第4話 準決勝

他人のおうち事情を何とか解決した鬼灯君。

仲睦まじい親子を見送り、審査委員長の激励を背に受け、次なる現場は豪華客船。迷い込んだはVIP客室。勝負方法は、なんでドンジャラ?

彼が挑むはそろいもそろって玄人ばかり。

元ギャンブラーな作家。剛運を持つホス・・・ト? テス?

そして、前回覇者の天才。

勝つのは経験か、運か、頭脳か!

何も持たない人間に勝機はあるのか!

火花散る卓は逃げ場無し。打ち合い上等! 今宵も眠れぬ夜が訪れる―――


 これまでタクシーなどと言う贅沢品とは縁もゆかりもなかった俺が経った三日間の間に三回も、しかも長距離をのるなど想像もできなかった。

 港についた俺を待っていたのは、見上げるほどでかく、首を巡らせなければ全貌すら伺えないほど巨大な客船だった。

 エデン号の話は聞いていた。だが実際目にすると予想を軽く裏切られた。看板に偽りなし、世界最大級の客船だ。ネットで検索すると、収容人数最大七千人だそうだ。ここで一体何をやらされるのか。

「先が思いやられるなあチクショー」

 これまで嘆くこと何百回。報われたことは一度たりとて無くとも、嘆かずにはいられない。

 客船に続く長いタラップの前で、実行委員が立っていた。チケットを取り出して渡す。

「鬼灯様ですね。どうぞ、こちらへ。他の参加者の皆様はすでに席についております」

 どうぞ、と実行委員が脇に退いた。タラップの先、煌々と明かりの灯る入口がいやに不気味だ。

「お進みください、間もなく出航時間です」

 ためらっている俺に実行委員が声をかけてきた。わかりましたよ。行くよ。行きますともさ。

「っしゃ」

 軽く気合を入れて、俺はタラップを進む。踏みしめるたびにカン、カンと港に響く。警鐘音みたいだ。

 中では別の実行委員が二人待機していて、到着した俺を一礼で出迎えてくれた。案内されるがまま、エレベーターに乗り込む。到着したのはスイートルーム。何かおかしい。乗務員用の控室みたいな場所に通されると思っていたからだ。

「あの、ここスイートルームですよね」

「ええ、その通りです」

 何のためらいもなく実行委員は扉を開いた。重厚な木製扉のくせにほとんど音もなく開く。我が部屋の建て付け悪いドアに言ってやりたいね。

 スイートルームはわが部屋どころかおんぼろアパートの全部屋を足してもまだ足りないくらい広く、それでいて埃一つ落ちてないくらい清潔だった。世界って不公平で満ちてるなとしみじみ思う。

 部屋の中央に、一つの小さなテーブルが置かれていた。正方形型の、何の変哲もないシンプルな机だ。豪華な家具が揃う部屋でそのシンプルな机だけが妙に浮いている。上には黒い布がかぶせられていた。箱でもあるのか、四角形に出っ張っている。

「皆様お待たせしました。最後の参加者、鬼灯律様、お連れ致しました」

 声高らかに実行委員が報告する。すぐに動きがあった。

 部屋の奥から現れたのはカクテルを片手に掲げた、長身の艶やかな美女だった。

「待たせすぎよ。ちょっと飲みすぎちゃったじゃない」

ずいぶんとハスキーな声だった。女性、いや男性? とにかく不思議な人はげっぷをして椅子に座った。

次に現れたのは親父、おやっさんと呼ぶのがしっくりくる、ごま塩頭の壮年の男性だった。甚平と雪駄という豪華客船にミスマッチな恰好だが、妙な貫禄がある。一言も喋ることなく不思議な人の反対側に座る。

最後に現れたのは小柄な少女だった。といっても鷹ヶ峰、アイシャ級ではなく、年相応よりも少し小柄、くらいだ。多分ヒナと同年齢くらいではないだろうか。酷く眠たげな目を彷徨わせ、発見した椅子にあくび交じりに座り込む。おっかなびっくり、俺も最後の椅子についた。

「これよりアルバイト選手権準決勝を行います。準決勝の競技は、これです!」

 実行委員が勢いよく黒い布を取り上げる。中から現れたのは

「麻雀、牌?」

 見たまんまを言った。言っておいて、何で? と疑問が脳内にちりばめられた。

「これから皆様には麻雀で競っていただき、もっとも点数の高い方が決勝進出となります」

「はぁ?」

 汽笛が鳴り、混乱極まる俺をのせて、船は出港した。


「何で?」

 テレビ局モニターで鬼灯を追っていた大山は食べかけていた夜食のおにぎりを落としてしまった。結局彼女は二日目もここに泊まる予定だ。

 彼女が驚いているのには二つの理由がある。一つは、次回予告用アナウンスで聞かされていた勝負の内容とは違う種目が始まっているということ。いきなり変更された理由はわからない。これだけなら、彼女は「色々あるか」で済ませただろう。もう一つは

「うひゃっ」

 ポケットの携帯が突然震えた。慌てて取り出すとディスプレイに《鷹ヶ峰》と出ている。願ったり叶ったりの人からの連絡に慌てて通話ボタンを押す。

「も、もしもし! 鷹ヶ峰さん!」

《落ち着け。一旦深呼吸しろ》

 言われた通り、大きく息を吸い込む。ゆっくりと吐きだし、もう一度携帯を耳に当てる。

「すんませんっす。もう大丈夫っす」

《の、ようだな。大体察しはつくが、何があったか教えてもらえるだろうか》

「競技内容が今、急きょ変更されたっす。鷹ヶ峰さんの指示っすか?」

《いや、違う》

 すぐさま否定の言葉が返ってきた。

《こんな他のスタッフに負担のかかるような愚かなことはしない》

 《まったく》と深いため息が聞こえる。だが、さほど深刻そうではない。

「もしかして、想定内、だったりしますか?」

《想定内、と言えばそうだな。そろそろ動いてくる連中がいる頃だと思っていた》

「連中、って、一体なんなんすか」

 大山が尋ねると、鷹ヶ峰は《そうだな》と思案した。一般人にこの情報を漏らしていいものかどうか少しだけ考え、自分の計画の大丈夫な範囲を話すことにした。

《賭けだ》

「賭け?」

《そうだ。こういう選手権に限らず、どこの世界でも勝負事があれば賭け事が存在する》

「野球賭博とか、そういうやつっすか?」

《その認識で構わん。この大会で行われる賭けは少々特殊なやつが多くてな。たとえばCMで、どの企業が人気の高い俳優女優を起用できるかというユニークな賭けから、物件の権利、企業の株、今回のヒルンドーのような開発権など、企業が絡むだけあって様々な商取引をチップにした賭けが存在する。それだけなら別にかまわなかった。世の中には社長同士の腕相撲対決で商標登録や宣伝文句の使用権を決めたところもあるくらいだからな。

