#3 遭遇!【邪竜】シュネルゴス

温泉の村


 ジリエ村は、夕飯時だというのに静まり返っていた。

 夕食の用意をする煙の一つも上がっていない。

「これは――」

 馬車を降りてひと言マルフィールが息を呑み、呟きをこぼす。

 マルフィールの荷物を下ろすのを手伝い、それと一緒にアルディも馬車から出る。

 スカートが広がらないよう軽く押さえて、用意されたステップに足を下ろしてゆくさまに、マルフィールがわずかに表情を緩めた。

 二人が降りたのは、村のほぼ中心部だった。

 円形に広場が作られ、数本の道が交差している。ひとつある大きな建物には酒と宿を示す看板が掲げられているが、やはり物音もない。

 馬車はその宿に寄せて停められ、馬は建物の隣に連れられてゆく。そちらが馬宿になっているようだ。

 マルフィールとアルディは、宿に入る。

 一階部分は酒場になっているようだが――人影はない。

 マルフィールが鼻を押さえるように手を挙げ、眉をひそめた。

「――良くない状況ね」

 見上げるアルディに言う。

「最悪の想定はしてはいたけど――」

 と、トランクから筒を取り出した。

 施されていた封蝋を解いて、入っていた羊皮紙を広げる。

「それは?」

「形式、というものよ。

 ――見る?」

 と、マルフィールが見せた書簡には細かな文と、王の印章がされていた。

「――王の名? で、ここ、を……」

 数行読んで、アルディは諦めたように目を離す。

「うーん、おれ――あ、あたしには読めない」

 王都を出た時より、アルディの口調は大人しくなっていた。

「学び始めたばかりだものね。まだ、難しいでしょう」

 そう言うマルフィールの声色は、優しかった。

「焦らなくていいのよ。、物覚えはいい方なのだから」

 マルフィールはカウンターの奥へ入り、壁の目立つ場所にそれを貼り付けた。

「これは、簡単に言えばこの宿を一時的に私達が使わせてもらいます、お金は後ほど王の名にいて払います、というもの」

「ふぅ……ん」

 アルディはカウンターの席に座って、酒場を見回す。

「お――あたし、物覚えいい?」

 書簡の内容よりもさらりと褒められたことが気になる様子で、上衣を脱ぐマルフィールに聞く。

「ええ。お世辞じゃなくね。吸収がいい、とでも言うのかしらね。

 この移動中だけで簡単な読み書きはできるようになったし、剣の方も筋が良さそう」

 えへ、とアルディが口元を緩める。

「なんだかくすぐったい。

 ――あの」

 脱いだものを肘にかけて、マルフィールがアルディの隣に移動する。

「どうしたの? アルテ」

 アルディは厨房の方も覗き込むように身を乗り出したりしながら、疑問を投げる。

「誰もいないみたいだけど、メシ――食事はどうするの? ここに来るまでは街道宿とかあったけど」

「気になるよね」

 くすりとマルフィールが笑声をもらす。

「御者してもらってたトルートは料理もできるから、心配しないで。食材はここに残っている中で使えそうなものから消費して、あと追加で手配しておくわ」

 だから、とマルフィールはアルディに顔を寄せた。

「わかってるでしょうね」

「だっ――」

 アルディが息を呑む。

「大丈夫、よっ。あたし――うん」

 と、自分に言い聞かせるように頷く。

「女の子女の子、うん」

 マルフィールは頷いて、顔を離す。

「じゃあ、二階に荷物を置いてから、少し村を回ってみましょうか」

 御者のトルートが酒場に入ってきた。

 マルフィールがその無口な男に夕食の用意を指示する。

 荷物――といっても、マルフィールのものだけだが――を二階の部屋の一つに運び入れてすぐに、二人は村の広場に戻った。

「どうするの?」

「まずは、村全体を回ってみる。残っている人がいれば――あるいはいなくても、少しでも情報を集めたいところね」

「ふぅん……」

 マルフィールは旅装の外套を脱いだ長いローブ姿で、アルディの背丈ほどもある杖を片手に持っていた。

「アルテも、何か気付いたらどんな小さなことでもいいから言って」

「んっ――うん、わかった」

 村の少し北には『大陸の骨格』のひとつと云われるスゥホーイ連峰が雄大な稜線を見せている。暖かい季節になってきてなお、その頂に白いものを冠した姿は世界の壁や、あるいは北の神々の住まうところと謳うものもいる。

