第12話 都市伝説

 イスカはいたって普通の子だった。今まで新人教育で受け持ったのがヒナと吉祥院と伊那鷺、分類すれば不真面目と天才の二種類しかいなかったから、普通の新人に対してどう相対していいのか、俺の方こそ戸惑っている。あまりに前例が極端すぎる。

「こ、こんなに面白いのか・・・」

 そう、初めて俺は、人が成長していくという、ある種のシミュレーションゲームを楽しませてもらっていた。

 イスカは、何も知らない。記憶がないという意味ではなく、ここのバイトの経験という意味で。だから一度教えても何度かは失敗する。けれど、自分で工夫し、考え、その次は成功させる。徐々に成長していくのが目に見えてわかる。それが実に面白い。これが子を持つ親の気持ちだろうか。這えば立て、立てば歩めの親心魚心だ。

「どうでしたか?」

 レジ対応をこなして、イスカが振り返る。所々戸惑いながら、おっかなびっくりでありながらも対応しきった。緊張を滲ませた様子で、こちらの評価を待っていた。

「良い感じだ。後は、焦らなくていいよ。釣銭をお渡しするときも落ち着いてやればいいから。たかだか十数秒のタイムロスでキレるような客はこの辺にはいないし」

 正直な感想と評価だった。それを受け、彼女はホッと弛緩しながら胸をなでおろした。

 あまり客がいないのも、今日に限っては都合が良かった。つきっきりで指導しながら、一通りの作業の流れを経験させることが出来たのだ。

 反応が丁度いいのだ。初めて普通の人間と接しているような気がする。

 ヒナは面倒なことはしたがらないし教えても覚えない。本人曰く脳が拒絶している、らしい。

「この店のアイドルはお客さん相手に笑顔を振りまくのが仕事っすよ?」

 私の笑顔には価値があるんす。女の細腕に力仕事は似合わないっす。そう力強く言われては、こちらもドン引きせざるをえない。苦笑いと共に早々に諦め、本と笑顔を売ることに専念させた。

 反対に、吉祥院、伊那鷺たちは、ある意味淋しいものだった。作業の流れを一通り伝えただけで、本当にその通り出来てしまうのだ。あとはどこに何があるか、何時に業者が来るかなどのスケジュール確認の方法などを少し説明すると、数分後には全ての対応が出来てしまっていた。

「この程度の作業に研修などいらん」

「問題ない。出来る」

 二人からはこんなセリフをいただいた。事実そうだったから、俺が口を出すことはなかった。反対に、もっと無駄を省けとかこうすれば効率化できると逆に口を出された。

 だからこれこそが、世間一般に言われる先輩と後輩のよくある光景なのだろう。

「じゃあ、今日はこれまでにしよう」

 夕方六時を回ったところで、俺はイスカに声をかけた。後は俺一人でも大丈夫だ。無理をかける前に上がってもらうことにした。

「これまで、とは?」

「勤務時間終了ってこと。お疲れ様でした」

 お辞儀する。

「お、お疲れ様、でした」

 たどたどしくもイスカも挨拶を返してくれた。

「そう言えば、これからどうするのかは聞いてる?」

「これから、ですか?」

「そう。店長から、たとえばシフトのことであったりとか」

「あ、はい。私がよければ、明日も同じように、働いてほしいと」

 だから、明日も働きたいのです、彼女は胸の前で小さく拳を握った。おお、やる気に満ち溢れているのだな。頼もしいぜ。

「そうか。じゃあ、また明日。今日はゆっくり休んで」

 お疲れ様でした、ともう一度言って、イスカは従業員用のドアから奥へと消えていった。

「さて、俺は少しずつ片付けていこ・・・」

 伸びをしながら、何気なく振り返る。

「うかなヒィッ!」

「何デレデレしてんすか」

 ヒナがいた。

 本棚の陰からまるで映画泥棒みたいにこっちを覗いていた。

「ちょ、お前何してんだよ。脅かすなよ!」

「脅かしてないっす。監視してたんす」

 するりと出てきた。

「戻って来てたんなら声ぐらいかけろよ」

「ふん、あの子につきっきりで気づかなかったんじゃないっすか」

 何だこいつ、妙に突っかかってくるね。

「仕方ないだろうが。今日から働くって言うし、そりゃつきっきりでも教えるわ。お客も少なかったし、研修には丁度良かったし」

「私はあんなに丁寧に説明された覚えないっすけど?」

「そりゃそっちが拒否ったからだよ。か弱い乙女だから力仕事出来ないっす、とか言ったの誰だよ」

「そ、それは、あれっす。こう、もう一声欲しかったんす。もう一言「お願い」とあれば、渋々ながらも従順に従うツンデレという新たな私の魅力の扉を開けたんすよ」

 面倒くさいなもう。

「・・・今、面倒くさいと思ったっすね」 

「そんな事実は全然ありません」

 半眼で睨まれたのですぐさま否定する。

「で、どうした。今日は休みだったはずだろう?」

 いつもなら裏から入って、そのままエレベーターで家に戻るはずだ。ここからでも通り抜けできないわけではないが、ヒナの通学路からは遠回りになる。ビルをぐるっと回らなければならないからだ。わざわざこちらに回ってくる必要はない。

「これでも彼女の事気にかけてたんすよ。今日はみんな居ないっすから」

なんだかんだでこいつは良い奴だ。大学の付き合いもあろうに、こうして心配になって早く帰ってきてくれる。

「何も知らない彼女に先輩が何するかわかったもんじゃないっすからね。『新人は先輩に尽くすもんなんだよゲヘヘ』『いやっ! 止めて!』『逆らうんじゃねえ! てめえ誰のおかげで生きてられると思ってんだ! オラァッ! (ビリビリッ)』『キャァッ!』『おとなしく天井のシミでも数えてりゃすぐ済むぜ』『うう・・・・さめざめ・・・・』ってな具合で」

 感心したらこれだ。あげられて、落とされる。何だこの負のギャップ。誰もお求めでねえわ。

「・・・・・・どこからそんな話が湧いて出た?」

「大学の友達っす。彼女のことを話したら、絶対先輩が獣になって襲い掛かってるから早く帰ってやれ、と」

「ヒナ、そいつ一回連れて来い」

 正座させて膝の上にバックナンバー積み上げて説教してやる。そいつか。ヒナに時折おかしなことを教える奴は。よくよく考えたら、先輩にそんな度胸あるわけないっすよね、と妙な納得の仕方をして、ヒナは頷いている。いや、無いけどさ。その納得の仕方も、ちょっと悲しい。

「・・・あ、そういや彼女。何か思い出したんすか?」

「いや、自分のことは、やっぱりまだ何も思い出せてないらしい」

「? じゃあ、あの、イスカって名前は?」

「呼称に困るから仮で名乗ってもらっている」

 そうっすか・・・と思案顔でヒナは呟いた。

「じゃあ、私たちもイスカちゃんと呼ぶっす。みんなにも伝えとくんで」

「よろしく頼む」

 それから、話は雑談へと移り、ふとした拍子に店の次のフェアについてどうするかになった。

「都市伝説?」

 はいっす、とヒナは言った。都市伝説って、あれか? 夜中十二時に運命の相手が電源切れたテレビに映るとか、都庁はロボットに変形するとか、ああいう奴か?

「もうすぐ夏っすし、丁度いいんじゃないかな、と思ったんすよ」

「怪談、ではなく?」

 夏は怪談、ホラーものと決まっている。各出版社もホラーフェアをやるし、実際よく出る。人も、風物詩、もしくはイベント感覚でホラーを求める。

 都市伝説は、俺の認識ではホラーの一分野みたいな位置づけで、わざわざそこだけにスポットライトを当てる意味が分からない。もちろんそれを専門に扱う様な雑誌や本がないわけではないが、それなら怪談かホラーでまとめちゃってもいいじゃないか。そう言うと、生意気にもヒナは人差し指を俺に向けて、左右に振った。

「良い情報を仕入れて来たんすよ。ホットなニュースって奴っす」

 不安だ。こいつの情報源はさっきの奴とイコールじゃないだろうな。

「話してくれたのはその友達っすけど、結構広い範囲で出回っている都市伝説があるらしいんす」

「どんな?」

「ある夢を見ると、一週間後に死ぬらしいっす」

「普通に怖いな。死因は? やっぱ呪いか?」

 テレビから這い出る感じか? それとも夢だけに爪の長いおっさんに追い立てられる感じか?

「それが、共通点は同じ夢を見るってことと、きっちり一週間後に死ぬってだけで、死に方は様々らしいっす。事件もありゃ、事故もあり、病気もあって、災害、寿命もあるらしいっす」

 ふうん。じゃあ、前に読んだ本に載ってた、世界一穏やかな死に方もあるのかね?

「で? どんな夢なんだ、そりゃ」

「確か、手紙が届くらしいっす。貴方は善人ですか? 悪人ですか? って」

 こらまた、答えにくい質問だ。聞いてきた人の基準にもよるだろうけど、基本悪人しかいないだろう。この世界にわずかでも罪を犯さない人間はいない。子どもの吐くような何気ない嘘もそうだろうし、十円拾ってそのままネコババしたりするのも、言っちゃえば悪事だ。罪の大小は置いといて一括りに悪とするなら、この世は九割以上が悪だろう。

「で、悪人と答えたら、一週間後に死ぬっす」

「じゃあ、善人と答えたら、助かるのか?」

「それが、その夢では悪人としか答えられないらしいっす。どうしても悪人だと、自分の夢であるにもかかわらず、そう答えるらしいっす。友達は、夢の中では自らの罪を認識しており、嘘をつけないから、もしくは生きていることが原罪に当たるからではないか、とかなんとか言ってたっす」

 難しい話はさておいて、結論をいってしまうと、絶対死ぬ。

「だから、手紙の差出人は、生き残る人間を選別し、悪を洗い流したってことで、ノアと名付けられたそうっす」

 箱舟伝説か。ありゃ実際はフロム・ゴッドだと思うんだが、それだと運命、みたいなニュアンスになって印象が薄れるからかもしれないな。確かに期限がじわじわ迫る恐怖もあれば、何が自分の命を狙っているかわからない恐怖もある。

それでも苦笑出来るのは結局のところ

「都市伝説っぽいなあ。亡くなった人の中には絶対無関係な人もいるだろうし」

「まあ、死人に口無しっすからねぇ。便乗して、誰かが面白半分に広めたってのも否定できないっすし」

 でも、都市伝説でフェアをするっていう試み自体は悪くない。

「面白そうだし、やってみるか」

「お、マジっすか。採用っすか?」

 ヒナが顔を綻ばせた。わざと偉そうに頷く。

「うむ、採用する。ヒナの言うとおり、情報がホットなうちにやろう。店長には俺から言っとく。多分通るから、今のうちに準備しといて。今回のフェア紹介に、その話に自分の感想加えて書いてきてくれるか?」

「紹介っすか? ポップ用っすか?」

「そ。気合入れて書いてこいよ大山書店のアイドル。何部か刷って購入時に一緒に袋に入れて配布もするからな」

「うおっ責任重大っすねぇ」

「嫌なら辞めるか?」

「まさか。久々にやる気スイッチがオンっすよ」

 任せてくださいっす。と力こぶを作った。頼もしいね。

「どうっす? 私だってこれくらいの事は出来るんすよ? 見直したっすか?」

 ふふんと鼻を鳴らした。なんだよ。イスカばっかり持ち上げたからって対抗してんのか?

「はいはい、見直した見直した」

「気持ちのこもらない返事っすねえ。そういう先輩の態度が、後輩から仕事に対する意欲を奪ってるんすよ?」

 無いものは奪えないと思うんだけど。しかし、やる気に満ちたヒナ、か。

『先輩、こっちの掃除終わったっす! 次検品するっす! ナイロン掛けやるっす!』

『次は何をしたらいいっすか?』

『先月度比三十パーセントアップを目指しましょうっす!』

『ギブミー! ギブミーワークォ!』

 ・・・想像してみたら、気持ち悪くなってきた。それはもはや別の何かだ。

「意欲に満ちたヒナのほうがよっぽどホラーだ」

「ちょ、婦女子に向かってホラーとはなんつう言いぐさっすか!?」

「そのままで良いってことだよ。充分貢献してるって」

「本当っすか? 本気でそう思ってるっすか? 落ちた栄冠は再び浮上したっすか?」

「それは無い」

「ほらーっ! やっぱり・・・」

「俺の中で、ヒナの評価が落ちたことはねえよ」

「え・・・・?」

 多少不真面目だろうと、本人が言うとおりこいつはこの店のアイドル、ご近所では知らぬ者なしの、誰からも好かれる名物店員だ。俺に出来ないことをやっているのだから、その意味では俺は彼女を尊敬している。

「ちょいちょい、なんすっかぁ? 褒めても何も出ないっすよ?」

 バンバンと背中を叩かれた。何が女の細腕だ。木刀振り回してるからか結構な馬鹿力だなコンチクショウ。

「まあ、当然っすよね。根暗でコミュ障でぼっち歴生まれた年数で無愛想で対人恐怖症で同じ人間とは思えないような負の塊の先輩にまで愛想よくて可愛くてナイスバディのこの私に、悪い評価なんかつかないっすよね」

 ただ、こうやってすぐに調子に乗るところはイラッとする時がある。稀に、まま・・・いや多少? 多々か? そう、あるのだ。オチ用の舗装路を会話に忍ばせなきゃならんのが面倒だ。

「すでにストップ安の株は、下がることがないからな」

 どういうことっすか! と非難するヒナをいなしながら、今日はわりかし平穏に過ぎていった。


 なのに、ここでケチがつくのか。

 まさか見るとは思わなかったよ。昨日の今日、というか、当日の晩、というか。

「貴方は善人ですか? 悪人ですか?」

 背に、問いが投げかけられた。

「手紙、じゃなかったっけか・・・?」

 夢だ、というのはすぐ理解できた。

 俺が立っているのは奇妙な場所だった。昏い海のような色合いの癖に、遠くまで見渡せる。これだけでもこの世の法則とは違うことが分かるが、決定的なのがドアだ。空中にドアが無数に散らばっている。そんな摩訶不思議の中に気付いたら立っているのだから、夢としか思えなかった。

 声のした方を振り返って、目を見張った。そんな俺に、再度、同じ問いが投げかけられる。

「貴方は善人ですか? 悪人ですか?」

 マジかよ、イスカちゃんよ。

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