第9話 名作バックナンバー

「ただいまっ!」

 四時少し過ぎになって、ランドセルを背負った少女が入店してきた。黄金の髪をなびかせて現れた透明感溢れる彼女こそが、ヒルンドー国現大統領の愛娘、アイシャ・ラスタチカ嬢その人だ。

「おっ、アイシャちゃんお帰りっす」

 棚の整理をしていたヒナが一番に迎えると、その胸に向かって飛びついた。いつも思うが、こいつのすぐに仲良くなるのは才能だ。アイシャもヒナにはすぐに懐いて、まるで姉妹みたいに過ごしている。当初は俺が担うはずだったこの国でのサポートも、一緒に暮らしているヒナが代わりに請け負っている。

「どうっすか? こっちの学校には慣れたっすか? 友だちできたっすか?」

「うん。始めはやっぱり、外国人、みたいな感じで周りから見てくるばっかりでぎこちなかったけど。ヒナに教えてもらったゲームやマンガの話で仲良くなれたわ」

 微笑ましいなあ。さっきのごたごたの傷が癒えていくようだよ。

「確かにヒナが言うように、異国人が入り込むには、その国の文化を取り入れるのが手っ取り早いわね。話題にも事欠かないし」

「もちろんっすよ。世界でも指折りのマンガ・アニメ・ゲーム大国の月本において、それで育った連中っす。食いつかないわけないんすよ。しかもアイシャちゃんっていう漫画から飛び出してきたような美少女が漫画について熱く語るこのギャップ。クラス、いや、全校の男子生徒が骨抜きにされたこと間違いないっす」

 大げさな、と鼻で笑おうとして、できなくなった。今しがたアイシャが潜り抜けてきた自動ドアの向こう側、窓という窓にべったりと男子小学生の群れが張り付いていた。全員の目が正気じゃない。いつからここはウィルスがばら撒かれたバイオなシティになった。正直ビビった。いつ前面のガラスを割って入ってくるかと気が気じゃない。

 彼らの視線の先はただ一点、アイシャの背中だ。執着全開の狂気の瞳が彼女の姿を網膜に焼き付けている。

「あ、アイシャ・・・?」

 俺の声に、アイシャが振り返る。瞬間。

 張り付いていた男子小学生たちが、何事もなかったかのように道行く人々の雑踏に紛れ、波が引くようにサアッと姿を消していった。残ったのはガラスに付いたわずかな油脂と吐息の後のみ。

 以前、聞いたことがある噂話を思い出した。海外の政府要人が施設などを視察に訪れる数か月前から、その施設、空港からそこまでの道順にはホームレスたちが現れる。視察が終わると、ホームレスは忽然と姿を消す。

 彼らの正体は、公安警察。国家を影から守る人たちなのだそうだ。彼らは何ヶ月も前からその場所でホームレスになりきりながら待機し、有事に備え、安全を確保するという。

 なぜか、その話が頭をよぎった。

「え、なに?」

 気づいているのかいないのか、純真な瞳で問い返してきたアイシャに、近年この国の義務教育では護衛とか潜入捜査とかのジョーカーゲーム的知識と技術を叩き込むの? と聞けるわけもなく。

「お、お帰り・・・」

 とぎこちなく普通の挨拶をするにとどめた。彼らのミッションを妨害したら、殺られる気がしたのだ。

「うん、ただいま」

 天使のように微笑む。うむ、これを見せられたら、確かに骨抜きにされてもおかしくはないか。

 ゾクリと、悪寒が走った。

 わずかに首を巡らせる。窓の外で通行人を装う小学生たちの視線が、レーザーポインタのように俺に狙いを定めている。ラブコメのマンガとかでよくある、あれだ。学園のアイドルと親しく話す主人公が同級生から向けられる殺意交じりの奴だ。そういうのだとファンクラブだとか見守る会だとか聞くけど、もしかして、あるの? 規則とか。喋りかけてはいけないとか、半径数メートル以内に入るには一人で抜け駆け禁止とか。なるほど、ラブコメを読んでいるときはどこのオフサイドだよ審判見てねえし~、とか言って他人事のように笑ってたが、違う。

