第5話 決勝戦

玄人たちを何とか降し、準決勝も勝ち残った鬼灯君。

手には戦利品であるサインと名刺とガム。

決勝の地は港街にそびえる巨大タワー。

レッドカーペットを踏みしめ、彼は向かう。

過去と決別し、負け犬人生を返上するために。

待ち構えるのは、最強の敵。

彼とは真逆の人生を歩んできた、絶対勝者。

真摯な願いと、確かな絆を胸に彼は挑む―――

(※注 誇張表現が多々あります)



 船が港に到着した。伊那鷺からもらったガムは効果が効き過ぎで、結局俺は一睡もできないままだった。全身は疲れているのに頭だけが冴えているナチュラルハイ状態だ。

 ガコン、と船が振動し、接岸した。タラップがゆっくりと陸地めがけて伸びていく。

「じゃ、決勝頑張れや」

 菱谷が俺の肩をポンと叩き、最初にタラップを降りていく。先ほど貰ったサインを強く抱きしめる。お願いしたら気前よく書いてくれて、しかもサイン会もしてくれるとのこと。良い人だ。もちろん本屋に行ったら彼の著作は全部面出しして全力プッシュする予定。

「応援してるわ」

 妖しげに微笑むユイがその後を追う。ポケットの中の名刺を強く握りしめる。いつか行きたいんですけどどれくらい予算があればいいですかと尋ねたらその質問には答えず「ドンペリ開けてくれたら嬉しいな」と可愛く言われた。とりあえずこの賞金は確保しておこう。ヒナとの約束は、うん。ファーストフードで良いよね? だって美味しいじゃない?

「近いうちに、どこかで」

 伊那鷺がバイバイと手を振りながらタラップを下っていく。あんな可愛らしい子と次に会う約束を取り付けられて嬉しい、とは素直に喜べない。行けばモルモット断れば訴訟の逃げ場なき脅迫だ。女の子と運命の出会いとか、再会で胸がドキドキとか、あんなものは空想だけの世界だ。モテキなど、この世に存在しないのだ・・・。

 世界の悲しい現実を改めて思い知らされた後、俺もまたタラップを降る。徹夜の影響か日差しがまぶしい。眼球に対する日光の容赦なさが半端ねえ。

 人の眼球に多大な悪影響を与えている日光を反射する塔が目の前にそびえ立つ。世古濱スカイタワーだ。各国との貿易・通商会談等が行われたりして、たまにテレビで見ることがあったが、間近でみると予想の斜め上を行くでかさだ。怪獣映画やSF映画では真っ先に破壊されるタイプだと思う。

 ご丁寧なことに、たった二、三百メートルかそこらの距離に立て看板とレッドカーペットが敷かれてあった。これを行けと、いうことらしい。しかも、しかもだ。

「さあ、たった今、フリーターの星、今選手権の台風の目、鬼灯律選手が豪華客船エデン号から姿を現しました!」「頑張れよー!」「応援してるわ!」「奇跡見せたれ!」

 何、これ・・・

「お聞きくださいこの大声援を! 会場前に集まった数百人の人々が、割れんばかりの声援を彼に向けています!」「うひょー! 父ちゃん母ちゃん見てるー?」「映ってる! 私テレビに映ってるよ!」「美恵子、帰ってきてくれ! もう浮気しないから! これを見たらすぐ連絡くれ!」

 向けてねえのが何人かいるよ。美恵子さん出てっちゃったのか・・・お父さん、浮気は駄目だよ・・・

 レッドカーペット沿いに侵入防止のバリケードが張られ、その外側には実況生中継のアナウンサーと目視で数百人規模の人間が詰めかけていた。なにゆえのスター扱いなんだ。

「鬼灯様、どうぞお進みください」

 目の前の情景に圧倒されていた俺に、すっと横合いから実行委員が現れた。

「あの、なんスかこれ」

 キョドりながら震える手で指差し確認。実行委員は当たり前のように

「もちろん、テレビの実況ならびに観客の皆様でございます。マラソンやレースなどでも良く見られる光景でございましょう?」

「俺が聞いているのはそう言うことじゃなくて」

 すると実行委員は「解ってますよ」と両手のひらを出してどうどう、と抑えた。

「ご安心を。鬼灯様が通過された後は速やかに封鎖を解除します。もちろん、緊急車両が通過する場合は十秒以内に撤去する準備が整っています」

心配のしどころはそこじゃない。力を入れるところもそこじゃない!

「さあ、早く向かってください。会場で、敵も味方も観客も、誰も彼もがあなたを待っています。それに早く行ってもらわないと片づけが出来ないんで」

「何て自分勝手な!」

 実行委員にツッコミを入れ、レッドカーペットを踏みしめた。歓声とヤジが紙吹雪代わりに俺に降りかかる。三日前の俺なら踵を即返してダッシュで逃げた。今だってこんな間近で見られて関心を持たれてるなんて考えただけでも恐ろしい。それでも前へ進めるのはなぜだろうか。ヒナや店長が応援してくれているからだろうか、鷹ヶ峰に期待されているからか、それとも何だろうか。良くわからない何かが、もしくはその全ての要因が俺の脚を進める。これはもしかしたら鷹ヶ峰が言っていた「逃げられない」という奴なのかもしれない。自分にこれまでかけられた期待とか言葉、行動と経験と知識、そこから生まれ形作られた自分自身、プライド、義務、期待、意志なんかの色々な感情がここから逃げることを拒絶するのだ。人間ってのはつくづく厄介な生き物だなあ畜生。

 自動ドアをくぐると、中はさっきまでの喧騒がうそみたいに静まり返っていた。

「先輩!」

 聞きなれた呼び声が耳朶を打つ。俺を先輩と呼ぶのはただ一人。

「何やってんだ?」

「そりゃないっすよ。応援しに来たのに」

 首からかけているカード入れを俺に見せた。

「観覧者用入場カードっす。へへ、鷹ヶ峰さんに貰っちゃったっす。本当だと倍率百倍、オークションにかけると数十万はするんすよ?」

 得意げに語るヒナ。

「店はどうした。今日、お前シフト入ってたろ?」

「おじいちゃんの許可は貰ったっす。これも一応、宣伝と言う名のバイトなので」

 働いてるの俺だけなんだけどね?

「いや、駄目だろ。それだと今日は店長しかいねえじゃねえか」

「大丈夫っす。今日、観覧する目的以外で家から出るような人間はいないっす。元旦もかくやというほどっす。まだわかってないようっすね。今日、決勝なんすよ?」

 全員がテレビを見てる、そういうことなのか。

 自動ドアが開く音がして、俺たちはそちらに顔を向ける。他の参加者らしき連中がぞろぞろとやってきた。

「あれ、お前鬼灯か?」

 その中の一人が声をかけてきた。俺は、わざと「どちら様?」という態度を取った。

「何だよ、覚えてないのか?」

 覚えておりますとも。井波智之殿。だが、それを言う気にはならない。なぜなら俺の忌むべき過去高校編の五割から六割くらいはこいつらが出演している。

「先輩、お知り合いっすか?」

 ひょこりと顔をのぞかせるヒナ。井波は視線をヒナに移した。

「初めまして、俺、鬼灯と高校の時の同級生、井波智之です。よろしくね」

 愛想のいい笑顔で挨拶をする井波。きらりと白い歯が光る。このワンシーンからもわかる通り、見てくれはかなりの好青年だ。人望も厚く、確か、生徒会の役員とかしてたんじゃなかったっけ?

それだけなら俺には何の関係もないし、無関係でいられた。こいつも俺のことなど知らずに卒業できていただろう。

 ただ高二の時、奇しくもクラスメイトになってしまった時だ。井波は告白し、振られた。

 相手は三年の風紀委員長。風紀委員のテンプレ的理想像、例えば長いサラサラの黒髪で凛とした女性像等を、粉々にぶち壊すような人だった。なにせ茶髪でピアスで遅刻早退は当たり前の人だったからな。そのくせ成績は学年でも十位圏内だわ、不良と思いきや人懐っこくて誰にでも「なはは」とか言って絡んで溶け込んで、気軽に相談とかも乗ってくれるから人望があって、先生も最後には苦笑して許してしまう、不思議で破天荒で憎めない魅力的な人だった。あと美人だった。

なぜ俺が彼女のパーソナリティを知っているかと言うと、当時俺はカンニング・喫煙等の疑いをいつものようにかけられ、かなりの頻度で風紀委員室を訪れる羽目になっていた。そこでやってもいないことの反省文を書き続けていた。ちなみに、その疑惑は全て先輩が解消してくれた。初めて俺は親族以外の人を尊敬し、感謝した。

それがどう関わってくるのかというと、井波は二年の半ばくらいに先輩に特攻、玉砕した。それだけなら、まあ人気のある先輩のこった、仕方ないよねで終わる。ただここで、一つの噂が立った。その先輩が井波を振る時、「あんたより鬼灯の方がマシ」的なことを相変わらずなははと笑いながら言った、らしい。嘘か真かはわからない。真相を知っているのは先輩と井波だけだ。

それであいつの化けの皮にひびが入ったんだろうか。今まで隠してきた陰湿な部分を、自分の手は汚さずに取り巻きも使って俺にぶつけてくるようになった。他の連中も見て見ぬふり、先生すら手を出せなかった。井波の両親や親族には市議会の議員さんやら権力者が多数おり、その力の前に誰もが屈服せざるを得なかったのだ。

その権力を盾に、井波はこれまでずいぶんと好き勝手してきたらしい。少し調べればいくらでも情報は得られた。というより勝手に出てきた。トイレに籠ってたら被害者、共犯問わず奴の話が出てきたからだ。後、俺のせいにされた喫煙もこいつが実行犯だ。

そんなんに絡まれて、よく生きて卒業できたなと、しみじみ思う。


分厚い猫被ってヒナに話しかける。すでに俺の存在など無いに等しい。

「よろしくね」

「・・・どうも」

 おや、と首をかしげる。あのヒナが、人懐っこい大山のお嬢ちゃんがぎこちない返事をしている。爽やかなイケメンだからと緊張しているのだろうか。それならヒナにも可愛げがある。が、もし熱をあげるようなら、憎まれてでも止めないと。それが店長にできる恩返しになるだろう。

「君、いくつ? 高校生?」

「いえ、大学一年生です」

「へえ、じゃあ十八か十九だね、俺の一個、二個下かぁ。俺今年で成人式なんだ」

 完全に俺の存在は会話から消失している。それはいい。何だこの違和感は。ヒナが、下っ端口調ではなく敬語で、しかも必要最小限のことしか喋らない。あのフレンドリーと無遠慮がミックスされた、マシンガントーカーで有名な大山陽菜嬢が、だ。しかも何気にちょっとずつ身をひいて、俺の陰に隠れようとしている。どうした。本当にどうしたんだヒナ。

「そんな緊張しなくていいよ。俺とこいつはおんなじ高校の同級生だ。な?」

 な、と言われてもねえ。しかしこいつ、妙にしつこく井波は話しかけるな。即やめてほしい。井波が話しかけるたび、俺の二の腕を掴んでいるヒナの手の力が強まり締め上げられる。血圧測定器もかくやと言ったぐらいだ。血流が止まりそうです。

 頑なに自分を拒み続けるヒナに苛立ってきたのか、井波の口調は少しずつ乱暴になり、言ってる内容も品の無いものになっていった。

「君は、鬼灯とどういう関係なの?」

「バイト先の後輩です」

 そう、ともったいぶって、井波は言う。決意を込めたような、真剣な顔で。

「悪いことは言わないから、こいつとはかかわらないほうがいい」

 本人の目の前でよくもまあそんなことを喋れるものだ。さっきまで高校の同級生だとか親しげに言ってなかった?

自分を良く見せるために、他を貶めようってところだろうか。ようやく俺は、こいつがヒナにしつこく話しかける理由が分かった。先輩の時と同じだ。自分より劣っている人間の癖に、ヒナみたいな見た目は可愛らしい女と一緒にいるのが許せないのだ。

「こいつは学生時代、何度も問題起こして呼び出し食らったり補導されたりしていた札付きの不良だ。知ってた?」

 びくっとヒナが体を震わせた。これを好機とみたか、井波は鼻につく笑みを浮かべ俺を見下した後、続ける。

「知らなかったのか。無理もない。猫を被るのだけは上手かったからな。ショックかもしれないけど、ちゃんと聞いてくれ。君のためだから。こいつは最低の男なんだよ。万引きに引ったくり、カツアゲ、暴力行為なんて数知れず。俺と親しくしてた先輩も、こいつに騙されていた。良い先輩だったんだ。こんなやつすら庇ったりして。それをいいことにこいつは、先輩に対しても酷いことを」

 涙ながらに井波は語る。こいつが言ってるのは、風紀委員長の先輩のことだろうか。ここまで認識がくい違うと別件かと思っちゃうぜ。

「いつまた、こいつの化けの皮がはがれるかわからないんだ。襲われる前に、一刻も早く縁を切るべき・・・」

「・・・・い」

「え? 何?」

 ようやく、井波がヒナの声に耳を傾けた。その時までヒナは何か耐えるようにうつむいていたが、顔をあげて満面の笑みでこう告げた。

「五月蠅いのでいい加減に黙りやがってください」

 井波の仮面にひびが入る音が聞こえたような気がした。ヒナは続ける。

「さっきからガタガタガタガタ、五月蠅いっつってんのが聞こえないんでありますかこのノウタリンは馬鹿なんですか馬鹿なんでございますかそれでしたらごめんなさいねぇ私これまであなたほどのパッパラパーとお喋りしたこと無いんですのよ御免あそばせわかったら巣に戻りくさってくださいな」

 大山さん? 一体どうしてしまわれたの? あまりの変貌ぶりに先輩はもう唖然とするばかりよ?

「だいたいですね」

 え、まだ続けるの? 畳みかけるつもりなの?

「私はあなたみたいな気持ち悪い奴は大嫌いなんですもう腹黒さが顔とか体から異臭になってにじみ出て本当に臭いんです反吐が出ますお願いですからこれ以上私と先輩に近づかないでください」

 陽菜はね、悪い人間には絶対に近づかないんだ。

 店長の言葉が蘇る。曰く、悪人を見分ける、悪意を感じ取る能力があるとの事。学校では女生徒の弱みを握って猥褻な行為を行った教師を見つけ出したとか、外では強盗を起こそうとした人間を察知して武器を奪って未遂に終わらせたとか、眉唾ものの逸話を十数件聞かされた。だがこれを見ると信じるしかなくなってくる。井波はどこからどう見てもただの好青年だった。正体を知る俺からみても、ほぼ完ぺきに猫を被ってたように思うのだから、他の何も知らない人間が見ればまず気付かないだろう。だがヒナは気付いた。それも、挨拶の前あたりから。

「てめえ、いい加減にしろよ」

 とうとう井波の仮面が剥がれた。剥がれたとかそういう問題ではない気もするが、とにかくこのままではまずい。

「人が優しくしてやりゃいい気になりやがってこの・・・」

 俺の体を押しのけて強引に掴みかかろうとする井波。俺は行かせてはならじと鉄壁ディフィンス。

「クソが、どけよ」

「気持ちは分かるが落ちつけよ。人の目があるぞ」

「ここまで言われて黙ってられるか」

「後輩には後で謝りに行かせるからここは引けって」

「うるさ」

 言葉が途中で切れると同時に、ぴたりと井波の力が急速に弱まる。どころか一歩二歩後ろに下がっていく。その奴の首元に、なぜか木刀の切っ先が付き付けられていた。木刀は俺の右肩辺りから伸びている。右を振り向く。少し傷の入った使い込まれた感満載の刀身が目に入る。そのまま後ろを振り向く。ヒナが、両手で柄を握り、脇を締め、突きを放てる態勢に入っていた。

「先輩」

 さっきとは打って変わって、いつも通りの明るい声を笑顔で発したヒナ。ギャップ萌えは文化だと思うが、このギャップには先輩ついていけません。

「は、はいよ?」

 でも怖いんで返事はしておく。

「前に話したことあったっすかね? 実は私、正義のヒーローになりたかったんす。弱きを助け、悪を討つ、あれっす」

「そういや、依然話されておられました、か?」

「なんすか先輩、いきなり変な口調っすねぇ」と大山はくすりと微笑み

「今こそ悪、即、斬っす」

 絶対ヒーローのセリフじゃないセリフを決めたヒナがすり足で井波へ接近する。怯えた井波はよたよたと後退して足をもつれさせ尻から転倒する。それが幸いした。真上を風切り音とともに必殺の一撃が通過する。

「は、ひ」

完全に腰を抜かした井波を冷たく見下ろすヒナは、今度は上段の構えを取った。そのまま振り下ろされれば、スイカ割りみたいに容易く奴の頭蓋を粉砕できるだろう。

「ちょい待て!」

 慌てて後ろから羽交い締めにして動きを封じる。

「先輩ったら大胆っすね。みんな見てるっすよ」

 真顔で言うからなお怖いわ! そんな冗談に付き合わず

「つかぬこと、をっ、お伺いしますが、大山さんよっ!」

 こいつ力がべらぼうに強いな! 抑えるのがやっとだ。普段からこのパワーを発揮しろ。

「なんっすか?」

「その得物で、何をするおつもりで?」

「変なことを聞くっすね。振りあげた拳は、振り下ろされるものっす」

 そんな考えばかりだから人類から戦争は無くならねえの!

「振り下ろさなくていいから! つかなんで木刀何か持ってんの!」

「おじいちゃんが護身用にと巨宇都でお土産に買って来てくれたっす。正直女子に渡す物としてどうよ、と思ったっすけど、いざ持ってみると妙になじむんす。きっと私の守護霊は二天一流の使い手に違いないっす」

 最強の剣豪が憑依してらっしゃるの?

「んなわけあるか! これ渡せ!」

 無理やり木刀を奪い取る。「あん」なんて変な声出すな! 変な気分になるだろうが!

「おい、大丈夫か。立てるか?」

 今のやり取りで息切れしながら、俺は井波に手を差し伸べた。正直大嫌いだが、後輩の後始末はつけなきゃならん。呆然とヒナを見上げていた井波だがハッと我に返り「触るな」と差し出された手を払いのけた。

「な、何なんだよお前は。くそ、類は友を呼ぶってか? 犯罪者の仲間はキチガイかよ」

「そんなセリフは、抜けた腰をどうにかしてからおっしゃってください」

 ヒナが冷たく嘲笑う。井波が顔を真っ赤にして、ふらふらと立ちあがり、「こんなことして、ただで住むと思うなよ!」と捨て台詞を吐きながら足早にその場を去っていった。遠巻きにして見ていた他の参加者もすっと視線を逸らして距離を取る。

悪が嫌いにしても程があるだろうが。ヒナは嫌いな相手を極端なまでに排除しようとするのか? そんなデンジャラスガールだったのか? そして俺は大丈夫なのか? 冤罪とはいえ結構な前科あるぞ。

「先輩は大丈夫っす。私が感じるのは胸糞悪くなる悪だけっす。義賊とか、大切な人を守るために罪を犯した人にもきっと反応しないっす。それに嫌いと言っても、普段はあそこまで酷くはないっす。警察呼ぶくらいっす」

「だから心を読むな。ならなんで木刀振り回してんだよ」

「友達や家族、自分の知り合いを貶されりゃ誰だって怒るっす」

「ヒナ・・・」

 友達ってお前、本当か? 嘘じゃないよな。初めて言われたよ。ずずっと鼻を啜る。

「特に先輩はシフト変わってくれたり面倒な作業代わってくれたり、お願いすれば文句言いながらも何でもしてくれるから大好きっす」

 ・・・・それ、ただの都合のいい便利な奴じゃね? パシリ君じゃね?

 ヒナのおかげで妙な空気が充満するスカイタワーエントランス。自動ドアが現状を打開するかのように音を立てて開いた。新たな参加者が到着したのだ。時間的に、おそらく最後の参加者だろう。

 靴音がやけに響いた。さっきの件で、静まり返っていたからなおさらだ。俺を含めた全員が入ってきた参加者に目が向く。

 それは少女だった。誰もが感嘆のため息を漏らすほど綺麗な少女だ。髪をなびかせ颯爽と歩く。誰もが魅入られたかのように彼女を眼で追う。まるで彼女のためのファッションショーだ。

 そして俺は彼女を見た途端、背中に氷を突っ込まれたような悪寒が走った。あれは、まずい。敵に回したらまずい奴だ。負け犬人生の長い俺の直感がそう言っている。彼女は俺とは真逆の存在だ。

「先輩?」

 他の参加者と同じように彼女を見つめていたヒナが、気遣わしげに俺に声をかけてきた。

「どうしたっすか。顔真っ青っすよ」

「そんなことはどうでもいい。大山。今すぐ逃げよう」

「あなたとならどこへだってついてくわ! って何言わすんすか。逃げるって、一体どうしたんすか。大体選手権どうするつもりっすかここまで来て」

「辞退する」

「あっさり! ちょ、何言いだしてるんす・・・」

 そこでヒナは、俺の視線が彼女をロックオンして外れないことに気付いた。

「あの子すか。あの子が原因でそんなこと言ってんすか?」

 ぎこちなく頷く。

「彼女はやばい」

「女の私からみてもやばいくらい愛らしいのはわかるっすけど、一体どういうことなんすか」

 納得いかないとヒナは首を傾げた。納得させる自身はない。勘だからだ。だが、嫌な予感ってのは嫌なくらい良く当たる。外れるとすれば、その予想をはるかに上回るときくらいだ。

そんな中、彼女に近づく人間がいた。井波だ。あんなことがあった後なのにもう立ち直ってやがる。すげえな。立ち直りの早さと心臓の強さ鉄人級だな。先ほどの失態を取り戻そうと必死なのか、かいがいしく世話を焼こうと話しかける。少女はつまらなそうに井波を見上げ、一閃。

「退け」

 良く通る声で言ってくれるものだからエントランス内の空気が固まった。

「お前みたいな三下に用はない」

 そして少女はぐるりとまわりを見渡し

「他の連中もだ。お前ら雑魚では私の相手にならない。恥をかく前に失せろ」

 可愛らしいお口から出たとは思えない辛辣な言葉にエントランス内がざわつく。井波をはじめ、カチンと来た血の気の多い連中が五、六人寄って来て少女を囲む。ここまで勝ち残った実力者だ、それなりに自信、プライドもあろう。それを明らかに年下の少女にばかにされたとあっちゃ黙っていられない。他の連中も良い感情は持ってないらしく助けることもなく、事の推移を見守っている。

「どういうことだよ」

 井波が代表して食ってかかった。

「どうもこうもない。事実を述べただけだ」

「ふざけやがって。人を雑魚扱いかよ」

 そうして井波は少女の頭の先から足の先まで舐めるように見た。均整のとれたプロポーション、それに乗っかるのは抜群の美貌。井波たちの顔に嗜虐的でいやらしい笑みが浮かんだのが見えた。井波は後ろを振り返って目配せした。他の男連中も共通意識でもできたのか、全員が下卑た笑いで井波に返す。

「じゃあ、見せてもらおうじゃねえか。雑魚呼ばわりした俺たちに、あんたの実力を手取り足取り教えてくれよ」

 ぐいと左右から手が伸び、彼女の細い両腕を二人の男が掴んだ。見た目通りの細腕をぐいと引っ張る。他人の目もあるし、無茶なことをするつもりはないだろう。少し脅して、怯えた少女を笑いものにしてやろうとでも考えているのかもしれない。ちょっとした悪ふざけ、生意気な子どもへの躾、そんなつもりであったに違いない。ニヤニヤと笑う井波たちから簡単に読めた。

「この選手権には面白いルールがある。知ってるか?」

 しかし少女は顔色一つ変えず、そんなことを淡々と井波たちに尋ねた。

「知らねえよ」

 何言ってんだこいつ、おかしいんじゃねえのと男たちは指をさして笑う。

「ルールに反しなければ何をしても許されるということだ。つまり、ここで『私以外の参加者が何らかの理由で全員出場を辞退』すれば、必然と私が優勝者になれるということだ」

「あ? ホント何言って」

 少女の右腕を掴んでいた男が、会話を途中で遮られた。何が起こったのかは分からない。ただ、勢いよく横にすっ飛んだのだ。傍観していた他の参加者を巻き込んで、男は完全に白目をむいてのびていた。

「え、え?」

 何が起こったのかわかっていないのは井波たちも同じのようで、目をまん丸にしてその光景と少女を見比べていた。

 次いで、左腕を掴んでいた男が同じようにぶっ飛ぶ。今度は分かった。単純に、殴り飛ばしたのだ。胃の中のものをぶちまけながら男は痛みに苦しみ悶え、床を転げ回る。意識を保てているのは幸いなのか不幸なのか。それには目もくれず、少女は掴まれていた腕を、汚れを取るように手のひらで払う。そして王が臣民をみるように睥睨した。射竦められた井波は引きつった声を出して一歩後退した。

「お望み通り、見せてやろう。手加減はしてやるさ」

 井波が宙を舞った。しかも俺の方へ飛んできた。大理石の床を滑ってきた井波は気絶していた。顎にはくっきりと靴型が入っている。良い男もこうなると型なしだとか舌噛まなくて良かったなとかどうでもいい事を考えて目の前の惨状から目を背ける。そうこうしている間も次々と、彼女を取り囲んでいた連中が同じ運命をたどっていった。

「凰火!」

 怒鳴りながらエントランスに現れた新たな人物は鷹ヶ峰だった。その時エントランスはのされた連中で死屍累々、残りは少女の目に入らないように戦々恐々と縮こまってまる。強盗に入られた銀行みたいだ。

「姉様」

 少女が先ほどまでの憮然とした表情から考えられないほど華やかな笑みで、鷹ヶ峰に向かって手を振った。

姉様、だって? そこでようやく、俺はどうして少女を恐れたか合点がいった。似ているのだ、この二人は。体の成長っぷりには遺憾ながら差があるが、顔も見比べれば似ているし、何より纏うオーラが覇王のそれだ。世が世なら世界を統一するんでなかろうかってレベルのものをお持ちだ。こんな連中を生み出す鷹ヶ峰家って一体なんなんだ。こんな化け物がうじゃうじゃいるのか。それならこの国を牛耳っているのも納得だ。

「凰火、一体どういうつもりだ。お前なら怪我をさせず、簡単に制圧できただろう」

「姉様は優しすぎる。このような俗物など、どうなっても構わないでしょうに」

 顔をしかめた鷹ヶ峰と、凰火と呼ばれた少女。何が起こっているのかわからない俺はもう混乱しかすることが無い。

「まさか、あれは鷹ヶ峰十六夜か?」「ひよこデパートの経営者の? 経営の神様松上孝之助の生まれ変わりと名高い彼女か?」「その鷹ヶ峰を姉様、と呼んだぞ」「ということはあの子も鷹ヶ峰家の一族?」

 蚊帳の外の参加者たちが口々に囁き合う。鷹ヶ峰の威光は、それほどまでに強力なのか。

「「勝てるわけない・・・」」

声を揃え足並みを揃え、参加者たちはまわれ右してエントランスからいそいそ出て行った。残ったのは彼女たち以外では、倒れ伏した連中と俺と大山だけだ。

「あ、あの」

 ヒナが声をあげた。覇王二人がようやくこちらに気付いた。少女は路傍の石を見るかのように、鷹ヶ峰は「鬼灯、大山・・・」と顔をしかめて。

「そろそろ、救急車とか。呼んであげてもいいっすかね?」

 痙攣している井波たちを指し、ひきつった愛想笑いを浮かべながらそう提案した。悪い、井波。すっかり忘れてた。


 救急車が気を失った連中を運び出して、エントランスはさっきの混雑、騒然ぶりが嘘のように静まり返っていた。

「鬼灯、やはりここまで来たな」

 鷹ヶ峰は俺の肩をポンと叩き、たたえてくれた。

「まあ、一応。運にも助けられまして」

「それも実力の内だ。これでもう、君のことを蔑ろにするものはいないだろう」

 だといいんですが、と肩をすくめ「それよりも色々と聞きたいことが」と視線を後ろに立つ凰火と呼ばれた少女に向けた。

「この子は吉祥院凰火。私の従妹だ」

「このような輩に、紹介など不要でしょうに」

 呆れたような声を出して吉祥院が近づいてきた。まだいたの? みたいな目で俺を見る。

「冴えない顔をしている。持たざる者の顔だ。夢も目的も金も権力も人脈も、誇りさえ持たず、抗うこともなく、全てを諦めてきた人間の顔だ。私の嫌いな人種だ」

「ちょ、あんたいきなりなんなんすか! 一体何様っすか!」

「素敵な評価どうも」

 憤るヒナを抑えて、軽口を返しておく。お前さっきの井波のなれの果てを見てねえのか。

しかし初対面でなぜこんな言われよう。真正面からこうもすぱっと言われたらもう苦笑するしかない。

「凰火っ」

 鷹ヶ峰がたしなめるが、吉祥院は堪えず

「姉様。さっさとこんなつまらない事は終わらせて、本家に戻ってきてください。ヒルンドーとの交渉のほかにも、重要な案件がまだ残っているのです。大爺様も姉様を頼りにしているのです。大体次期当主である姉様がこのようなくだらないお遊びに付き合っているのがおかしいのです」

「お遊びとは聞き捨てならないな。そのお遊びが、昨今の経済の一翼を支えているのだぞ」

「わざわざ姉様がしなくてもいい、ということです。このようなつまらない仕事など、適当な人間に割り振ればいい。姉様は鷹ヶ峰家の人間です。国家の行く末すら左右する立場の方なのです」

「だからこそ、だ。だからこそ、現場へ赴かなければならない。理解しなければならない。この国の地盤を支えている人々を知らなければならない」

「姉様に薦められて出場しましたが、こんなものに参加することに、一体何の意味があるのです? 下々の者どもがあくせく働くところを見て、得る物などありましょうか?」

「お前がそうやって見下す人々に、私たちは支えられている。彼らに信用され、信頼されて初めて、私たちは働かせてもらえるのだ」

 だから私はこの大会への出場を薦めたのだ、と鷹ヶ峰は言う。その彼女を見て、やれやれ、と言った風に吉祥院はため息を吐いた。

「違いますよ姉様。逆です。私たちが、彼らを、働かせてやっているのです。愚か者どもはすぐに道を見失う。かつての不況は、そういった者どもが驕り、我らを侮って、不遜にも我ら無しで国を動かそうとしたために起こったこと」

「よく言う。自分たちでわざと混乱を招き、弱体化した他の企業、官僚や政治家どもを恐怖でもって従わせたのではないか」

 その言葉に俺たちは耳を疑う。あの大不況は、鷹ヶ峰家の、国家への見せしめだったってのか。

「あれのせいで、多くの人々の生活を奪い、不幸にした」

「それも違います。あれは自業自得。我らが関知する問題ではありません。支配者が誰か、教えてやる必要があったのです」

「その傲慢さが生んだ悲劇だというのだ! 鷹ヶ峰は力を持つ。だからこそ正しく使わねばならない! そのような考え方は、万が一道を誤ったときに取り返しがつかなくなる。ずっと言ってきただろう! なぜそれが分からない」

「わかるはずがありません。なぜなら我らが間違うことなど絶対にありえないから。なぜなら私たちは鷹ヶ峰だから。あなたもです。姉様。むしろどうして、間違うことなどない、完璧な姉様がどうしてそのようなお考えに至ったのか理解に苦しみます」

 全く傲慢に聞こえないのがすごいな。彼女にとってこの考えは万有引力とか数学と同じなのだ。重力に引かれてリンゴは落ちる、一+一が二になる。それと同じように、鷹ヶ峰が出した答えは正しく、この世の全ての人は鷹ヶ峰の命令を実行するただの部品なのだ。しかも性質が悪いのは、その傲慢が正解なのだと、鷹ヶ峰が世界最大のグループになったという歴史が証明している。

「間違うはずがない、ね」

 鷹ヶ峰が、どことなく自嘲気味に笑った。

「わかったよ、凰火」

「お分かりいただけましたか。姉様」

「ああ。よぅくわかった。お前に期待していた私が愚かだった」

 挑発するように、吉祥院に言い放った。ピクリと吉祥院の眉尻が反応する。

「それは、一体どういう意味でしょう?」

 細められた目が鷹ヶ峰を見据える。氷のように冷たい視線などどこ吹く風、鷹ヶ峰はお手上げだと大袈裟にリアクションして挑発を続ける。

「所詮、お前は鷹ヶ峰家の教育で得たことしか知らない世間知らずの赤ん坊だ。そんなでは、自らの未熟を自覚し、未知を知ろうと飛び出したアイシャ・ラスタチカ嬢に遠く及ばない」

「私が、あんな子供に及ばないと?」

 吉祥院の怒りのボルテージが上がっているのが簡単にわかる。俺とヒナにかかるプレッシャーがとんでもねえ事になってるんだもの。嫌な汗が止まらない。

「どころか」

 なのにそれを真正面から受けているはずの鷹ヶ峰は心底馬鹿にしたように鼻で笑ったりなんかしちゃったりして、ちらと俺の方を見た。途端、俺の全身の毛が逆立った。嫌な予感がびんびん来ている。さっき吉祥院を見た時以上の悪寒だ。脳内でレッドランプが明滅して警鐘が鳴り響き「即刻退避ーっ!」という心の叫びが聞こえた。

「そんなお前では、この男に絶対勝てない」

 鷹ヶ峰の小さな手がこちらを指す。解りきっている。この場に男は俺一人。それでも、それでも万に一つ、一縷の望みをかけて後ろを振り返る。もしかしたら、他に参加者が残ってるのかも。

 誰もいるわけはない。当然だ。助けなど、これまで一つもなかったじゃないか。天を仰ごうが嘆こうが、どうにもならなかったじゃないか。

「こんな男に、私は劣っていると?」

 吉祥院の視線が俺の後頭部にザクザク刺さる。怖くて振り向けない。今振り向いたら石化する。背後からゴゴゴゴって効果音が聞こえる。

「そうとも。今のお前では、この鬼灯律の足元にも及ばない」

 止めて! お願いだからこれ以上コーラにハッカ飴放り込まないで!

「・・・・良いでしょう。姉様。では賭けませんか」

 ふうっと、気持ちを落ち着けるように吉祥院が息を吐き、切り出した。威圧感も収まったようなので、恐る恐る振り返る。目があった。ギロリと睨まれた。超怖え。

「賭ける? 何をだ」

「私がこの負け犬に勝てば、姉様は即刻先ほどの言葉を撤回し、本家へ戻ってください」

 面白い、と鷹ヶ峰は顔を口の端を吊り上げた。

「良いとも。加えて、デパートの経営も譲ろう」

「本気ですか?」

 吉祥院の目が輝いた。

「もちろんだとも。私の予測を超えたということは、お前の方が先を読む力が優れているということの証明だ。良い経験にもなる。本家は私が説得する」

「約束、ですよ」

 凄みのある顔で吉祥院は迫った。

「鷹ヶ峰十六夜の誇りと名において誓おう。が、代わりに凰火、お前も約束しろ。負けたら、私の言うことが正しかったことを認め、学びなおすこと。場所は私が用意する」

「良いですよ。する必要のない約束になりそうですがね」

 吉祥院が鷹ヶ峰から視線を再び俺に戻した。

「逃げるなら、今の内だぞ。決勝はテレビ中継のほか、周囲を観客に囲まれている。全国民の前で恥をかきたくないなら、逃げるべきだ」

 きっとこれは、本人は慈悲を与えてるつもりなんだろうな。虫とか獣とかに対するような感じのものだ。対等な人間にする態度と言葉じゃない。鷹ヶ峰にあらずば人に非ずってか? しかもそれに乗りたい俺がいる。わざわざこんな化け物と闘わなくても良いじゃない、と囁く俺がいる。脳内国会では、満場一致の大賛成で逃亡が可決されている。

「お断りっす」

 ・・・・なぜだ。なぜお前が答える。しかも俺の背に隠れたまま喋るな。吉祥院のナイフのような視線を受け続けるのは精神衛生上よろしくないんだぞ。

「そっちこそ、恥ずかしい映像がネットに配信される前に尻尾巻いて逃げることっすね。今の先輩は神がかってるっす。ちょっと器用なだけのお嬢ちゃんには荷が重いんじゃないっすかね」

「言ってくれる」

 吉祥院が犬歯をむき出しにして笑った。泣きそう。本当に泣きそうです。

「そこまで大口叩くからには、覚悟は良いだろうな。私が勝ったら、貴様のその無駄にでかい乳を、もぐ」

 もぐ!? そんな物騒な言葉初めて聞きましたけど?!

ごきごきと世紀末覇者のように拳を鳴らす彼女を見て、昔話の瘤取りじい様を思い出したよ。確かに今の吉祥院は悪鬼羅刹にしか見えない。恐れ慄く俺、しかし大山は屈することなく言い返す。でもやっぱり俺の陰から。

「持たざる者の僻みが出てるっすよ。悔しけりゃ一日一リットル牛乳でも飲みやがれっす」

「そんな無駄にでかいものなど要らん。だいたい常人並みにはある」

 そろそろ止めてあげて。君たちがさっきから連呼する二人分の乳とむき出しの闘志に挟まれて僕の理性とかどうにかなっちゃいそうですので。仕方ないよね?タイプは違えど二人の美女が言ってるんだもの。意識もってかれちゃうよね?


「決勝戦の競技種目を、発表する」

 咳払いして気を取り直し、鷹ヶ峰が発表した。

「決勝の舞台は50階、国際会議場に設置された舞台だ。だがその前に、君たちには一つ下、49階に一人ずつ行ってもらう。そこに、本来の決勝戦で使うはずだった小道具が揃っている。その中から一人一つ選べ」

 小道具を選んで、どうするんだろう。まさか、それで闘えなんて言うんじゃないだろうな。あっち素手でも俺の勝ち目ゼロぞ。

「その中にある小道具で、どうすれば勝ちか、というルールを君たちが決める。そして私に提出する。私は、二人が選んだ道具、定めたルールを組み合わせて勝負内容を決める」

 どんな道具があるかわからないが、これなら少しは勝機がある。勝負内容の半分は対策が立てられるってことだ。

すでに闘うことが決定され、逃げられなくなっているのはもういい、諦めた。こうなりゃやるだけやったろうじゃないの。

「では、どちらから選ぶ?」

 鷹ヶ峰が俺たちを見比べた。気になったことがあったので、聞いてみた。

「あの、選んだ物やルールは決勝前に相手にお披露目するんですか?」

「いや、しない。開始まで選んだ人間と私たちのみが知り得る」

 半分の対策は立てられるが、もう半分は相手が有利。自分のアドバンテージを崩さず、相手の条件をどう攻略するかが問題だ。

 正直、俺の取るべき物はほぼ決まっている。相手は鷹ヶ峰家の化け物、伊那鷺かがり以上とみて間違いないだろう。となれば、知識でも経験でもまず勝てない。力勝負、といきたいところだが、先ほどのアクションを見てまあ勝てないね。腕相撲なんぞすればこっちの腕が再起不能なほど砕かれかねん。力でも知識でも経験でも勝てないとなれば、もう後は運のみだ。コイントスなら単純計算でも五十パーセントの勝率がある。後は、もう一度麻雀対決の時のような神掛り的な引きの強さをみせるしかない。

「あの、先に選んでも?」

 プランが固まればもう行動あるのみだ。俺は吉祥院に尋ねた。

「勝手にしろ」

 顎でさっさと行けとエレベーターを指された。何が来ても問題ない、その自信とこれまで彼女が培ったものが生み出す余裕。アイシャといい吉祥院といい、どういう教育を受けてきたんだろうか。

「どうせ、貴様程度が考えることなど簡単に読める」


「さっぱりわからないな」

 鬼灯がエレベーターに乗り込んだのを見届けて、ぽつりと吉祥院凰火が言った。

「姉様、どうしてあのような輩をそこまで買っているのです?」

 この勝負は相手のことを理解した方が勝つ。人格、持っている能力、自分と相手との差を考えれば、自ずと取るべき道具は決まってくる。なら、それを利用し、有利にできる物を選べばいい。

吉祥院が鬼灯にかけた言葉はハッタリでもなんでもなく、事実である。すでに彼女は鬼灯が取るであろう道具をある程度予想し絞り込んでいる。

「どこにでもいるような、平凡で、つまらない人間ですよ? 私が奴なら、実力差があることを考えているはず。なら能力や知識で勝敗を決する物は使わない。口も立つ方ではないだろうから、そうなると取れる手段は自ずと限られてくる。私なら、そこまで解れば簡単に対策を立てられます。それでも、姉様は私が負けるとお思いですか?」

 選手権でもそれ以外でも、彼女は常人以上に優れた人間と戦ってきた。それこそ世間では天才や達人、名人と呼ばれる人種と勝負し、勝利を収めてきた。

 負けることなどこれまで一度としてなかった。幾千、幾万の戦いと勝利の果てに彼女が出した結論は、自分は生まれながらの『勝者』なのだということ。何をしても、自分は勝ってしまう。それが自然であり世の理であり、そんな風に運命が設定されているのだと納得した。

 同時に、彼女は自覚のないままいろんなものを失っていた。

「凰火」

 そんな彼女に対抗できる数少ない一人である、従姉が語りかけてきた。

「はっきり言おう。お前は凄い。私よりもずっと、長い鷹ヶ峰家の歴史を見ても並ぶもののない、最高の逸材だ」

 尊敬する従姉からそう言われれば、悪い気はしない。

「だからこそ気付いてほしいんだ、凰火。お前に足りないものを」

 浮かれた気持ちが一気に冷え込んだ。尊敬する従姉を見る目に苛立ちと怒りが込められる。言い返す言葉にも自然と力がこもる。

「だから一体何ですかそれは! あなたに認められようとどれほど結果を残しても、あなたは最後に必ずそう言う。いい加減にしてください。足りない、足りないって、これ以上何が必要だと言うんですか。それともなんですか、姉様のちっぽけなプライドが、年下の私に負けたと認められないからそんなことを言うのですか!」

 そこまで言われても、鷹ヶ峰は言い返すことなく、少しの悲しみを表情に含ませて諭す。

「そうじゃない。お前が次の段階に進むために、どうしても避けて通ってはならない道があるんだ」

「・・・・それが、あの男との勝負にあるとでも?」

「ああ」

 迷うことなく断言され、いよいよ吉祥院の腹立ちはピークに達しようとしていた。自分が認められないのに、昨日今日会ったどこの馬の骨ともわからない、どう見ても自分より数段劣る男が従姉に認められているのだ。怒りもここに極まれり。湧きあがってくる怒りをどうにか理性と、結果を出すことで黙らせてやるという反骨心によって抑え込む。

「良いでしょう姉様。ならば見ていてください。あなたが見込んだ男を、その男が選んだ有利な条件で完膚なきまでに叩き潰します。それなら、さすがのあなたも認めるでしょう?」


「と、いうことがあったっす」

 戻ってきた俺に、大山がさっきまでの鷹ヶ峰と吉祥院のいきさつを話してくれた。教えてくれるのはありがたいが、テンションはだだ下がりだ。これからそんな化け物が、全力で俺を潰しに来るのだ。

「あの子は可哀そうな子なんだ」

 鷹ヶ峰が話に加わる。

「どうしてですか。何でも出来る才能があって、鷹ヶ峰って後ろ盾があって、それのどこが可哀そうなんです?」

 俺にとっては嫌味でしかない。

「そうだ。故にあの子は達成感というものを知らない。勝利の喜びも薄い。勝って当然だからだ。何でも一人で出来てしまうから、目的に向かって努力することをしらない、悩むことを知らない、協力もすることも知らない、感動を共有することもできない。あの子は有能過ぎるあまり、誰とも考えや感情を分かち合えない魂の孤独を知らずに味わっているのだ」

 そう聞けば、確かに彼女は不運だ。だがなんだろう、この奇妙なデジャブは。あまり気付きたくはないが。

「なんか、先輩そっくりっすね」

 はっきりきっぱり、言ってくれましたよこの後輩ちゃんがよ。

「そうなのだ」

 力強く肯定しないでください。俺も可哀そうな奴だって認めちゃいそうだから!

「これまでの人生の歩み方において、君と凰火は非常に似ているのだ」

「あっちは絶対勝者、こっちは全敗の負け犬っすけどね」

 ヒナよ、お前、俺を馬鹿にした奴は許さないとかなんとか言って先輩愛に溢れてなかったっけ? あれは幻?

「私は良いんす。だって後輩だから。愛の鞭ってやつっす」

お前の鞭はトゲ付きか。俺のハートはズタズタなんですけど。今後の彼女との関係性を見直そうと思う。

「鬼灯、頼みがある」

 鷹ヶ峰が俺に言う。

「なんですか、改まって」

「あの子を、奈落へ突き落してくれ」

 耳を疑うとはこのことだね。とてもあれほど吉祥院の事を心配していた人間の口から出たとは思えないセリフに俺たちは鷹ヶ峰を二度見した。

「え、っとぉ、聞き間違い、ですかね? 奈落、と聞こえたんですが」

「いや、間違いではない。この勝負で、あの子の鼻っ柱を叩き折ってやってほしいんだ」

「何でまたそんな結論に至ったのか、ご説明いただいてもよろしいか?」

 簡単なことだ、と鷹ヶ峰はさらりと話す。

「あの子をさらに成長させるのに、あの傲慢な性格は一番の障害だ。しかし、あれは傲慢な人間の中で生まれ育まれてきた筋金入りだ。ちょっとやそっとでは変化どころか気づきもしないだろう。こうなれば、あの子のアイディンティティを崩壊させるくらいのショックを与え、新たに構築し直した方が良い。そのためには、あの子にとって絶対にあり得ないことを体験させるのだ」

 ガッと鷹ヶ峰が俺の両肩を掴んだ。まるで逃げられないようにしているみたいだ。事実逃げようかと思っていたわけだが。しかも物凄い眼力で見つめられている。鷹ヶ峰が言う逃げられないってこういうこと? さっきから物理的にも精神的にも逃げ場がないけど、これ全部人災よ? 逃げられないってか、逃がさないの間違いじゃね?

「だ、だから、絶対に勝てないであろう俺に、勝てと?」

「そうだ」

 その結果を得るためにどれほどの壁がそびえているのやら。斜面でたとえれば120度は軽いね。いやいやもう垂直通り越してこちら側に傾いてますけど? くらいの壁だね。

「鬼灯、どうだろうか。やってくれるか?」

 心なしか不安そうに、鷹ヶ峰が黙ったままの俺に問う。

「もし君が、本当に嫌だと言うなら、棄権してくれて構わない。あの子と戦い、再起不能になった人間は多数存在する」

 それはそうだろうな。自分が長い道のりを経て達した境地を、自分よりはるかに年下の吉祥院が一足飛びに超えて行くのだ。自分の存在意義を問うようになって廃人化してもおかしくない。それに、さっきの惨状を思い出すと、肉体的にも再起不能に追いやられた人間はいるだろう。普通は断る。いままでの俺なら即座に断る。大きく息を吐いて、呼吸を整え、返答する。

「やりましょう」

 今の俺の答えはこうだ。

「いいのか?」

「いいのかって、それ、俺が聞きたいですね。本当に、勝ってしまっても良いんですね?」

 あの冷静沈着な鷹ヶ峰が、いつも喋り倒してボケ倒すヒナが、揃って絶句した。ちょっと良い気味だ。いつも人にツッコミ疲れをさせる二人が揃いもそろってポカンとしている。

 勝つ自信は、言葉に反して全然ない。こんなものハッタリだ。ならなぜそう言ったか自分に問うと、前に同じような気持ちになったことが何度かあるからだ。

 ヒナに大学できちんと勉強してほしいと思ったときと、アイシャに協力しようと思ったときとかだ。人とほぼ関わらずに生きてきたからこその新発見だが、意外に俺はお節介なのかもしれない。おかん気質なのだろう。あそこまで馬鹿にされ、本気で潰そうとしてくる相手の、その身の上を知った今、何とかしてやりたいと思うのだ。もうこれはおかん級の優しさ、お釈迦様並みの慈愛に溢れていると思う。それに、どうせ逃げ場はない。逃げる気もなくなっていた。二回戦の俳優気分効果がまだ続いているのかもしれない。もしくは、伊那鷺からもらったガムの効果で頭がどうかしているかだ。

俺の顔をマジマジと見ていた鷹ヶ峰が、ふっと表情を崩した。

「ああ。勝ってくれて問題ない」

「再起不能にしちゃうかもしれませんぜ?」

「構わん。その程度で再起不能になるような、やわな子ではない。全力で、叩き潰せ」

「了解です」

 そして俺は、鷹ヶ峰に道具を手渡し、自分が考えていたルールを伝えた。

「え、それだけっすか?」

 色々と条件をつけると思っていたヒナは、肩すかしをくらったようだが、鷹ヶ峰の方は俺の考えを読み取ったか何も言わずに道具をスタッフに預けた。

「これで、君の道具とルールは受理された。凰火が戻り次第、二人の道具とルールに沿った舞台を作る。それまでは待機だ。45階に参加者控え室と弁当を用意してある。スタッフがいるはずだから、案内してもらえ。大山、君はこのまま50階の観客席に入るといい。もう入場を開始しているはずだ」

「わかりました」「了解っす」

 ちらとエレベーターを見る。四基のうち一基が、49から下へ移動している。吉祥院が戻ってくるようだ。

「鬼灯」

 いつぞやのように、鷹ヶ峰が俺を呼びとめた。呼びとめてから、彼女はしばらく黙っていた。俺も、彼女が話すのを待つ。

「ありがとう。あの子を頼む」

 真摯な願いだった。

「美女の頼みとあらば、空も飛んでみせるさ」

 精一杯の強がりに、確固たる決意を込めて応える。

「嘘つき。私の頼みはなかなか聞いてくれないじゃないっすか」

 茶化すヒナの頭を軽くはたいて、俺は開いているエレベーターに乗り込んだ。


 扉がノックされた。向こうから「時間です」と声をかけられる。

 ソファから腰を浮かせ、大きく背伸びをする。さあ、いよいよだ。

 50階にエレベーターで上がる。俺が到着してから数秒後に、通路を挟んで向う側のエレベーターが開き、実行委員に連れられて吉祥院が現れた。敵意の眼差しは、圧力こそ怪獣級だが、その本質は鷹ヶ峰に認められたいなんて子供みたいな理由だ。内訳が分かれば怖さは半減した。苦笑いでやり過ごす。その態度が気に食わなかったのか、ツカツカとこちらに近づいてくる。お互いの距離が30センチ圏内にまで近づいた。恋人同士か、格闘家がゴング前にとる距離だ。おそらく後者で間違いない。身が竦むような恋人同士なんぞいてたまるか。

「大人しく、逃げればよかったものを」

「成り行き上、仕方なくね。あんたの従姉さんにも頼まれたしねぇ」

 ガッと襟首を掴まれる。

「軽々しく、貴様なんぞが姉様のことを口にするな。今この場で捻り殺すぞ」

 ぎりぎりと服が破けんばかりに力が込められる。一応これ、俺が持つ服でも高級の部類に入るやつなんだけど。

「この場で俺を病院送りにすることは簡単だ。だが、それで本当にあの鷹ヶ峰十六夜を認めさせられるかな?」

 苦しいのを我慢して、俺はあえて挑発的に言い返した。より一層、掴んでいる手に力が込められ、喉を圧迫していく。ギブ、本当にギブだから。それでも表面上は笑みを浮かべておく。

「いいや、きっと無理だね。またあんたは彼女を失望させる」

「何だと?」

「なぜか、教えてほしいかい?」

 無言の吉祥院。俺はそれを肯定、少なくとも迷いが生まれたのを見てとった。

「俺はわかったぞ。彼女があんたに何を伝えたいか」

 怒りしかなかった彼女の目に動揺の成分が少量混ざった。ほんの僅かに目が開く。

「出鱈目だ」

 俺から視線を逸らし、彼女は吐き捨てた。

「この私が、これまで全くわからなかったことが、貴様にわかるはずがない」

「どうかな? これでもこの俺は、多少認められたんだぜ? あの鷹ヶ峰十六夜に」

 睨み合ったのは数秒もないはずだ。だが、俺にはトイレを我慢している時の電車一駅分以上に長く感じた。

 「面白い」と吉祥院が突き飛ばす。ようやく圧迫感から解放され、必死こいて、かつ、ばれないようにカッコつけたまま呼吸する。あれだけ決めておいて肩で息をするってのも締まらないからね。

「そこまで言うなら教えてもらおうか。出来るものならな」

「良いともさ。もとよりそのつもりだ」

 二人で通路の先を見る。重厚で豪奢な扉の向こうに、決戦の舞台がある。

「では、お二方。前へお進みください」

 促され、俺たちは足を揃えて前に進む。結婚式の父と娘みたいだな、とくだらないことを思い浮かべてしまった。余裕だな、俺。

 会場に足を踏み入れた瞬間、拍手と歓声と実況が入り乱れた音が全身を包んだ。水中で水圧がかかるように、音が全身に圧力をかける。俺たちは音の海を掻い潜りながら、誘導されるまま中央へ向かう。

 行く先にあるのは、円柱が大きいものから順に重なり合った台座だった。台座の中央に、幅一メートル程度の正方形型の机とそれを挟んで椅子が二つ置かれている。誘導してくれていた二人の実行委員が、台座の一段目の直前で止まった。そして俺たちの方を振り向き、すっと脇に退く。彼らの手が、台座を指した。行けということらしい。

 一歩一歩段差を踏みしめてあがる。スポットライトがまぶしい。

「お待たせしました! ただいまより、第十回アルバイト選手権、決勝を行います!」

 途端、先ほどの騒音などただの小手調べよ、と思わせるほどの歓声が場内を轟かせた。腹に音が響いて、吐きそうです。

「参加者総数、約50万人。その全てを退けて勝ち続けた英雄が二人。

 一人は、見目麗しき少女。彼女の美しさに目を奪われた者は、次の瞬間、その目を疑うことになるだろう。年端もいかぬ華奢な少女は、時に知力で、時に体力で、全てのジャンルでライバルたちを圧倒。並ぶことさえ許さない彼女を見て、人々は讃える。彼女こそ、現世に降臨した戦女神。ご紹介しましょう、彼女こそが『絶対勝者』吉祥院凰火!」

 周囲から爆発のような歓声が上がる。男に人気があるのかと思いきや、黄色い歓声の方が多い。黙っていれば、凛とした佇まいやクールな相貌は力塚歌劇団の男役を彷彿させる。少し生意気そうなところが年上のお姉さま方に、頼れるところが年下のシスターたちに支持される由縁か。横目でちらりと見る。苦々しい顔でうつむいている。照れて、いるのだろうか。確かにこれはちょっと、言われると恥ずかしいかもしれない。

「対するもう一人は、いまやフリーター、ニート、そしてリストラの憂き目にあったことのある中年オヤジたちの希望の星。徒手空拳、何の資格も経験も持たず、裸一貫で選手権という戦場へ飛び込み、不利を有利に、危機をチャンスに変えて勝ち続けてきた。彼の背を見て、人々は思う。次は自分の番だ、と。世の負け犬、挫折者たちの再起の期待を一身に背負う彼こそが『反逆者』鬼灯律!」

 ですよね。俺の時もありますよねー。両手で顔を覆う。顔が羞恥で真っ赤になっているのがわかる。もう恥ずかしくってお婿に行けない。こういうのは一体何度目だろう?