ただ中には、無茶をする連中がいる。自分の賭けた人間を優勝させるために選手権のルールを都合よく変更する連中だ》

「マジっすか。そこまでしますか」

《やるさ。先ほど部下に調べてもらった。天然ガスなどのエネルギー資源とそれを海底から取り出す事業、大陸を横断する新幹線の建設計画など、国内外問わず、一件が億を超える利益を生む案件が賭けの対象になっている。数千万程度の出費など痛くもかゆくもないだろうさ》

「いやいやいやいや、そんなこと許されて良いんすか」

《許すも許されないも、今実行されているのだから誰かが許可したんだ。利益が生まれるから。人情的にはどうなの、と言われようが、何らかの取引、契約で決まってしまったのなら社会的には許されてしまうものだ。それに、この大会はテレビで放映されている。もっと盛り上がるものを、もっと自社の商品が目立つものを、とスポンサーからの要望で、変更してもなんらおかしいことはない。私もすべてを管理しているわけではないし、大会が盛り上がり、更に利益が望めて、問題がないならば許可するだろう。私は大会運営側だからだ》

 ここで鷹ヶ峰は少しだけ嘘を吐いた。彼女は全てを把握している。その上で傍観している。彼女の力を用いれば、この程度のことはすぐにでも止めることは可能だからだ。それをしないのは、どのみち全ては自分の望む方向へ行くと確信しているからだ。

 少しだけ社会の構造、その一部を垣間見た大山だった。そして気づいていた。鷹ヶ峰にはまだ何かたくらみがあるというのを、言外の部分から感じ取っていた。やはり油断ならないなあ、と心の奥で呟きながら大山は続ける。

「わかりましたっす。じゃあ、もう一つ聞きたいんすけど」

《なんだ》

「鷹ヶ峰さん。今先輩が戦ってる相手って誰か知ってるっすか?」

《いや。何か問題か?》

「先輩にとっては問題っす。鷹ヶ峰さん、一つ聞きたいんすけど、この大会って前回出た人も出場できるっすか?」

《それは、もちろんだ。働く意思がある者に対して門戸は開いている》

「じゃあ、前回選手権の優勝者も出て良いんっすね? 反則でもなんでもなく」

《ほう?》

 楽しそうに、鷹ヶ峰は先を促した。

「今先輩が対戦している一人が、前回大会を圧倒的な強さで優勝した《パーフェクト》伊那鷺かがりなんっすよ」


 ジャラジャラジャラジャラと四人そろって牌を混ぜる。ある程度混ざったところで、少しずつ自分の手前、テーブルの縁に二段揃えて積む。

 ルールは一応知っている。まだ親戚の家で厄介になっていた時に盆や正月はみんな集まって麻雀をしていたし、本屋で働いているのでルールブックから麻雀を題材にした漫画もあり、読んだこともある。

 けれど何だろう、この俺の場違い感は。玄人たちの戦いに素人がひょっこり紛れ込んだような、何あの人、空気読めてないんじゃねえの感。事実、その通りでもあるんだけど。

 ―少し前―

「麻雀て、本気ですか?」

 驚きのあまり、椅子を蹴倒して立ち上がった。

「ええ、もちろんです。準決勝は麻雀にて決着をつけていただきます」

「これまでの競技とはかけ離れているような気がするんですが。麻雀を使うなんて仕事、ない、と思うんですけど。これってアルバイトの選手権ですよね。存在しない仕事で競技と言うのも、変な話では」

「そうでしょうか。雀荘なんて全国どこにでもありますし、そこでのアルバイトだってあります。飲み物や食事を出す、というものから、果ては代打ちのようなものまで」

 どこの博打マンガじゃい! いつ俺がちょっと怖いお兄さんたちの面子を賭けた博打の代理を務めるっつうの! と目の前のすかした実行委員を殴りたくなったがぐっと堪える。

「それに、視聴者の方からも要望がありまして、もう少し見ていて勝敗が解りやすいものが良い、とのことで、急きょ勝負を変更したんです。この辺りの柔軟さも選手権ならではと言えますかね」

 ルールが変わった、と言われれば俺も引っ込まざるを得ない。しぶしぶ椅子を戻し座る。

「納得していただけたようで何よりです。では、細かなルールを説明、する前に、皆さん麻雀のゲームルールは御存じですか?」

 実行委員が尋ねると、ごま塩頭の男性は黙って頷き、美女な男性は「知ってるわよぅ」と返事した。

「後のお二人は?」

 と聞かれ、俺も「一応は」と答える。ルールは知っていても、実践はからっきしだ。この左右に座る二人に勝てる気がしない。だって玄人臭がぷんぷんするんだもの。

残る眠そうな女の子はタブレット端末を取り出し、すっすっすっと操作する。画面を何度かスクロールさせてから顔を上げ、「大丈夫」と小さな声で答えた。ネット検索でルールを見て、今覚えたところらしい。何だ俺以上に素人がいるんじゃないと安心したのもつかの間

「さすが、前大会の覇者伊那鷺さん。余裕ですね」

 感心したように実行委員が褒め称える。それを聞いて美女? の目つきが鋭くなり、ごま塩頭が「ほう」と楽しそうに呟いた。

「貴女が、かの有名な『パーフェクト』だったのね。見たことがあるな、と思ってたのよ」

 美女? が言う。何その『パーフェクト』って。するとごま塩頭が情報を聞いてもないのに捕捉してくれた。

「ふむ、IQ200オーバー、イーベル賞確実と言われる天才児か。その才で持って、前回大会を最年少で優勝したんだったな。相手にとって不足は無い」

 不足ありまくりだよ俺がよぉ! 何で前回大会優勝してるやつがまた出てんだよ! 十分稼いだはずだろうが!

「なら、未来の偉人ちゃんに営業しとこうかしら。私の名前はユイ。本名は富士田大輔だけど、今は私が勤める女装バー『蘭蘭』の宣伝営業中でもあるから、皆もユイのほうで呼んでね? あ、そうそう。もしよかったら、これどうぞ」

 と営業名刺を渡されてしまった。ちょっと興味が出てしまった。

「『蘭蘭』。有名芸能人や政府高官も通う、都心にある高級クラブ。上質のサービスを提供する『蘭蘭』の中でも、『ユイ』の人生相談は一番の人気を博している」

「あら、伊那鷺ちゃん。うちのこと御存じなの?」

 嬉しそうにユイが尋ねると、フルフルと首を振り「ネット」と携帯を持ち上げた。ネット検索で調べたらしい。検索にヒットするほど、話題となっているのだろう。人生相談が人気ってことは、人を良く観察してるってことだ。麻雀などのゲームでは有利なスキルをお持ちで。

