第8話 最近の日常
唐突だが、俺には悩みがある。
まあ、誰にでも悩みはあるものだから、俺にだってあってもおかしくはないよな。むしろそんじょそこらの問題よりも深刻だ。悩みの原因、それは職場の環境にある。何というか、人間関係だ。最近入ってきた新人の子たちが頭痛と腹痛の原因だ。
新人の問題というと、普通思い当たるのは仕事が出来ないことだろうか。世の先輩、上司の肩書を持つ方々は新人教育でさぞご苦労なさっているだろう。けど、そりゃ仕方ないよ、新人だもの。誰だって最初は初めてなのだし。根気強くいこうぜ。目をかけた分期待に応えてくれる、なんてことは言わないけどさ。
話が逸れた。いくつか例に出しておいて申し訳ないが、実は教育に関しては苦労してない。なぜなら、新しく入った二名は、本屋で雇っておくにはもったいないほど優秀な連中だった。一リットルのペットボトルに二十五メートルプール三杯分の水を入れているようなものだ。スペックが溢れに溢れてる。一つ言えば十を知る以前に、俺の仕事ぶりを見てすべてを理解してしまう様な連中だ。教えることが全く無くなるまで時間がかからなかった。本当にかからなかった。むしろこれで俺より時給低くていいのかと思ったほどだ。
ならばそれの負い目、もしくは嫉妬や劣等感に苛まれてか、というと、そうでもない。自分で言うのもなんだが俺の基本スペックが常人以下なのは自他ともに認める所だ。そりゃ悔しい気持ちがあるっちゃあるが、世を儚むほどじゃない。自分より優れた連中が山ほどいることなどわかりきっている。
じゃあ何なんだ、と言われたら、それは
「おい」
・・・これだ。無意識に腹部を手のひらで押さえながら振り向く。
暴君がいた。
黒く長いストレートヘアが全身から発する覇気でゆらゆらと揺れている。
吊り上った目力半端ない瞳はなんかこう、不可視のレーザー的な何かを出していて、対象を射抜きそうな感じがする。事実俺は見られている間ずっと胃に穴がジリジリ開いていく感覚を味わっている。
「貴様、聞いているのか?」
暴君、吉祥院凰火は眉根を寄せた。いらだたしげに見上げてくる。そんな姿も絵になるのだから美少女というのはお得だ。そう、俺に対して殺意を向けるという一点を除けば、彼女は有能で最強で、非の打ちどころのない美少女だ。
え、そんな美少女からの仕打ちなんてご褒美ジャン? とか思った奴。前に出てこの視線浴びてみると良いヨ? マイナスイオンよりも即効性のある冷気が体と心を芯から冷やしてくれるヨ?
まあ、冗談・・・はさておき、さっさと応対しないと更なる言葉の銃弾が俺の体を穿つので対応を始める。
「はい・・・聞いてます・・・」
「ならばさっさと受け取れグズ」
差し出されていたのは引き継ぎノートだ。渡した後、彼女はすぐさま踵を返して、倉庫の方に行ってしまった。今日もレジ担当はしないつもりらしい。
ため息を吐きながら、引き継ぎノートを開き、本日の作業進捗状況を確認する。発注、検品、ナイロン包装、棚の補充、ネット注文や返品の発送準備、レジ金の確認、そして発注。午前中の作業はほぼほぼ終わっている。相も変わらず完璧で迅速な仕事ぶりだ。これまで俺が朝番で片付けていた仕事だが、昼番が来るまでに終わらせられたことなどない。しかもミスがないのはもちろんの事、何を参考にしているのか彼女が独断で発注した本が来週あたりに良く売れる。本や作者がテレビに紹介されたり、賞を取ったりして人々の注目を集めて世間の本屋から在庫が消えるのだ。
