第11話  will

 翌日、出勤すると

「いらっしゃいませぇ」

 間延びした挨拶と笑顔が俺を迎えてくれた。

「何でいるの?」

 上下ジャージで店のエプロンをつけて棚整理業務をしてはいるが、間違いない。見間違えようはずがないそのシルバーウェーブの髪。

「鬼灯様」

 すすっと万能メイドさんが近づいてきた。

今日はヒナは大学、吉祥院は鷹ヶ峰と一緒に何かの会議、伊那鷺はどこぞの会社から外注が入ったらしく一日かかりっきりで別作業と、主要な人間が別件で出払っていた。

 たまに臨時で入ってくれるサヴァーはともかく、どうして彼女が働いているんだろうか? 人手が足りないから助かるけど。

「サヴァーさん。一体どう言う事?」

「それが、色々と困ったことになりまして。順を追って説明いたします。まずは彼女のことなのですが」

 ちょっとこちらへ、と少し彼女から離れる。

 かくかくしかじか。

「記憶が、無い?」

 全生活史健忘、日常的な記憶、サランラップの切り方だとか自転車の乗り方だとかそういうものは覚えているが、自分のことだけが記憶からすっぽり消えているらしい。なんてベタな。

「ベタだろうが、それが現状です。持ち物も身分を証明するようなものはやはりなく、持っていたのは、首から下げていたこれだけです」

 サヴァーが取り出したのは、真っ青な宝石がついたペンダント。宝石などに興味も造詣もないけれど、一目見ただけでその宝石がそんじょそこらの物じゃない気がした。何というか、無機物の癖に妙な貫禄があるのだ。

「もしかして、結構なお値打ちもの?」

 尋ねると、まさしく、と言った風にサヴァーが頷く。

「本物のブルーダイヤモンドです。詳しくは調べないとわかりませんが、この規格外の大きさや透明度からして、市場に出れば数十億を超えるかと」

 おく? こんな四、五センチくらいの石がか?

「その価値以上に、厄介な話があるのですが、どうしましょう?」

 どうしましょうと言われましても。

「聞きたいですか?」

 伺うように、サヴァーは聞いてきた。

正直言うと、聞きたくない。厄介なんてまっぴらごめんで、厄介に慣れているはずのサヴァーが厄介というレベルの厄介は、俺の想像が及ばない厄介オブ厄介であるのは間違いない。

 けれど、と、以前まではいなかった俺が言う。一人暮らしが長いせいなのか、ボッチ期間が長かったせいかわからないが、いつからか俺の中には俺の行動を決める何人かの俺がいる。最近、新入りとして加わったそいつが言うのだ。自分がそれを連れて来たんじゃないか、と。それを、厄介だから丸投げなんて、さすがに格好悪くねえか、と。何が厄介って、こういう身の程知らずな自分が生まれたことが一番厄介だと思う。

 どうぞ、と手を差し出す。小声で、それでこそ御当主様、とサヴァーが嬉しそう、いや、楽しそうに言った。思惑通り、という風な。

「ブルーダイヤモンドは他のダイヤモンドに比べて、ある一点において追随を許しませんが、何だと思います?」

「え、値段、とか?」

「確かに価値も高い。けれどそれは、カラット数や透明度などによるものも関係してくるので、そこまで圧倒的な差にはなりえません」

 じゃあ何だ? と本気で首を傾げる。

「逸話です。特に、呪いとも言われるような」

 サヴァーが視線を手の中にブルーダイヤモンドに移す。

「特に有名なのが、ウィルダイヤモンド。国が所持すれば国が亡び、人が持てば一族が滅ぶ、持ち主を次々と破滅へ導く呪いのダイヤモンドです。彼らの血と涙を啜って、更に輝きを増す、なんて話があるほどです」

 光の錯覚だろうか、まるでその話を肯定するかのように、ダイヤが一瞬煌めく。

「これが、その噂の?」

 俺の疑問にサヴァーが首を振る。

「わかりません。所蔵していた博物館が盗難に遭い、ウィルダイヤモンドも闇に消えましたから。これが本物とは限りません」

「が、そうでないとも言えない。ということは、もしかしたら彼女は」

 サヴァーと顔を見合わせ、そして、鼻歌を歌いながら棚の補充を行う彼女の後姿を追う。

 ここで、所持者たる彼女の正体が非常に気になってくる。まずそんな高価なものを持っているだけでただの一般人であることはありえない。もし本物のウィルダイヤモンドであるのなら。闇に流れていたそれを探し出し、買い取るだけの財力と権力を持つ財界人か、盗難事件の関係者か。

「まいったね」

 確かにこいつは厄介な話だ。

「かといって、勝手に連れてきといて、厄介だからって記憶喪失の人間を放り出すわけにもいかねえしなあ」

 どうすっかな。頭を抱えていると、くすくす、とサヴァーが笑う。

「みんなのお母様は大変ですね」

 妙な称号が増えやがった。ほっといてくださいと言って、再度彼女を見た。彼女も視線に気づいたか、こちらを振り返り、ふにゃっとした笑顔で手を振った。のんきなもんだ。あんたのことでこんなに頭を悩ませているのに。

「ただ、彼女本人が悪人でないことは、昨日のヒナ様の態度で判明しています。あの方は敵意や悪意にひどく敏感だと聞いておりますので。鬼灯様もそれを確認するために連れていらしたのでしょう?」

 御見通しか。その通りなので頷く。

「しかし彼女が持つあのセンサー、本当に良いですね。大学卒業後は、是非ともラスタチカ家に欲しい逸材です。アイシャ様とも仲が良好ですし。本人がその気ならいつでもメイド服を取り寄せましょう」

 おめでとうヒナ。居ない間に国家公務メイドの内定が一つ取れたぞ。

それはそれとして、今後のことだ。

「方針を決めるか。まずは」

 それが良いでしょう、とサヴァーが同意した。

「後で店長やヒナ、アイシャにも相談するけど、彼女の記憶が戻るまで、もしくは彼女自身の意志でここを出て行きたいと言うまでは住まわせる、ってのは大丈夫ですかね」

「大丈夫ではないでしょうか。ヒナ様は言わずもがな、アイシャ様も最初は面食らっておりましたが、すぐに仲良くなれたようでしたし。大山店長も「来たのか、儂にも時代が来たのか! 長年の夢ハーレムが!」とモテキを楽しまれている節がありましたので」

 店長・・・。そっと涙をぬぐう。

「あと、鷹ヶ峰さんと、すみません、サヴァーさんのつてを使わせてもらっていいですか?」

 身元の洗い出しですね? 俺が言いたいことを察知して先手を打ってきた。本当に、話の通じる人は素敵だ。

「彼女の身元洗い出しに関しては、すでに手を打っております。昔の情報網を使って検索中です。鷹ヶ峰様にも、快く承諾していただきました。むしろノリノリでした。あと、伊那鷺様にもお手伝いいただいております」

 サヴァーと鷹ヶ峰に関しては分かるが、どうして伊那鷺の名前が出てくる?

「確か、時間が空いたら各国の戸籍情報を管理しているデータサーバーをちょっと覗いてみる、と仰ってましたが」

 居酒屋行って今日空いてる? と暖簾くぐるみたいな気軽さでクラッキングすんじゃねえ。常連が二件目ハシゴするのと訳が違うんだぞ。

 でも、出来ちゃうんだろうなぁ・・・。昨今の情報漏えい問題によって強化されたファイヤーウォールも、それくらいの感覚で・・・。あの女、その気になったらこの情報化社会を牛耳れるんじゃないか?

「じゃ、当面はそれでお願いします。あとは、彼女が今働いていることについてなんですけど、何か聞いてます?」

「これについては、彼女の方から。一宿一飯の恩義に報いたいのですと仰いまして」

で、店長がそれを許可したのだろう。ならこの件に関して俺が言う事は何もない。

「レジの扱いに関しては、使い方とセキュリティ面などで問題がありましたので、掃除や棚整理などを主に行ってもらっています。ああ、そうそう。鬼灯様がいらっしゃったら、まずは簡単な事を教えてあげるように、と」

 ふむ、店長も長期戦を見据えているのか。相変わらず人のいい。それまで置いてやる覚悟があるのだろう。

「わかりました。では、後は俺が引き継ぎます。助かりました。ありがとうございます」

「いえ。では、私はこれで」

 サヴァーは踵を返し、店を出て行った。

「さて」

 振り返る。棚整理も大方終わったか、彼女がこちらに近付いてきた。

「先日は、どうもありがとうございました」

「気にしなくていい。そっちも大変みたいだし」

「大変というと、私の記憶のことですか?」

 彼女はすっとぼけた顔をして、そんなに大変ですかね? と他人事のように言った。

「そりゃ、大変じゃないのか?」

「記憶がなくなったこともないのに、わかるのですか?」

 怒る気にならなかったのは、彼女の言葉には嫌味の成分が含まれてなかったからだろう。本当に不思議そうに尋ねて来たもんだから、俺は似合わないことに真剣に考えて、答えた。

「もし仮に、俺から記憶がなくなったら大変だろうな、と思って」

「なぜ?」

「それが今の俺を作っているからだよ。過去の歴史が今の国とか世界を作ってんのと一緒だ」

「でも、歴史というのはあまりほめられたものがないのも事実でしょう? 貴方がそうだという訳ではないけれど、同じように人にも良くない記憶があるのではなくて? 忘れたいほどの、思い出せば自らを傷つけるような棘の記憶が」