「残念」とユイは肩を竦めたものの「これを機に覚えておいてちょうだいね?」とアピールも忘れない。コクンと伊那鷺が頷く。

「では、儂も自己紹介させてもらう。菱谷総治郎。六十三歳。今度孫が結婚するんでな。その祝い金欲しさに参加させてもらった」

 涙ちょちょ切れるような良い話だが、ちょっと待て。菱谷総治郎だと。どっかで聞いたことがあるんだが。

「菱谷総治郎。作家。これまでの著書は『プロの駆け引き』『裏を読む』『勝負の真理』など、自身の若いころの経験をもとに数々のベストセラーを生み出している」

 伊那鷺が平坦な声で携帯画面を読み上げた。それを聞いて思い出した。うちで取り扱ってる本じゃねえか。この人の作品は若い企業家や営業を担当するサラリーマンたちのハウツー本となっている。彼の勝負に対する考え、思いはビジネスに繋がっているとか何とか。そして、現在売れっ子作家の菱谷総治郎の前の職業はギャンブラー。しかも一代で莫大な富を築いたほどの勝負師。そりゃ駆け引きとか勝負の仕方とか詳しいわ。つかその道のプロじゃねえか。・・・後でサイン貰おう。そしてポップで飾ろう。

 麻雀に強そうな人材がこんなうまい具合に揃うもんだろうかと、何かしらの作為的なものを感じていると

「で、お兄さんは何者?」

 ユイが流し目をくれた。男だと解っていてもくらっとくる妖艶さだ。さぞ御指名も多かろう。ちょっとドギマギしながら自己紹介する。

「お、俺は、鬼灯律、です。本屋のアルバイトです」

 あきらかにネームバリューで負けてるなぁと気後れしながら答える。すると伊那鷺がまたまた端末を操作して、

「鬼灯律。歴代最高得点で一回戦を突破。二回戦も高い成績を残している今選手権台風の目、注目のダークホース」

「え?」

 嘘だろと自分の携帯を操作する。生まれて初めて自分の名前をネット検索した。以前の冤罪事件関連でどこかの新聞の記事とかでヒットするのかと思いきや

「フリーターの、星?」

 机に思わず突っ伏した。他にも『リアルダイハードマン』『大統領を超えた男』などとこっ恥ずかしい名前がつけられ、ヒット数がなんと三万件、ついでにいくつかの動画も配信されており、ここ数日の急上昇ワードトップ10にランクインしてやがる。いつの間にこんなに有名になってしまったのか。

「図らずも、名のある方々がこの準決勝に会しました。これほど豪勢な戦いの審査をさせていただけるのを光栄に思います」

 タイミングを見計らって、実行委員が語りだす。その眼は俺たちではなく、部屋の隅の方を見ている。同じ方向を見ると、カメラが備え付けられていた。テレビを意識しての演説らしい。そのまま実行委員は熱っぽく語る。

「ですが、勝利を収め、決勝にコマを進められるのはただ一人。前回覇者が実力を見せつけるのか、それともニューフェイスたちが新たな伝説を紡ぐのか、いざ、勝負の時です」

 続いてルール説明が行われた。

・基本ルールは麻雀同様。

・持ち点は二万五千点

・誰かがハコ、点棒を全て失うまで何荘でも行う

・誰かがハコになった時点で競技は終了。その時点で最高得点の者が勝者となる

・競技終了後、点棒を十倍した数を賞金として、給料と一緒に支払われる

・競技中、リフレッシュ時間が一人一時間与えられる。食事、睡眠等、体調を整えることが出来る

・リフレッシュ時間は自己申請制

・リフレッシュ時間以外で眠ってしまった場合、ペナルティとして他の参加者に二千点ずつ支払う

・ただし、トイレは別。一局終わるごとに自由に時間を取ることができる。

 以上のルールを踏まえて、勝負が始まった。


《伊那鷺かがりだと?》

 電話の向こうで鷹ヶ峰が驚く。これは彼女にとっても予想外だった。

「はいっす。間違いないっすね」

 前回大会を大山はもちろん見ていた。彼女の優勝は世間に衝撃を与え、特に大山の同年代の少女たちには人気モデル、アイドルに匹敵する認知度と人気を誇る。少女たちの誰もが伊那鷺に自身を投影して、彼女を子どもと侮った傲慢な大人たちを打ち破っていく姿を見て喜んでいた。決勝の時のディベートでは、競技開始まで威張り散らしていた口の達者な営業マンやどこぞの有名な教授たちを、完膚なきまでに黙らせたのは有名だ。

 電話越しに、鷹ヶ峰がぺらぺらと何かをめくる音がする。

《伊那鷺に賭けている企業は国内十五社、海外九社、個人投資家十数名、か。個人としては最高数件だな。お、面白いぞ。こいつら全部関連企業だな。なるほど、この案件を他と賭けているのか》

「ちなみに、それはどういったもんっすか?」

《軽く見積もって百億の利益が見込める事業だ》

 あいかわらず話の規模がでかすぎる。だがそれでも素人の自分にもわかるくらい、これはまずい状況だ。

《伊那鷺は数学、統計学などにも通じている。麻雀やポーカー、ブラックジャックなどはお手の物だろう。これほど分が悪い戦いもないな。大山、ちなみに鬼灯の腕前は?》

「それこそ普通の、一般人並みだと思うっす。それに、先輩にそんなの一緒にやってくれる友達はいないっす」

《麻雀経験も無きに等しい、ということか》

 二人して結構失礼なことを言う。画面上の鬼灯が大きなくしゃみをした。

《他の二人、菱谷総治郎とユイ、と言ったか》

「はいっす。さっき自己紹介してたっすから。この人たちも、ですか?」

《ああ。菱谷自身に繋がりは無いが、彼の孫が勤めている会社が賭けに参入している。ユイ、富士田大輔の後ろには現職議員が付いている。最近の賭け対象には汚職の証拠やスキャンダル写真がかかっているのか。世も末だ》

 鷹ヶ峰から苦笑が漏れる。彼女レベルに至ると大抵のことが楽しくなるようだ。器のでっかい人だなあと大山は感心する。その鷹ヶ峰が鬼灯のせいでブチ切れたのを大山は知らない。

「それより、この人たちってどういう人たちなんすか。ここまでくるくらいだから只者じゃないのわかるっすけど」

《なぜ本屋の店員が菱谷を知らん? 彼は作家だ。が、それよりも重要なのはその前の職業はギャンブラーだということだ。当然麻雀にも精通しているだろう。

ユイの方はこれといった腕前の評価は聞かない。が、強運にまつわるエピソードがいくつかある。店が借金を抱えた時に買った宝くじが当たって返済できた、落ちていた財布を拾ったら大企業の役員でそれ以降常連になった、等などだ。どちらも麻雀の勝負において重要なファクター、経験と運を持っている。運も経験も知識もない鬼灯は圧倒的に不利だ》

「もう先輩を勝たせないために仕組まれたとしか思えないラインナップっすね」

 冗談交じりに言うと、意外と真剣な声音で

《関係ないなど言い切れん。賭けに参加している全ての企業、人間にとって、鬼灯は勝ってはならない存在なんだ。彼はどこの個人・企業も賭けていない数少ない人間だからだ》

「別に誰も損しないんすから、いいじゃないすか」

《すでに負けている連中からすればそうだろう。が、勝っている連中からすれば彼ほど邪魔な奴はいない》

「その、鷹ヶ峰さんの力でなんとかしてもらえないんすか? 権力とか行使してほしいっす」

《言ったろう、今の私はただの実行委員の一人だ。この件もあまり褒められたものではないが止めるつもりはない。面白そうだからな。だいたい今現在進行中の競技に手出しは不可能だ。鬼灯が実力で勝つしか方法はないよ》

「うう」

 相手はあの『パーフェクト』なのだ。他の競技ならいざ知らず、こういう確率とかが絡んできそうな、頭良さげなゲームで勝てるわけがない。相手は数学のイーベル賞とも言われるノールズ賞だって軽く狙える天才だ。昔の映画で、カードカウンティングを使ってカジノでボロ儲けするというものがあった。数学は極めれば未来まで計算できてしまうということを知った。予知能力者を相手するに等しい。

《無理かどうかは、やってみなくてはわからん。勝負はそういうものだ。諦めた時に、全ての可能性は断たれるものなのだから》

 すまない、呼ばれている。鷹ヶ峰はそう断りを入れて電話を切った。

「そりゃ私も、ここまできたら先輩の勝利を信じたいっすけど」

 通話の切れたスマートフォンのディスプレイをじっと見つめた。暗くなった液晶画面に、自分の不安げな顔が映っていた。


 全員が牌を積み終えた。伊那鷺は初心者で、積むのに手間取るかと思ったら、俺たちのやり方を見て学んだか、すぐに綺麗な山を作った。俺なんか上下ガタガタなのに。

天才にちょっとした嫉妬を覚えながら一回戦が始まった。賽を振って親を決める。最初の親はユイ。ユイから俺、菱谷、伊那鷺と順番に配牌を行う。十三枚の牌が手元に並んだ。

「麻雀なんていつ以来かしら」

 そういってユイが牌を切る。次いで俺も牌をツモる。お、ドラだ。配牌も結構良い。並べ替え、不要な牌を切る。菱谷、伊那鷺と後に続く。三順目で結構揃ってきた。次に良い牌がきたらリーチ出来る。はやる気持ちを抑えながらツモる。残念ながら読み違えた。舌打ちをして、ツモ牌を切る。

「ポン」

 平坦な声が真正面から聞こえた。俺の切った牌を伊那鷺が持っていく。ちょっと驚く俺をしり目に伊那鷺が不要牌を切る。再び順番が回ってきたユイがツモ、そしてまた俺の順番になった。今度こそ、と意気込む。来た。自分が欲しかった牌だ。これでリーチ。並べ替えて、切る。リーチ、と宣言しようとしたところで

「ロン」

 再び伊那鷺が声を発した。え、俺、あがられた? 伊那鷺が自分の牌を広げていく。

「対々和、ドラ二、四翻、満貫八千点ですね」

 実行委員が点数を数える。

「あなたが三萬を出す確率、79パーセント」

 淡々と伊那鷺が答える。嘘だろ。そんなことまで計算できるのか?

「確率を出すまでもねえ。あんちゃん、手の内がバレバレだ」

 菱谷が言った。

「捨て牌から見るに、そこであなた張ったわね。待ちはサンピンとローピンの二面待ち、かしら?」

 完璧に言い当てられた瞬間ゾッと寒気が背筋に走った。

 その後一回の流局を挟んで、俺は立て続けにユイ、菱谷と上がられ、早々に持ち点が二千三百点のピンチに陥っていた。あともう一、二回千点役で上がられただけで負ける。勝負開始から一時間も経っていないのにだ。そしてまた

「リーチ」

 伊那鷺の無慈悲な宣言が木霊する。こうなると俺はびくびくしながら安牌を出していくしかない。すると自然、俺の牌は崩れ、あがりから遠のいていく。それでも安牌は無限ではない。今持っている字牌を切ってしまうと、あとは危険牌しか手元になくなる。いよいよ命運尽きたか、と諦めた。だが、この対局は思わぬ展開が待っていた。

「ロン」

 伊那鷺が二度目のロン。俺からではない。放銃したのは菱谷だ。

「ふん、三千九百点か」

 伊那鷺の牌を見て自分で計算し支払う。その姿を俺と伊那鷺は驚いたように、ユイは別段驚くでもなく牌を崩した。

「どうして?」

 初めて伊那鷺が不思議そうな声を上げた。

「あなたは私の当たり牌がわかっていたはず」

「まあな。予測はしてた」

 つまりわざと切ったことになる。菱谷は訳がわかってない俺の顔と牌を見た。俺が次に切ろうと思っていた牌の中に、今しがた菱谷が捨てた伊那鷺の当たり牌がある。

「やっぱ持ってたか」

 菱谷が苦笑した。

「この勝負は誰かが点棒を全て失うまで続ける。言っちゃ悪いが、あんちゃんは儂らのなかで一番弱い。はっきり言ってカモだ。多分他二人も同じ考えだろう。あんたから点数を奪った奴がここの勝者になる」

「つまり、自分以外の人間にあなたをハコにされたら困るのよ」

 ユイが後を継いで説明した。

「あなたは後一回放銃したら負ける。自分は今回は上がれそうになく、他の二人が上がれそうな場合、自分が支払ってでも相手の勝ちを阻止するしかない」

 俺をかばって、とは聞こえが良いが、結局のところはこの三人の戦いになるのだ。それに、俺がピンチなのはこれからも変わることはない。

「あ、そうそう、一つ確認したいのだが」

 菱谷が実行委員を呼ぶ。

「さっきからずっと考えてたんだが、この勝負のルールは、さっきの奴だけか?」

「さっきの、とは?」

「ほれ、ルール説明の時に言ってたあれだよ。他にルールとか禁則事項はあるか?」

「いえ、特に定められてはおりません」

「ほう、なるほどなるほど」

 ニッと、菱谷がいかつい顔を歪めた。理由は、次の対局ですぐに明らかとなった。

 それは二順目の菱谷の順番の時だ。

「ツモ、親二千点、子千点」

 菱谷がツモであがった。親の俺が二千点払い、これで持ち点は三百点、リーチするのに千点いるから、リーチすらできなくなった。なけなしの点棒を支払おうとすると

「いらん」

 菱谷が言った。

「へ、何で?」

「あんちゃんからは受け取らん。代わりに、ほれ、千点やる」

 と自分の点棒を俺に差し出してきた。

「ルールに自分の点棒を相手に与えてはいけない、なんて無かったよな。勝った時、受け取らなければならない、とも」

 実行委員に視線を向けると「それは、そうですが」と肯定しつつも戸惑いを隠せない。彼が戸惑うのも無理はなかった。点数を奪い合うゲームで、敵に点棒を与える人間がいるなど想定外だ。そんなのルール以前の問題だ。