 二人以上でいるというのは、自分の身を守る為の証人を立てる、ということなのだ。俺はやましいことはしてない、こいつと一緒にいましたから、という感じの。

 コントローラーでこっそり、ブラインドを下ろした。

「どうしたっすか先輩。西日入って来たっすか?」

 ええ、ちょいときついのが。

アイシャに遠慮してか近づけない規則だからか、店にまで入ってこれないのが幸いした。

 まったく、馬鹿じゃねえのか。確かにアイシャは可愛い。そんじょそこらの子役アイドルを軽く蹴散らす逸材だ。だけどまだ十二、三のガキだ。どうして二十の俺と何かあると思うんだ。何かあったら捕まっちゃうんだよ。青少年の条例とか知らねえのか。俺も良く知らねえけど。

 それにだいたい俺はもっとこう、あれだ、ボン・キュ・ボンというか、妖艶でグラマラスな大人のお姉さまが好みのタイプだ。アイシャがそうなるまであと十年、最低でも五年はかかるだろう。

「むう、相変わらず大きくて気持ちいいわね。どうすればこうなるの?」

 俺の苦悩や自分が置かれている状況等露知らず、ヒナの胸の谷間に顔をうずめながらアイシャが言う。体を離して、まじまじとヒナの体を観察する。

「背も高いし、スタイルもいい。ねえ。どうやったらヒナみたいになれるの?」

 するとヒナは、なんだかズキュゥゥゥン、と効果音を発しそうな珍妙な決めポーズを取って言う。

「それはっすね、これまでいくつもの恋愛をこなしてきたからっすよ」

 奇妙な冒険でもして、変な仮面でもつけてんだろうか。けれど、彼女の言っていることはあながち的外れでもないと思う。モノの本によれば、恋や愛などの感情によって女性ホルモンが働いて発育を促すとかどうとかこうとか。ただ、それを素直に聞けないのはヒナ本人に問題がある。

「嘘だぁ」

 やっぱりね。俺だけでなく、言われたアイシャ本人が疑惑の目でヒナを見ている。

「う、嘘ってなんすか! こう見えてもっすね、アイシャちゃんより五年は長く生きてんすよ! 経験豊富なお姉さんっす!」

「経験豊富ぅ? ヒナがぁ? 本当にぃ?」

「ほ、ホントっす! じゃーいいっすよ! 何でもお姉さんに聞いてみなさいっす!」

「じゃあ、今まで誰かと付き合った?」

「・・・ええ、たくさん突き合いしたっすよ?」

 一瞬の間が全てを語るようだ。使用している漢字が違うのは気のせいじゃない。ヒナが言っている突き合いは愛用の木刀を用いた悪即斬の『ど突き合い』だ。お付き合いっつうか、果し合いだ。それをわかっているのかいないのか、疑いを深くしたアイシャの猛追は続く。

「ふうん、じゃあ、キスはした?」

「き、キス?」

「そう、キス。チューよ、チュー」

「え、ええ。もちろんチュー・・・ぃもしたことあるっす」

 なんだか、目頭が熱くなってきた。見てられなくて顔を背ける。

 ヒナも、吉祥院や伊那鷺に勝るとも劣らない美少女だ。スタイルは断トツで良い。ただ、あいつのセンサーとちょっと残念な性格のせいで、実際に付き合ったりするのは難しいだろう。ま、店長である彼女の祖父はじめ、ご家族からすれば変な虫が付かなくて安心だろうが。

「ちなみに私は、あるわよ?」

 知ってるわよね? と少し優越感を滲ませながらヒナを見上げるアイシャ。

「うっ」

 ヒナが呻く背後で、俺は吹いた。まさか、その話を持ち出すのか・・・。

「と、とにかく! 女性が美しくなるには、たくさん恋愛して、たくさんドキドキして女性ホルモンを活性化させて、ついでに美容にも気を使って可愛いファッションして見られるということを意識して適度な緊張を体に与え続けて引き締めるんす!」

 そうやってヒナは強引に打ち切った。言ってることは間違っちゃいないと思うが、言ってる本人が色々間違っている。

「家ではもっぱら高校のジャージのヒナが、ファッションに気を使ってるようには思えないんだけど?」

 ほら。同居人からの当然のクレーム。その点アイシャは、公務とかの影響で見られている意識は芸能人よりも高いし、ファッションどころか、言動、仕草さえ気を配っているだろう。

