第24話 ただの本屋のアルバイト、その仕事

 二日目の夕日が、船を照らしている。

 朝の一件以来、事態は急速に展開していった。

 まず、人質のほとんどが救出された。鹿男たちは指示通りに人質の資産データの移行を終わらせてくれた。また、船員たちも、俺たちがリモートで船を運転できるため必要ないので、人質と一緒に救命ボートに乗せて解放した。

 ただ、イスカのデータ移行に関してはかたくなに拒否した。彼女のデータを移行した瞬間、俺たち裏切られると思っているようだ。最後まで人質として取っておくつもりだろう。

 次に、巡回中の森の動物たち。こいつらに関しては、吉祥院とサヴァーが狩っていった。狩られた連中は身ぐるみを剥がされ、下着姿で手足を拘束されて、部屋の風呂場に転がっている。風呂場は出入口に仕掛けが施されていて、不用意に内側から開けようとすると電流が走る仕掛けになっている。仮に拘束を解いたとしても、それで再び気絶することになる鬼仕様だ。

 政府からは、天城スザクの解放がもう間もなくだと連絡があった。また、身代金一兆円なんていう馬鹿げた金額だが、これも同じようにデータ移行で受け渡しを行うことになった。文明ってすげえけど、怖いな。現物が目の前になくてもデータ上は『ある』のだ。けれど問題が起きた。そのデータをどこに送るのか、ということだ。

 最後に台風情報。一番予定通りに動いてるのがコレというのも笑える。カオス理論はどこ行った。順調に接近中で、明日には暴風域に入る。

「現状をまとめると、こうっすね」

 ヒナが紙に要点をまとめた。

・残る人質はイスカのみ。

・テロリストがいるのはブリッジとパーティ会場

・天城スザクは今日中に解放、身代金に関しては、データ上は存在するが、今度はテロリスト内でどこに送金させるかが問題となっている。また、データなど信じられないという意見もあり、五パーセント、それでも五百億にはなるが、現物を目の前に用意しろと新たな要求を出した。

・明日の早朝あたりで、台風の暴風域に入る。

・世間の反応は、テロリストに対しても、また政府に対しても非難が殺到しているが、それ以上に、人質を無慈悲に殺戮したノアはネット、新聞、テレビとあらゆる場面でボコボコにされている。

「ちょいまて。何でだ」

 さすがの俺も声を上げた。そりゃ、流石にノア、というか俺のやってることは人の道にもとるどころの話ではないが、演技だ。フィクションだ。目の前のテロリストたちを騙しているに過ぎない。

「何でって、え? だって、皆にとってはフィクションじゃないですもん。当然演技だなんて通知は一切ないっす」

 何を今更、みたいな驚いた顔でヒナが言う。

「・・・・ホワイ?」

「当然でしょ」

 アイシャがも言う。

「今回のテロに関わってない天城スザクの信奉者たちは、当然家でテレビ見たり新聞読んだりしてるの。そいつらがもし、ここの連中と連絡取り合ってたらどうする? ノアの正体は政府側の人間だとばれてしまうかもしれないじゃない。だから、全てが終わるまでは、ノアは極悪非道でなくてはならないの。そうすることで、テロリスト側にも同情すべき縁があると世間が思わなければならないの」

「・・・何で?」

 理解が追いつかない。どうしてテロリスト側も同情の余地があるとしなきゃならん?

「そうすることで、天城スザクを解放しても良い空気を作り、かつ、信奉者たちとの真っ向からの対立を避ける為よ。一番悪いのは、憎むべきはノアただ一人、という構図は、色々と都合がいいの。・・・ねえ、もしかして、こうなることが分からずにやってたの?」

 アイシャがオーバーなリアクションで額に手を当て、天を仰いだ。

「もしかして、これが、お前らが呆れた原因か?」

 ようやく気づいた。俺が介入した時点で、俺は全ての敵となるしかなかったのだ。そうか、これがあの時感じた、後戻りできなさそうな予感か。鷹ヶ峰か、それとも誰かがアレはお芝居でしたと世間に発表するまで、俺ことノアはありとあらゆるものの敵となるのか。