「なるほど、そういうことね」

 ユイが菱谷の行動を理解した様だ。

「律ちゃんが負けそうになったら、そういう臨時措置をとっても問題ないのね。自分が他人より点棒が多くなったタイミングで彼を零点にするように調整しても良いってわけだ」

「それよりも、気になることが」

 伊那鷺が菱谷の顔を見ながら言った。

「あなたが聴牌になるのが早すぎる」

「早すぎる、と言われてもな。出来ちゃったもんはしょうがないだろ」

 そう言いながら、不敵に笑う菱谷の顔を見て、俺はある疑惑を抱く。彼は凄腕のギャンブラーだ。ならば、マンガにあるような技を使えるのでは。

「もしかして、イカサマ?」

 楽しそうに、それでいて目を鋭く細めながらユイが声低く尋ねた。ユイもその考えに至ったようだ。菱谷は笑っただけで、答えない。態度から自白しているようなものだ。だが、追及はそれ以上できない。証拠がないからだ。こういう勝負の場合、実行犯で捕まえなければ意味がなく、菱谷相手では不可能と言えた。

「やだやだ、これだから玄人ってのは」

 リフレッシュしていいかしら、とユイが申告し、一時間の休憩をはさむことになった。俺にとっとも都合が良い。この生かさず殺さずの状況からはい上がるきっかけになれば、それを考える時間にするしかなかった。

 しかし、休憩後も菱谷優勢のまま試合が進んだ。彼は実に巧妙で、イカサマしているのは分かっているのにそれを悟らせない。伊那鷺もユイも善戦するが、いくら放銃しなくても、ツモで上がられれば少しずつ点数は奪われる。

 開始から二時間で、菱谷が五万点以上で、圧倒的な優位を誇っていた。

「さて、そろそろ決めようか」

 菱谷が俺を見た。次の上がりでは俺を狙うということだろう。打開策はない。このまま菱谷が勝ってしまうのか。菱谷がツモ牌を取る。顔が勝利を確信した笑みを形作る。

「リーチだ」

 余裕に満ちた笑みで牌を切る。もう駄目だ。菱谷はさっきから、リーチの後すぐにすぐに上がっていた。諦めかけたその時

「させないわ」

 菱谷の笑みが崩れる。代わりに、反対側のユイがしてやったりという表情を浮かべて自分の牌を広げていく。

「一気通貫、混一色、ドラ一、跳ね満ね。一万二千点よ」

 ほら、と差し出したユイの掌に、渋々菱谷が点棒を置く。しかしそれでも、菱谷の優位は動かない、はずだった。

「ロン」

 三回連続のユイの上がりで、その優位はいとも容易く崩れ去った。

「イカサマをしている様子はない。綺麗なあんちゃん、どういうこった?」

 先ほどの余裕のある笑みではなく、獰猛な、敵に対して見せつけるための笑みを浮かべて菱谷が問う。すでに、二人の点差は無かった。

「別に、大したことではないのよ。ただ、菱谷さんよりも早く聴牌になってるだけ」

 こともなげに言う。それがどれほど困難かは、麻雀を少しでも知っている人間であれば理解できる。

「私って、昔からここぞという時に運だけは良いのよ」

 ユイが妖しく微笑み返した。

 そして山を崩し、積み上げる作業が始まる。同時に戦いも始まっていた。菱谷は経験と技術を持って、自分が積む牌を記憶しながら積む。それによってより早く聴牌を導く。逆にユイは何もしない。ただ、生まれついての剛運が、彼女の元に良い牌を集める。経験と運の勝負のような様相に場はなりつつあり、一人を除いて誰もがそう思っていた。

「わかった」

 ぼそりと、伊那鷺が呟く。丁度四順目の時だ。俺たちの視線が伊那鷺に向いた。

「わかった、って、何が?」

 菱谷は目線を伊那鷺に向けながらも、意識は手元の牌に集中しており、いつでもイカサマ出来るように身構えていて、ユイはそれを牽制している。少しでも意識を切らしたら負けの状態だ。必然的に俺が彼女に尋ねる形になった。

「多分、これで良い」

 彼女は答えず、牌を切る。ピクリ、と両脇の二人が反応した。良くわからないが、安牌、ということで良いのだろうか。菱谷が次いでツモして、切る。俺もたまたま伊那鷺が切ったものと同じ牌を持っていたので、同じく切る。ユイがツモ、そして切る。そして伊那鷺がツモ。切る。また二人が反応した、様な気がした。どういうことだろうか。二人は別段ポンやチーと鳴くこともなくスルーする。そのまま対局は進み、結局流局となった。菱谷とユイが聴牌。俺と伊那鷺がノーテンだ。聴牌した二人には、俺と伊那鷺が点棒を支払わなければならない。俺が菱谷に、伊那鷺がユイに千五百点支払う。結局何が起こったのか俺にはさっぱり理解できないが、菱谷とユイはそうではないようだ。疑惑と、これは恐れだろうか。そういった感情が浮かんでいるように見える。彼らと伊那鷺との点数は一万点以上離れている。優位も変わらないように見えた。

そんなだから俺は、この三人にカモにされたのだとすぐに理解することになった。

「ツモ」

 次の対局では、ユイでも、菱谷でもなく。伊那鷺が上がった。

「リーチ、一発、ツモ、一盃口、平和、ドラ一、跳満。六千点と三千点」

 また次も、その次も伊那鷺があがり、とうとう三人の点数が並んだ。相変わらず俺だけは生かさず殺さずの状態だ。しかし何で急に勝ちだしたのか。さっきからリーチ一発が多い。菱谷みたいにイカサマをしている風でもない。驚きを飛び越えて純粋に興味がわいた。

「何で勝てるんだ? まるで、本当に次に何が来るのか解ってるみたいだけど」

 尋ねると、伊那鷺は眠そうな目で俺を見上げて「計算した」と一言。

「計算?」

 オウム返しに同じことを言うと、こくんと彼女は頷く。

「菱谷氏とユイ女史のこれまでの上がり方、何順目のツモでリーチになったか、菱谷氏がすりかえるであろう牌の種類の特徴とユイ女史の引きこむ牌の種類をこれまでの上がり牌からパターンを形成、そこからある程度の法則があると考え、私はその法則の外で牌を組んだ」