「ほら、ヒナ。いつまでもじゃれ合ってないで、仕事しろよ。アイシャ。ひとまず鞄置いて着替えてきな。宿題とか友達との約束とか、あるんじゃないのか?」

 タオルを投げ入れる。試合終了だ。そうする、と言って、アイシャは素直に部屋に戻った。後に残されたのはKOされたヒナだけだ。

「へ、へへ、燃え尽きたっすよ。真っ白な、灰に・・・」

「相手が悪かったな。生後数か月から公務とかでテレビに出ている奴に、外見の気の使い方では勝てねえよ」

「じゃ、じゃあどう言えばよかったっていうんすか!」

「・・・後五年もすりゃ、勝手にでかくなるとか言っとけばいいんじゃね? 相手はまだ小学生だぞ? 成長期がくるわな」

「そ、そんな普通の、面白くもない答え方なんて、私の中のお笑い魂が許さないっす! 怒るでしかしっす!」

 厄介な魂内包してんのな。その内ボートとか買い出すんだろうか。

「で、出たのがあれか? 見栄と虚構のオンパレードか?」

「みみみみ見栄じゃないっす! ホントのことっす! 恋してるから、私は美しくあるんすよ!」

 そうかい。もう疲れて来たので、適当に相槌を打ち、仕事を続ける。

 その俺の態度にヒナはカチンときたらしい。実際口に出して言ってるし。

「本当よ?」

 ぎゅっと後ろから抱きついてきた。耳元に熱い吐息を漏らす。いつもの下っ端口調から一転、ドキッとするような甘い声で囁く。

「ひ・・・な・・・?」

「気づいている癖に。罪な人ね。貴方は」

 背中に押し付けられた胸がむにゅむにゅと柔らかい。彼女の甘い香りが鼻をくすぐる。声が耳朶と頭を震わせる。

 振り返る。すぐそばに、彼女の顔があった。目が合った彼女は、少し顔を赤らめながら、微笑みかけてきた。不覚にも胸が高鳴る。

徐々に距離は詰まり始めた。彼女の唇が、俺の唇に迫り

「グエッ!」

 奇声を発して遠のいた。誰かにポニーテールの先を掴まれて、強引に後ろに引っ張られたようだ。

「何してんの?」

 静かな声が響く。アイシャだった。彼女の小さな手が、ヒナの髪をぎゅっと掴んでいた。

「な、何してるはこっちのセリフっす・・・」

「な・に・を・し・て・い・る・の?」

 泣きべそをかきながら抗議するヒナの言葉を遮って、再度同じ質問をした。有無を言わせない迫力があって、大統領の、人の上に立つ指導者の娘だということを実感させた。はっきり言って怖い。お怒りならお怒りらしく表情に現してほしいものだが、全く真逆の無表情がさらに助長している。細められた瞳は氷河のごとし、しかし内には燃え盛る煉獄であるかのごとしだ。

「ふふん、ちょっとしたお茶目っすよ?」

 なのにヒナは成長期前のアイシャを見下すように、大きな胸を張って勝ち誇った。

「この程度のスキンシップに過剰に反応するなんて、アイシャちゃんもまだまだ『お・こ・さ・ま』っすねぇ? これが大人の女というものっすよぉ!」

「ぐ、ぬぅ・・・っ」

 女の戦いは、まだ続いていたらしい。優位に立ったらしいヒナはここぞとばかりにアイシャを言い負かそうとし、アイシャも負けじと応戦する。

 おそらく、ヒナはアイシャが戻ってきたのを知っていて、ワザと見せつけるようにしていた、ということだろう。潔癖な子どもからすれば、こういう男と女が引っ付くのは不潔に見えるから嫌だった、そんなところか。ケンカするのは良いけど、俺を巻き込まないでほしい。

「そんなところ、ではございません」

 はあ、とあからさまな落胆のため息を吐いて、サヴァーさんが唐突に現れた。アイシャの世話と護衛を担当する、元傭兵の麗しきメイドさんだ。驚かないぞ。いい加減驚かないぞ。

「良いですか鬼灯様。お嬢様はハグもキスも挨拶同前当たり前のヒルンドー出身ですよ? あの程度のスキンシップなど朝飯前の恒例行事です。高校生になっても手と手が触れあっただけで赤面するバカップルばかりのシャイな月本と一緒にしないでください」

 偏見も甚だしいな。けど、ならどうしてあんな過剰な反応を?

