第23話 二日目のテコ入れ

 夜が明けた。

 水平線の向こうから上る朝日が爽やかに、燦々と輝く。こんなときでなければカフェテラスでコーヒーを楽しみたいところだ。代わりに、ガツンと脳に来るようなカフェイン過多の濃いコーヒーで泥のような眠気を飛ばす。

 人質の数は順調に減っている。このまま行けば、明日の夜には全員解放される見込みだ。

 そして、お気づきの方も多いかと思うが、このまま行けば、という言葉が世界でもトップクラスに似合わない男なのが、俺だ。

【ノア、聞こえるか、ノア!】

 早朝から元気だなあ。全員が画面前に集まる。全員の顔を見合わせ、頷き一つ。マイクを口元にあてて返事に備える。

【政府からの返答はまだか!】

 やはり、そのことか。朝っぱらから頭フル回転だ。ダレてくるこの辺りが一番の勝負どころだと昨日吉祥院も言っていた。発言一つで人質を害されかねない。どころか、こちらの正体もばれてしまう。慎重に、相手の言葉を聞き、その心情を読み、それでいて本物の悪党を演じる。

「こっちにはきてないよん。そっちは?」

【まだだ! やはり、あいつら、こちらの要求を吞む気が無いんじゃないのか!】

「こっちが流してる映像を見て、それでも動く気がないのなら、相手も悪魔だったってことかね。しかし、そいつは困ったねえ」

【貴様は既に数億手に入れているから良いかもしれんが、こっちはそうはいかないのだ! WinWinの関係というなら、少しはこちらに利となることをしろ!】

 そして鹿男は、あろうことかイスカに銃口を向けた。

「おいおい、穏やかじゃあないねえ」

 内心の焦りを強引に押し付けながら言う。

【貴様らのメインは、百億の資産を持つこの娘だろう!】

「昨日言わなかったか? もしそいつを撃つんなら、こちらもお前を撃つ」

【本当に出来るのか?】

 鹿男が、やけに自信たっぷりに聞き返してきた。

【貴様が軍事衛星を乗っ取っているのは認めよう。だが、いくら細いレーザーを使ったところで、この船体に穴が開くのは間違いないのではないか? この船が沈んでしまっては、貴様だって本末転倒だろう?】

「確かに、穴は開くぜ、ポッカリと。けれど、それと船が沈没するかどうかは話が別になる。船が沈む原因は浸水、穴の開いたところから入ってきちゃうと浮力が保てなくなって沈没する。けれど、それを防止するために、船は区分けされて、一部が浸水しても、他の区画に浸水しないように出来てる。浸水しなきゃ浮力は保たれる。直径五センチほどの穴が一区画に空いたってそう簡単に沈みゃしないさ。・・・・・・なんなら、今から試してやろうか?」

 ギョッとしたように、鹿男始め他の連中が上空を見上げた。そこを見上げても天井が見えるのみだと思うがね。

 相手が怯んだのを見て、次の手のために、一旦マイクを離し、周りを見渡す。

「しっかし、予習しといてよかったなぁ。本当にあっちが焦れて取引しようとしてきたな」

 部屋中に張られたカンペ集がそこに在った。その内の一つが『テロリストたちが焦れてきたら』対策。あらゆる場合に備えたトーク切り返し大全だ。お笑い芸人も驚きのありとあらゆるパターンが網羅されている。笑いは一つもないのが欠点だ。


―四時間前―

 三回目の見回りから帰ってきたら、なにやら全員が机の前でうんうん唸っていた。

「どうしたの?」

「あ、先輩、お帰りっす」

 ヒナが幾分やつれた顔をして、こっちに手を振った。

「今後の会話マニュアルを作ってんのよ」

 ふう、と眉間を揉み解しながらアイシャ。

「会話、マニュアル?」

「このまま、上手く時間だけが過ぎるとは限らない」

 吉祥院が俺の方を忌々しそうに見ながら言った。

「貴様も、このままアドリブだけで突っ切れるとは思っていないだろう?」

「そりゃ、まあ、はい」

 反省してます。

「私やサヴァー女史は、頃合いを見てここから出る。奪還のための準備もあるからな」

「あ、やっぱやる気ですか」

 ブリッジと会場を制圧する気満々だ。幸い、昨日ラビット柿崎から奪い取った小銃が一丁あるし。

「あら、それだけではありませんわ」

 こともなげにそういうメイドさん。あなたは乗船前に厳重な警戒があったはずのこの船にどうやって武器類を御持ち込みなられたのかしら?