うちの本屋は、出版社から直接本を買ったりするのではなく、中継に物流センターを挟む。本を売る際に発注書のバーコードを読み取ると、その情報がセンターに送られ、売れた分を補充するように送られてくる。うちでは基本二冊ずつ並べ、売れ筋は冊数もしくは予備を増やすという仕組みだ。もとは個人経営の小さな本屋だから、話題の本を中心とした品揃えであったとしても、その月に発売されたような新刊以外は数が少ない。センターの在庫も、同じように話題書を取り扱おうとする他の本屋からの発注で在庫がなくなる。だから、突然取り上げられるような話題書には弱かったのだが、最近ではその前に彼女が、丁度売り切れと同時に求める客がいなくなる絶妙な量を確保している。
彼女ともう一人のおかげで、売り上げが五割は増している。そのことに関しては感謝感激雨アラレ状態なのだ。
ただ、彼女らとの付き合い方がさっぱりわかりません。
世のお父さんが娘さんとの接し方に悩むのが良くわかる。彼女たちと自分とは別の生命体なのだ。自分たちの理解が及ばない思考回路と感情と逆鱗を持っている。
いや、ね。そうはいっても、俺だって結構頑張ったよ? コミュニケーション力レベル三くらい(十段階評価)の俺だけど、一緒に働く仲間じゃない。仲良く楽しくそれでいてきっちりと仕事したいじゃない? で、声かけてみたわけ。
「き、吉祥院さん」
ギロリ
一睨みでしたよ。ムーンウォークをこの時マスターしました。
その後も頑張って、話しかけたりした。業務を絡めて話せばさすがに口をきくと思って。殺気しか放ってない彼女だけど、流石というかなんというか、業務に関することだけはきちんとやり取りをしてくれる。ただそれ以外に関しては俺と話す気が無いというか隙あらばぶっ殺してやる的な空気をビシビシ放ってくれているので、こちらも話を続ける勇気はない。
そんなわけで、コミュニケーションを築くどころか、俺の心と胃の防壁がどんどん破城鎚で滅多打ちにされる日々が続いている。
彼女の心境を鑑みれば当然ともいえる。
以前出場したアルバイト選手権で、俺は彼女の心に深い傷を負わせた。彼女の親族たる鷹ヶ峰十六夜の認可を得て、初めて彼女に土をつけた。それもあの大観衆、全国民が見ていたといっても過言じゃないあの大会の決勝戦で鼻っ柱をへし折っちゃったのだ。プライドの高い彼女のことだから、相当傷ついたに違いなかった。
「恨まれるよなぁ」
またため息を吐いた。
「何がっすか?」
後ろから声をかけられた。こんな特徴的な話し方をするのはこの書店にただ一人。
「また遅刻か」
大山陽菜が振り返った先にいた。相変わらずきっちり十五分遅れだ。遅刻スタンダートめ。始業時間を三十分早めてやろうかこの野郎。
「ああ、また凰火ちゃんともめたんすか?」
こちらの非難の声などどこ吹く風で、愛嬌のある笑みを浮かべながら近づいてきた。歩く度に誘惑するように、あるいは催眠をかけるように大きな胸がたゆんたゆんと揺れる。くそ、相変わらず良い体してやがる。ありがとうございます。
「もめたっつうか、それならまだよかったんだがな。会話すらできてねえよ」
肩を竦めた。
「あー、凰火ちゃん先輩には特にきついっすもんね。でも、慣れたら意外に平気っすよ」
そうなのだ。こいつは何気に凄いことに、あの吉祥院と会話を成立させる数少ない人間の一人だ。こいつ以外だと俺の知る限り、吉祥院が尊敬する鷹ヶ峰くらいのものだ。
「睨むのと口調が悪いのが常だと思えばいいんすよ。いいっすか先輩。海外の、さる優秀なコンサルタントが言ってたっす。『棒で叩かれたり石をぶつけられたりしたら怪我をするけれど、言葉で私を傷つけることはできない』ってね」
ずいぶんと神経の図太いコンサルタントもいたもんだ。見習いたいね。