「それに気づかないから、私は落胆しているのです」

 再びはあ、とサヴァーはため息を吐いた。

「お嬢様のあの態度でわかりませんか? 嫉妬ですよ。嫉妬。嫉妬に狂う女です。大山様が、鬼灯様に近づかれたのが気に入らないのです」

 嫉妬ねえ? 思わず苦笑が漏れる。

「あいつが俺をおちょくるなんざそれこそ日常茶飯事ですよ。いちいち気にしてたら身が持たないって」

 俺の返答に対して、とうとうサヴァーは額に手を添えた。信じられないものを見た、という目で、わなわなと。

「鬼灯様。本気、ですか・・・? さっきの一幕、少しでも大山様から女を感じませんでしたか? ときめきませんでしたか? 内側から迸るパトスいや! あえてこう言いましょう。獣欲が溢れ、彼女の全てが欲しいと思いませんでしたか?」

 獣欲て。いやまあ、確かにドキリとしたけどね? けど多分、あいつはすぐに「冗談っす! ドキッとしたっすか? いやん」とか言ってからかうだろう。さざ波が引いていくように、俺の手をすり抜けて遠ざかると思うんだけど。

「アイシャ様もそれを感じ取られたのです。幼いながらも女の本能が、大山様のフェロモンを。自分のものを奪おうとする敵の気配を」

「アイシャのものになった覚えはないんだけどね」

「何をおっしゃいますやら。冗談にしては笑えませんね。それとも、本当にお忘れになられたのですか?」

 薄く、微笑む。寒気がするほど美しき、氷の微笑。事実、体が凍えて動かない。彼女が発する殺気でだ。

「ならば、今一度、思い出していただきましょう。貴方がアイシャ様に行った行為と、その影響を」

 彼女の言葉が、俺のトラウマ、もとい、記憶のドアをノックする。いません、と居留守を使いたいところだが、あいにく記憶なんてものはちょっとしたことで簡単に引きずり出される。思い出したくない黒歴史ほど特に。

 以前俺は、アイシャにキスをした。てか、された。そう、先ほどアイシャが言っていたのはこのことだ。

 これだけを言うと大変な誤解と俺に対して逮捕令状が生まれちゃうのできちんと説明させていただく。

 前大会二回戦。競技種目は劇。それも一つのテーマパークを貸し切ってのアドリブ劇だ。その中にアイシャがお家騒動で乱入してきた。彼女は追っ手であるサヴァー以下黒服ズに動揺を与え己の不退転の決意を表すために、訳が分からずおろおろしている俺に無理やり唇を重ねた。

 そしてそれが、なぜかヒルンドー国の国営放送で流れた。

 アイシャはヒルンドー国では大統領以上の人気がある。そのアイシャに婚約者が出来た。

 国を挙げてのカーニバルが一週間続いたそうだ。未来は安泰だと。

「思い出していただけましたでしょうか。未来の御当主様」

「その呼び方は止めてください」

 そういう関係だ。だから、軽率な真似をしてアイシャのことを蔑ろにしたりすると、国のメンツがどうたらということで、サヴァーに殺される。

「どうしてそこまで拒絶なさるのです? アイシャ様は確かにまだ幼いですが、聡明さは言うまでもなく、将来は傾国、いや、傾いた国を立て直しさらに発展させるほどの美女となるでしょうし、ヒルンドーのバックアップが付きます。これほどの好条件の方は世界中を探してもまずないでしょう」

「いや、うん。俺もそう思うよ」

 今なお言い争うアイシャとヒナを見ながら、正直な感想を言う。

「けど何と言うかな。鳥の雛が最初に見た物を親と思う、というか、隣の家のお兄ちゃんに憧れるお嬢ちゃん、というか。多分、あの子は俺と父親である閣下しか知らんのじゃないかな。出会いも劇的過ぎた。運命だと思い込んでもおかしくないくらいにな。けど、世の中は広い。アイシャも広い世界に飛び出した。色んな人間に会うだろう。それこそ、本当の運命にだって出会う。今一生を共にする相手を選ぶなんて、重要な決断を下すには早すぎるよ」