「もしかしなくてもそうよ。本当に何も考えてなかったのね。なのにあんな宣言したのね?」

 ―俺たちが、アウトロウだ―

 思い返しても顔が熱くなり腹が痛くなり悶えたくなるような自分史だが、まさかこんな影響が出ていようとは思わなかった。

「いいじゃないすか。どうせ先輩は世のほとんどの人種から嫌われる運命にあるんすし」

 へらへら笑いながら何つうことをのたまうんだ後輩。そして否定できない。それだけのものを俺の人生は積み重ねてきている。

「別にいいじゃない」

 肩を落とした俺にアイシャが慰めるように言った。

「大勢から嫌われても、その大半はあなたとは縁もゆかりもない他人よ。気にする必要もないわ。大体他人の評価なんて気にしたって変わるもんじゃなし。もし気にするというなら、あなたの手の届く範囲にいる人間が、あなたのことをどう思っているかで充分じゃない。た、たとえば、わた」

「さすがアイシャちゃん、良いこと言うっす!」

 何か言おうとしたアイシャの背後からヒナが抱きつき、じゃれつく。こんな時だというのに仲良いな。なんとなく殺気立ったように見えるのは気のせいだろう。きっと。

「さてはて、ともかくも私たちの第一の目的はイスカちゃんであるからして、彼女をどうにかして救い出さないと凰火ちゃんたちが彼らを制圧できないんすよね」

 片手で暴れるアイシャをいなしながら、画面を見ているヒナ。そこには動物の覆面をかぶった異様なテロリスト集団の中に、ぽつんと浮かび上がる白銀の髪。

「動物に囲まれたお姫様を、どう救うかな」

「そう聞くと、メルヘンなんすけどねえ」

 お姫様を囲む動物たちは近代兵器という牙で武装している。あれらを狩るには優秀な狩人が必要だが、幸いこちらは最高ランクの狩人が二人いる。勝てる、勝てない、の話をすれば、百パーセント勝てる。

 そのかわり、お姫さまの身が危ない。彼女が死んだら全て意味がなくなる。

「伊那鷺さん。吉祥院さんとサヴァーさんは、今どんな状態?」

「いつでも動ける状態、ではある」

 彼女の物言いが、反対の意味、今は動けない、ということを示唆する。機を窺っているともいえるが、その機が無いと挑めない状況なのだ。

今日は、他の人質が動く以外は何の変化もない、じれったい停滞の時間ばかりだった。和やかに話しているように見えるが、全員、内心は焦っていた。表情に出さないだけだ。

 彼女たちの手順は、まずブリッジを落とす。次にパーティ会場を真っ暗闇にする。混乱に乗じて会場に乗り込み、制圧する。

 先にブリッジを狙うのは、そこに爆弾の起爆装置があるためだ。イスカを救っても船を破壊されては意味がない。船の完全主導権を握ることを第一とした。

 しかし、ブリッジが制圧されたことをパーティ会場の連中に知られたらどうなるか。まず間違いなくイスカは人質、最悪見せしめや報復で殺されかねない。

 かといって、吉祥院とサヴァーを二手に分けるのは得策ではない。一人でも制圧は可能だろうが、その代り時間がかかる。やはり、人質の命が危うくなる。

 打てる手を打つ覚悟が決まった。ずっと考えていたことだ。もとより、あの宣言をした時から・・・まあ、世間を敵に回しているのには少し驚いたが、いつもより驚きが少なかったのは、その策を思いついていたからだ。

 誰かが彼女を守らなければならない。計算上では二分。あらゆるシュミレーションを吉祥院とサヴァー、そして伊那鷺が繰り返し行い、最短とした時間だ。その間、イスカを敵の目から遠ざける必要がある。

誰か、などと。本当は答えに至っている。今この現状でその任を果たせるのは一人だけ。しかも、こういう時だけその人物の脳は良く動く。本人の意志とは無関係に。つくづくMな気質の頭だ。

 時間があれば、他の方法も考え付くかもしれない。けれど、台風のせいでタイムリミットは残り数時間。それまでに片をつけなければ、港に戻れないまま暴風域に突入する。それも全滅だ。

