」
なんとまぁ体に似合わぬハスキーヴォイス。次から次へと湧いて出てくるうみの言葉を綴り、ユウが歌い手として全国行脚でもしてきちゃいなよ、ユー達。とか思わず言いたくなったが、されたらされたで腹立つから置いとこう。
確かにうみと思える
"要するに"、だ。うみからユウへ処理の受け渡しを行なっている連動箇所、もしくはユウそのものが何かしらの問題を未だ抱えていてうみに影響を与えている、と。そういう事だろうな。
「流石だな、ユウ」
「いや……」
ユウと思われるプログラムは、確か不揃いの情報から出来る限りの最適解を導出するものだったな。
「ちょっとー、何二人で分かり合った感じになってんのよー、スケベ! ユウはあたしと永遠の……」
「わーった! わーったから!」
明らかにうみではない笑い声が小さくだが聞こえた。うわー、見てぇ、超見てぇ。
「……しかしまぁ、そういう御関係でありましたか」
「なによ」
「いや、独り言。そういやすっかり日も落ちてきたからその格好じゃちょっと寒いんじゃねぇの?」
「寒い、けど、あんたの服だけは絶対着ない」
「へいへい。んじゃ、じゃじゃーっとやってばばーっと終わらせますんで、風邪引く前にとっととお帰りいただく感じで」
優しんだかムカツクんだかわかんない。背中に飛んできた物言いは少しだけ柔らかく後頭部にワンバウンドして染み込んだ。
「そうだ、あのさー」
返事は無かった。
「え、うそ!?」
大声を出しながら身を捻って後ろを見やると、うみの頭を腿に乗せ、まるでガラス細工でも触るように優しく頭を撫でながら、口に当てた人差し指の奥で"し"の顔をするユウの姿があった。その光景に妙にホッとしてしまったね、さっき聞きそびれた答えがそこにあったから。
「よかった、まだいたか。なんだよ、うみ、寝たのか。子供かよ」
よかった……? はて。なんのことですかねー。
「ユウ、一個頼みがあんだけど」
「……はい」
「うみ本人もそうだけどさ、多分お前らが消えてどっかいっちまった先にもさ」
きっと
「そいつらが、もし、な? もし一人だったりとか」
寂しそうだったり、物憂げだったり、さも大丈夫と言わんばかりに気丈に振舞ってたり、人知れず戦ってたりしてる事に気がついたらな、
「うみと二人で声をかけてやって、馬が合えばでいいから、仲良くしてやって欲しいんだわ」
「相手がどんな奴かは、ユウが推測してくれ。得意技だろ。うみは……きっかけだ。万人に臆せずとりあえず向き合うスキルを活かせるはずだから。バカだけどなー、親がこれだから」
一休さんが頓智を思案する時のあの格好で自身を指さしながら伝えた。
暫く沈黙があったけれど、魂を揺さぶるような良い声で、ありがとう、と返事が来た。
ふぅ、と一息ついてから、残った数行のプログラムを調べて修正し、エンターキーをいつもより強く叩いて処理動作の確認画面を出力した。
ありがとう。か。
最適解だわ、まったく。親の顔が見てみたいもんだ。
不具合 #005 修正完了
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます