第4話 紫煙と眠り姫

 チロチロ、と燃える蝋燭の火が時折、視界の端にうつりこんでくる。前方を歩く男は、回りに紫煙を纏わせ、階段を下っていく。


「スモーク教授、地下に辿り着いたら、ほんとにやめてくださいよ?俺はまだ、死にたくない…んですから」


 この煙を出す嗜好品は、地下などの空気・・の逃げ場がない場所で吸っていると、中毒で死に至るそうだ。


 しかも、吸っていた本人だけでなく、その場にいた奴等にも影響がでるおまけ付き。

 巻き込まれては、溜まったもんじゃない。

 そんな思いをするなら、敬語でもなんでも使ってやる。


「安心しろ。この地下はしっかりと換気され、空気がしっかりと入れ替えられるように設計されている。少し苦しいかな、と思うぐらいだ。」


「いや、そうだとしても普通はやめると思うのですがね!?」


 苦しいのに、吸うって何処までヘビーなんだよ…。


「…魔導書作製の代償でな、常に煙を吸ってねぇと俺の身体死んじまうんだわ」


「…あ、そうなんですね」


 確かに、魔導書なんて代物をつくるのに代償がないなんて、そんなわけがないのだろう。むしろ、煙を吸ってないと死ぬだけなんて、軽い方ではないだろうか?


 魔導書の制作に代償が必要であることは知らなかった。


「まぁ、嘘だけどな」


「今すぐに吸うのやめてくれよ!!中毒死するじゃん!」


 大声が地下に木霊したのは、言うまでもないのだが。


 言われた本人は我関せずと煙を吐く。


「ここだ」


 スモーカー教授が立ち止まったのは、地下に降りて直進して奥の突き当りの扉の前だった。


「保健室の人外から何て言われたんだ?」


「私が何とかするとだけ言われましたね」


「は?何言ってるんだ?セリルから何も書類とか貰ってないのか?」


「貰ってませんね、はい」


 あんな契約書見せれる訳がないだろう。


「まじかよ」


 頭をかく目の前の男スモーカー教授は、なにやら考えごとをしている。何を考えているかわからないが、面倒くさいと思っているのは確かだろう。


 顔がそう言っている。


「俺は、帰る」


「・・・はい?」


 一瞬、理解が追い付かなかった。こいつ、じゃなくて、この人帰るとか言いやがったぞ。


「まあ、待て。落ち着こうか。とりあえず、おまえはこの扉の中に入って『配属される予定の者です。どうぞ何なりとお申し付けくださいませ。今日からあなたの奴隷として、よろしくお願い致します。』って言って、何言われても一日ここから出てくるな。もしここを却下され、追い出されでもしたら別の研究室への配属は無しだ」


「おいおいおい、なんだそれ!?」


「いや、俺にも良心がある。だがな、これはもう決定されたことなんだよ。主にセリル教授の中でだがな。お前に何も渡してないのは、俺も驚きを隠せなかったが、仕方ない」


 うん、一端、落ち着こう。


「いや、先生だけ納得されても、当事者の俺が全く理解できていないのですが!?」


「はぁ…。普通は上からの通達書類を持っていくものなんだ」


「もし持ってなかったら?」


「虚偽の可能性が大幅にある。大抵、バレるがな」


 ふざけんな。


「俺が関わったと思われると正直、面倒だ。他にもエイワス教授と話すことがあったが、今度にするとしよう。うん、今回はお前に譲ろう」


 巫山戯てるが、ここまで連れてきてくれたと言うことだけでも、まだまともな部類に入る研究者なのだから始末が悪い。ため息しかでない。どの道、エイワス教授の研究室に配属される必要があるのだ。