「それに、仕事ぶりを見てくださいっす。始めは手を抜いたりするのかなって思ってたんすよ。だって、多分二~三割くらいの力で絶好調で全力の私以上の事やってのけるじゃないっすか。だから、いくら鷹ヶ峰さんとの約束だからって、ほどほどに、適当にやっつけ仕事でこなしていくんじゃないかなって。でも、結構真剣に考えて作業をしてるんすよ。性根は良い子に違いないっす」
「わかってる。彼女の働きで、売り上げが伸びてるのは事実だし」
それに、悪人ならそもそもこのヒナが懐かない。
大山陽菜には、特技というか体質というか、センサーがある。悪人に対して働くセンサーだ。どれほどうまく隠しても、表面上を繕っても、彼女は悪人を見抜く。本人曰く、悪人は嫌な臭いがする、らしい。以前も、どう見ても好青年にしか見えない俺の同級生の腹黒さを見抜いていた。学生時代に誰もが見抜けなかったそいつの本性を、こいつは一発で見抜いたのだ。ちなみにそいつは過去の余罪が発覚して現在裁判にかけられて公判中だ。証拠も山ほど出てきているそうだし有罪判決は間違いないだろう。
反対に、こいつが近づけるということは、ノット悪人ということだ。ヒナ理論で行くと、吉祥院凰火は善人であるという結論に達する。少なくとも悪人ではない。
それによくよく観察してみると、こいつと話す吉祥院も、俺と話す時よりかはツンケン度がマイルドになっている。俺の時が百だとすると、多分五十もない。
「それは多分、大山があの子にとって同年代の、初めての友達だからだろう」
突然現れたのは、この書店と、書店が入っているビルのオーナーであり、ひいてはこの国を牛耳る鷹ヶ峰家の次期後継者、鷹ヶ峰十六夜だった。
うん、突然現れるのは良い。けど、再三思っていることだが、人の考えを読まないでほしいんだこのちまっこいニュータイプめが。
「鬼灯、私も言ったはずだ。君は思っていることが顔に出てしまう、と」
不敵な笑みを浮かべて、俺の胸を手の甲で軽く叩いた。この人は仕草がいちいち男前すぎる。見た目は小中学生程度なのに中身は四十代渋めのロックグラスにウイスキーが似合うハードボイルドだ。一生ついていくならこの人だと確信たらしめるカリスマ性に満ち満ちている。
「ともかく。あの子とコミュニケーションが取れないというのは問題だ。君たちは同じ職場の同僚であり、同じチームの仲間なのだから」
ああ、やっぱり本気なのか。
WWG(ワールドワーカーグランプリ)
これまでこの国で行われていたアルバイト選手権の世界大会が開かれるらしい。世界大会はチーム戦で、大山書店で働く俺たちも一応一チームというくくりだ。鷹ヶ峰曰く、この書店のメンバーで優勝を目指す、との事。
冗談じゃない。
確かに俺は前回大会で優勝できた。けど、基本スペックはこの通り常人以下だ。優勝なんて、色んな要素が重なって棚から落ちてきた結果に過ぎない。
それに今回はチーム戦だ。メンバーはヒナと吉祥院ともう一人。
「おはよう」
後ろから声をかけられた。何故だろう。どうしてみんな俺の背後を取るんだ。
「お、おはよう。伊那鷺、さん」
伊那鷺かがり。前々回大会の優勝者の天才で、最後のメンバーだ。
なぜ彼女がこの書店で働いているのかというと、前回大会では裏で合法非合法問わず様々な賭けが横行していた。その賭けで、彼女に賭けていた企業や団体が、彼女の敗北と同時に莫大な金やいろんな権利を失って損害を被った。勝手に賭けておいて報復とは逆恨みも甚だしいが、現に彼女に危害を加えようとしたため、鷹ヶ峰家の保護下であるこの書店に住み込みで働いている、というわけだ。
「どうしたの?」
相変わらずのどこかぼんやりした、浮世離れした調子で聞いてきた。俺からしたらそっちこそどうしたの? イケナイ薬でも食前食後に服用したの? と尋ねたい。ふわふわしていて、知らないうちに宇宙と交信しだして地球外生物と接触しそうな
「直接はないよ。まだ」
間接なら、あるのか・・・?