「女神の威光の前に全てがひれ伏すのか、負け犬の牙が革命を起こすのか、いざ、運命の最終決戦です」

 会場内のライトが落ちる。残ったのは、舞台上のテーブルを真上から照らす一台のみ。

「両者、席についてください」

 俺たちは二手に別れ、向かい合って席に着く。

「では、決勝戦の競技内容を説明します。試合のジャッジ、および説明は、選手権の責任者であり、実行委員長の鷹ヶ峰十六夜により行われます」

 ぱっと、新たな光が生まれた。丸い光が当たる中にいるのは、鷹ヶ峰十六夜その人だった。ライトを引き連れ、ゆっくりと俺たちのいる壇上へ近づく。よもやこの人が直々に出てくるとは思わなかった。

「姉様にジャッジしてもらえるとは、光栄ですね」

 光栄に思ってない顔で吉祥院は言った。

「何か問題あるか?」

 鷹ヶ峰は胸元に付けられたマイクを押さえ、小声で俺たちに言った。「いえ」と吉祥院は首を振った。俺も特に異存はない。

「決勝戦のお題は《駆け引き》、方法は、これを用いて行う」

 俺たちから正面へ視線を移し、今度はマイクから手を離して喋る。会場全体に彼女の声が響き渡った。取り出したのはリボルバーとトランプだ。

「まず、トランプのハートとスペードだけを取り出す。ハートは吉祥院、スペードは鬼灯だ。二人は十三枚のカードをシャッフルする。伏せたまま一枚引き抜き、テーブルに置く。そこの、ガラス面になっているところだ。試しに置いてみろ」

 言われた通り、俺たちはカードを置く。すると、テーブルの中央から板がせり上がった。座った俺の首くらいの高さで、大きさも肩幅より狭いくらいの黒い板だ。何かと思って見ていると、ブウンと小さな音を立ててその板は起動した。黒い板は、液晶画面だったらしい。そこにはハートの5が映っている。

「今見ているのはお互いが手元に伏せて置いたカードだ。二人がカードを置くとディスプレイが表示される仕組みになっている。発表すると、吉祥院が5、鬼灯が2だ。数字の大きい方が勝ち。負けた方は、今伏せたカードと、もう一枚をランダムに選び、破棄する。勝った方も、使ったカードは破棄される。同じ数字同士のあいこの場合、そのカードが破棄される。破棄する時点で君たちは自分のカードを確認できる。自分の手札に何が残っているか、相手は何が残っているかを把握しながら戦ってくれ。破棄する場所は、机手前に設けた投入口に入れるんだ。

 また、相手のカードが大き過ぎて、勝ち目がないと思ったらパスしていい。その場合、自分の伏せたカードのみ破棄され、余分に破棄する必要はない。相手は伏せたカードを手札に戻すことが出来る。ただ、パスは三度まで。使いどころが肝心だ。最終的に手札が先に無くなった方が負け。

 これに、リボルバーがどう関わるかを説明する。カードでの勝負が行われた時、13対8、10対2など、5以上数字の差があった場合、カードを破棄するのに加え、リボルバーの引き金を引いてもらう。リボルバーの弾が当たった瞬間負けが決定する。ロシアンルーレットと同じだな。もちろん、弾はペイント弾で人体に影響はないので安心しろ。ルールは以上だ。何か質問はあるか」

 深呼吸して、内容を頭で反芻しながら腹に呑みこんでいく。

・手札は1から13のカード

・一枚ずつ出し、相手より数字が高ければ勝ち。負けると余分に一枚捨てる

・自分のカードは勝負がつくまで知ることが出来ず、相手のカードだけを見て仕掛けるか引くかを判断する。パスは3回まで

・負けた時、一枚余分に捨てる。数字の差が5以上の場合、リボルバーの引き金を引く

・勝負は、先に手札を全て失うか、ペイント弾に当たると負け

 こんなところだ。特に質問は無かった。吉祥院も同じようで、俺たちは揃って首を振る。

「では、勝負を開始する」

 鷹ヶ峰が机から離れた。中央にはリボルバー。手元には十三枚のカード。目の前には吉祥院。不思議なもので、今この場には俺と彼女しかいないような錯覚に陥った。観客のざわつきも恥ずかしい実況も聞こえなくなる。

 俺がリボルバーを選んだのはこれが一番勝率が高いと考えたからだが、どうして吉祥院がトランプを、しかもゲーム内容にこんなのを選んだのが理解できない。もっと他の、実力がそのまま差になるようなものを選ぶとともった。例えば、俺が捜しているときにも発見したオセロとか将棋とかだ。

「不思議そうな顔をしてるな」

俺の内心を読み取ったのか、吉祥院が言う。

「言ったはずだ。お前が選びそうな物くらいわかると。おそらく、運が左右する物を選ぶと考えた」

「だから俺は、あんたは、実力差が勝敗に直結する物を選ぶと思ったんだけどね。俺が選んだ物を使う前に勝負をつけるんじゃないかって」

 尋ねると、吉祥院は横目で鷹ヶ峰をちらと見た。鷹ヶ峰は俺たちから一歩離れたところで椅子に座っている。こうして椅子に座っていると整った容貌と小柄な体格が相まって本当に人形みたいだ。ただ眼光だけは鋭く、こちらの動きを見張っている。

「姉様は言った。この勝負で、私に足りないものがわかると。つまり、貴様が持ち込む勝負こそがそれだ。それを正面から叩き潰してこそ、ようやくわかるはずだ」

「わざわざ土俵を合わせてくれたってこと? 良いのかな? そんな余裕見せて。足元掬われかねないぜ?」

「プロの棋士が、将棋を知らない子どもに勝っても自慢にならないだろう?」

 子ども扱いかよ。ま、能力値だけ見ればそんなもんか。俺がレベル1だとしたら、彼女は99でステータスは最高値で最強装備だ。

だが彼女は知っているだろうか。将棋なんて全然知らない子どもは、自分の興味のないことなど放っておいて、外へ遊びに行くもんだ。

 お互い、それ以上語ることはなかった。どちらからともなくカードを手にとってシャッフルする。彼女は手に持ってカードを切り、俺はその場に神経衰弱のようにバラバラと広げて混ぜる。


 この二人の行動を見逃すまいとしていたのは、ジャッジの鷹ヶ峰だけではなかった。会場に集まった観客たちは目を皿のようにして舞台の二人と巨大モニターを見つめ、外に居るものは携帯画面を、屋内に居るものはテレビ画面にかじりつくようにして勝負の行方を見守った。


 混ぜ終えた俺は、中から一枚引き抜き、テーブルに置く。俺がカードを置くのを見てから、吉祥院はカードを選び、テーブルに置いた。ディスプレイが表示される。彼女のカードはハートの9。

 彼女の顔を伺う。目があった。心まで見透かされるんじゃないかというくらい真っ直ぐに見つめられた。

「どうする? 勝負するか?」

 緊迫した状況のはずなのに、吉祥院はリラックスしている。場数の差なのか、本人に備わっている肝っ玉のサイズの違いか。俺なんて手のひら汗ぐっしょりなのに。

「そっちは?」

 声が震えるのをなんとか堪えた。

「するよ」

 迷うそぶりすら見せず即答した。

「私のカードは、貴様のより大きいから」

 普通なら、動揺させるためのハッタリとか、心理戦だとか思うだろう。だが、俺はそれが本当じゃないかな、なんて予感がして、何度か逡巡した後この勝負を降りることにした。

「パスする」

 一度目のパスを宣言して、自分のカードをめくる。スペードの7だ。カードと彼女を見比べてから、俺は7のカードを捨てた。彼女は9を手札に戻す。

 二回目。俺は表示されるカードより彼女の表情や動作の変化に気を配る。画面が表示された。ほんの一瞬、目元がピクリと動いた。それは一体どういうことを意味するのか。彼女がこちらに視線を向ける。一度それを受け止めてから、俺は画面を見た。彼女のカードはハートの10。半分より上のカードだ。だがもし、俺の手札がジャックやクイーンだとしたら。

「どうする?」

 今度は俺から聞いてみた。

「勝負する」

 さっきと同じようにすぐ答えた。ただ、少しだけさっきより遅かった気がする。彼女の変化と一緒に、これをどう取るか。悩む俺。

「早くしろ。とろい男は嫌われるぞ」

「せっかちな女同様にな」

 机上で睨み合う。視線恐怖症の俺が良く耐えてると思う。なんだろう、同じぼっち同士だとわかったから妙なシンパシーを覚えているからだろうか。自分の内のどこかで彼女をそこまで恐れない自分がいる。

「勝負だ」

 宣言する。そして、二人同時にカードをひっくり返す。俺のカードは、8。

「観察眼が鋭いのは結構だが」

 思わずカードを見返し、変わらない結果に愕然とする俺に吉祥院が言う。

「見ていることを悟られれば、罠にかかる。勉強になったか?」


 会場から歓声とため息が漏れる。大山陽菜はため息の方だ。額を押さえて「うあー!」と人目もはばからず残念がった。

 鬼灯たちが戦う舞台の真上に設置された巨大モニターが、二人の駆け引きを映し出している。伏せられたカードは観客からは丸見えなので、わかっているからこそのじれったさがあった。それもまた見る方の醍醐味かもしれない。彼女としては何とかこちらが得た情報を先輩に流したいが、室内が関係してるのかそういう不正防止用にジャミングでもかかってるのか電波が圏外でメールすら送れない。手旗信号でもなんでもサインを出したりするのも実行委員が警備員よろしく立ちふさがり、警戒巡回中で出来ない。こちらが出来るのはカードと先輩のあたふた加減を見て「じれったい!」と歯噛みするくらいだ。

 それを踏まえたうえで、勝負でいくつか腑に落ちない点があった。さっきからランダムでカードをひいているはずなのに、吉祥院は全く動じない。まるでカードの中身を全部わかっているから、余裕を持っているんではないかと思ってしまうほどだ。

「まさか、ほんとに?」

自分の考えに疑問を持つ。そういえば、と先ほどの準決勝を思い出した。鬼灯の対戦相手だった菱谷は、イカサマを使っていた。本人も認めたも同然の態度だったにもかかわらず、誰も咎めることはできない。証拠がなかったからだ。

吉祥院本人も言っていたではないか。ルールで決められたこと以外こそが重要だと。どんな手段を使っても、最終的に勝利条件を満たせばいいのだ。競技前に対戦相手を病院送りにしても戦意喪失させても問題ないし、騙してもいいしイカサマしてもいい。どれだけばれずに、ルールの裏をつくかが勝利のカギなのだ。

まして彼女は鷹ヶ峰十六夜が自分を超える逸材と見込んだ人間。その程度のこと、造作もなくやってのける。やってのけなければおかしいのだ。

 鬼灯が手札から一枚選び、破棄した。スペードの6だ。そこまで大きな数字ではなかったのが救いだ。これで7、8、6のカードが鬼灯から、10のカードが吉祥院から失われた。カード総数は9対11。たった二回ですでに差が開き始めている。

