これが……おれ?


 警邏けいら兵たちがどよめく。

「しっ、しかし【琥珀の魔女】――この子供は」

「身なりを偽っているのでしょう。何かのお仕事をされていたのかも知れません」

【魔女】と呼ばれた彼女は立ち上がって、アルディに「喋るな」という無言の圧力を与えてから警邏兵たちに振り返った。

「それとも、見覚えが?」

「いえ……貧民区の子供など、いちいち確認してはおりませぬが――」

 兵たちは見るからに動揺していた。

 アルディがその機に乗じて立とうとしたところを【魔女】に肩を掴まれる。

「――【勇者】さま、何かのお仕事を受けていらっしゃったのでしょうが、そちらは私どもが引き継ぎ、早急に解決いたします。いつ、このカルコスにお越しいただいていたのかは判りませんが、どうか私どものお話をお聞きいただけませんでしょうか」

 またアルディと向かい合った彼女の瞳は逼迫ひっぱくを漂わせた早口気味の口調とは違い、冷静そのものだった。

 アルディはここから逃げられるなら、と咄嗟に話を合わせる。

「うっ――うん、こっちの仕事は片付いたところ、だから」

 上擦りかけた声だったが、【魔女】はアルディを冷ややかに見下ろして、どこか満足げに頷いた。

 兵たちはまだ疑いの目をアルディに向けている。

「しかし――」

「この【琥珀の】マルフィール・エブルの言葉をも疑うのですか?」

 兵が黙る。

 マルフィールと名乗った魔女は二人の兵ににっこりと微笑みを見せて、アルディの肩を抱いて促した。

「それでは参りましょう、勇者さま」

「あっ、は、はい」

 彼女に背を押されるようにして、アルディは警邏隊詰め所を出た。

 少し歩いたところで、マルフィールが足を止める。

「さて、少年」

 アルディの服の袖をしっかりと持ったまま、彼女は冷徹な口調で言う。

 氷のようなその声に、アルディは背筋を伸ばす。

「名前は?」

「あ、アルディ、です。その――お姉さん、ありがとうございますっ」

 マルフィールは表情を変えず僅かに頷き、アルディを引っ張るようにしてまた歩き始めた。

 二人はすぐに大通りに出る。

「礼を言え、なんてことじゃないの。あなたにはこれから【勇者】になってもらうわ」

「ゆ……勇者?」

「そう。その紋章が、あなたが【勇者】であることを証している。それは間違いなく本物の『勇者の証』だから、つまりそういうことね」

「あっ、あの、これはその――」

 アルディはそこで言い淀む。

 二人の会話は通りの喧噪に紛れ、他に聞いている者はいない。

「言わなくても解っているわ。でも、あなたには当面、勇者でいてもらう――その為にこんな事をしたのだから」

「あ、あの――どういうことかイマイチ解らないんですけど」

 何故か、強く握っているようには見えないマルフィールの手を振りほどくことができず、アルディはそれまで緩く行っていた抵抗を諦めた。

 マルフィールは頬いっぱいに不快感を表して、アルディを見ていた。

「それにしても酷い臭い。服もそう。謁見より先にお風呂ね」

「え、謁見!?」

 二人が歩いているまっすぐ先の方に、王城があった。

「あ、あの、お姉さん……?」

「何か?」

「ゆ、勇者、ってどういうこと……ですか?」

 マルフィールが眼鏡の奥の銀碧眼を細めた。小さく「そんなことも知らないの……」と嘆息したのちに、アルディに教え諭すように言う。

「その種の紋章を持つ【勇者】は世界に何人かいるのだけど、いわば特別な権利を持つ職業の総称を云うのよ。

 あなたのそれは『北の勇者』ミルム家のもの。

 は最近その役目を継いだばかりだと聞いているわ。それでも、誠実で優しい人柄と、鍛えた剣の腕はこの田舎の小国にも噂が届くほど。気の早い吟遊詩人でもう『その焔の如き紅の髪』などと謳う者もいる」

 ふうん、と目を丸くして聞いていたアルディは、ひとつの単語が耳に引っかかった。

「か……彼女?」

 マルフィールは冷静な目をアルディに向ける。

「ええ。何代目かは忘れたけれど、当代の『北の勇者』は女性よ」

「あの……ぼく、男なんですけど」

「それが?」

 マルフィールの目つきは変わらない。

「あなた、アルディとかいったわね、あなたは『北の勇者』に――女になってもらうわ」

 アルディが掴まれたままの腕を振る――が、どれだけ強く振ってもびくともしない。

「待って、嫌だよおれ、そんな――」

「安心しなさい、外見だけにしてあげるから」

「そんな、無茶だろっ。それにこれが本物ならあの女の人探したら――」

 マルフィールは暴れるアルディを無視して、二言三言何かを唱え、空いている右手をくいっと捻った。

 不意に、ふわりと風が起こり二人を包む。

「もちろん探すわ――でも」

 マルフィールの口調には明らかに不満が滲んでいた。

「あなたを、今、【勇者】に必要があるのよ」

 周囲の音が届かなくなっていて、アルディは驚いたように見回すが、人通りは相変わらず二人の左右を歩いていた。

「これから話す事は吹聴を禁じます――といってももう、耳聡い賞金稼ぎなどで知っている者はいるでしょうし、市井しせいの噂になってはいるでしょうけど、私が言ったとなると影響が大きいから。

 数ヶ月前、山脈そばの村が突然現れた【邪竜】に潰されたの。早速調査隊が組織され、赴くことになったわ。

 ――全員、帰らなかった」

 アルディが息を呑む。

 マルフィールはそれを横目に話を続ける。

「その【邪竜】は今も潜んでいる。なるべく早急に退治し、民の不安を解消しなければいけないの。

 現状を見かねたメリッタ王女殿下が討伐隊を結成して出征されたのが二十日ほど前――帰還者は今のところ伝令の一名のみで、その者も精神に失調をきたしてしまっていて、ちゃんと話のできる状態ではない。辛うじて判明したのは隊の惨状と、王女殿下が邪竜に連れ去られてしまっていることのみ」

 アルディがいかにも初耳、といった顔でぽかんとするのを、マルフィールは侮蔑の混じった溜息で返す。

「貧民区の住民はこんな話、関係ないのでしょうね。

 ともあれ、そんな時に【勇者】がこの国に来ているという噂が届いたの。

 藁にもすがる思いとはまさにこのこと。

 秘かに、でも急いで彼女を探し始めた」

 それが、とマルフィールはアルディを見下ろしたまま続ける。

「――『証』を持った者がいた、という知らせを受けて駆けつけてみたら、あなたがいた。私はあなたを少し観て偽物だと判ったけど、同時に少し考えた」

 アルディは話の行く末が見えない様子で、歩いてゆく先とマルフィールを交互に見ていた。

「この国では誰も【勇者】の紋を持つ者と会ったことがなく、噂で伝え聞いている程度なのよ。その勇者がこんな少年に荷物を置き引きされる程度の注意力だなんて、言えると思う?」

 城が近くなっていた。

「だから、あなたには【勇者】として王女殿下の救出ならびに【邪竜】討伐の任に就いてもらうというわけ」

「そんなの、さっさと本物探し出したらいいじゃないか。誰にも言わないからさ、解放してくれよ」

「警邏兵の噂を止められると思う? 刺激の少ないこの国で、噂の伝播でんぱはけっこう早いのよ。

 まず、あなたが偽物だとばらしてあの場で処分していた場合――『北の勇者』は子供に荷物を盗まれる程度の者だと広まってしまい、邪竜の討伐なんてとても……となるでしょう。

 では、あの場ではあなたを勇者扱いしておきながら、出立の様子もなく『勇者探し』が続行されていたら――やはり『あの時の子は偽物だった』となって、同じ結果になることが予想される。

 今のところ噂話程度の邪竜と王女殿下の事もそう遠くない内に国中に広がるでしょう。そこに『勇者は子供に荷物を盗まれる程度』となれば、民に混乱と絶望が蔓延してゆく――そんな事態に陥ることは避けなければならない。