「つまり、二人の牌が大体解るってこと?」

「簡単に言ってしまえばそう。後は、捨て牌から二人がどういう牌を今持っているか、残り牌は何があるかを推測すればいい」

 とんでもない話だ。呆れるしかない。

「それ、なんてことないように言ってるけど、簡単にできるもんなの?」

 顔をひきつらせながら尋ねると、彼女は不思議そうに小首を傾げて

「質問の意図が解らない。とりあえず、私はできる」

「あ、そうなの・・・」

 多分、彼女と俺の間には深く広大な溝がある。相互理解をするには、宇宙人とコンタクトを取るくらいの努力が必要そうだ。

 そこからの対局は全員にとって我慢の時だった。菱谷は、イカサマはユイに見張られ、手の内は伊那鷺に見破られているため、どうしても自分のやり型を崩さなければならなかった。ユイも同じく、自分が引き込む良い牌を切って、どうにか見破られないよう捨て牌に迷彩を施す。だがそれもまた逆効果となり上がりから遠ざかる。伊那鷺の能力を警戒するあまり二人はどつぼにはまっていた。

 かくいう伊那鷺も、安牌ばかり切る二人のせいでか情報量が不足しているようで、上がりはめっきり減った。それでも聴牌までこぎつけたり、自力でリーチ、ツモのみなど低い点数ではあるが少しずつ稼いでいく。途中でリフレッシュを取ったりしてみてもその傾向は変わらず、いつしか朝を迎えていた。

 朝六時。現時点でトップは伊那鷺・四万千八百点、二位菱谷・三万六百点、三位・ユイ・二万七千点、そして最下位の俺が六百点だ。『恵まれない俺に点棒を作戦』はすでに終了している。そんな余裕が菱谷にもユイにもないからだ。おそらく、二人とも諦めている。伊那鷺が勝つのは決定だ、と。ならばと、自分の点数を確保しておくことに頭を切り替えたのだろう。点数は後で金に変わるからな。俺でも、誰でもそうする。

かくいう俺も完全に諦めモードに入っていた。誰が見ても俺の勝ちは無い。俺もないと思って、さっきから安牌のヤオ九牌、各種牌の端っこである一九牌と字牌をメインに切って、成り行きを見守っている。ほとんど観客みたいなものだ。それも、これで終わる。ここで伊那鷺が聴牌のまま上がれば、俺は千点棒を支払わなければならない。自動的に点数が零になり、負けが確定、競技は終了する。

 麻雀というのは面白いもんで、勝ってる奴には良い牌がどんどん行き、負けてる奴にはクズ牌、ヤオ九牌ばかりが来る。これは社会の縮図にもちょっと似ている。権力がある奴、金がある奴、人気がある奴、勉強できる奴に運動できる奴、結局そういう奴らが勝つんだ。俺みたいなクズはどれだけあがいても勝てないような仕組みになっているんだ。ここまでこれただけでも儲けものってことか。せっかくここまで来て、もしかしたら、そういう壁みたいなものを破れるかもしれないなんてどうして思ってしまったのだろうか。クズは、結局クズってことか。

 手元に配られた牌を見る。これまた、見事なまでにクズ牌ばかりだ。さっきからまあ、そんなに俺のことを慕わなくても良いのにってくらいやってくる。

「え?」

 脳裏に閃光が走る感覚。睡眠不足で疲れている頭が回りだす。このシチュエーション、どっかであった。もしかしたらドラマとか映画とか、本とかで見たのかもしれない。まさかとは思う。だが、もしかしたら。一条の細い光が俺に向かって差し込んでいる。そんな気がした。きっとこれが希望ってやつだ。

「す、すいません」

 俺は挙手した。すぐに実行委員がやってくる。

「どうしました?」

「あの、水を貰いたいんですけど」

「困ります。そういうのは先ほどのリフレッシュ時間にやってもらわないと」

「水一杯で良いんです。もう喉カラッカラで」

「良いじゃねえか。あんたが持ってきて、そこで呑ませれば不正も出来ねえよ」

 菱谷が快活に笑って言った。その口が良く言うと思うが、今だけは感謝しておく。実行委員が仕方なしに持ってきた水を一気に飲み干す。

「すみません。じゃあ、始めましょう」


 この時、鬼灯律に相対していた三人は彼に対して同じ違和感を覚えた。目の前の、息も絶え絶えの勝つ見込みが全くない、自分たちにとってカモ同然の男の雰囲気が変わったように感じたのだ。だが、一瞬でその違和感を脳裏から追い払い、勝負に集中する。今はそんな雑魚に構っている暇は無い。菱谷とユイは、いかにして伊那鷺の聴牌を防ぐかに集中し、そこからどうすれば自分だけが抜け出せるかを考えていた。伊那鷺は先ほどと同じく、聴牌を目指す。もちろん、二人の計算を忘れない。彼、彼女の脳内に、もう先ほどの違和感と、鬼灯を意識する部分は無かった。その代償を、三人は支払うことになる。


 対局は静かに進んだ。誰も声を出さず、牌が机を打つ音だけが広い室内に響く。そして

「流局、か」

 残念そうに菱谷が呟いた。手元の牌を広げる。聴牌だ。

「結局、『パーフェクト』の勝ちってことね」

 ユイも牌を広げた。同じく聴牌だ。自分の能力を制限された中、二人とも良くそろえたものだと思う。そして対面で、伊那鷺が無言で牌を広げた。同じく聴牌。続いて、俺も牌を広げる。

「ノーテン、ですね。全員への千点支払いが発生します。これにより、鬼灯様の敗北が決定、そして、現在一位の伊那鷺様の勝利が確定」

「待ってください」

 どこか芝居じみた実行委員の言葉を遮る。話を止められた実行委員は少し不機嫌そうにしながらも、俺に向き直った。

「何ですか。自分も聴牌だ、と言いたいのですか? まだ負けてないと? いるんですよね。駄々をこねる人って。止めていただけます? そういう見苦しいの」

 妙にとげのある言い方が癪に障るが、今の俺にはこいつを黙らせることが出来る。多分。

「負けてませんので。とりあえずユイさん四千点、他二人は二千点ずつ支払ってください」

 何を言ってるんだこいつは、という目で実行委員とユイ、伊那鷺が見た。だが、菱谷だけが「なるほどなぁ」と声を立てて笑った。

「流し満貫か。珍しい役だ」

 そこで、他の三人の視線が俺の捨て牌に注目する。

「全てヤオ九牌です。確かこれも役ですよね」

 ヤオ九牌だけ捨てて上がる役があるのを思い出した。実行委員を見上げて言ってやる。苦虫を噛み潰したような顔で実行委員が口をもごもごさせるが、やがて後ろに引っ込んだ。そして俺の前に、全員から点棒が差し出される。やはり勝つというのは嬉しいものだ。