両者の姿を見比べれば、その差が見た目以上に開いていることがわかる。吉祥院は平常通り淡々としているのに対し、鬼灯は歯を食いしばり、額からは汗がにじみ出している。呼吸も荒く、肩で息をしていた。彼女からかけられるプレッシャーと仕掛けられる攻撃、幾つもの罠に神経をすり減らし、対人恐怖、視線恐怖症一歩手前に降りかかる360度からの歓声と視線が体力をすり減らす。

再びカードが伏せられた。いくつかのやり取りの後、勝負になる。鬼灯は9、吉祥院も9だ。同数により、双方のカードが破棄された。全員が一斉に息をつく。見守っている間、呼吸を止めていたのだ。おそらく画面の向こう側、視聴者全員が同じように一息入れたはずだ。口がからからに乾いて、飲み物を飲んで湿らせている人もいるかもしれない。全国民がトイレに行くことも忘れて見入る中、ルールの穴に気付いた大山は彼らほど純粋に勝負を楽しめなくなっていた。後はもう、鬼灯が気付いているのを祈るのみだった。


「何を考えている」

 吉祥院凰火は目の前の敵、鬼灯律に問うた。カードでの勝負が8回目を過ぎた。結果は二勝二分けにこちらのパスが1、相手のパスが3。こちらが使ったカードは6から10の5枚。対して鬼灯は2から4、6から9の7枚を消費している。圧倒的有利に進んでいて、何の問題もないが、何かが引っかかる。次のカードを選ぶ前に、揺さぶりも兼ねて尋ねる。

「何って、勝つ方法だよ。当然だろ」

 体が緊張でこわばり、声がわずかにかすれている。一杯いっぱいの状態、そのはずだ。だが違和感がある。さっきのエントランスでの焦り方と今のは微妙に一致しない。

「勝つ方法、か。では、お前の勝つ方法はどちらだ。このままカードで勝つ方法か? それとも、こっちか?」

お互いの視線が何度もカードとリボルバー、そして相手へと行き交う。言葉だけでなく、動き、仕草、その全てで相手を揺さぶり、相手の裏をかくために死力を尽くす。

「カードでの駆け引きは分が悪い、今までの勝負が物語ってる。となると俺が勝てるとしたら一発逆転の運任せなギャンブルだ。あんたなら、それくらい見抜いてんだろ」

「一発逆転を狙う人間は、必ず確率を計算する。仮にリボルバーで当たりを引かせるという逆転を狙う場合、確率は6分の1。ここから六度勝つつもりなのか? それも5以上の数字の差をつけるなど、どれほどの天文学的確率になると思う?」

 5以上の差が付く組み合わせは単純に考えて36個×2で72ある。1なら6から13、2なら7から13で、それらを足していった数の二人分となる。だが律義にその通りカードが出るわけがない。今までのやり取りを見ても明白で、二人ともが真ん中のカードを使い、いくつかの組み合わせは消えている。この勝負は最大でも十三回まで。そのうちの六回を以上の条件を満たして勝つことなど示し合わさなければ無理だ。ならばカードで鬼灯が勝てるかといえば、これも無理だろう。自分は手元にあるカードのどれがどれかわかっている。仮に鬼灯のカードが大きかったとしても、自分はパスすることもできれば、勝負して不要なカードを捨てるだけで良い。ゆえに、5以上の差で負けることがあり得ない。差がわかるからパスが出来るのだ。

「それでも一筋の希望にすがるのが普通だろ」

そう言う裏で、鬼灯は考えているはずだ。限りなくゼロの確率を一パーセントでも増やそうと、自分が勝てる条件に持っていこうとしている。

 真ん中より少し上のカードから使っていたのも、そのあたりを考えてのことだろう。自分と同じようにカード内容を覚えていて、最初に13や12などのカードで勝負を決めにかかると推測、だから差が5以上にならないようにしていた。だが最初の勝負で相手はカードを覚えていないのではと疑念を抱き、二度目で確信に至った。おかしい、と彼女は訝しむ。そのままでは普通にカードを切らして、無様に負けるのを待つだけだ。一体何をたくらんでいる。揺さぶるためにパスも選択してみた。使う順番に意味や法則があるんではないかと勘ぐってのことだったが、それとも違うようだ。

吉祥院凰火にとって、勝利を目指さない勝負はない。相手も同じだ。だから、奴は勝つために何かを仕組んでいるはず。

鬼灯は自信満々に自分に勝負を挑んだ。絶対に勝算をもって挑んだ。一体奴の狙いはどこなのか。彼女の頭脳が仮定を導く。自分が鬼灯だとして、どうやって自分に勝つか。

鬼灯が勝つ方法はコレだ。それは間違いない。だからチャンスを作るために、条件を揃えるために一手一手積み重ねている。彼女はそれを、リボルバーを使わなければならない状況に持ちこむものだと思っていた。だから負けても差が出ないカードを置いてきた。だが、これまでのカードを見ていると、それは違うのではないか。自分はなく、奴自身がリボルバーを使うチャンスを待っているのではないか。そのための地ならし。奴の方こそが、真ん中の数字ばかりを捨て、こちらのカード状況を伺っているではないか。

尊敬する従姉、鷹ヶ峰十六夜が説明したルールをもう一度思い出す。勝つための条件は、相手にカードを使いきらせることと、ペイント弾を当てること。吟味する。この場にある全てが情報だ。ルールや道具の使用方法はもとより、鷹ヶ峰や鬼灯の言葉から、視線の動き、頬の筋肉の動き、仕草、髪を触る回数、足を組みかえる頻度、呼吸、眉、さっきまでの反応との違いなど、動きの全てを認知し取捨選択し、正しいものを導き出す。

 そうか、と彼女は眼を細め、相手を見やる。ここまで勝ち進んでくるわけだ、と彼女にしては珍しく最大の賛辞を相手に送る。

 おそらく会場にいる誰もが、リボルバーの用途をロシアンルーレット、負けた方のペナルティだと思い込んでいる。それは大きな間違いだった。誰もそんなことは言っていない。

「見抜いたぞ」

 誰にも聞こえない、マイクにも拾えないほどの小さな声で彼女は嗤う。ただそこに含まれた闘志を、戦意を視線に乗せて鬼灯に叩きつける。

「え、なに?」すっとぼけた顔で怯えるのも演技だろうか。だとしたらなかなかの策士であり、見た目以上に強かな男だ。姉様が認めたのもわからなくもない。こういう泥臭く最後まであがき続ける、というものが不足しているということなのだろうか。とはいえ、それでも私には届かなかったわけだが。

 自分の張った罠に自ら陥るといい。彼女は静かにカードを置いた。


 二人のカードが出揃う。スペードとハートのエースが観客席、テレビ画面で確認できた。

 ここまで来てようやく、観客たちはこの勝負がカードだけでなく、駆け引きやイカサマ等を含めた暗闘が繰り広げられていることを二人の間に漂うモノから感じ取っていた。ゆえに、この二人のエースもまた、どちらかが、もしくは二人ともが勝負に出ていると読み取った。出たカードを見て、二人は何を思ったのだろうか。鬼灯は何度もディスプレイと相手の顔を見比べ、吉祥院はじっと相手の顔を観察し続けた。沈黙が会場を支配していたが、全員の耳にはうるさいほどの自分の鼓動が響いていたのではないだろうか。

「勝負、するか?」

 鬼灯が放った言葉は、会場に満ちた沈黙の隙間をすうっと抜け、聞く者の耳朶を打った。

「ああ」

 吉祥院が頷く。交されたのはたった二言だ。その裏でどれほどのやり取りがなされているか、傍観者には想像もつかない。

 カードはもちろん同数、よって二人のエースはその手で破棄される。

 再び、カードは伏せられた。

 表示されたカードはスペードのキングとハートの2だった。始まって以来、初めての5以上の差だ。

「勝負する?」

 今度は吉祥院の方が尋ねた。誰もが耳を疑った。鬼灯のカードはキング、13の最大数だ。それがわかっていてなお、彼女から仕掛けた。

 反対に鬼灯は黙ってしまった。ディスプレイの2を見つめたまま固まってしまっている。誰もがなぜ躊躇するのかと疑問を抱いた。鬼灯はすでに1から4までのカードを使い切ってしまっている。一番小さい数字でも5だ。負ける要素が全くない。大体が、彼はすでにパスを使い果たしている。勝負を受けるしかないのだ。それでも止まってしまう理由が、ハートの2にはあるのだろうか。

「・・・・ああ」

 ようやく、絞り出したような返答があった。一杯一杯感がにじみ出た、まさに苦渋の決断をした、という感じだった。うつむいた状態から目だけを動かし彼女を見上げる。

 カードが開示され、鬼灯が当然勝った。二人がカードを捨てた後、ペナルティのリボルバーが遂に使用される。鈍く光を反射するシルバーメタリックのリボルバーは、すんなりと彼女の手に収まった。

 もしかしたら、鬼灯が逆転するかも、などというような、何かが起きるかもしれないという予感をリボルバーは与えていた。色んな意味で、銀色に輝くリボルバーは人々の予想を裏切った。

 銃口が頭に突き付けられる。吉祥院のこめかみに、ではない。鬼灯の眉間にだ。戸惑いが会場を満たす。

「どういう、つもりだよ」

 鬼灯は言った。焦ったような口調だったが、ことさら取り乱すようなことはなかった。多少、半笑いで開いた口の端が引きつっているくらいだ。

「どういうつもりもこういうつもりも、ない。貴様が企んでいたことだ」

 ぎり、と眉間の銃口が押し付けられる。

「貴様は、わざとルールを作らなかった」

 吉祥院の声が木霊する。天のお告げを聞くかのように皆が耳を傾ける。

「貴様が作ったルールはただ一つ。ペイント弾に当たったら負け。それ以外の事は何一つ決めていない。これがロシアンルーレットだと言うことも決めていない、つまり、こうして相手の額に押し付けてもルール違反にはならない」

 吉祥院はさらに力を込めてリボルバーを押し付ける。鬼灯は答えない。ただ歯を食いしばって彼女を睨みつけている。その食いしばる原因は押しつけられるリボルバーにあるのか、それとも彼女が言っていることに関係しているのかはわからない。

彼女の指が、ゆっくりと撃鉄を引く。カチリと音がして、リボルバーはその本来の用途である、引き金が引かれ銃弾を飛び出すのを待つ。

誰かが息を呑んだ。それは自分だったかもしれない。それでも目は閉じない。ドライアイになるのも構わずに、一瞬たりとも、どんな変化も見逃さないために。

 指が引き金に掛かる。鬼灯の額から鼻の横、唇、顎にかけて汗が一滴滑り落ちる。

 ガチャン

 音が鳴った。引き金は完全に引かれている。鬼灯に弾丸が当たった様子はない。ふうと一同が緊張感を外に吐き出すように息をつき、凍りつく。

「そして」

吉祥院は再び撃鉄に指を当てた。キリキリキリと鉄がこすれあう音が、まるで斬首台の刃がロープで巻き上げられているようだ。その音を鼓膜と肌で感じている鬼灯の心境たるやいかほどのものか。

