第13話 ノア

 そこにいたのは、出会った時と同じ、銀の髪、真っ黒な服のイスカだった。彼女が手紙というなら、なんとまあ立派なビデオレターだ。ホログラムか。

「で、何だっけか? イスカさん」

「イスカ、ではありません。私はノア。そう、世間で呼ばれている者です」

 ノア、正に今日ヒナが言っていた都市伝説の選定者か。

「なぁるほどね。で、俺が善か悪かを選定しに来たってのか」

 で、ヒナが言っていたことが事実なら、悪としか答えられないってことだが。今のところ好き勝手喋れるみたいだけれども。

「そうです。・・・もう一度、お尋ねします。貴方は、善人ですか? 悪人ですか?」

「・・・あんたはどう思う?」

 多分、尋ね返したのは俺が初めてではないだろうか。イスカ、いや、ノアも目を丸くして驚いている。

「自分のこともわからないのですか?」

「わかるかよ。つうか、自分のことを理解している人間はこの世にほぼいねえ、と俺は思うがね」

「だから、他人の私に委ねる、と?」

 ノアは表情を険しくして、俺を睨んだ。

「無責任なのですね。ずいぶんと。自分のことすら、他人任せにするのですか?」

「いや、しないよ。それは楽だけど、後悔の度合いが半端ねえから」

 険しい顔が、怪訝な顔になった。理解できないものを見た、そんな顔だ。

「善悪の基準は、本人と他人の間で齟齬を起こすことがある。昔の本にご出演の悪魔が言っていた。悪を欲しても、善を成す、とかなんとか。自分は悪だと思ってやってることが、実は世間ではありがたがられるようなことだってある。結局のところそれをどう思うかは周囲の人それぞれの匙加減だ」

「だから、私に評定を下せと?」

「まあ、そうなるのかな。それまでの俺の行いこそが俺の責任で、そこから派生する評価は俺が得たものだし」

 そういうと、ノアはあごに手を当てて、考え込んでしまった。そんな難しいこと頼んだかねぇ。好きに評価してもらって良いんだけど。悪ければ直すし、良ければ継続するだけだし。

「まあ、あえて、言うなら?」

 彼女が顔を上げて、俺を見た。

「俺は、鬼灯律だってことくらいか。確かなことは」

 善人とか悪人とか基準のよくわからんあやふやなものは知らん。確固たるものと言えば、それくらいだ。これまでの過去が積み重なってできた、鬼灯律が、ここにいる。


 拡散希望をした覚えはないが、痛い位の沈黙が、俺と彼女の間に瞬く間に広がった。夢なのに、一陣の風が吹き抜けたような錯覚さえ伴って。


 ええ。後悔してますよ? どうしてそんなハズいこと言ったかなと。全力で絶賛後悔中ですよ? 悶えないのが不思議なほどだぜ。夢だと思って油断してたよ。けど言っちゃったんだもの。口から出た言葉をなかったことにはできねえよ。せめて聞こえなかったことを藁にもすがるような気分で期待するし・・・

「そうですか。善でもなく、悪でもなく、自分は鬼灯律である。それが、貴方が下した貴方なのですね」

 聞こえてらっしゃるじゃないの・・・。まあ、そうだよね。藁はしょせん藁。体重六十キロの俺がおぼれた時に掴めば千切れ飛ぶよね。

「わかりました」

 そう言って彼女は踵を返し、手前のドアに手をかけた。

「また、お会いしましょう。鬼灯律」

 グイッとドアを開いた。途端、暴力的なまでの光が流れ込んできた。光は俺たちを包み込み、全てが真っ白に染まって


「あ?」

 背中にあるのは薄っぺらな布団の感触だ。窓の隙間から差し込む光が、丁度俺の両目を直撃している。このまま放っておいたらデイゲーム中の野球選手かタヌキみたいになっちまう。

「ああ、やっぱり夢か」

 あれが都市伝説の夢なのだろうか。噂に聞くような恐怖感は無い。ほぼ日常の延長線上みたいなものだったからだ。

 目を細めながら体を起こす。呪いがかかったような不調は見られない。いつも通りだ。

「結局、何だったのかね」

 腹を搔きながら考える。普通に考えれば、只の夢だ。前に伊那鷺が言っていたことを踏まえれば、眠っている間に記憶が整理整頓されるらしいから、そのせいで日中の記憶を見ても不思議じゃない。所詮そんなもんだ。

 だから、それ以上考えるのを止めた。都市伝説ってのは、その程度の扱いで充分だろ?