エイリアンと第二種接近遭遇していたのかという疑問は無視して、今しがたの話を彼女にも伝える。
「いや、どうにも人間関係が上手くいかないなあ、と」
今直面している悩みをぶつけてみた。同年代の彼女なら、何かヒントをくれるかもしれないから。
「先輩はどうにかして凰火ちゃんをデレさせたいそうっす」
お前の脳には何か変換機がついてるの?
「一度拳を交えたもの同士、分かり合えると思ったのだがな」
どこの河原で起きた決闘のことを持ち出してきたの?
こんな説明でも天才、伊那鷺には伝わったらしく「ふうむ」と顎を撫でさすった。
「逆、ではないだろうか?」
突如、彼女は新説を切り出す研究者のように重々しく口を開いた。
「逆、だと?」
鷹ヶ峰が少し驚いたように目を瞬かせた。良いリアクションだなあ。伊那鷺も満足したらしく、頷く。
「私調べの統計によれば、精神が未発達な人間が好意を持つ相手に対して何らかのアクションを行う際、七割以上の確率で棘のある対応をする。これは、相手に対して自分のことを印象付けようとする無意識化の行動ではないかと推測できる。どうすれば相手の記憶に自分の事を植え付けるか、刺激を与えることが出来るかを本能的に理解している。強烈な刺激は記憶に残りやすいからだ。つまり、少し前に流行った『ツンデレ』と呼称される行動原理は、実に理にかなっていると言える」
言えるか。
しかし、俺以外の二人は、驚愕の事実を突きつけられたように「なんだってーっ!」と驚き、ヒナに至っては体をのけ反らせている。
「な、なるほど。じゃあ、凰火ちゃんの先輩に対する対応は、好意の裏返し、自分をもっと見てLook At Me、というアピール、そういう事なんすね!?」
そうだ、と言わんばかりに、伊那鷺がゆっくりと顎を引き、肯定した。
「面白い、そうなるといろんなことが腑に落ちる」
落ちたのは驚きすぎた俺の顎だ。カクンと落ちたよ。どうしてあなた方の脳内では少年漫画か少女コミックのお約束みたいな風景が起こっているのだ。そんなことあり得るわけねえだろ。あんたらは知らねえんだ、あの人を射殺すかのような目を。悪魔の瞳、そう、魔眼と呼んで差支えない・・・
「誰のことを言っている?」
「そりゃお前決まって・・・」
一番のお約束を、まさか、この、俺が・・・っ?!
振り向けば、奴がいた。彼女の背後が揺らめいて見えるのは俺の目が涙で潤んでいるせいか、あっちが魔闘気でも纏っているかのどっちかだ。
「あ、私レジいかなきゃっす」
そそくさとヒナが消えた。
「休憩、貰うね?」
すすっと、伊那鷺が休憩室の向こう側へ消えた。
まあ、良い。まあ良いさ。一番の抑止力たる鷹ヶ峰様がいらっしゃればこいつも無茶なことは
ピリリ ピリリ ピリリリリ
「ん? すまん、電話だ。ちょっと失礼する」
・・・どう・・・しよう。
「ずいぶんと好き勝手言ってくれたようだな?」
だ、誰かっ! 誰か彼女の魔闘気を押さえる鎧を作業服専門店『働男』で買ってきてあげて!
「い、いぃえ? そんなことは?」
じりじりと気圧される。額から汗が伝う。
「何が魔眼だ目つきが悪いのは生まれつきだ。馬鹿にしているのか?」
「そんなこと、一言も言っておりませんがっ?!」
くそう、この新人類め! 鷹ヶ峰家は読心術が標準装備か!