「この引き金を一度しか引いてはいけないとも言っていない。そうだな?」

 ガチャン

 二度目の音が響いた。だが、もう誰もそれで息をつくことはない。吉祥院は、このまま弾が出るまで引き金を引き続けるつもりだ。勝負があと数分で決まると、誰もが確信した。

「考えたな。確かにこれなら、私に勝てる。お前の本当の狙いは、これを手にすることだった。だから、パスも簡単に使い切った。仮に私のカードが13であっても、勝負しておかしくないようにだ。私に気付かれる要因を一つ一つ消していくことこそ、貴様の策だ」

 ガチャン

 三度引き金が引かれた。弾はまだ出ない。大山が言う、神掛り的な幸運がいまだ性能を発揮しているのだろうか。

「だが、今これを手にしているのは私だ」

 ガチャン

 四度引き金を引いても、弾が鬼灯を貫くことはなかった。楽しそうに、吉祥院は弾んだ声を出す。

「運が良いな。本当に。ただそれだけでここまで来たと言うなら、見上げたものだ。認めてやる。だが、それは私には届かない。これが私と貴様との〝差〟だ」

 それは、マイクを通じて聞いていた他の一般人全てに突き刺さる。

 自分たちがどれほど努力しても、鷹ヶ峰や吉祥院のような化け物には追いつけないのではないか。結局何をしても無駄になるのではないか。

「つまらなそうだな」

 鬼灯がようやく口を開いた。いまだ顔は怯えのためか緊張のためかやや引きつってはいたが、どこか憐憫を含んだ口調だった。吉祥院が眉をひそめる。

「何?」

「つまらなそうだ、と思って。あんた一体、何を楽しみに生きてんだ?」

「つまらないとか、楽しみとか、それこそつまらない貴様にはピッタリだな。私や姉様は、そんな次元で生きてない」

「どうかな? 少なくとも俺が見たところ、鷹ヶ峰十六夜は楽しそうだ。目一杯人生ってのを謳歌してるよ。性能は互角なのに、この違いはなんだろにゃん?」

 ガチャン

 五度目の引き金が引かれた。

「残念。いやあ、一生分の運を使いきってるな」

 ふう、と大仰に息を吐きながら鬼灯は言った。

「無駄遣いだな。その減らず口も、次で終わる」

 苛立たしげに吐き捨てる吉祥院を嬉しそうに見ながら、鬼灯は続ける。

「ならその前に、話すだけ話しておくか。敗者の言葉なんてあんた聞かなそうだし。さて、何でそういう結論に達したかっていうと、あんたが俺にそっくりだからだ」

「貴様と? 悪い冗談だ」

「もちろん、生い立ちとか、個人スペックとかは正反対だぜ? 俺はこれまで全戦全敗負け犬街道まっしぐらで、あんたは負け知らずの覇王だ。似てるのは、お互い死人、もしくはロボットみたいだってとこだよ」

「死人、だと」

「そうさ。今まで俺にはロクなことはなかった。クソみたいな人生だったよ。お耳汚しも甚だしいくらいな。人生を諦めるには充分なくらいだ。ただ死ぬ勇気はなかったんで、とりあえず生きてる。食って寝て食って寝て、毎日同じ繰り返しだ。後輩にも言われたことあるよ。ゾンビみたいっすねって。何で生きてるんすかって」

 鬼灯は一旦言葉を切って、目だけをきょろきょろ動かしてこの会場のどこかにいる後輩を探す仕草をする。

「そんなもん知るかよ。じゃあどうすりゃいいんだよ。何を持って生きてるって言えるんだよ。今でもさっぱりわからない。けど、死人だって言われたことにはようやく合点がいったよ。あんたがそうだ。食って寝て仕事して敵倒して、それだけだ。鏡のぞいてるみたいだぜ」

「一緒にするな。貴様なんかと、私が背負うものを一緒にするな!」

「そんなこたわかってる。あんたは一時間で何百万何千万も稼ぎ、俺は自給950円の交通費プラス稀に賄い付きってとこだ。社会と経済に与える影響度なんて天と地以上の開きがある。だが」

 鬼灯は銃口がめり込むのも気にせず前のめりになった。気圧されるように吉祥院が背もたれに体を預けた。

「あんたは主役には、鷹ヶ峰十六夜のようにはなれない。その点で、俺とあんたは同じだ。ただの通行人A・Bってとこさ」

 ニィ、と鬼灯の口が三日月型に裂けた。赤い三日月は笑顔のパブリックイメージを覆す。顔の傷も相まって、見る物を不安にさせるような狂気の笑みだ。

「わかってるんだろう。あんたは彼女にはなれない。超えられない」

「黙れ」

「彼女は英雄だ。おそらく後世に長く語り継がれるほどの。対して、あんたは多分、鷹ヶ峰家っていう巨大な機械の歯車、一部品として一生を終える。墓の片隅に名前が残るくらいだ」

「黙れっ」

「なぜそんなことを俺が言い切れるか? 簡単だ。あんたは俺と同じ、負け犬だからだ。すでに諦めているからだ。同じ日々の繰り返しが来ることか確定しているからだ。自身の存在意義を失っているからだ」

「黙れ!」

 吉祥院が鬼の形相で椅子から身を乗り出し、銃口をねじるようにして押し返す。鬼灯の額に螺旋状の型がつくが、彼はそれでも引きさがらない。

「目が眩むほどに輝かしくて、むかつくよな。俺たちはさ、同じように彼女に憧れて、でも絶対届かないと理解してしまった。一体何が違うと思う? 俺はまあ、仕方ない。能力は圧倒的に劣っているからな。だがあんたは違う。能力、性能はほぼ互角。なのにどうして彼女に並べないのか、超えられないのか」

「もういい、黙れ」

 瞳孔を広げ、歯を噛み砕かんばかりに食いしばる吉祥院がとうとう引き金に指を添えた。

「うんざりだ。貴様のたわごとに付き合ってやる道理など無かった。時間の無駄だ。さっさと、さっさとこの場から退場させてやる」

「その辺も駄目なところだな。勝負は相手に付け入るすきを与えることなく倒すべきだ。徹底的に。俺なんかに好き勝手言わせとくんじゃない。正面から? 相手の土俵に立って? そんなセリフ良く言えたなその程度で。はっはぁ、ナイスジョークだ。笑える冗談だね」

 吉祥院から表情が消えた。それは、冷静になったからではなく、激情が臨界点を突破したために起こる無表情だった。

 彼女は何のためらいもなく引き金を引いた。


 そして、勝者は悪魔のように微笑んだ。


 ガチャン、ガチャン、ガチャン―

 何度も何度も吉祥院は続けて引き金を引いた。弾は、出なかった。

 コツンと、そんな彼女の肩に何かが当たった。それは、そのまま机に落ちて、何度かバウンドを繰り返して転がった後にようやく止まった。

「話の続きをしよう」

 何事も無かったかのように、鬼灯は切り出した。

「あんたに何が足りないか、これが答えだ」

 鬼灯がそれを指差す。それは一発のペイント弾だった。手首のスナップを駆使して、後ろ手に鬼灯が放り投げたものだった。

「勝負のルールにあったよな。ペイント弾に当たったら即負けなんだぜ?」

 鬼灯が顔を鷹ヶ峰に向けた。重々しく、鷹ヶ峰が首肯する。返事に満足したのか、鬼灯が再び吉祥院と向き合う。

「あんたに足りないのはコレ。俺たち敗者の思考回路だ。あんた言ったな。プロが子どもに本気出すか? って。出さねえと思う。が、それは子どもにだって言えること。何が面白くて子どもがわざわざ大人に付き合うよ。はじめから付き合わない。勝負なんかしないんだよ。負け犬も同じ。勝てない勝負は最初からしない。勝負は行われるもの、行われたら勝ち負けのどちらかしかないって考えしかないあんたは、絶対この考えに至らない」

 呆然とペイント弾を見つめる吉祥院に鬼灯は続ける。

「勝負しない、イコール絶対負けない為の方法をずっと考えていた。これは絶対勝つ方法を考えるよりずっと楽だ。勝利へ至る条件を一つでも削ればいいんだからな。俺は、あんたが俺の土俵に上がってくると思ってた。正面からに妙にこだわってたし、今更警戒するほどの人間でもねえからな。だから自分のことだけを考えることが出来た。俺の小道具はリボルバー。ルールは弾に当たったら負け。だから、最初から弾を入れなかった。これなら俺が考えたルールなら絶対に負けない」

 そして、弾が出ないことで彼女にわずかに焦りが生じる。意識が完全に鬼灯から逸れる。この瞬間をずっと待っていた。後は、隠し持っていた弾を彼女に当てるだけだった。これでも手先は器用な方でね、と鬼灯はおどけた。

 椅子から離れ、ツカツカと吉祥院のそばによる。グイッと腰を曲げて、彼女に顔を近づけた。息がかかるような距離で、ペイント弾を見つめたままの彼女の耳に口を近づけて囁く。

「ようこそ、負け犬の世界へ。諸手をあげて、盛大に歓迎すんぜ」

 弾かれたように吉祥院が動く。リボルバーの弾倉部分を開き、転がったペイント弾を掴み取って装填。再び、彼女は鬼灯に銃口を突き付けた。

「まだだ」

「なんだよ?」

「まだだと言ったんだ。自慢たらしく、さも勝利確定したみたいにペラペラ喋るな。勝利条件はペイント弾が当たったら、だろう。ペイント弾が当たる、ペイントが付着しなければ当たったことにならないだろうが。それなら、今まで弾を持っていた貴様は何度か当っていたことになるだろう!」

「・・・止めとけよ。余計みじめになるぞ?」

 この状況で鬼灯の心にあるのは、彼女は、この結末を受けて本当に大丈夫だろうか、という心配だった。

吉祥院は止まらない。

 血走った目をして、吉祥院は撃った。今度は確かな振動が手に伝わり

 自分自身の顔と手に、ぬるりとした感触が伝わってきた。

「え・・・」

 会場のそこかしこから小さな悲鳴が発せられた。画面に映る吉祥院は、上半身に赤いインクが飛び散って、まるで大けがを負ったように見えた。

「だから言ったろ」

 ため息をつき、頭を掻きながら、鬼灯は憐みを込めて吉祥院に伝える。

「冷静だったら、絶対引っかからないだろうにな。それ、銃口詰まってんだよ」

 鬼灯がポケットから小さな直方体の包みを取り出す。それが伊那鷺かがりに貰ったガムだと誰が気付いただろうか。噛んだ後に水分が抜けると、このガムは異常に硬く固まる性質がある。吉祥院が最後までゴネる可能性は充分にあった。むしろ、誰であろうと納得がいかなくてゴネるはずだ。だから、最後の仕掛けを施していた。仕掛けは作動し、ペイント弾は銃身の中で暴発。インクは逆流して彼女に降りかかった。

「ハッハァ。ざまあみやがれ」

「き、さまっ・・・!」

 二人の孤高の、両極端の立ち位置が逆転した瞬間だった。

「悔しけりゃ、かかってこい。いつでも相手になってやる」

 事の推移を見守っていた鷹ヶ峰がようやく腰を上げ、壇上で高らかに宣言する。

「第十回アルバイト選手権大会、優勝者は、鬼灯律!」

 それまでの緊迫感漂う静寂を振り払うような大歓声と拍手が会場を震わせた。

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