「そんな大げさなものは持ち込んでおりませんよ。武器は、そこかしこにある物を少し加工するだけで代用できますから」

 この人が元ソルジャーだったことを痛感させられました。ナイフ一本で山籠もりできる人種だ。

「これだけの人材がいてやらないという手は無い。どうせ誰かがやるのだ。私がやれば、味方の被害は確実に少なくて済む」

 相変わらず強気なことで。

「もちろんそれもあるのでしょうが、吉祥院様はイスカ様が心配なのですよ」

「サヴァー女史!」

 口元に手を当てて微笑むサヴァーを怒鳴りつける。心なしか頬を染めて。失礼しました、とサヴァーはそれ以上喋らなかった。

「・・・やめろ。そんなことは欠片もない。貴様らが考えているようなことは何一つない。だから、そんな顔でこっちを見るな!」

 そう言って俺たちを睨む。だが、いつもと違って全然怖くない。俺、ヒナ、アイシャのニヤニヤが止まらない。

「ともかく、だ」

 強引に話を方向修正し、吉祥院は続ける。もう少し彼女が照れるというレアな光景を見ていたかったが、なにやら急ぎの様だったので、切り替える。

「おそらく、変化のない状況に相手もそろそろ焦れてくるだろう。こちらも合わせて動く。それに、こちらも急がなければならなくなった」

 どうしてこちらに急ぐ必要が?

『少しまずいことが判明した』

 モニターの鷹ヶ峰が言う。

『つい先ほど、南海上に台風が発生した』

 嫌なワードキタコレ。うん、簡単に予測できてしまうなこの後の展開が。

『暴風域は千キロ以上の超大型、最大風速は七十キロ、間違いなく近年まれにみる最大級の台風が、時速二十キロでそちらに行儀よく並んで向かっている』

「並んで?」

『ああ。珍しい、親子台風だ。超大型に追従するように、二つほど小さな、それでも暴風域が五百キロあるんだが、向かっている。現在月本全土にたいして充分な準備と最大の警戒を呼び掛けているところだ』

 なんだっていっつも俺の予想をはるかに上回るかなぁもうやんなっちゃうぜ。

 台風の影響が弱まるのは陸地の摩擦とか水が少ないからだと昔の科学かなんかの先生が言っていた。けど海上では勢力を保ったままだ。

『人質を救出する時間も限られてくる。台風がそっちに接近するのは今から約二十八時間後だ。それまでに全員を解放させろ。でなければ今行ってる作戦に無理が生じる』

 人質は全員救命ボートでけん引されているって設定だからな。台風なんか来たら簡単に転覆する。そしたら今ボートに乗ってるのが偽物の、変装した特殊部隊の方々だと気づかれかねない。特殊部隊員だって結構な命の危機だ。

『それもあるが、なによりこれだけ強烈な台風〝一家〟だ。たとえエデン号でも転覆の可能性がある。君たちの身も危うい。早急にこの事件を解決する必要がある』

 なるほど、だから強襲してのスピード解決が求められてるのか。

「明朝より行動を開始する。私とサヴァー女史でまずは巡回している連中を片付けていく」

 片付けるって、良いのか? 定期連絡とかあったと思うけど。

「それに関しては大丈夫。あちらが見ている監視映像は細工を施して、ずっと同じ映像が見えるようにしている。また、彼らが朝巡回に出てから会場に戻るのは昼食と夕飯時のみ。それも一人ずつが交代で見まわっている。ならば、実質一人全役することも可能」

 化けて出ろと。ラビットの他にタイガーやらベアーやら、一人劇団フォーシーズンを演じろと。

「幸いなことに・・・・」

 わかってるよ。全員同じような体型だと言いたいんだろう? やるよ、やりますよ。


―現在―


「ま、君らの焦りもわかんなくはない」

 マイクに向けて告げる。

「俺も少々飽きてきた。このままらちが明かないというなら、明けてみるのも一興だ」

【ノア、貴様、何をする気だ?】

「少々手伝ってもらうぜ? これから、人質のデータ移動を増加させる。そうだな。今日の夕方までには終わらせる計算で行くか」

【それだと、今までと同じではないか】

「だから、慌てなさんなって。そうそう。最初に流した救命ボートって、どれだっけ」

【ん? 確か、一番左に浮いているのがそうではなかったか?】

 そうかそうか。では決まりだ。

「次は、こちらから交渉を持ちかけてみようか」


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【グッモーニンッ! 本部の皆さま! あっさでっすよー!】

