第2話 最悪な契約

白くてフカフカなベッドがある。開け放たれた窓から射し込む陽光が部屋を照らす。遠くからは鳥のさえずりが聴こえてくる。うつつから夢、夢からうつつへ流転し、まどろみ、その間をさ迷う。


境界にいた意識を仄かに香る紅茶の匂いが現実に引き戻す。この場所は保健室である。だが、魔法大学の保険室が普通である訳がない。


白衣を纏い、足を組んだ長身の女性が窓のへりに腕を置き、頬づえをつきながら外を眺めていた。


金髪のショートカットを靡かせ、くりっとした茶色の瞳が赤縁の眼鏡の先から覗いている。

所々、皺のよった白衣は前を開けており、赤のシャツと白の短パンが見え隠れしている。スラっと伸びた細い脚は黒いタイツに覆われ、不思議な妖艶さを醸し出している。


「ようやく来たか。待ちくたびれて紅茶を三杯も飲んでしまった」


「ああ、少し絡まれまして…ね」


今日の朝、家の扉下に手紙があった。送り主は目の前のこの大人っぽい妙な色気を感じる白衣を身にまとった女性である。お昼休憩に来たまえとか勝手に予定を決められても困るだろう。小言の1つでも言ってやりたい。いや、待たせたのは悪いが紅茶3杯は飲みすぎだろ…。


「ここは私の保健室テリトリーだ。私が王だ。私が決めるさ」


そんな様子に気が付いたのか、察したのか。そんな言葉を投げかけてくる。


「そもそも、何故手紙を送ってきたコンタクトを取ってきたんですか?俺らの繋がりはこの学園にいる間、赤の他人とする。そういうお話しじゃなかったですか?事実、俺が編入してから半年経つ今までの間に1度も接触はしなかったはずですよね。というか、この話しは貴女が提案してきたことでは?」


「世の中は常に変わり行くものだ。臨機応変に対応しなければならない事もある。無論のこと、君との接触は私も望むものでは無かった。私にも目的があって、あそこにしているんだ。君の望みと私の望みなら迷わず、私の望みを選ぶさ。そもそも、私が盛り込んだものだろうに。私が良いと言うなら良いだろが」


ダメに決まっているだろうが、契約を結んだじゃん!というかあんたに関わりたくないんだよ、と言っても無駄に決まっている。


「はぁ、誰だって自分の望みを叶えるでしょうよ。…それで要件はなんですか?わざわざ、ここに呼び出したという事は誰にも聞かれたくないでしょうし」


「当たり前だ。説明は面倒だから省くが、エイワス・マールが君を認識していなかった」


いや、説明を省くな。


「へー・・・で?それがどうかしたんですか?」


ちょっと、何を言っているのかわからない。そもそも、エイワス教授は自分の事を認識している。今日、死んだ魚の目をしているとか言われたし。


「何故、これで理解しないんだ?」


おい、ゴミを見るような目で見るな。


「こっちの台詞ですね。何故、今の表現で理解出来ると思った…んですか?そもそも、彼女は俺のことを認識していると思いますよ」


「はぁ、とても面倒だ。あの老い耄れ共から何も聞いていないのか?」


セリル・カノープス。

魔導医学の先駆者。

不老不死になった天才魔術士。

保健室の人外。


様々な呼び名を持った彼女は所謂、医術と魔術の天才専門家スペシャリストだ。自分が思うがまま研究を進め、結果を残し、社会に貢献している。例え、本人の目的の為だったとしても、副次的に人のためになっているのだから文句言うんじゃないというスタンスで、唯我独尊を地で行っている。


「説明しなくても大丈夫ですが、説明してくれないと困るのは貴女だと思いますよ」


「ふむ、それは何も言わずに手伝ってくれるという事だね。じゃ、よろしく」


「なんでそうなるんだ!?」


やはり頭がぶっ飛んでいるやつとは会話にならないらしい。


「んー仕方ないのか。こんなことも理解出来ない頭を持っているのに良くこの学園に入学出来たな」


座っている回転椅子を回し、机の上で脚を組む。うん、何がとは言わないが、とても目の毒だ。今、馬鹿にされたか?


