第9話
退院してから、デイケアという場所に身を置くことになる。
その頃も、相方とは交流があった。
「暇やったら、本拠地行かへん?」
というメールを合言葉に、近くの公園で、ネタ合わせをした。ハルウララという足の遅い牝馬が、人気を博している最中だった。
「一番人気は、遅いねん。じゃあ何番手買う?」
「二番手。」
「まあまあおもろかった。」
と、相方。私は、正直どこがおもろいねん、と思っていた。ギャンブルの好きな相方だった。パチンコ屋のことを取引先と隠語として使う様な男だった。
私が、病気をしたとき、一緒にキャッチボールをしてくれた優しい男だった。
デイケアという場所に身を置いた直後、私は、父から電気工事の仕事を紹介された。荒療治の好きな親父の考えそうなことだった。朝が早くて、夜は遅い。現場は戦場だった。
結局、一年間も続かなかったが、現場にいる頃は、疲れているくせに
「大丈夫です!」
と、主治医に嘯いていた。携帯小説を書きながら、それでも現場の仕事は続けた。
見習いとして雇われていた私の日当は、一万円だった。それを聞いた先輩がやけに怒っていたのは、私の日当が安すぎたせいらしい。今、親方は当時、努めていた会社の社長になっている。
仕事を辞めて、デイケアに戻るとき、高校時代の連れと神奈川に旅行に行った。
何から何までデカイ街だった。当時、携帯電話のメールで連絡を取り合いながら、金沢の連れと待ち合わせた。
仕事を辞めることを知っていた連れが、
「土産買っていかんでええんか?」
と言った。
親方にそれを渡し、詫びを入れに行った。地元のスナックで、
「ここで通用せんかったら、どこ行っても通用せえへんぞ。」
と、きついお叱りを受けた。正直、この頃、精神的にも肉体的にも病んでいた。重たい荷物を運んだり、道具を職人さんに渡しにいくのが、私の仕事だったが、現場でよくミスをした。
それから、一ヶ月は続いたアルバイトだったが、自分でケツを捲くってしまった。
もう一度、デイケアに戻った私は、主治医が、創シーエーシーという施設を紹介してくださった。
「NOがいいえの場所教え足るわ。」
との意見で、私は就労以降支援施設に通い始めた。それでも携帯小説は辞めなかった。それによって遅刻することが、多くあり、気まずい顔をした私の顔を、皆、見飽きていた。
そんな折、私に仕事が舞い込んだ。駐輪場の自転車整理。一人で黙々と出来る作業が、私には向いていた。思えば、学生時代も一人で机にしがみつく様な男だった。そうこうしている内に、携帯小説を中断しようという動きがあった。
「一度、本格的な小説を書いて来なさい。それでお終いにしましょう。」
という、言葉を受け、私は、必死で書いた。
出来上がった小説のタイトルは、「生粋」。
ゲーム会社の会議で、落語を取り入れようと試みる男たちのフィクションだった。それを書いた後、私は、また新しいおもちゃを見つけた。
それが、YouTubeだった。
今でこそ、YouTuberという職業とも付かない職業があるが、当時はまだあまり知られていなかった。至る所に携帯電話を置き、自分しかいない被写体を撮り続けた。
そして、ある日、私は相談員の方に、思いを明かした。
「僕、働きたくないんです。」
相談員の方は、
「見えちゃった。」
と仰った。
要するに、作業所という場所に身を置きながら、生活保護を受けるという道筋だった。新しい空間に身を置くことに若干の迷いはあったが、覚悟を決めたら、話は早かった。
本来であれば、作業所の職員さんが、不動産屋と話を付けて、住む家を決める段取りだったが、私は、勝手に自分で不動産屋に交渉に行った。
これが、神戸では最初の一人暮らしである。
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