「喜んでいても、あなたの不利は変わらない」

 伊那鷺が俺に言った。

「そうね、点差はまだ大きいわ。ただのぬかよろこびになるんではなくて?」

「だがこれは儂らにはチャンスだ。このあんちゃんがトばねえ限り、勝負はまだ続く。勝負が続く限り、逆転の芽は潰れねえ」

 伊那鷺も、ユイも、菱谷も、これをただの偶然だと思っている。もちろんそれは正しい。だが、俺には妙な予感があった。そんな俺に親が回る。

 配牌が全員に行き届いた。

「おい、あんちゃん。早く切れ」

 菱谷がせかした。なぜなら、俺は配牌を並べ替えたまま一分ほど身動きしていなかった。

「寝てるんじゃないかしら。ねえ、実行委員さん。確認して。確か寝てたら罰則よね」

「そうです。今から確認します」

 後ろから実行委員が近づいてくるのを、俺は軽く手を上げて制した。

「大丈夫です。起きてます」

「起きてるなら、早く始めてください。あなたが親なんですから」

 始める? 何をだ? もう、勝負はついているのにか? それがあまりにおかしくて、ついつい笑ってしまった。ギョッとした顔で全員が俺を注視した。

「睡眠不足による錯乱症状?」「いかれちまったってのかい」「やだ、早くお医者さん呼んであげて」

 三人が好き勝手言ってるが、全く気にならない。

「あ、あの、鬼灯様? 大丈夫ですか」

 さすがに心配になったのか実行委員が声をかけてきた。それを手を振って応える。

「ええ、大丈夫です。大丈夫ですとも。むしろ絶好調ですよ。そして、皆にお礼が言いたいほど嬉しいんです」

 俺は三人の対戦相手に深々と頭を下げた。

「ありがとうございます。俺は、皆さんが対戦相手で本当に良かった」

 俺が何を言っているのか解らないのだろう、三人は不思議そうに、あるいは気味悪そうに俺を見ている。

「菱谷さんが技術と経験で、ユイさんが強運で、伊那鷺さんが未来まで見通すような計算で、この場の良い牌を三人が全部持っていった。必然的に俺にクズ牌、ヤオ九牌が集まる。でも、忘れてないだろうか。ヤオ九牌でも上がれる役があるのを」

 ちょっと芝居がかっているのは準々決勝の名残だな。俺の手が、ゆっくりと自分の牌を広げていく。まさか、とこの場にいる全員が息を呑んだ。

「ば、馬鹿な」

 そう言ったのは誰だろうか。完全に開ききった牌のならびにこの場の誰もが絶句した。当然だ。ヤオ九牌を一枚ずつそろえる、麻雀を知らない人でも聞いたことはあるであろう、もっとも有名な役満が、配牌終了時に揃っているこの異様さ。

「天和、国士無双、ダブル役満だ」

 しめて九万六千点、三万二千点オール。これで二万三千点のユイがハコになる。俺の逆転勝利が確定した。


「嘘だ。イカサマだ!」

 騒いだのは伊那鷺でも菱谷でもユイでもなく、なぜか実行委員だった。

「こんな、こんな役おかしいだろ。天和が起こる確率なんてどれだけ低いと思ってるんだ! それが国士無双だなんて、天文学的数字だ。それがここで、この土壇場で起こるなんて、イカサマ以外考えられないだろうが!」

 確かにそう思われても仕方がない。それほどに、こんな上がりは考えられないのだ。だが、難癖をつけられ慣れている俺を侮ってもらっては困る。イカサマなどしてはいないと前置きして

「イカサマはばれなければイカサマではない、というのは、この対局を通じての暗黙の了解だったはずです。菱谷さんが良い証拠。彼のを咎めないのに、なぜ僕だけ咎めるのか。それとも、イカサマしたのを見ていましたか?」

「し、証拠は・・・」

 悔しそうに顔を歪ませ実行委員は言葉に詰まった。それでもまだ食い下がろうとするのを遮ったのは菱谷の一言だ。

「止めとけ。このあんちゃんはイカサマなんぞしてねえよ」

 やれやれと背もたれに体重を預け、菱谷は長い息を吐いた。

「長年博打やってきたが、こんな手は見た事ねえな。ここまで驚いちまうと、悔しさもわかねえや」

「一周回って笑っちゃうしかないわよね」

 ユイが同調するように喉を鳴らした。

「ほら、持ってきなさい」

 ジャラジャラと箱ごと俺に点棒を渡してきた。同じように、菱谷、伊那鷺も俺に点棒を渡した。

「負けるとは、思わなかった」

 相変わらずの抑揚のない声で、伊那鷺が言った。

「どう考えても、あの時あなたが勝つ見込みは無かった。どうして?」

「どうして、と言われてもな。よくわからん。君風に言うなら、とりあえず、俺には出来た、だ」

 自分でも説明しようがない。ただあの時は勝てる、と思った。予感よりも強い、確信だった。そのことを伝えると「興味深い」とニタリと笑われた。口元だけを弓型に曲げた、ぞっとするような笑みだ。ま、まあ、多分あれだ、笑顔が苦手なだけなんだろう。さっきまでずっと無表情だったし。きっとそうだ。

「なら、あなたは状況をひっくり返す要因を持っているのかもしれない」

「なんだそりゃ」

 そんな御大層なものを持っていた記憶は無い。

「私はあなたに大変興味がある。ぜひ一度、調べさせてほしい」

 真顔でそんなこと言われた。とりあえず丁重にお断りを入れる。「いや、そう言わず」「結構ですから」と押し問答をしているとき、菱谷が何かに気付いた。彼はゆっくりとバーカウンターの内側へ向かう。気になった俺たちも後に続く。バーカウンターの陰から小さな話し声が聞こえてきた。屈んだ状態で携帯電話に向かって話しこんでいるようだ。こっそりと菱谷が近づき、相手から携帯電話を取り上げる。「あ!」と勢いよく立ちあがったのは実行委員だった。

「こそこそ誰と喋ってやがる」

「あなたには関係ありません」

「本当にそう言い切れるか? お前、儂の孫に近づいた奴の仲間だろう?」

 ずずいと菱谷が顔を寄せて囁いた。ぴくっと実行委員の頬がひくついた。

「あら、おじいさんもお願いされた派?」

 口元に手を当てて声を抑え、ユイが菱谷と実行委員を見比べる。おじいさんもって、ユイも何か心当たりがあるのか?