「そうだな、お前が百歩譲ってエイワス・マールに認識されていたとしよう。どうせ、羽虫とでも思われているんだろう。だが、私との関係性があると認識されていない。」


羽虫じゃない死んだ魚だ。


「一言余計…はぁ、なるほど。でも、それは当たり前では?今まで1度も会ったり話しかけたりすることも無かったですし」


「エイワス・マールに限っては異なるのだよ。彼女は特別だ。私の計画していたほんのちょっとだけ危険なプランが軒並み潰されてしまってね。どうやって私の手駒やスタンスがわかっているのか…ある程度の予想は立てているのだが、とにかく、困っているんだ」


そう言って、椅子から立ち上がり、机の上にある白い薄い紙を手に取り、ひらひらと扇ぐ。


「取り引きをしようじゃないか。君はエイワス・マールの研究室に所属し、彼女の行動を少しだけ阻害してくれれば良いんだ。まぁ、彼女に制限をかけてくれるならどういった関係になってもいい。なんなら、恋仲になっても、奴隷になっても」


「・・・俺にはメリットが無い。お前の危険なプランを潰したとか大戦果じゃないか。そもそも、彼女の研究室はまだ開設していなかったはずだ。無理な話しだろ」


「釣れないことを言うね。後、素が出ているよ。まあ、その事に関しては私が何とかしておこう。私のメリットになるからね」


裏しかない…。とは思うが、こいつに貸しをつくれるのは大きいだろう。違法な魔導書を扱っている奴の窓口になってもらってもいい、手がかりとなりそうな人物を紹介ひてもらってもいい。調子に乗らない要望ならば大体ありだろう。


「ふむ、そうだな。在学中だけでも邪魔してくれるなら、魔導書を一冊くれてやろう。」


は?


「そんな、法外な取り引きをしても良いのか?」


「私にとって、エイワス・マールの行動の阻害は重要事項でね。むしろ、お釣りが来ると思っているよ。納得出来たのなら、この契約書にサインしてもらうとしよう」


そういって、持っていた紙と何処からともなく取り出したペンを渡してくる。さらっと読むととんでもないことが書かれている。


「おい、これ作ったやつ誰だよ。この契約書にはサイン出来るわけないだろ。なんで俺の思考が制限される項目や3回だけ記憶が無いまま、命令を遂行するとかあるんだよ」


「ふむ、これはちょっと、ご愛嬌さ。契約書にはちゃんと目を通すようにというね」


「…早く普通の契約書を出してくれ」


「仕方ない」


そう言って、白衣の内ポケットから取り出したくしゃくしゃの契約書を渡してくる。なんか締まらないな。


「エイワス・マールは生活能力が皆無だ。まぁ、人の言えた事ではないが、そこら辺も甲斐甲斐しく世話をしてやればコロッと行くと思うね」


「何を言っているんだ。そんなもの契約には書かれて無いだろうが」


再度、書類を確認するが、魔導書の譲渡に関する項目とエイワス・マールがセリル・カノープスの行動を阻害する場合、極力邪魔するように記載されている。


「彼女は他者というものに飢えている。だが、自らテリトリーに入れることを良しとしないタイプだ。その為に、彼女の研究室を開いて、配属というかたちを取る。我ながら完璧な計画だ」


「何を訳の分から無いことを言ってるんだ。とりあえず、研究室に配属されるのなら研究するに決まってるだろう。そんでもって期間の項目がないぞ」


本当に何を言ってるんだか。

「ちっ…永遠にこき使ってやろうと思ってたのに」

そう言って、指を一振りする。

契約書が光、在学中という修正が入る。


後は特に問題が無いようだな…。この狐、油断ならない。

紙にサインを走らせる。

受け渡し、告げる。


「これ以上の接触は控えて下さいよ?


「違いない。まぁ、君の目的はどうあれ私の望みの一助になるなら気にせず利用させて貰うけどね」


そう言って、複製した契約書をフワッと風に乗せて投げてくる。それをそのままポケットに突っ込む。


ボソッと聴こえた言葉を無視し、保険室を後にする。


魔法大学の教授陣なんてろくな奴がいない。本当にそう思う。


さて、サボるか、講義に参加するか、悩むところだ。


「やっと見つけたぞ!さあ、次の講義に行くぞー!」


猪のようにこちらに向かってくる金髪碧眼の元気ハツラツ美少女。キラキラとした水滴が上半身を濡らしている。


こいつやったのか…。


その訪れがサボりという選択肢を亡き者とするのであった。


――――――――


リュー「私はまだまだ力不足らしい!語りかけても駄目だった。もっと頑張らねば!」


――――――――

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