第5話 知覚と魔導書

 あれから2日が経った。今日も陽当たりの良い席が空いていたためそこに座ったまま頬杖をつく。今日はエイワス教授の講義だった。俺と彼女はあまり年齢が変わらない。そうであるにもかかわらず、片や天才と言われ教壇に立ち、片やその講義を聞いているとは世の不公平さを呪いたいものだ。


 彼女の講義は何時も淡々と話し、後ろの黒板も使わず、映像や何か物を持ってくることも無い。しかも、内容は基礎研究と言っても最先端で理解不能でああった。講義内容を理解する為にはノートを読み返すしかない。


 だから、今日も必死にノートを取る者は前の方に座り、食い入るように彼女の口元を見る。これは半数ほどだ。その他は聞いて軽くメモを取っている。彼女の声をバックミュージックにして、他ごとをする諦めているやつらは2、3割ほどだろう。今日もそういう講義風景になると思っていた。


「・・・幻想種ファンタズマの現界が行われたのは過去に何度か起きています。稀と言うことはありません。我々が知る事例の中で最も有名なのが竜王と妖精王でしょう。」


 咳払いをして、こちらを見る。視線が一瞬合う。


「彼ら、と言って良いかわかりませんが、彼ら精霊や妖精と分類される強大な力を持つ幻想種ファンタズマは魔術的な災害と言っても過言ではありません。いえ、尚質が悪いでしょうか。これは・・・」


 そう言って、黒板の方を振り向き、「描け」と一言。


 一瞬にして、8個ほどのチョークがひとりでに竜と妖精を描いていく。皆、呆気に取られる。


「これは諸説ありますが、竜王と妖精王の姿はこのように描かれております。私も拝見したことはありませんが、王の一体はかの島国の北で現界し続け、王国を築いています。そして、様々な種類の幻想種ファンタズマが現界を果たしては消えを繰り返しています。さらに稀ですが、天使や悪魔と呼ばれる類の幻想種ファンタズマも発生が確認されています」


 これまで、無駄に大きかった黒板に板書すらした事が無かったエイワス・マールが圧倒的なクオリティー(絵)を持って、講義を行っている。


 周りを見ると皆、口をポカンっと開けている。そりゃそうだろう。彼女にどういった心境の変化があったのだろうか。先週からあの後、何かあったのだろうか。


「そうです。先程、私が『彼ら』と呼んで良いかわからない。そう述べた理由はいつくかありますが、根本的な違いとしてあるのは、幻想種と人の起源です。そもそもの発生が違うのです。彼らは災害に近い。彼らは自然発生によるものが殆どです。生き物であるとも言えるし、生き物で無いとも言えるでしょう。彼らは要因がある場合もあるでしょうが、殆どが突発的で脈絡がありません。ですが、それは突発的であるが故に経過がない何かなのです。そのため、彼らは何かに知覚される必要があります。東欧の国には『見るということは見られるということに他ならない』という言葉があります。そう言うことなのです。我々が知覚する。動物が知覚する。それによって、彼らの発生が世界に数字の1として収束し、存在がカウントされます。少しズレますが、災害もそういった特徴を持っています。我々は災害によって多くの被害とそれに見合わない少しの恩恵を受けるときがあります。ですが、実際に豪雨や暴風を全く受けていない遠く離れた他の場所では残酷ですが、それは起きていないことであるとも言えます。事象は認識しなければ、知覚しなければ、起きたことになりえません。彼らはその存在の定義が曖昧であり、移ろいやすいがために幻想種ファンタズマと呼ばれています」


 一息つき、黙る。


 視線を彼女に向けるとこちらを見ていた、ようにも見えた。先程と同じように視線を合わせるとすぐに外され、もう一度、話し始めた。黒板に本の絵が描かれる。


「魔導書の存在はまさしく、それに近いのです。貴方達は疑問に思った事がありませんか?擬似魔導書などと言う簡易的でいびつな物が何故、存在できたか?・・・答えは簡単です。魔導書は言ってしまえば、非常に知覚しにくい書物型の幻想種と捉えるのです。勿論、様々な意見があるでしょうが、嚙み砕いて説明する為にこう言ったかたちで説明しています。魔導書はただ、そこに本が置いてあるだけではありません。その中には世界の根底を覆すものから、埒外のものまであります。理解が追いつかない。認識の外にある。表現は何でも構いません。我々が認識できるような数ページの抽出により、その魔導書の位階を下げ、汚し、我々が知覚出来るようにしたもの、それが擬似魔導書です。一方で、貴方達やかつての貴方達の祖先が渇望していた魔導書はそういった埒外の存在なのです。」


 描かれていた原本の方が白くグチャグチャに塗りつぶされる。


 ポキッ、と折れるチョークの音。


 あ、という誰かの声が漏れる。皆、惹き込まれている。この部屋の空気は静かに燃える炎のようで、それでいて熱狂的な空間が形成され始めている。


「貴方達はこれから、各々がそれぞれの見識や認識、才覚を持って、自分だけの秘を探求する者となるでしょう。私はそんな貴方達の少し先を行く者として、擬似魔導書を知覚するということは段階的に後の魔導書の作成に欠かせないファクターになると考えています。この前の貴方達のレポートの点数は低すぎました。その理由の一つとして、自分が何をやっているのか理解できていないことが要因でしょう。根本的なことがわかっていない人間が多いという考えに至り、この話しをしました」


 そう言って、彼女はまた黒板の方を振り返り、黒板消しを触る。すると、チョークと同じようにひとりでに黒板消しが動き出す。


「今日の講義はここまでとします。レポートの再提出は再来週で構いません。代わりに、提出内容を変更します。悪魔や天使と魔導書の関連についてまとめて来なさい。では、以上。」


 そう言って、彼女は颯爽と講義室を後にした。静かな熱の余韻と戸惑いの雰囲気が部屋中に充満しており、動くものがすぐには出なかった。


 だが、人は忘れる生き物だ。


 ちょっとすると、ガヤガヤと何時もの空気が戻ってきた様に見えたが、何処か歪に感じる。世界が少しだけ変わったようなそんな感覚を感じたのだ。


 まぁ、俺はボーッと窓の外を見てたけど。

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