「わかりましたよ…。ここまで連れてきて頂いてありがとうございます」


「なんだ、物分りが良いじゃないか」


「ここまで連れてきて頂いたんですし、それだけでも感謝しなければと思いまして」


「ふむ、良い心がけだ。じゃ、俺は帰るわ」


 本当に帰るのか、と思いながらドアの前に立つ。


 木材の硬い音を響かせ、「すみません、神乃と申します。入ってもよろしいでしょうか」と声を発する。


 だが、返答が無い。


「入っていいぞー」


 そして、何故か階段当たりまで戻っていたスモーカー教授が返答する始末である。


 ため息を漏らしながら、ドアを開ける。


 開けた先は、図書館だった。いや、図書館のような書斎、という表現が的を射ているだろうか。


 本棚がところ狭しと並び立ち、入り切らなかった本がいくつも積んであった。


 森に生える木々のように無秩序に、それでいて、静観と厳粛さを兼ね備えたこの部屋はどこか歪であった。しかし、鼻孔を擽る独特な匂いと静寂が一種のを構築されていた。


 入口とここの主の間には人一人が通れるさながら獣道のような通り道が形成されていた。


 その先にあるしっかりとした木製のデスクに突っ伏して、ここの主である彼女は静かに寝息をたてていた。


 室内を仄かに照らす光の玉が彼女の寝顔を薄っすらと照らす。


 エイワス・マール。


 これまで、眼鏡を外した姿を見たことが無く、いつもの強気な物言いをする彼女と異なる無防備な姿に驚きを隠せない。


 時折、部屋を周遊する玉の光が彼女のワインレッド色の髪を引き立たせる。服装は黒の前開きのパーカーの中に白い襟付きのシャツを身に着けており、少しラフだ。


 寝ている女性の部屋に勝手(?)に入り、その姿を見てしまったのは、不可抗力であった。


 しかし、自分は見惚れてしまったのが後ろめたかったのだろう。


 思わず足が後ろに下がってしまい、その反動で引いた肘に何かがぶつかる。

 その感触が身体に伝わった後、遅れて積み上げられていた本に当たってしまったことに気がついた。が、後の祭り。


 入口付近に積んであった山積みにされた本が崩れ落ちた。


「やばっ…!?」


 ドサドサバサッという本が立て続けに崩れ落ちる音が部屋に響き渡る。


「・・・ん、ん・・なに?誰か来た?」


 机に突っ伏していた彼女は目元を掻きながら眠気眼でこちらを見つめてくる。


 そして、視線が重なる。


「…あ、あなたはいつも死んだ魚の目を講義中にしている今回からの…ん、んん!…学生ではありませんか。何故、勝手に入って来て、部屋に並べてあった私の本を崩して、そこで変な顔してつっ立っているのですか?わ、私は今、研究とかその他もろもろで忙しいのですが?まさか、告白とかの申し出ですか?嫌です。勝手にお亡くなりになってください」


 ツッコミどころが多すぎやしないか?そして、何故告白して振られたことになったんだ。


「あ、いえ、勝手に入ってしまったのは本当に申し訳ありません。ですが、ここで研究の手伝いをする、もといエイワス教授の研究室に配属するようにと言われて、伺ったのですが」


「知りませんし、聞いてませんね。というか、誰に言われたんですか。」


(小粋なジョークも通じないとは、話しになりません。)


 っと、彼女はボソッと付け加えてくる。それに思わず、


「いや、本なんて積んでほかってあったし!寝てたし!告白じゃないし!勝手に殺されてるし!ツッコミどころ多すぎるでしょうが!?あなた、先生だし!?そもそも、ツッコミしにくいんですよ!教授会でというお話しですが!?」


「ふむ、確かに私は色々と飛び超えて教える立場にあるし、あなたは同年代で、私よりも馬鹿そうだし、レポートの評価も低い。まあ、対応能力はあると。この前の教授会は所要があって参加してません。つまり、聞いてませんね。」


「俺のレポート点が低かったのが判明しただと!?」


「馬鹿は否定しないのね。ああ、このままじゃ来年も頑張ってもらうしかないわね・・・」


「どうしようもないんですか、エイワス先生…」


 この部屋に来たことの本来の目的がそもそも何だったのか忘れてしまった訳では無いのだが、人は即物的なのだ。なんと言っても、この人の授業はである。今年落としたら、まず進級出来ない。


「うーん、無理ね。そのまま諦めて、退学してもらって私の寝顔を焼き付けたその脳内と共に闇に葬り去りましょう」


「この教師、私情入りまくりだよ!」


「ところで、この時間に来るはず・・・・だったのはスモーカー教授だったのだけど、知らないかしら?」


「えっと?スモーカー教授なら一緒にこの部屋の前まで来ましたが、部屋の前で『俺は入らん。面倒だ、帰る。入らなかったら、お前の未来は無い』と言うようなことを言われたので部屋に入ったの俺だけです」


「・・・そう」


 一瞬、視線をこちらから外し、片手を口に当て何か考えるような仕草をする。

 が、すぐにこちらを見て言った。あの人、エイワス教授に何も内容言わずにアポ取ったのかよ。


「とりあえず、何だっけ?」


「研究室への配属とのことでした」


「・・・どこから連絡が来るのかしら。まあ、事務に確認してみるわ」


 そう言って、彼女は筆を取り出し、羽根ペンで何やら書き始める。すぐに書き終わったのか、ふうっ、と一息ついてこちらを見る。


「とりあえず、また明日ここに来て頂戴。沙汰は追って伝えるわ。以上、出ていって」


 ふむ、これはなんだか面倒な事になりそうだな。


 そう思いながら彼女の部屋を後にした。

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