 アルディが、山々から降りてくる澄んだ空気を吸い込んで、広場から見える周囲に首を巡らせた。

 村の、街道から近い南側に旅行者や商売でやって来る人に向けた施設や商店が集まっているようだ。北側は大雑把にいえば東西に、鉱脈に向かう者と畑や山羊に携わる者で分かれていた。

 マルフィールとアルディの二人はまず、宿の対角にある教会に入った。

「人の家じゃない――のね」

 これまでのアルディには縁遠い場所だった。

 高い屋根と、並べられた椅子にぼそりともらす。

「アルテは、神は信じない主義?」

「知らね――ないわ」

 マルフィールが先に立って、奥へ進む。

「もしいるなら、お――あたしたちの暮らしが不公平なことに文句言いたい」

 まだ『あたし』という一人称に慣れないアルディだった。

「食べ物とか寝るところとか――服も、今までのあたしと全然違うのはなんでだよ、って。住んでた所のオッサンとかがグダグダ言ってたのが、ちょっと解ってきた気がしてる」

「――なるほど、そうよね」

 マルフィールは柔らかな笑みを浮かべていた。

「知らなかった事を知って、その上で考えられるのは偉いわ」

「マルフィールは、どうなの?」

 褒められたことに口元を緩めながら、アルディは隣の『魔女』を見上げる。

「私? 私は――そうね、心穏やかになれる精神的支柱として、その人の心の中にはいるのでしょうね」

「難しい言い方」

 奥の部屋にも、人のいる様子はなかった。

「ただ、神聖教会の人が『奇蹟』と呼ぶ現象は実在し、しかしそれを我々魔術師協会は『綿密な構成に基づいた大規模魔術』と考え、研究している」

 アルディは、ただ相槌を打つばかりになっていた。

「例えば『嵐よ来たれ』の一言で雷雲を喚んだ聖人ウルリクの術や、いにしえのトルジアや旧アグロス――『丘の上の王都』すべてを石に変えた『蛇女ののろい』――」

 マルフィールはそこで言葉を切って、アルディに苦笑を見せた。

「脱線してるわね。

 簡単に言えば、私自身はり所にしていない、というだけ」

 それでも、と地下への階段を見下ろしながら言う。

「否定はしないし、間違っても『神はいない』なんて声は上げない。『信心が薄い』なんて言われることはあるけど、ね」

「やっぱり、難しいや」

 アルディは小さく肩をすくめて、地下を覗き込む。

「ここは、何かあるの?」

「別に、特別な宝があるとか、そういうことじゃないわ」

 マルフィールが腰を落とす。

「避難場所として、教会の地下というのはよく使われるのよ」

 と、階下に向かって声を上げた。

「誰か、いませんかっ!」

 ――返事はない。

「降りてみましょう」

 マルフィールがひと言唱えると、杖の先端に光の玉が生まれた。

 先に階段を下りながら、さらに声をかけ続ける。

「私は王命で参りました、学士院のエブルと申します。どなたかいらっしゃったら、応えてくれませんかっ」

 アルディも彼女に従って、そろそろと地下に移動する。

 地下は、涼しい空気の満ちた空間になっていた。

 やはり、人のいる雰囲気はない。

 マルフィールが杖を振る。

 光球が杖から離れ、地下をふわりと回って隅を照らす。その間にマルフィールは別の言葉を唱え、杖を掲げていた。

 杖を降ろし、小さく息を吐く。

「――行きましょう」

 そうアルディを促して、階段に足をかけた。

「何をしてたの?」

 教会を出たところでアルディが尋ねる。

 マルフィールはかすかに苦笑の混ざった声で、

「生命感知で探ってみただけ」

 と、村の北側に向かって歩きはじめた。

 光球は消えていた。

 アルディが小走りに追いかける。

「よく解んないけどさ、マルフィールが時々使う魔術? って、あたしも練習したら使えるようになる?」

 マルフィールが目を丸くしたのは、北側の家のいくつか――広場からは見えない位置にあった家屋や畜舎や倉だったのだろうものが残骸と化していたから、だけではない。

「好奇心を持つのはいいことね」

 アルディの問いを否定せずに言う。

「概念の理解は誰でもできるけど、実践となると個人の能力――素養によるわ」

