第4話

 弟が、来てくれた。思えば、この病院に入院する前に、路上で街頭演説をした。

 弟の名前を叫び、

「清き一票を!」

と、言った。待ち行く人は、一瞬立ち止まって、こちらを見たが、

「よろしくお願いします!」

と叫んだ瞬間、また街が動き出した。弟が、選挙に立候補したという妄想に駆られていた。

 駆けつけてくれた弟は、優しかった。私が、おかしなことを言っても、受け流してくれた。桑園病院に入院して、何ヶ月が過ぎたかわからない。何度もテレフォンカードを使い、実家に連絡していた矢先、弟がアルバイトを休んで、迎えに来てくれた。

 それから一日、私が笑いについて、考えあぐねたアパートに、弟は、過ごした。

「最悪や。」

弟は、私の散らかった部屋に 、ネタ帳が置いてあるのを見て、母に連絡したという。

 あんなに高校時代は、しっかりしていたのに、私が壊れていった現場を見て、絶望に駆られたのかもしれない。

 次の日、弟は、病院の先生に、挨拶してから、私を神戸に連れ戻した。

「よく連れ戻したなぁ。」

母は、弟をねぎらった。私はというと、普通の人ができることが、もう既にできない状態になっていた。おかしな言動を口走るようにもなっていた。札幌で、よっぽど怖いものを見た、結果だった。

 とりあえず、アルバイトを探した。

 通うアルバイト先で、その都度、苛められた。何せ、仕事ができないのだから、しょうがない。すぐに首になっては、新しいアルバイトを探す日々が過ぎていった。

 母は、その不甲斐なさ に、憤りを覚えていた。蹴り倒された覚えもある。笑いに没頭するあまり、日々の生活に、支障をきたし、普通の生活ができなくなっていた。

 そんな折、父が、神戸大学医学部付属病院に、付き添いで来てくれた。どんな病気をしても父だけは、優しかった。

「お前、北大で何を悟った?」

そんな父の言葉が、辛くもあり、答えられない自分に、また不甲斐なさを感じた。

「サリチル酸エチル。」

そう答えたのは、覚えている。要するにただの風邪薬だが、父は、

「それだけでも、覚えてれば、いい。」

と言った。

 主治医の先生は、付き添ってくれた父に対して、語る傍ら、私にもいくつか質問をした。私の答えは、現実離れしすぎていた。精神科の主治医という仕事は、大変だそうだ。 毎回、色んな患者を診ては、アドバイスをしなければならない。

 そこで、デイケアというものの存在を知り、神戸市のデイケアに参加した。こんなことして、なんの役に立つんだ、とその頃は、思っていたが、その頃は、まだ北海道大学とお金に執着していた。

 垂西むつみ会という作業所を、紹介していただき、私は、そこに通うことになった。大学を休学中だったため、私は、そこそこ印象は良かった。

「一番いいときを見てるからなぁ。」

後に、そう述懐される、作業所の職員の方は、何でも相談に乗ってくださった。

 それから、しばらくして、私は、大学に復学することになる。みんな優しかった。

「これ、小笠原さんが、復学するお祝いに、みんなで集めてん。」

と言って、封筒に 入れて、お金を封筒に入れて、くださった。少し、センチメンタルになった。

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