 棘の記憶たあ洒落たセリフを。思わず苦笑する。

「まあ、むしろ俺は棘しかねえけどな」

 棘どころか剣山級がゴロゴロしてる。思い出す度にそこらじゅうをひっかいて血を流す。そんなクソみたいな記憶ばかりだ。

「ならば、すべて忘れてしまった方が良くはないですか?」

「確かに、忘れたいほどの嫌な記憶はあるよ。けどまあ、それを含めて、俺ってことで。だいたい記憶を無くしたら・・・」

 っと、いかんな。勢いに任せて、また似合いもしないちょっとクサいセリフを吐こうとしたぜ。黒歴史が増える所だった。

「無くしたら?」

「ここでの仕事に困る。せっかくいろいろ覚えたのに」

 そういうと、彼女は目を真ん丸にして、それから微笑んだ。

「貴方は、強いのですね。とても」

 どっから飛来したんだろうかその発想は。

「嫌なことも、すべて自分の物だと受け入れる強さがあるのですね」

「そんな御大層なもんじゃない。諦めてんだよ。どうしようもないもんのことにかかわってられる時間がないもんでな」

「過ぎ去った過去は戻らない、だから明日を見て生きよう、そう言う事ですね?」

 そんな詩的で素敵な感じで言ったわけじゃないんだが、何か満足そうに頷いたり納得したりしているので、わざわざ否定しないでおくことにした。それが彼女に何か良いものを与えるなら、その誤解は真実であり力なのだ。

「きっと私は、その強さがなかったから、記憶を失ったのやもしれません」

「は?」

「貴方が仰ったことを正とするならば、私は私が耐え切れないほどの鋭い棘を持っていたのでしょう」

 だから、落とした。棘も花も実も一緒くたに。

「きっと、良かったのです。皆さまにはご迷惑をおかけしますが、私にとっては」

 だから、あまり困っていないのです。彼女は言った。

「そういうもんか?」

「そういうもんです。それに、良く言うじゃありませんか。捨てた分だけ入ってくるって」

 昔流行った断捨離じゃねえんだから。

「なので、さあ。私に新しい記憶をくださいな」

 両手を広げて彼女は言った。

 別にいいんだぜ。俺は。あんたがそう言うなら、そう言う事にしておいても。だから、そうしておいてほしいなら、そんな泣きそうな笑い顔すんなよな。面倒くせえ。

「・・・一つ、問題がある」

 とりあえずは見て見ぬふりだ。話したくなりゃ話すだろう。

「何でしょう?」

「名前だ。ほれ、いきなり困ったことになったじゃねえか、あんたの名前だ。わからなきゃ、呼び方に困るだろうが」

「・・・ああ。確かに。じゃあ、それもください」

「欲しがるねぇ・・・」

 簡単に言ってくれる。

「つうか、俺? 俺でいいの?」

「もちろん。私を拾ったのは貴方ですし。何か適当にお願いします」

 適当て。犬や猫につけるのとはわけが違うんだが・・・。いや、それも失礼か。犬や猫を愛する方々に。名前は大事だ。体を表すって言うし。

 彼女を見やる。特徴的な波うつ銀髪、彫の深い顔立ち、すっと通った鼻筋、愛嬌のある可愛い垂れ目、何よりこの店では希少な穏やかで落ち着いた雰囲気。

 そう、彼女から感じるのはこれまで抱いたことのない安心感、安らぎ、癒し。まるで聖母かマイナスイオン発生器だ。

・・・・・・・・

「イスカ」

 ポンと飛び出てきたのがこれだ。マリアと森、この三択で迷ったが。

 親でもないのに名前を考えろと言われて、まず縋り付いたのはうちの女性陣の名前だ。

 大山陽菜、鷹ヶ峰十六夜、アイシャ・ラスタチカ、サヴァー、伊那鷺かがり、吉祥院凰火。

 彼女らには、意外な共通点がある。全員鳥の名前が入っているのだ。ヒナ、鷹、鷺、凰、ラスタチカは海外でのツバメの呼び方だし、サヴァーは同じくフクロウだ。だから、彼女にも鳥の名前を提案してみた。

「イスカ・・・何か由来があるのですか?」

「昔どっかで読んだ本に載ってた、吉兆の鳥の名前だそうだ」

 正確には、別の言葉の中に吉兆とか鳥とか、そういういくつもの意味があって、その中にイスカがあるのだけど、そう言う事にしておいた。記憶を失った、その記憶も嫌な物しかなかったんじゃないかとうそぶく彼女への、ちょっとした反抗。ならば、これからどんどん良い記憶を追加していきやがれと言う俺の自己満足をくれてやる。ついでに、俺にとっての吉兆であってくれと切なる願いを込めて。

 イスカ、と彼女はもう一度、口元に手を当てて呟いた。吟味しているようで、まさにその通りなのだろう。やがて、うん、と一つ頷き

「気に入りました」

 マジか。

「今日から、私はイスカ(仮)でお願いします」

「カッコ仮て。なんだその追加分は」

「記憶のない私はイスカはお気に入りなのですが、以前の私がどう思うかはわからないので、ビフォー私を慮って付け足していただきました」

 以前の記憶を持つ彼女がイスカを気に入らなくても、(仮)だから大丈夫、みたいな?

「まあ、そっちがそれでいいなら」

「問題ありません。では名前も決まったところで、お仕事の話をしましょうか」

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