 北西部の、酪農を営んでいたのであろう側へ行くゆるやかな斜面を登る。

「時間ができたら、少し手ほどきしてみる?」

「んっ――うん」

 ためらいがちだったが、アルディは頷いていた。

 しばらく勾配を進むと、山羊の一群と出会った。二人を見ても逃げる素振りはなく、人に慣れていた。

「人は――いないみたい、だね」

 アルディは、話し方を気にするようなゆっくり気味の声を発する。

 マルフィールが「そうね……」と眼鏡の縁に指先をあてる。

「向こうにも行ってみましょう」

 北東の、さらに登る――麓と云うより一合半くらいは山に入ったところにある数軒の家を指して言う。

「念のため、になりそうだけど。今日はそこまでにしましょう」


 はたして、北東――鉱脈を掘る者たちの側も、同様だった。

 すっかり陽が落ちていたこともあり、二人はそこでこの日の探索を終えて宿に戻った。

 夕飯は御者のトルートが仕立てた、燻製肉ドゥ・カザのスープと、朱玉茄パミドールと芋を乗せて焼いたパンだった。

「何も、わからなかった――ね」

 貪るような食べ方は改めさせられたものの、アルディの食べるペースはまだ早いものだった。

 カウンターではトルートも同じものを食べていた。マルフィールが一緒にと呼んだものの、おそれ多いと断ったのだった。

「判ったことは、あるわ」

 マルフィールはやはりゆっくりとスプーンを運び、パンはアルディに渡していた。

 アルディが首を傾げる。

「だって、誰もいなかった……よ?」

「それよ」

 眼鏡の奥の目は、教師のようだった。

「逃げたのかその竜にやられたのかは判らないけど、村人が誰一人残っていないこと、いくつかとはいえ潰された家があること、そしてそのことが王都には伝わってきていなかったこと――」

 二人のスープ皿はほぼ空になっていた。

「王都に、正確な情報を伝えた者がいないのが気にかかるけど……」

 むしろそれが、現状は噂程度で留まっている理由とは思うけど、と眼鏡をいじりながらマルフィールは小さく続ける。

 アルディが二人ぶんの食器を重ね、カウンターに運ぶ。

 それを保護者のような微笑みで追うマルフィールも、席を立った。

「アルテ」

 マルフィールが、一階の奥を示していた。

 二階へ登るのとは別の入り口がそこにある。

「せっかく温泉の村へ来たのだから、行ってみない? 私はなん日ぶりか、お湯に浸かりたい気分だわ」

「え、あ――うん」

 アルディは反射的に返した口ぶりで、彼女の傍に駆け寄った。


 数分後、アルディは焦った声で唇を震わせ、前方を指した。

「って、ここ、こっち、お、お――」

 宿の一階にあった入り口の先は板張りの通路が伸びていて、湧き出る温泉を村の住人や旅人が利用できる大きな浴場につながっていた。

 宿からは北にあり、宿とは別の施設として機能していたようだった。

 入ってすぐは広間になっていて、受付カウンターの向こうは、男女で行き先が分けられている。

 マルフィールに連れられるまま、アルディは女性用の扉をくぐり――慌てて引き返そうとして押さえられていた。

「女用じゃねえか!」

でしょう?」

 言葉遣い、とたしなめながらマルフィールは脱衣所の戸を閉める。

「いや、その、だってさ――」

 しどろもどろになりつつもアルディは言う。

「逃げないからさ、男の方に行かせて――よ」

「もし誰か来たらどうするの? それにアルテ、言ったわよね――『こんな食事ができるなら女のフリくらいする』って」

 アルディは言葉を詰まらせる。

「はい、これ」

 とマルフィールが薄めの布を差し出す。

「ここの湯浴着ゆあみぎよ。洗濯済のこれも多少埃は積もっていたものの、払えば大丈夫でしょう」

 抗えないと悟ったか、アルディはそれを受け取ってのろのろと鎧を脱ぎはじめる。

 マルフィールも着ていたものをさっと脱ぎ、長い銀髪を巻き上げて、肉感的な起伏のある体を湯浴着で包む。

 女性用の湯浴着は、胸元から巻きつけるようになっていた。アルディは言われるままふくらみのない胸から巻いて、露わになったマルフィールのボディラインを見て、頬を赤らめる。

