第3話
次のアルバイト先は、札幌後楽園ホテルだった。結婚披露宴のビデオ撮影のカメラアシスタントをする仕事だった。このアルバイト先で、私は、ある出会いをすることになる。現場を取り仕切るカメラマンの方との出会いである。仕事が相変わらずできなかった私は、あくまで、カメラマンの方に迷惑を掛け続けた。それから、このカメラマンの方に、飲み会に誘われては、小さくなっていく自分を感じていた。
カラオケに連れて行っていただき、ホテルでの食事会、居酒屋での飲み会と、とにかく参加できる宴会には参加し、その都度、自分の小ささを感じていた。
カメラアシスタントから、スイッチャーに変貌を遂げ、カメラマンになるのが、このアルバイトの出世方法だった。
とにかく金には、苦労しなかったが、学業をおろそかに、映像の道に、のめりこんでいく自分がいた。
「映像を撮るなら、皮膚感覚を大切にしろ。」
それが、このカメラマンの方の教えだった。映像は、カメラという媒体を使いながら、その空気に手で触れていくようなものである。それが、カメラという仕事だった。結婚披露宴の裏側を生で体感した私は、次の後輩に教え続け、その教え方が、うまかったせいもあり、後輩から度々、追い越されていった。
「あいつどうにかならねえか。」
影でそう言われていたそうである。結婚披露宴には、余興と言うものが付きまとう。その余興の際、私は、アシスタントとして、壁に背を向けながら、鼻歌を歌っていたそうである。この時、既に断薬していたので、自分が障害を持っていることさえ、自覚していなかった。
私の鼻歌を、後輩が歌っているように説教され、それは私のことだ、と言えずにいた。
「結婚式なめんな。」
一年以上、このアルバイトを続けた。それと同時期に、私は、大学の構造化学研究室に入ることになる。
「化学って亀の子ばかり見てるやつだろ?」
「難しいこと勉強してるんだな。」
そう揶揄されては、
「はい。」
としか、答えられない自分がもどかしかった。
他の先輩は、卒業していく。アルバイトの後輩は出世していく。私は、一人、取り残されたような孤独を感じていた。見るに見かねたカメラマンの方が、私をスイッチャー室に置き去りにして、スイッチングの練習をさせようとしてくださったり、カメラを扱う指示を出してくださったりしたが、私は、もう向上心というものにすら、置いてけぼりにされていた。映像というものは、奥が深い。例えば、飛行機を撮る際、飛行機の進行方向に向かって、前を開けることで、その飛行機が飛んでいるということを表現したりする。そんなことを教えてくださるカメラマンの方が、神様に思えてきた。私は、ただケーブルを引いたり、式次第をスイッチャーに伝えたり、カメラの撤収をしたりするのが、役目だった。
桜の季節、私は、バーベキューに呼び出された。何もできないでいる私は、
「使えねえな。」
と言われながら、遠くのほうで、また孤独を感じていた。
大学で友達はできたものの、その方面に、もう飽きていた。
「マスコミで働きたい。」
その夢に、たどり着くまでに、大学で無駄な時間を三年以上も続けた。やっとやりたい仕事が見つかったとき、事件は起こった。
札幌後楽園ホテルで、いつものように結婚披露宴が、行われていた。私は、新人カメラマンの方のアシスタントをさせていただいていた。明らかに、鬱だった。なにもかもが、うまくいかない私に、カメラマンさんは、カメラの構造を教えてくださった。ズームの仕方、ピント調節に至るまで、懇切丁寧に教えてくださった。ところが、私は、
「よくできてるなぁ。」
と言って、カメラをまじまじと見た。
「かっこ悪りぃよ。」
そう言って、カメラマンさんは、前髪を掻き揚げた。一瞬、私は、我を忘れた。何かがはじけ飛ぶ瞬間だった。
新人カメラマンさんが、三脚のサインを出したときだった。私は、
「トイレに行ってもいいですか?」
と、告げた。カメラマンさんが、床を指差した。ここにケーブルを置いて、行って来いの合図だったにも拘らず、私は、そこでベルトに手をかけた。カメラマンさんが、それを制し、
「トイレに行ってきな。」
と、小声で囁いた。私は、走り回って、トイレに行った。ホテルの結婚式場は、部外者が入らないように、迷路になっている。私は、その迷路を走り回り、ようやくスイッチャー室にたどり着いた。
お世話になっているカメラマンさんに、
「ここにいなさい。」
と、指示を仰いだ。私は、その場から、立ち去ろうとした。先輩カメラマンの方が、私を制したが、私は、その声を振り切って、走り出した。
ホテルから、外に出て、実家に連絡した。何を話したのかは、もう覚えていない。帰ろうと思った。更衣室で、ジーパンに足を入れる私を見て、先輩カメラマンさんが、
「もう帰んのか。」
と言ってくださった。
「はい。」
とだけ告げ、最後に、
「ありがとうございました!」
と、深々と礼をした。もうその職場に戻ることはなかった。帰り際、
「今日のオールナイトニッポン聴けよ。」
という声が聞こえたような気がした。
その夜、私は、ニッポン放送のオールナイトニッポンを聴いた。
確か、極楽とんぼの加藤浩次さんがMCを務めていた。
「やっといいのが出てきたな。」
「正直、お化け出るんですよ、て言えたら、会いに行こうぜ。」
「あいつ、今頃なにしてるかなぁ。携帯引っかいてるんじゃねえか?」
私は、蚊の鳴くような声で、
「正直、お化け出るんですよぉ。」
と言った。
「大根おろしみてえな声だな!」
加藤さんは、ラジオの向こうでそう言った。
「おい、お前、宮の森行けよ!」
そんな声が、ラジオの向こうから聞こえた。後になって、わかったことだが、それは、宮の森神宮祭のことだったらしい。
そんな時、大阪の友人から、メールがあった。
(俺のかっこ悪かったところを言え。)
私は、すぐに友人に連絡を取った。
「何なん、これ?」
「何がや。」
「ラジオで俺のこと話してる。」
「知らんがな。」
私は、その夜、眠れなかった。私は、次の朝、宮の森に行こうと思った。子供用の自転車があったので、それに乗り、西へと向かった。
そこまでは、覚えている。いつの間にか、私は、桑園病院という精神病院の保護室にいた。小さな部屋で、一人、幾晩も過ごした。
ガラス張りになっていて、そこを医師や看護士が通っては、私の様子を伺っていた。まさに動物園の檻だった。
「出せぇ、こらぁ!」
そう叫んで、ドアの隙間から、外に出ると、そこは 、長い廊下になっていて、明らかに異様な光景が広がっていた。私は、もう終わった、と思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます