#2 『少女』剣士の旅立ち

『北の勇者』ふたり


 陽は、すっかり暮れていた。

 謁見の間には等間隔で並んで照明がかれ、昼間ほどではないが充分な明るさが保たれていた。

「背筋を伸ばして」

 マルフィールが小声で言い、さりげなくアルディの背を押した。

 目線はあくまで、正面やや遠くに座る壮年の男から離さずに、すっかり少女のように装われたアルディを誘導してそこに近づいてゆく。

 その間の左右には重臣が二人ずつ立っていた。

 玉座に浅くかけた男――カルコス王の背後に一人、長い槍を携えた兵が控えている。

「お待たせしており申し訳ございません。

『琥珀の』マルフィール・エブルが『北の勇者』ミルム殿をご紹介いたします」

 おおっ、と小さなどよめきが湧く。

 促されたアルディが少し頭を下げる。

「おっ、お目にかかれてこっ、光栄です。

 あ――・ミルム、です」

 どもりどもり言って、アルディはドレスの裾を摘んで少し上げた。

 さきほど仕込まれたばかりの挨拶と偽名はいかにもぎこちないものだったが、王は好意的にとらえたか苦笑を浮かべて立ち上がった。

「それほど緊張なさらずともよい、『勇者』どの。

 よくぞこの小国にお越しいただいた」

 そう言って、王は何か言おうとした後ろの兵を制して、女装したアルディのもとへ近寄ろうとする。

 マルフィールが腰を下ろし、それに合わせてアルディも膝を曲げる。

 王は無防備ともとれるくらいすたすたと歩き、手袋に覆われた肘を取って、顔を上げさせた。

「『琥珀の魔女』ご苦労であった。噂通りまだ可憐な娘のようだが『紋章』を受け継いでおられるとは」

 王が手を放し、アルディは手をだらりと下げる。

 娘でもなく勇者でもない、と否定するようにアルディの手が震えていたが、それをマルフィールが抑えこむ。

「――さて、早速で悪いのだが、勇者どの」

 王は真剣な瞳でアルディを見つめていた。

「そのエブルから聞いておられるだろうか、邪竜のことだが――」

 アルディは無言で頷いた。隣でマルフィールが口を開く。

「おおむね、説明しております。

 勇者さまは早速赴かれると仰られたのですが、せめて挨拶だけでも、とお連れした次第で」

 おお、と王が感嘆の声を上げる。

「話に聞く通りの使命感をお持ちのお方だ。まさに勇者。それは国のためにも、また親としても有難い限りではあるが――」

 言葉を切って、王は苦笑をもらす。

「それはさすがに、身勝手が過ぎるというもの。せめて今宵はゆるりと休んでくだされ」

「あ、あの、でも、本当にこれからでも――」

 上擦った声になったのがかえって女子のようだった。

「勇者さま」

 マルフィールが薄い笑顔を浮かべていた。

 眼鏡の縁に指先をあてて言う。

「陛下もこう仰っておりますし、明日からにいたしましょう。それに、何のおもてなしもせずにただこちらの都合をのみ頼みつけたとあっては諸国の恥でございます」

 アルディが隣の銀髪の『魔女』を見上げる。

 瞳にはありありと「この場から逃げ出したい」と書かれていたが、マルフィールに気圧されるように結局のところ、ゆるゆると頷いていた。

「エブルの言う通りだ、勇者どの。ささやかではあるが食事と、温かい寝床くらいは用意させてくだされ」

 畳み掛けるように王にも言われ、アルディは「わかりました……」と答える他に選択肢は残されていなかった。


 夕食の席は、王は『ささやか』と云ったものの、それでもアルディにとっては生まれて初めて見る種類と量だった。

 これまで残飯か、よくて余り物や切れ端がひとつの椀にまとめて入れられたものを味も風情もなく胃腑に詰め込み、空腹と偏った栄養を補ってきただけの身である。料理が整然と並べられ、恭しく給仕が控えている場などというものは、アルディの知識の範囲を超えていた。

 きょろきょろと見回してしまうアルディをマルフィールが諌める。

「勇者さま」

 アルディにだけ聞こえるくらいの小声だったが、このような場に慣れていない少年をびくつかせる迫力が押し込まれていた。

「あまりにでお驚かれかも知れませんが、そんなに見ないでください」

「――解ってるくせに」

 ぼそりと呟いたアルディの精一杯の抵抗は、マルフィールの涼しい顔に黙殺された。

 彼女は、あくまでこの『嘘』を貫き通すつもりのようだった。

 溜め息をこぼして、アルディは目の前にあったパンを取るが、それを口に運ぶより前に声をかけられて弾かれたように振り返る。

 先刻謁見の間にいた重臣四人が列を作っていた。

 それぞれ、財務担当の何某なにがしだとか外務官の誰それだとか名乗ってはアルディの細く白い手を取ってゆく。アルディはぎこちない返礼をするのが精一杯で、大臣の顔も名前もいちいち覚えている余裕はまったくなかった。

 それが終わり、あらためてアルディがパンに手を伸ばしたところで、今度は王が声をかけてきた。

「勇者どの、よろしければこれまでの旅の話など、食事の余興にでも聞かせてもらえないかな」

「えっ――あ、あの、それは……」

 それはいい、などと周囲からも賛同の声が興る。

 アルディは困ったようにすぐ隣のマルフィールを見て、少し柔らかな雰囲気になった瞳に衣装室での指示を思い出した様子で言う。

「えっと、そんな、お話できるほど面白いことなんて、あ、ありませんので――」

「おお、それはなんと慎み深い。

 勇敢でありながらそれを喧伝けんでんもせず謙遜される、この高潔さこそ勇者たる所以ではないか」

 王が称え、アルディは俯く。この場を凌ぐために仕込まれた嘘でしかなく、それを褒められるのを笑顔で受け止められるほど、アルディは厚い面の皮を持っていなかった。

 音を立てて椅子を蹴る。

「あっ、あの――」

 女装した彼に注目する居並ぶ国の重鎮たちを見回して、ひとつ唾を飲み込んで、もう一度マルフィールを見てからアルディは言った。

「あ、明日は早く出ますので、こっ――これでっ」

 ぺこりと頭を下げてテーブルを離れ――素早くパンをひとつ、懐に滑り込ませて――控えていた給仕とぶつかって転びそうになる。

「勇者さま」

 それを、マルフィールが支えた。

 彼女のほうが身長もあり、抱きかかえるような格好になる。

 マルフィールは、うっすらと笑みを浮かべていた。

「もう少しいらしても――と言いたくもありますが、こちらの要求ばかり、というのは失礼ですね。

 陛下、よろしゅうございますね」

 マルフィールの声には、有無を言わせない空気が含まれていた。

 王が苦笑する。

「わかった。では、戻られた時には盛大にさせてもらうぞ」

 マルフィールがわずかに頷き、アルディを促す。

「それでは私も、勇者さまをご案内差し上げるため、失礼いたします」

「うむ――まあ、女同士の方が案内もしやすいということか」

 心底残念そうに王が言い、アルディはドレスの裾をつまんで頭を下げた。

「し、失礼します――っ」


 マルフィールが案内したのは、城全体で云えば外縁に近いところにある客間だった。

 十メートル四方ほどの空間に天蓋付きのベッドと二脚の椅子を従えたテーブル、それに外套などを掛けるためのラックがあり、広く設けられた鎧窓からカーテン越しに月光が差し込んできていた。

 部屋に入ってすぐにマルフィールが数語唱えて光球を生み出して天井に浮かせ、室内は昼間と変わらない明るさになる。

「アルディ――いえ、アルテ」

『琥珀の魔女』は笑顔だった。

「付け焼き刃にしては上出来だわ」

 そう褒められることより、アルディにとってはこっそり持ってきたパンの方が重要だった。

 取り出してすぐにかぶりつく。

 半分ほどを飲み込んだところで、ようやく返す。

「もういいだろ、アルテってのもやめてくれよ。解放して――」

「いいえ、少なくともことが終わるまではアルテと呼ぶし、あなたも、アルテという名の女だと自分に叩きこみなさい」

「そんな無茶な」

「無茶じゃないわ」

 マルフィールが示して、椅子にかける。

「あなたが男だと見破られた様子はなかった。今こうしていてもあなたは女の子に見える。このまま出てしまえば、私の策の第一段階は成功できる。

 それとも、私が暗示をかけるか、体にしてあげましょうか?」

「いっ、いや――わかったよ」

 暗示か施術、という言葉に剣呑な雰囲気を感じたか、アルディは詰め物で控えめな丸みを作られた胸を見下ろして「おれはアルテ、おれはアルテ、女、女――」と繰り返し呟く。

 パンはもう食べきっていた。

「いい子ね」

 と、マルフィールがその頭を撫でる。

「それらしい装備品などは私が今夜中に用意するわ。あなたの言ったとおり、明日は早くに出立しましょう」

「う――うん」

 アルディが頷く。

「それにしても、さ」

 と腹をさすりながら続ける。

「あんなに食い物あるってのに、なんでちっとも食わねぇんだよ」

「――その言葉遣い、何とかしなさい」

 溜め息をつきつつ、マルフィールは「まあ、そう言いたくなるのも無理はないとは思うけどね」と目を閉じて数語の言葉を紡ぎ、テーブルの端をとんとんと指で叩く。

 それから窓に向かう。

 鎧窓を開けると夜気がふわりと侵入してくる。

 マルフィールはさらに何かを唱え――人の会話とは違う言語でどこかを喚ぶか命ずるような調子のものだった――手を振る。

 誘導するような手の動きのあと――テーブルに、料理が現れた。

 マルフィールが窓を閉める――その時更に幾つか唱えて窓に触れたのはアルディは見ていなかった。

 それよりも突如出てきた食べ物に目を丸くして、料理と『魔女』を何度も視線を往復させていた。

「こ、これって――」

「私も食べ逃したからね」

 と、風で動いた眼鏡の位置を直しながら『魔女』が笑って言う。

「イダーの魚料理は絶品なのよ。他国よそに出しても見劣りしない。今日は休みだったのを勇者が来たから、ってわざわざ呼び出して作らせたくらい」

 同じくび出したフォークをひとつ、アルディに持たせる。

「あと、食器の使い方も覚えなさいね」

 そう言う『琥珀の魔女』の表情は、昼間にアルディを捕まえた時よりも険しさが薄れていた。


  ▲▽▲▽▲▽


 アルディが女装させられて、客間で夕食にありつけた頃――

 街の片隅にある酒場で、ひとりの女性がやはり遅めの食事をとっていた。

 見るからに疲れた様子で、硬い椅子に深く腰を落としている。

「――まいったな、もう」

 溜息混じりの呟きをこぼして、ソーダ水のジョッキに目を落とす。

「もし家に知れたら、どうなるかわかったものじゃないしなぁ……」

 胸背甲と剣、金属板の装われたスカート、赤茶の長い髪――昼間、アルディに荷物を摺られた女性だった。

 わずかな路銀のみが彼女の手元に残っていた。警邏に訴えはしたものの、出てくる見込みは薄そうな対応だった。間違っても盗られたなどとは言えないものがあったために説明が曖昧なまま終わってしまっていたこともその一因だろう。

「でも、他のはともかく『徽紋しるし』だけは取り戻さないとなぁ」

 まだひとりごちる。

「あとはお金をどうにかしなきゃ――うーん、あの毛布と手鏡、ああもうっ……私の不注意だけどさ」

 ぶつぶつと自分に言い聞かせるようにして、半分ほど入っていたジョッキを空けて席を立ってカウンターへ向かう。

「おじさん、ソーダおかわりっ。それと――」

 空のジョッキを受け取った主人が彼女の明るいとび色の瞳を見る。

 ちなみに、ソーダ水は無料である。

「何か仕事、ありませんか? 狼退治とかそういう感じの」

「仕事ぉ?」

 主人はさらに、彼女の風体を上から下までゆっくりと見る。

「ずいぶん立派ななりだが……腕はあるのか?」

「これでも五歳の頃から鍛えてます。そのへんの妖魔くらいになら負けません」

「年齢は?」

「十七です」

 主人が目を丸くしてから、髭の被る唇の端をにやりと上げた。

「若いのになかなか、しっかりしてるじゃないか」

 しかしなあ、と続ける。

「こんな山奥の小さな国で、そんなもんは、なぁ――」

 と、何か考え込むように腕を組む。

 いつの間にかジョッキは彼女の目の前に戻っていた。

 彼女はその様子に太めの眉をやや寄せ、それでもいくぶん迷いながらといった手振りで銀貨を一枚、カウンターに置いた。

 最後の一枚だった。

「や、そういうつもりじゃないんだ。本当、嘘みたいな噂話くらいしかなくてね」

 銀貨を押しやると、いかにも彼女はほっとした息をこぼした。

「噂って?」

「何でも見たり聞いたりしたものを繋げたい奴の憶測だよ」

 そう言いつつ、興味を示した彼女に暇潰しのつもりか、主人は話しはじめる。

 客は、酔った挙句に高鼾をあげている常連くらいしか他にいなかった。

「もうひと月近くになるかな、姫さまが二十人ばかりの部隊を連れて、旅立ったきり帰ってきてないんだ。

 その少し前に山のほうにある村からの連絡が途絶えて、そこに『あの付近で黒い竜を見た』なんてことを言い出す奴がいて、事件の少ないこの国でそれを全部関係づけた話が――って、どうした?」

「いえ……黒い竜、ですか」

 成人と扱われる年齢になってまだ一年少々の彼女は、ジョッキを持つ手と唇を震わせていた。

「その村、遠いんですか?」

「徒歩なら、五・六日くらい――って、行くのか?」

 主人は明らかに呆れた目を向けていた。「嘘みたいな噂、って言ったろ」

「それでも、です」

 彼女の震えは止まり、口元にはわずかな笑みすら浮かべていた。

「何もなければそれに勝るものはありません。でも、行ってみないとそれも判りません。行って確かめるのは、私の役目と心得ます」

 感嘆の息をもらした主人が、カウンターの下からばさり、と大きめの布を出してきて広げた。

「大したもんだな、あんた」

 布には、地図が描かれていた。

「このラテルがここ、村はこっちの――スゥホーイ連峰にさしかかるあたりだ。鉱脈と温泉の村で、ジリエという」

 真剣な瞳を地図に向けて頷く彼女に、主人はその布を少し寄せた。

「持って行くといい。荷物の邪魔にならなけりゃな」

「あ……」

 自虐的な苦笑がこぼれるが、訝しむ主人に拳を握って見せる。

「大丈夫です。現地調達のすべも叩き込まれてますから。

 地図、ありがとうございますっ」

「――その年で何者なんだ。

 ともあれ、今夜は泊まるんだろ? さっきまとめて払ってもらったし。

 名前、教えてもらってもいいかい」

 これは俺からのおごりだ、と彼女の前にエールをなみなみと注いだジョッキと、余り物には見えない肉と芋の煮物を置く。

 カウンターには宿帳が出てきていた。

「あっ――ありがとうございます」

 彼女はひと口エールを飲んでから、

「私は『北のノルテ』――いえ、ミルムです。フォルトゥナ・ミルム。

 ただの旅の剣士、ですよ」

 そう、不敵にも自嘲にも見える微笑みを見せた。

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