 薄く笑うマルフィールに押されて、浴場に入る。

 しばらく手入れされていない浴場は荒れ気味だったものの、給湯と循環は機能しているようで、溢れかえることなくなみなみと張られた湯が白い靄を立てていた。

 掛け湯でざっと埃と汗を流し(アルディはマルフィールに頭から湯をかけられ)、積み石で囲われた湯船に入る。

 マルフィールはいかにも脱力した吐息の強い声をもらすが、アルディは落ち着かない様子で周囲を見回し、

「ど、どうするの? えっと――明日とか」

 無言でいることに耐えかねたように言う。

「――そうね」

 マルフィールの湯浴着は湯の中でゆらゆらと、薄い布の奥側までアルディの視界に入れようと揺れる。

 アルディはちらちらと見ては逸らし、を繰り返し、紅潮の度合いはますます濃く広がってきていた。

「まずは今日の続きで、坑道に潜ってみましょうか」

 その様子に気付いていないように、マルフィールは関節をほぐしたり自分でマッサージをしたり、と寛いだ様子を見せていた。

「でも、り――竜なんて、いるの? ほんとに」

 アルディの声は上擦うわずっていた。マルフィールの肢体につい奪われそうになる視線を引き剥がすようにぎりぎりと首を回して、山脈の上で瞬く星々を見ようとする。

「伝え話――お伽話みたいなのは聞いたことあるのを思い出したけどさ。城より大きいとか、本当にそんなのがいるの?」

 豊かな体の線を見ていたことをごまかすように早口で言う。

 マルフィールはゆるりと笑って、アルディの頭を撫でた。

「人は、一見しただけでは解らないわね。最初に思ったよりいい子じゃない、アルテって」

 アルディは目を白黒させ、湯気を立てそうなくらい首から真っ赤になっていた。

「実際、私も半信半疑――いえ、疑いのほうが強いわ。伝承で聞いたことしかないものが今のこの世に、この小さな国に現れたなんて、ねぇ」

 脇から下の、薄い布越しの体が肩から背中にぴったりと触れて、その弾力でアルディはさらに耳の先まで赤くなる。

「嘘だと思ってなければこうして私も――って、アルテ?」

 アルディはかくんと頭を天に向けて、虚ろに口を半開きにしていた。

 マルフィールが抱き寄せるとその呆けた表情のまま、鼻血を噴く。

「アルテっ!?」

 返事はない。

 マルフィールはアルディを湯から上げ、脱がせた湯浴着をひやりとした床に敷いて、そこに横たえた。

 体の具合を確かめて、苦笑をこぼす。

「相乗効果、かな」

 わずかに肩をすくめて、マルフィールは湯から出た。湯浴着ごとアルディを抱きあげて脱衣所へ戻る。

 二人分の荷物とアルディをかかえて宿に戻る口元には、のような笑みが浮かんでいた。


 アルディが目を覚ましたのは、宿のベッドの上だった。

 夜着用のワンピースを着せられ、薄く開けた窓から入る夜風が頬を冷やしていた。

「あ、あれ……」

 ベッドの傍に座って本を読んでいたマルフィールと目が合って呟くと『魔女』は柔らかい表情を見せた。

「気付いたのね、よかった――刺激、強かったかしら?」

 本を閉じて、アルディの額を撫でる。

 マルフィールもゆったりとした夜着姿になっていた。

「もう大丈夫?」

「あ、ん、うん――」

 アルディは身を起こして頭を振り、自分の格好を見て小さな息を吐く。

 何か違和感を感じたように眉をひそめ、ワンピースの上から胸に触れた。

「なっ――!?」

 小ぶりながらも確かな膨らみができていた。

「マルフィールっ!」

「大きな声出さないの」

 と、冷えた水をアルディに渡す。

「詰め物と似たようなものよ。鎧けるたびに面倒でしょう。

 アルテは可愛いし似合ってるわ。頭もいい子だし、落ち着いて考えて」

 褒められ慣れのない頬のぴくつきと丸くした目で、アルディはワンピースをつまんで覗き込み、頬を染めて水を一気にあおった。

「もう寝る時間よ。それとも、お腹空いてるなら夜食を用意させようか?」

「ん、いい」

 アルディは空にしたグラスをマルフィールに返し、ベッドに転がった。

「寝る」

「そう」

 マルフィールは頷いて立ち上がり、アルディをもう一度撫でる。

「じゃあ、お休みなさい、アルテ。

 明日も頼りにしてるわ」

 と、ふわりとシーツをかけた。

 アルディとマルフィールの部屋は、別にされていた。


   ▲▽▲▽▲▽


 翌日――坑道のかなり奥。

 黒い竜が、二人を睥睨へいげいしていた。

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