 だから、最低限あなたに【勇者】でいてもらう必要があるのよ。わかった?」

「わか……らないよっ!」

 勢いをつけて力一杯腕を振って、アルディはマルフィールの手をようやく払った。

「あんたたちの事情なんて、おれには関係ないよっ! こいつは返すから勝手なことに巻き込まないでくれよ!」

 アルディは持ったままだった紋章をマルフィールに押しつけ、彼女から少し離れる。

 マルフィールは紋章と少年を見比べて、小さな溜息をこぼした。

「まだ、解っていないようね――」

 そう呟いてから、ひと言ふた言何か唱える。

 マルフィールに背を向けようとしたアルディはしかし、何かに肩を押さえられているかのように、振り返られずにいた。

「選択権はあなたにはないわ。国の平和のためにこの役を負いなさいと命じているの」

「そんな、無茶――」

「自業自得でしょう」

 アルディの言葉をぴしゃりと切ったマルフィールは、ゆっくりと近付いて言う。

 城門はもう、駆け込めるほどの距離にあった。便宜上程度の堀と橋と門番の兵士は設けられているものの、緊張感は薄い。

「そもそもあなたが下らないことをしていなければ、こんなことにはならなかった。そうでしょう?」

「そんなの――油断してる方が悪いんだっ!」

「それで?」

「だ、だからその……おれは、悪……く、な――」

 マルフィールの冷ややかな銀蒼の瞳に射竦められたように、アルディはしどろもどろになって言葉を詰まらせる。

「た、退治なんておれ、できないよ……」

 アルディは明らかに、気圧されていた。

「あの……ご、ごめんな、さい」

 と、頭を深々と下げる。

 マルフィールは、一見にこやかな微笑みを浮かべていた。

「少しは理解できたようね。じゃあ、行きましょう。

 ――安心しなさい、ちゃんと女の子らしくしてしてあげるから」

 しかしその目は笑っていなく、向きを変えられずにいるアルディの腕を再度取った彼女の手は奇妙なほどに強力だった。

 それでもアルディはどうにかしてこの場から逃れようと全身で抵抗を見せる。

「いっ、いや、そこじゃなくて――もう許して、解放してください……」

「それでは、あなたは今回の罪により、死罪になるかも知れないわ。いいのね?」

 アルディが背筋を強張らせた。

「う……嘘だろ?」

「どうでしょうね。なんせ、国家――大袈裟にいえば世界を揺るがすものを盗んでしまったんですもの。そのとがはいかほどになるか、計り知れないわ」

 動きを止めたアルディに、先程よりは優しさの窺える笑みをマルフィールは見せた。

「では行きましょう、勇者さま」

「いっ、まだちょっと心の準備が……」

 アルディは頬を引きつらせて呟くような声を絞り出しつつ、マルフィールにやや引きずられるようにして、橋を渡って城に入り――今に至る。



 湯浴着姿のマルフィールはどこか皮肉げな口許の中、アルディと向かい合った状態で、楽しそうな雰囲気を醸しはじめていた。

 アルディは生まれて初めての感触――唇に塗られた紅や、産毛を剃られた肌の、それもその上に施された化粧と触れる空気の――に戸惑いの表情を浮かべている。髪もいくらか切られ、抑えきれない癖毛で跳ねているものの、編み整えられて流されていた。

「うん……」

 マルフィールがやや思案の呟きをこぼしてから、ひとつ頷く。

「やはり、こっちも必要ね」

 そう言うなり、マルフィールは両手でアルディの胸元を擦りあげた。

 わずかに集まる肉を軽く揉む。

「っひゃっ!?」

 ひやりとした手の温度に、アルディは高い声をあげる。

「寄せられるほどの肉はない、か……ま、胸を見せることはないから、細すぎるくらい細いのが幸い、下着で誤魔化せるわね」

 マルフィールはどこからか出した、胸袋帯ソステンを手にしていた。また後ろを向かせたアルディの胸に丸く広がった袋部分を当て、細い帯は後ろに回してきゅっと締めて結ぶ。その両脇あたりに縫いつけられていた飾り紐を肩から背に通し、帯に留めた。

