小さきものへのレクイエム

あまるがむ

前編

 狩りを終え家へ帰ると、妻たちはそれぞれ食事を終えて休もうとしているところだった。

 私は落ち着いて夕食を摂ろうと、獲物をそのまま持ち帰っていた。子どもたちが物欲しそうな目でこちらを見ていたが、構わず一人で食事をする。

 私たちの村では、老若男女を問わず、それぞれが自分に必要なだけの食物を自分で狩って来る。病や怪我など、どうしても狩りに行くことのできない事情があれば、お互い助け合うこともあるが、原則としてはやはり自給自足である。それは家族の間でも同じだった。

 私がひとり食事を終えるころにはすでに妻子は寝息を立てていた。それはいつもと変わらぬ日常だったが、つい先刻生死の岐路に立たされた私の目には、かけがえのない光景として映った。

 家族にいらぬ心配をかけるのは本意ではないが、やはり明日子どもたちが目覚めたときにはその話をしなければならないだろう。

 我が子らは、幸運にもまだ命の危機にさらされたこともなければ、隣村の友人たちがいなくなるのを目の当たりにしたこともない。

 しかし私たちがこの世界で狩りをし、生きていこうとする以上、いつでも、どこでも、だれにでも死神はすぐそばに佇んでいる。そのことを私は父として子供たちに教えなければならない。そして、私たちが決して敵わない存在についても。

 そう、「彼ら」がいかに恐ろしく、残忍で、強大な存在かということを。


 「彼ら」と私たちとの戦いは永く、最早その始まりを知る者はいない。

 この世界に種として生を受けたのは、「彼ら」よりも私たちの方がはるか昔だという。

 もしかしたら、「彼ら」が種として赤ん坊のようだった頃は、「彼ら」が狩られる者であり、私たちが狩る者であった時代もあったのかもしれない。

 あったとすれば、それはきっと、安心して生きることのできる、夢のような世界だったにちがいない。


 しかし、私が生まれたときには、すでに「彼ら」は絶対的な強者だった。

 私の知る限り、「彼ら」と戦って生き延びた者はいない。私たちが「彼ら」と出会ってしまったとき許される行動は唯一つ、全力で逃げることだけだった。


 私が初めて「彼ら」と出会ったのは、私がまだ幼い子どもだった頃だ。否、私がその時遭遇したのは一体だったから「彼ら」ではなく「彼」と言うべきか。

 「彼」は獰猛な叫び声を上げ、私を睨みつけた。私を見下ろすその表情はこの世のものとは思えぬ恐ろしさで、私は脚が竦んで身動き一つ取ることができず、すぐに自分の生を諦めた。

 しかし、幸か不幸か、そのとき私の隣には私の父がいた。

 父は「彼」の大きな両足をさし、あの間を駆け抜けて逃げる、まっすぐに走れと言って私を叱咤する。

 なんとか身体を動かそうと、強張る脚に力を入れた。大丈夫だ。動ける。

 父は私を見て慈しむような目を向けた後、自分は後からついていくので、先に行けと言った。


 私は走った。無我夢中で走った。「彼」がより一層大きく叫ぶ。

 私は走った。ありがたいことに「彼」も混乱しているのか、なぜか私を見てはいなかった。

 その理由は後からわかった。


 父は身をすくませる私を叱咤するだけでなく、自らを囮として「彼」の前に身を躍らせたようだった。

 その場面を私は見ていない。私は自分の命を心配することに必死で、父のことを顧みる余裕が無かった。

 あのとき「彼」が私を見ていなかったのは、自分へと向かってくる父に意識を取られていたからとしか考えられない。

 私は無我夢中で走った。暗く、狭い、身体の大きな「彼ら」の手の届かない場所に逃げ込み、我を取り戻して振り返ると、すぐ後ろについてきているものと思っていた父の姿は、そこになかった。


 父は、とうとう帰らなかった。

 


 翌日、私は子どもたちに「彼ら」の話をした。そして昨晩、私が「彼ら」と出くわしてしまった話もした。

 子どもたちは驚いていたが、興味津々といった様子で私の話を聞いていた。私は昨晩起こった出来事をある一つのことのみ除いて事細かに話した。

 伝えなかった一点。それは、そのとき私は隣村に住む友人とともに狩りをしていて、その友人を犠牲にして逃げ帰った、という事実だ。


 私は今、家族を持つに至った。

 そうしてようやく父が自分を犠牲にして私を逃がした理由が理解できた。

 それは理屈ではなく、自分の守らなければならないものに対するある種の信仰であった。

 私はなにがあっても子どもたちを守る。

 そのためなら私は、友人も、村も、自分自身をも犠牲とするだろう。

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