「今後の予定を発表する」

 俺たちを前にした鷹ヶ峰の第一声だ。休憩室に集まった一同の前で、彼女はホワイトボードに文字を搔きながらそう言った。

「予定、ですか?」

 嫌な予感しかしないが、あえて聞く。もうすでにボードにはWが覗いていて、色々と察しはついているが聞く。耳にするまでは信じないためだ。一縷の望みをかけるためだ。だって、もしかしたらワイルドのWかもしれないじゃない。

「もちろん、WWGのことだが、どうかしたか?」

 ・・・・うん。もう、良いんだ。諦める心の準備はできていた。

「前にも話したと思うが、これまでの個人戦とは変わって、団体戦になる。協力が出来る分、厄介な課題も多くなるだろう。他にもいくつか変更点がある」

 まずは、この月本の代表を決める必要があるらしい。オリンピックなんかと一緒で、本番大会までに団体戦用の予選大会がいくつか開催される。予選大会では、順位ごとにポイントを割り振っていて、本選までにそのポイントの最も高いチームが出場できる、というものだそうだ。

「そこで君たちには、一週間後に開催される予選大会に出場してもらう」

 一週間―

 昨日の夢のせいでどうしても反応してしまう。都市伝説通りなら、俺は一週間後に死ぬ。

 そして、意識しているのは俺だけではないようだった。ほぼ同時に、ヒナが反応した。心なしか、顔も青ざめているような気がする。明るいのが取り柄みたいなこいつが、こんな顔をするのは風邪のときと財布を落とした時以来だ。風邪は治れば問題ないし、財布はすぐに見つかったけれど、そのどちらでもなさそうだ。

 まさか、と思う。だが、ピンと来てしまった。

 反対に、イスカは平然としたものだった。俺と顔を合わせても特に変わった様子はなかった。昨日のことはやはりただの夢で、彼女は関係ないのかもしれない。

「ヒナ」

 ミーティング後に声をかけた。声に反応して振り返るが、どうも動きが鈍い。

「はい」

 こんな力のないヒナの返事はレアだ。

「どうした? 何かあったか? それとも調子悪いか?」

 へへ、と後頭部を搔きながら弱々しく笑う。

「先輩に心配していただけるとは光栄の至りっす」

 軽口にも勢いがない。こりゃいよいよ重症の予感だ。妙なところで心配かけまいとするんだよな。もっと気を使ってほしい所はあるんだけど。埒を開けるために直球で聞いてみた。

「昨日の都市伝説か?」

 ビクリ、と顕著な反応を見せた。怯えた目で、俺を見上げる。

ビンゴか。それも、問いに対して悪人と答えた系だ。

「な、何で・・・」

「俺も見た」

 イスカが出たとこは伏せて、端的に事実だけを述べた。この場合、恐怖を一人で抱え込むより、他にもいるという共感で安心をお届けだ。

 案の定、ヒナは驚愕に目を見開いて、俺の顔をまじまじと見た。

「マジすか?」

「ああ、マジだ。多分、昨日その話をして、しかもこれからフェアをやろうとか色々考えてたからだと思う。良く言うだろ? 寝ているときに記憶は整理されるって。ヒナにもほれ、頼んだろ?」

「POPのことっす?」

「そうそう。それのせいで普段使わない頭を使ったからじゃねえの?」

 わざと茶化すように言うと、「酷いっす!」とつられるようにヒナも笑った。

「だから、そんな気にすんな。一週間過ぎても、いつも通りに仕事してるよ」

 肩を軽く叩いてやる。

「そう、っすよね。何もないっすよね」

「当たり前だろ。ただの都市伝説だよ」

 現金なもので、ヒナは大丈夫だと分かった途端にいつも通り、いつも以上に元気になって仕事に戻っていった。そうだよな、あんなもん、ただの夢だ。俺も、仕事に戻ろう。

 この話に結論をつけた俺の前を、銀の髪が横切った。

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