 頭に響くハイテンションな声が月本政府シージャック事件対策本部とエデン号パーティ会場内に木霊する。

【この度私、ノアは。エデン号をジャックしているテロリストの方々からお便りいただきました! 読み上げますね? 何々? 『拝啓DJノア様。僕には悩みがあります。僕がこんなにお願いをしているのに、月本さんは一向に話を聞いてくれません。助けてください』ですって。ううん、熱意は届いてると思うんだよねェ! けど何かが足りない。ようし、じゃ、ノア、ちょっと手助けしちゃおっかな?】

 彼らの見ている画面が強制的に切り替わる。映し出されたのは海上、人質が乗っている救命ボートだ。

【さて、月本さん、もとい、月本政府に告げる。さすがに時間かけ過ぎじゃね? そろそろ、彼らの指導者、天城スザクを開放してやんなよ!】

「だから、何度も言っているだろう。法的手続きは時間がかかるのだ」

【じゃあ、手続きとやらはどの程度進んでいるのカナ? それを省略するための超法規的措置ってのがあると思ったんだけど?】

「それでも、書類など、承認という形で命令は下されなければならないのだ。最後に物を言うのは結局アナログな照明が効力を発揮する。どれだけ強固なセキュリティを施しても、デジタルは改竄される危険がある」

【まあねえ。自分で言うのも何だけどさ? けど、やっぱごまかしてんじゃねえの? ってのがテロリストたちの言い分なのよ。やっぱ舐められてんじゃね? 的な? そういうわけでこのようなお便りが届いたってわけでして、こうなると協力してもらってるこちらも彼らに協力せざるを得ないわけで】

「貴様は何が言いたい」

 長官の隣に座っていたいかついおっさんが迫力満点の野太い声で怒鳴る。

【なあに、ただのデモンストレーションさ】

 次の瞬間、会場が映し出されていた画面が強烈なフラッシュで白く染まる。全員が顔を覆い、白い閃光から目を守った。

 自分たちの影が大きさを取り戻したとき、画面上では異変が起こっていた。

【間違い探しだ。先ほどの画面と今の画面では、一つ違いがあります。なんでしょうか?】

 誰も答えられなかった。答えが分からなかったからじゃない。

「救助艇が、消えた・・・」

 百名の人質が乗っていたはずの救命ボートが、画面上から一隻消えていた。

【正解正解! おめでとう! 商品は俺からの称賛の雨アラレだもってけ泥棒!】

「貴様、撃ったのか。人質百人乗っていた船を!」

【そうだよ。あまりに君たち対策本部の皆さんが焦らしてくれるからさ。我慢できなくなっちゃった。てへ?】

「ふざけるなよ!」

 机を叩き、おっさんたちが立ち上がる。

「何とも思わないのか。これだけ大勢の人間を簡単に殺しておいて、良心の呵責もないのか!」

【そっちこそ、ふざけるなよ】

 先ほどまでの明るい声とは一変して、ドスの利いた声でノアは言う。こちらこそが本性だと言いたげに。

【丸一日使ってたかが一人の釈放もできねえなんて、おかしいだろうが。それも、俺たちの調査だと冤罪の人間だ。そっちだってふざけたことしてんだよ。今日の事件の一旦はあんたらにもある。トリガーはそっちだ。この事件は、起こるべくして起こっている】

「・・・そんな事実は一切ない。天城スザクは罪を犯した。だから捕まった」

【彼女自身が関与したという事実も証拠もなく、幹部連中が勝手に好き勝手やってたって情報が入ってるぜ? 俺たちですらつかめる情報を、あんたらがつかめてないわけないだろ? そちらの内部にも、正義ではなく欲望で生きている人間がいるってことさ】

 対策本部の誰もが、気まずそうに顔を背けた。

【ま、ともかく。こいつで俺の本気というものをわかってもらえたと思う。次は六時間後だ。色よい返事を期待してるぜ?】

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