 申し出はありがたいし、自分の為を思えば受けるべきだろうなあと心の中で笑う。けれど、彼女がこれから歩むであろう道は、俺のような凡人が共に歩めるような平坦なものではない。彼女の期待に応えられる才能と力を持つ者でなければならない。

「自分以上の男はいない、と言い切ってほしい所ですね。私としては」

 つまらなそうにサヴァーが言う。

「無茶を仰る。俺自身が一番わかっているんだ。俺よりすごい奴は腐るほどいるということを。どうしてそいつらを押し退けて、俺を選べと言える?」

 話は終わりだ、俺は作業に戻る。後ろで、今日一番のため息をついたサヴァーが、言う。

「もれなく、私もついてくるのですがね」

 動きが止まる。体が縫い付けられる。それほどの威力を持った言葉だった。

 ツイテクル? 何が? サヴァーが? 最強クラスの傭兵であることを除けば、知的、メガネ、クールなのにお茶目にして年上のお姉さまというトンデモスペックを積載した、麗しのメイドさんが?

 振り返る。振り返らざるを得ない状況と強制力だ。先ほどとはうってかわって、匂い立つ色香を漂わせ、妖しく舌を唇に這わせる。そのまま指をいやらしく舐めとった。少し唾液のついた指は、下へ。彼女のエプロンドレスの第一、第二ボタンを開けた。苦しかったぁ! と押さえつけられていた胸元が弾け、シャツの隙間に夢の谷間を創る。あれこそがアヴァロンへの道か・・・!

「幼子であるアイシャ様は未来への楽しみとして、今の楽しみとしては、不足でしょうか?」

 全くそんなことありませんともさァッ!!!!!!

 いや、むしろあなたが嫁に来ないか?

 彼女はわざと服をはだけて乱れさせ、扇情的なポーズを取る。誘うように、滑らかに指を動かし、招く。

 ふらふらと、誘蛾灯に誘われる虫のように、抗えない、いや抗おうという気すら沸かず、俺の手がサヴァーに伸びて

 ガッ、と俺と男の夢の間に、木刀が突き立つ。

「なっ!?」

 気づいたときには、もう遅い。

「たぁ~のしそうっすねぇ~、私たちも混ぜてもらえませんかねぇ」

 ヒナが嗤う。狂気に染まった笑みだ。

「サヴァー、どういうつもり?」

 アイシャが問う。こちらは、怒りの炎を瞳に宿していた。

 ど、どうしよう。まさかこの俺が、お約束パート2を・・・!

 救いを求めるように、サヴァーを見る。いつのまにやら乱れた衣服はピシッと糊をきかせたように整って、先ほどまでのピンク色の空間は嘘のように消えていた。

「ああ、そう言えば本日の夕食の準備をせねばなりませんので、私はこれで」

 いつものクールな表情で、何事もなかったかのように一礼して、彼女は立ち去った。さざ波のように引いてった。

「え、ええ~・・・・」

 残されたのは、俺。生贄の子羊ただ一匹。夢を掴みかけた手は空を切り、虚しく落ちる。

「放置プレイは、無いんじゃないっすか? ねえ?」

 ずがっ、と肩を乱暴に組まれる。左は悪鬼に塞がれた。すすっと、首元に木刀が添えられる。

「その首、置いてくっすか?」

 え、首級をお求め? 今度はどこの戦国武者の魂が宿ったの?

「なに人の家のメイドに手を出そうとしてんの?」

 がし、と強く腕を掴まれる。右は羅刹に阻まれた。ズドムッ、と、小さな拳がやわなマイボディにめり込んだ。

「臓物、ぶちまける?」

 あなたもキレると凶暴で手に負えなくなるの? 背中に人生背負ってんの?

 汗が止まらない。汗を吸うと評判のインナーシャツが、そろそろ飽和して決壊寸前状態だ。

 何故かその場に正座させられ、月刊マンガ雑誌のバックナンバーを十冊ほど膝の上に積み重ねられた。完全に拷問だ。ぐりぐりと体重をかけられたり痺れた足を小突かれたりして、とにかくしこたま怒られた。世界は今日も理不尽だ。

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