 覆われたアルディの胸と袋の間に、マルフィールが布を詰めて形を作る。

「こんなものね。さて、服は……」

 腰を上げたマルフィールは、吊ってある服とアルディを見比べながら、別の衣装ケースからコルセットを取り出した。

 アルディを立たせる。

「はい、息を吐いて」

 マルフィールはアルディの胴にコルセットをあてがい、順番に締めてゆく。

「いっ!? 痛いいたいいたいっ!!!」

 強引な拘束にアルディは悲鳴を搾り出すが、マルフィールの手が緩む様子はない。

「最初は痛いでしょうけど、これも慣れよ」

 荒くなったアルディの吐息を無視して、マルフィールはコルセットをと締め続ける。

 コルセットの紐をすべて結び終えたマルフィールは、アルディに一枚の布地を渡す。

「じゃあ、これを着て」

 アルディはひとつ大きめの溜息を吐いてから、ゆるゆるとマルフィールに言われる通りに女性用の肌着を身につけた。

 その足下に、マルフィールがふわりと柔らかな衣擦れの音を立てて服を広げて示す。アルディがその布の輪に入ると、マルフィールはそれを引き上げた。

 装飾を抑えた、シンプルな赤とグレーのドレスだった。膝丈ほどの、腰からゆるやかに広がった裾はレースとフリルで彩られてはいるがそれも控えめで、四角く開いた胸元から肩口も露出をアピールしたものではない。

 丸く短い袖に通された腕に、マルフィールが肘まである長い手袋をつける。足には長靴下と革靴を履かせ、さらに、銀鎖と小振りの宝石の付いた首飾りをアルディの細い首に巻き、ヘアドレスを頭に乗せる。

「一応、こんなところね。――見てみなさい」

 マルフィールはそう、姿見をアルディに向けて掛けてあった布を取った。

 アルディは、そこに映った姿を見て目を大きくする。

「えっ? こ、これ……」

 自分をまっすぐ見つめる鏡の中の少女に、アルディはぽっと頬を染めていた。

 少年の反応を満足げに確かめたマルフィールはその背後で手早く湯浴み着から、下着と礼装用なのか昼間のものより上質そうなローブに着替える。

 留めていた銀髪をぱさりと下ろして整え、髪留めと眼鏡をつけ直しながらアルディに声をかけた。

「馬子にも衣装ね。どう?」

「こ……これが、おれ?」

 アルディの声に合わせて、彼をまっすぐ見つめている短めのドレス姿の少女も同じように口を動かす。手を伸ばすと少女も手を出して、ひやりとした鏡で触れあった。

「うそ……」

 マルフィールが、アルディのすぐ後ろに立った。

「見違えた? ならせめて、自分のことは『私』か『あたし』と言ってみなさい。声は心持ち高く、大人しく、息を多めに吐くような感じで」

「あ、あの……わ、わたし?」

 マルフィールが微笑みを浮かべて頷いて、アルディを後ろからふわりと抱き締める。

「うん、少しはましになったわ」

「あの……」

 アルディは更に顔を上気させ、髪と首筋の匂いを確かめるマルフィールから流れる空気に鼓動を早めていた。

「どうしたの?」

 マルフィールの口調は、数刻前よりやや柔らかくなっていた。

「こんなので、大丈夫……なの?」

「私がフォローするわ」

 耳元で囁くように言う。

「私がしておいて言うのもなんだけど、少し見違えたわ、あなた。そうしていると可愛いじゃない」

 そう、ふうっと息を細く吹きかけると、アルディが崩しかけていた背筋をびくりと震わせた。

 マルフィールは余裕の生まれた口元でどこか楽しそうな笑みを見せていた。

「では、挨拶の仕方を教えておくわ」

 と、アルディから離れて向かい合う。

「あとは私に任せて、極力黙ってにっこりしていて。いいわね」

 アルディはそれこそ少女のように顔を赤らめたまま、素直に頷いたのだった。


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