「姉様も、大山も、伊那鷺も、貴様らの言っていることは見当違いも甚だしい。この際だからはっきり言っておくが、私は貴様が嫌いだ」
俺に指を突きつける。重々承知の助なことを改めて言われても、俺にはどうにもできねえよ。降参、と両手を上げる。
「わかってるよ。そんなことは。あんたが俺を殺したいほど憎いってことはさ。あんたがこんなところで無意味に時間を浪費しているのも、全て俺のせいだってんだろ?」
そう言った瞬間だ。俺たちのいるこの空間だけ、急激に温度が上がった気がした。ひりひりと肌を焦がすのは彼女から発せられる怒気か。
「勝手なことを抜かすな」
やばい。何か良くわからんが、逆鱗に触れたっぽい。叫びたいのをギリギリまでこらえてようやくひねり出したような声だ。いつ爆発してもおかしくない。眉尻を限界まで吊り上げて、こちらを睨んでいる。あの決勝戦以来だ。彼女と向き合うのは。こんな怖かったのに、よく戦えたもんだよ。
「それは貴様の勝手な考えだ。そんな惰弱な物を押し付けるな」
ずい、とにじり寄ってくる。気圧されて、壁際まで後退した。何か前にもこんなことがあったなあ。
ドン、と顔のすぐそばに彼女の手があった。女子憧れ、噂の壁ドンだ。心拍数が急上昇の中、彼女の顔が近くにある。これって、あれだよね。吊り橋効果と似たようなもんだよな。ドン、の驚きで心拍数が跳ね上がってドキドキしてる時に、目の前の異性を見て恋のドキドキと勘違いするっていうアレだ。
ただ、壁にヒビいわすほどの壁ドンでどう惚れろと。胸キュンはした。心臓が縮み上がる方向でな。ついでに寿命も縮んだよ。
「確かに私は、今の境遇に不満だらけだ。しかし、これは私がもたらした結果でもある。貴様に不本意ながら破れ、姉様の言葉に従い、書店員となった。全て、私の責任だ。私のことを、貴様が勝手に解釈するな、奪うな。私が判断を下した、私の人生だ。そこに貴様が入る隙はない」
すっと、手が退けられた。ヒビの入った壁にはまだ、彼女の熱が残っているようだ。
まだ何か、言いたそうに口を開きかけたが、これ以上話しても無駄と諦めたか、舌打ちして、また作業に戻っていった。
「何故、あんなに激昂したか、わかるか?」
しばらく動けずにいた俺の前に、電話を終えた鷹ヶ峰が戻ってきた。
「聞いてたんですか」
「途中からな。盗み聞きのようになってしまって、すまないが」
「いえ。従業員の行き来する通りでやってたんですから」
「ん。・・・では、再度君に尋ねよう。どうしてあの子があんなに怒ったのだと思う?」
「それは」
俺のことが嫌いだから、ではないのか。
「嫌い、なるほど。一括りにすればその一言に集約されるな。質問を続けよう。君の何が嫌いだと思う?」
「決まってるじゃないですか。彼女がこんなところにいるのは、俺のせいだからですよ」
空高く自由に羽ばたく鳥を、俺が鎖につないだからだ。
違うな、と鷹ヶ峰は即答した。
「あの子が君のことを嫌いなのは、曲がりなりにも自分を下した相手がいつまでも自信なさげに自分を卑下していることと、〝君が″凰火が君のせいでここにいると思い込んでいるせいだ」
え? どういうことだ。同じ母国語である月本語で喋ってるのに海外の言語のように理解できない。
「君はあの子を舐めすぎだ。たった一度の敗戦を引きずる様なやわな子ではないと言ったはずだぞ。吉祥院凰火を馬鹿にするのもいい加減にしろ」
トン、と胸を人差し指で突かれた。
「自己評価が低すぎるのも罪だ。場合によっては、自信過剰よりも。君の場合は、育った環境が環境なだけに仕方ない部分もあるとは思う。けれど」
ぐぐっ、と指に力が込められる。何かを押し込むように。
「そろそろ、良いのではないか?」
すっと指を離し、鷹ヶ峰は去っていった。
「良いって、何がだよ」
ふてくされ、誰に聞かせるでもなく呟く。口ではそう言うものの、大体の察しはついている。彼女の言いたいことが何なのか。けれど、人間そう急激に変わることは出来ない。進化だってゆっくりと時間をかけてするじゃないか。急激な変化に生命は追いつけないものだ。ちょっとずつちょっとずつ刺激を与えて体を適応させていかなければ耐えられない。
葛藤というのは、こういうものか? と胸の中の妙なものに名前を与え、今日も俺は本を売り、レジを打つ。変わらない毎日には、進化する刺激的要素が微塵もない。
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