後編

 子どもたちに「彼ら」について教えた二日後、隣村で病が流行っているという噂を耳にした。

 その噂によれば、すでに隣村の4分の1以上の者がその病に冒されて死んでいるとのことだった。

 噂が真実であれば、過去に類を見ない大災害である。

 私は家族に隣村の者との交流を控えること、最低限必要な獲物を狩るとき以外は外出を避けることを言いつけた。


 その明くる日、私はやや遅い時間に狩りを終えた。

 甘やかしてはいけないと思いつつ、今が非常時であることを理由に自分を納得させ、いつもより多くの獲物を抱えて私は帰路を急いだ。

 村は目と鼻の先、というところで、私は違和感を覚えた。


 音がない。


 普段ここまで村の近くに来れば、仲間たちの賑やかな声が聞こえてくる。

 私は胸騒ぎを感じて走り出した。息を切らせて村に辿り着き、その静けさの理由を理解した。


 そこには、屍しかなかった。


 皆、口から泡を吹き、天を仰いで絶命していた。余程苦しんだのだろう、喉もとには自らかきむしったような爪痕がありありと残っていた。

 私は猛然とわが家へと走った。

 私の家族も、他の者と同じように絶命していた。美しかった妻も、可愛らしかった子どもたちも、苦しみにその顔を醜く歪めていた。


 気が狂いそうだった。


 私は生き残りがいないかと村中を駆け巡った。

 しかし、見渡す限り死体が累々と横たわっているだけで、命の息吹を感じ取ることはできなかった。

 私が絶望し膝を折らんとしたそのとき、腐臭に紛れてとても美味そうな匂いがふっと私の鼻腔をついた。

 生き残りがいて、食料を確保しているのかも知れぬと、一縷の望みを懸けてその匂いのする方へと走った。そしてその匂いの元らしきものを見つけた。

 だがその付近にもとうとう生存者は見つけられなかった。

 匂いを発している「それ」は、元々は薄い円形だったようだが、散々かじられて最早原形を留めてはいなかった。そしてよく見ると「それ」は一つだけではなく、あちこちに転がっていた。

 「それ」に私は見覚えがあった。混乱する頭を落ち着かせ、私は「それ」をどこで見たのかを思い出そうとした。


 そうだ。つい先日「彼ら」と遭遇したときだ。逃げ出しながら、「彼ら」が「それ」のいくつも詰まった袋を持っていたのを、私は見た。

 私は考える。おそらく「それ」は「彼ら」が私たちを殺すためにつくった疑似餌なのではないか。

 私にはそうとしか考えられなかった。

 私自身、この瞬間にも「それ」が発する美味そうな匂いにつられ、かぶりつきたくなる衝動を必死に抑えている。

 その考えに至ったとき、私は微笑みを浮かべていたのだと思う。

 私は嬉しかったのだ。私の村を、仲間を、家族を奪ったのが、流行り病などではなく「彼ら」だったことが。

 これで、もう少しの間、生きる目的ができた。


 私はすぐに村を離れ、彼らの巣へ向かった。私は「彼ら」のすぐ近くで、食事も摂らずにじっと忍び、月が昇るのを待った。

 「彼ら」と私の差は絶対だ。

 「彼ら」が私に気が付けば、私は瞬きする間に殺されるだろう。「彼ら」の巨体をもってすれば、私を踏み潰すことなど造作もないことだ。

 私が「彼ら」に一矢報いることの出来る可能性があるとすれば、「彼ら」が活動を停止する深夜をおいて他にはない。


 そして、時は訪れた。巣には「彼ら」が二体寝転がっていた。

 私は慎重に「彼ら」に近付いていった。もちろん近づいたところで私自身には「彼ら」をどうすることもできない。

 私の爪や牙は「彼ら」を傷付けることができるほど強いものではなかった。

 だから、私は「彼ら」自身が作り出したあの疑似餌を抱えていた。

 その強い毒性を持つと思われる疑似餌を一つしか持つことができず、「彼ら」の一体にしか投与できないのはひどく残念だったが、仕方ない。

 私から見て左手の一体を対象に選定し、その口を目指して歩を進めた。音を立てないよう細心の注意を払う。


 あと少し。

 あと少しで目標の口に辿り着く。

 そのとき、もう一体の、右手に寝ていた「彼」が突然むくり、と身体を起こした。


 気付かれたか。


 しかし、その「彼」は立ち上がると、明かりもつけずに部屋を出た。

 跳ね上がった心臓を押さえつけながら耳を澄ませた。水の流れる音がする。どうやら排泄のようだ。私は一息ついて「彼」の口へとまた近づいた。あとわずかだ。

 もうすぐ私は、復讐を果たすことができる。


 そのとき。

 目が、眩んだ。突然光が広がった。叫び声が聞こえる。ああ、どうやら見つかってしまったようだ。本当にあと少しだったのだが。

 跳ね飛ばされ、床に叩きつけられた。狙っていた「彼」が飛び起きたのだろう。

 すさまじい風圧と共に霧状の薬を浴びせられる。なにかはわからない。いや、これは昨日の狩りで見つかった私の友人が浴びせられたものと同じものだろう。

 すぐに息ができなくなった。全身に激痛が走る。


 苦しい。これが、死か。

 苦しい。役目を果たせなかった私に、妻や子どもたちはなんというだろう。情けない父だと呆れるだろうか。

 苦しい。くるしい。それとも、「よくがんばった」と私のことを誇ってくれるだろうか。

 くるしい。くるしい。くるしい。どちらにしろ、きっと笑って私のことを迎えてくれるだろう。そう思えば死ぬのもそれほど悪いものではないな。

 くるしい。くるしい。くるしい。くるしい。しかし、なかなか死ねないものだな。

 くるしい。くるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるくるしいしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるし




 三分後。

 

 

 

「あ、やっと動かなくなった。よかったぁ」

「ほんっと、気持ち悪いよね。何のために存在してるんだろコイツら」

「もうさ、名前からして気持ち悪いもんね」

「あはは。言えてる言えてる、だって」

「彼女」たちは笑いながら、声を揃えた。




「だって、『ゴキブリ』だもんね」

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