「先輩、どうしたんすか」

 俺の様子が変わったのを敏感に感じ取ったのか、ヒナが心配そうに声をかけてきた。

「なんか、あの時と同じ顔をしてるっす。また、何かよからぬことを考えたのではないっすか?」

「あの時って、よからぬことって何だよ」

「凰火ちゃんと戦った、選手権の決勝前っす。先輩、鷹ヶ峰さんにその表情で言ったんすよ。『勝ってしまっても良いんですね』って」

 わざわざ人の物まねをしながら言うな。

「そして、見事勝利を収めたんす。嫁入り前の娘さんの心に深い傷を負わせて」

 よよよ、と泣きまねまで始めた。

「人聞きの悪い。あれは正当な真剣勝負だぞ。そりゃ、自分が有利になるように持って行ったのは事実だけどもさ」

「その悪魔のような策略を練ってた時と同じ顔してるって言ってるんす。さあ、キリキリと白状しなさいっす。何考えてたんすか」

 ふむ、と一度思案する。どうせこいつらの協力なしに出来る事じゃないし。

「わかった。そのかわり、こっちの言い分に従ってもらうけど、約束できるか?」

「な、何を言うつもりっすか。まさか口にも出せないようなエロいことを・・・うわっぷ」

「乗ったわ。だから話しなさい」

 横合いから、ヒナの体をアイシャが押し出した。

「アイシャちゃん、何するんすかー」

「ふざけてる場合じゃないでしょ。それに、私も、こういう男性の顔を見たことがあるわ。お父様が、国の明暗を分けるような決断を迫られて、その答えを出す時の顔そっくり」

 いや、そこまで言われると、ちょっと申し訳ないというか。閣下と比較しちゃダメだろ。

「覚悟を決めた男に尊卑は無いわ。言いなさい、その決断を。どっしりと受け止めるのが女というものよ」

 そのセリフ、シビレたぜ。

「現状を打開できるというなら、惜しまず協力しよう。私のできる範囲で、になるが」

 伊那鷺も嬉しいことを言ってくれた。まあ、この人の出来ない範囲なんて、常人には逆立ちしたって無理だ。

「わかったっす。茶化しは無しっす」

 そういうヒナだが、これはこれで、場の空気を和らげようという配慮だ。こいつはいっつもかっつも馬鹿を言っているんじゃない。空気を読みながら適切な馬鹿を言うのだ。だから誰もこいつのことを嫌いにはなれない。

「じゃあ、話すよ。現状を打破するための、一度きりの方法を」


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 がちゃり、と何の前触れもなくパーティ会場のドアが開いた。静まり返っていた会場に、その音は良く響き、テロリストたちの注目を集めるには充分すぎた。テロリストたちはいっせいにその場に銃口を向け、臨戦態勢を取る。

「ど、どうも」

 そこに、タキシード姿の男がおどおどしながら入って来た。その後ろから、ウサギの覆面、ラビットが続く。ラビットは男の背中に銃口を向けていた。それを見て、テロリストたちは警戒しながらも銃口を降ろす。

「どうしたラビット。そいつは何だ」

「か、隠れていた」

 ラビットが男を発見した経緯をかいつまんで話す。

「だ、から、連れてきた。あとは、任せる」

「ご苦労。では、戻っていいぞ」

 ラビットがタキシードの男を引き渡し、そのまま巡回へ戻っていった。

「よくもまあ、今まで隠れられていたものだな。ええ?」

 嗜虐的な声音で、鹿男はタキシードを銃口で突いた。そのたびにタキシードは大げさに怯えるので、ますます鹿男や、周囲のテロリストたちの嗜虐信を煽った。ノアという得体のしれない男に押さえつけられていた鬱屈を晴らさんとしているかのようだ。

「貴様、名前は?」

鹿男が問う。別に興味はなかった。ただ何となく尋ねた。タキシードは、怯えながら、つっかえながら、答えた。

「鬼灯、律です。ただの、本屋のアルバイト、です」

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