「と、言うことは、だ」

 菱谷とユイの目が伊那鷺に向いた。伊那鷺もこくりと頷く。

「なんでえ、あんたらこんなに保険をかけてたのかい」

 菱谷が苦笑する。解ってないのは俺一人だ。

「あの、一体何をいってるんですか?」

「簡単なこった。それは俺たちが」

「菱谷さん!」

 すさまじい剣幕で実行委員が迫り、菱谷から携帯をひったくった。テレビカメラを意識しながら、小声で菱谷に詰め寄る。

「それ以上は、おたくのお孫さんの立場を悪くしますよ」

「おお怖」

 大仰に驚いて菱谷は一歩後ろに下がる。

「なら取引だ。開かれちゃまずい口を死ぬまで閉ざしておいてほしければ、下手な小細工は止めな。その電話の主に言っとけ。儂らのような人種は、自分の誇りをかけた勝負に茶々入れられるのが嫌いだ。勝利も敗北も、参加した儂らのもんだ。あんたらの都合で好き勝手されるのは気に入らねえ」

 老いた、どちらかと言えば小柄な体からぶわっと目に見えない圧力が噴出する。同時、その体が二回りほど膨らんだような錯覚を起こす。ま、まさかこれが闘う気と書いて『闘気』! 闘気に反応し毛が逆立つ。ばかな、ここはいつから修羅が跋扈する戦場となった? 「良いな?」と実行委員に菱谷は告げた。真正面から闘気を浴びた実行委員はじっとり汗をかき、唾を呑みこみながら頷いた。それを確認した菱谷からふっと闘気が消え、もとのじいさんに戻った。実行委員が粟食ったように部屋から飛び出していった。

「じゃあ、これでお開き、だな。よお。到着まで一杯どうだい」

 ユイに向けて菱谷がくいっと杯を傾ける仕草をする。

「あら、良いわね。お付き合いさせてもらおうかしら?」

 二人がバーカウンターの椅子に腰かけ、一升瓶やワイン、ブランデーボトルをカウンターに並べ、戦闘態勢に入っている。今更ながら、勝手に飲んだりして良いんだろうか。竜泉とかロマネシャトーとか、酒を飲まない俺でも知ってる十万以上の高級酒なんだけど。

ま、いいや。じゃあ、俺もひと眠りしようかね。結局タクシーや新幹線で横になって眠れてない。睡眠をとってはいても、体からは疲労が抜けきっていないのだ。緊張の糸が切れた途端、大きな欠伸が出た。その場で大きく伸びをする。

「眠いの?」

 その場にまだ残っていた伊那鷺が声をかけてきた。

「まあな。なんだかんだ言って良く眠れてないし。疲れてるし」

「ん」

 そんな俺に伊那鷺が手を差し出す。

「何?」

「いいから」

 そこに手を出せということらしい。掌を彼女の手の下に出すと。ポンと何かが落ちてきた。銘柄も何も書かれていない小さな包みが三つほど。

「ガム。目が覚めるやつ」

 あ、なるほど、眠気覚ましのやつね。良くある薄い板状のものではなく、キャラメルみたいな形だから解らなかった。これから寝ようと思ったんだけど、とは言いだしづらい。せっかくの好意だ。「ありがとう」と礼を言い口に放り込む。ふむ、噛めば噛むほど、味が、無い? でもこの舌がしびれるような感覚が口内に広がっていくうちに、何でだろう、体がポッカポカしてきやがったァ! あた、頭が冴えてくる超クールゥウウウウ!

「一粒で一日に必要な栄養素が取れ、製薬会社と共同で開発した脳を刺激し活性化させる新成分を配合」

 まままっま麻薬的な成分は配合されておりませぬかコラァ!

「現時点では合法」

 それって長い目で見ると違法になり得るもんじゃね?

「ちなみにお金に換算すると一粒百五十万」

 金額に体が反応して吐き出した。放物線を描き、床に落ちた。やべ、高級そうなカーペットなのに。

「研究費等を考えればかなり良心的」

「でも一粒百五十万は買えねえよ」

 手の中で残り二粒を転がしながら苦笑する。

「でもあなたは食べた」

 平坦な、さっきと変らないはずなのに、心なしか咎めるような声で彼女が言った。

「? いや、だってくれたじゃん」

「あげるとは言ってない。ただ目の覚めるガム、と言って渡しただけ」

 え、え、どういうこと? お兄さんにも解るように言っちゃくれない?

「あなたは百五十万の、社外秘の研究商品を私から奪い、あまつさえ勝手に一つ味見した。出るところへ出る準備は良い?」

「詐欺じゃないのっ!?」

「確かに、私の名前は伊那〝鷺〟かがり。目的のために手段を選ばない女。ちなみに、この場合の目的とはあなたを調査すること。どうする? 条件を呑むなら、私嬉しい、あなた訴訟取り下げ、お互い万々歳」

 彼女が笑った。さっきと同じ笑みだ。背筋にゾクゾクっと悪寒が走った。おとなしいタイプかと思いきや、なかなかどうして曲者じゃないの。どうして俺の周りに現れる女性は、一癖も二癖もあるやつばかりなんだろうか。

「と、とりあえずいったん持ち帰って検討させていただきたいと思います」

 そうやって切り抜けるのが精一杯。

 ちなみに、結局ガムはカーペットにひっついて取れなくなりました。吐きだしてから五分も経たないうちに水分が抜け切って異常に固くなり、完全にカーペットと一体化してしまったのだ。まあ、なんか色素が抜けたのか透明になって、見た目わからなくなったから良しとしよう。伊那鷺は「改良の余地あり」とか言ってた。でもこれはこれで、何かスパイアクションとかで使えそうな機能だと俺は思う。後の二つは、一応貰っておくことにした。


《準決勝、先輩逆転大勝利! やったっす!》

 大山からのメールを見て、鷹ヶ峰は移動中の車内でノートパソコンを開いた。これまでの選手権のハイライトが流れており、鬼灯の勝利の瞬間を確認することが出来た。

「見事だ。鬼灯律」

 鷹ヶ峰は愉快そうに口元を緩ませた。手元の書類をめくる。そこには彼の経歴が記されていた。

 鬼灯律は、幼いころから波乱に見舞われ続けた生活を送っていた。偏見を持たれ迫害された学生時代、社会に出てからも横領や詐欺など犯罪に多数巻き込まれ、もはや彼自体が何かを呼びこんでいるとしか思えない。確かに、これでは卑屈になりひねくれてしまうのも仕方ないだろう。

 が、気付いているのだろうか。毎回毎回濡れ衣を着せられ、周囲の人間全てを敵に回しているにも関わらず、いまだに社会で生き残っているのだ。

「ん?」

 わっと歓声が聞こえて、鷹ヶ峰は思考を中断した。音はパソコンの画面からだ。画面はまた別の会場に移っていて、どうやら勝負が決まったところのようだ。画面に目をやる。

「あの子も来たか」

 映像を見て、鷹ヶ峰は自分の計画が順調に進んでいることを確信し、笑みを深くした。

 そこで行われていたのは《要人警護》などという、もはやアルバイトの領域を飛び越えた種目だった。これも自分のあずかり知らぬところで変更された競技だ。しかも要人警護とはほぼ名ばかりの、十階建ての廃ビル内で行われたバトルロワイヤルだった。

 自分以外の人間を倒せば勝ちというもので、参加していた人間も格闘家、元警察官、軍人など戦闘のエキスパートたちが十数人参加していた。奇襲、罠、銃器など、とにかく相手を無力化すれば勝ちの危険極まりない競技が、一時間も経たずに終わった。勝者は筋肉隆々で戦闘経験豊富そうな格闘家でも警察官でも軍人でもなく、華奢な少女だった。

 少女の足元には他の参加者たちが屍のように転がっている。圧倒的な実力差で少女は全ての対戦相手をなぎ倒し、勝利していた。

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