第十二話

 ぼんやりと明るくなる空、夜を追い出す日の光が段々と強くなります。

 泣いてる私はそれが酷く嫌で、首を振り、昇る太陽から遠ざかろうと必死に足を動かします。

 辺りは草原の様で、ずっと向こうは闇が広がり、けれど背後から迫る白みは私の歩みよりも余程早く闇を遠ざけていきました。泣きながらも必死に走り、走り。

 嫌だ、私は向こうに行きたい、夜なんて明けなければ良い。

 そう叫んだ途端に石に躓き、草の間に視界が埋もれました。

 慌てて立ち上がると、足元に迫る光の質が変わっています。ぞっとする様な白の光が足に触れた途端、全身に鳥肌が立ちました。

 背後の満月から逃げるように足を動かせど、闇へ辿り着けません。

 あの方の元へ、あの方のお傍にいたい。

 遂に私の影が闇から切り離され、それが分かった時に私の足は止まっていました。

 私の全身を白く包む満月が、私を押し潰してしまいそうで、苦しさの中、私はあの方を必死に呼んでいました。


―――――様っ!

―――――様ぁッ!!


 叫びながら呼び続けても、迫る満月は草原を光で灼いていきます。

 闇が遂に、地平線に追い遣られそうになった時。


―――――様。


 光を裂き、凄いスピードで闇が草原に伸びてきました。

 こちらへの距離を見る見る詰め、私を押し潰そうとした満月の光も、怯んだように影を濃くします。

 やがて私の目の前で止まった―――――様は、闇の様な上品な黒馬に乗っていて、そう、こう言うのは何ですが、王子様然としていて胸を射抜かれました。

『ほら、ファレイナ、こっちへ――』

 そう手を差し伸べようとした彼女は、けれどその手を止め、表情を硬くしました。その視線は私の隣へ注がれていて、伸ばした腕はそのまま引かれてしまいました。

『――私は要らないみたいね』

 その言葉に驚いて慌てて左を見遣ると、心配そうな顔の実さんが私を覗き込んでいます。

「大丈夫?」

 そう尋ねる実さんの口調はとても心配そうで、私は思わず頷いてしまってから、あの方に勘違いをされていたという事を思い出しました。


違います、これはその――、


『さよなら』

 その言葉と共に後ろを向いて、遠ざかっていく背中を、追い駆けることは出来ませんでした。

 私の体は動かずに、足元を見れば、シンプルな魔法陣の丁度端で体が止まり、それ以上先へ行けないようでした。

 右を見れば、木下先輩がにやにやと笑い、「面倒事は避けたいじゃないか」と言って指をぱちんと鳴らします。

 音と共に動くようになった体で闇を追い駆けようとしましたが、再び勢いを増した光があっと言う間に私を追い越し、闇は無情にも地平線に沈んでしまいました。

 風が耳をなぞり、先程聞いた硬く冷たい響きをもう一度思い出させます。

『さよなら』


――嫌。


『さよなら』


嫌です、嫌。


『さよなら』


嫌ッ――――




「ッ――――!!」

 ばっ、と目が開き、汗でびっしょりの全身を認識しました。

 っ、はーっ、っ……。

 荒い呼吸を自覚しながらも、自分がどうやら横たわっている事、そして今は寝ていたのだという事を理解し、深く、深く息を吐き出します。

 全く、とんでもない悪夢でした。

 思わず顔を手で覆ってから、妙なことに気が付きます。

 どうしてかとても明るいです。寝る時に電気を付ける癖などはないので、腕で遮られる光が有るとは思えません。

 手を退けてみれば、点いた見慣れない電灯だけでは無く、まずベッドのすぐ傍に降りた大きなカーテン、妙に高く感じる天井、すんとした清潔な匂い等……あ。

「っあああああああああ!!!」

 素っ頓狂な声を上げながら体を起こし、絶望感を抱いて今度こそ顔を手で覆いました。勿論そんなことをして変わる現実も無く、そして場所を考えれば随分迷惑な挙動だったに違いないのに動く人も無く、まぁ妙とは思いましたがそれは一先ず置くとして。

 何という事でしょうか。たった三日、三日目にして、私は自業自得で倒れてしまいました。級長を任された身としては勿論、そしてミリューネ様に傅く身としましても(今は拒絶されているとしても)、とんでもない愚行です。単に体調不良、或いは初めから体が弱いなどでしたらまだ分かります、しかし原因はと言えば私自身のまるで倒れたいかの様な行動にあり、そのせいでクラスに大きな迷惑を掛けたのならば許せるはずも有りません。

 頬を覆った手でそのまま顔に爪でも突き立ててやりたいですが、しかし保健室の先生に掛ける面倒を上乗せする訳にも行きません。一先ずの我慢の為に自分の額に思い切りデコピンをして額も指も痛くなってから、恐る恐るカーテンを開きました。

 思っていたよりも軽い手応えで開くカーテン。優しい白を基調とした室内には、瓶や薬の箱が沢山入った戸棚、保健関連の本が沢山並んだ横長の背の低い本棚、壁の際にある視力検査や身長・体重計など、普通の学校の保健室にも有りそうな物ばかりが並んでいます。天井を見上げても特に装飾も見当たらず、無駄にお金を掛けた気配が感じられないこの部屋は、まぁ心を休めるには丁度良いのかも知れません。いえしかし、無駄な場所にお金を掛けないだけでこの布団の心地は凄く良いのですが。

 そんな風景に目を遣れたのは一瞬で、すぐに室内の丁度中央に位置する机で何やら作業している女性と目が合いました。

「…………起きた?」

 イヤホンを外して、軽く首を傾げて見れば分かる質問をしてきます。というか外したイヤホンから音が漏れてます、この距離で聞こえるのは大丈夫でしょうか。私は「今起きました」と一応丁寧に答えてから、もう一度室内に視線を巡らせました。けれど目当ての物は見つからず、女性に尋ね掛けます。

「あの、今って何時頃でしょうか?」

「あー、この部屋時計無いから分かんないよね? いやね、時計付けなかったのにはちゃんと理由が有って、ほら、保健室って体は勿論心も休んで貰う場所な訳じゃない? で、時間が過ぎていくのって思っている以上に精神的負担が大きいワケ。まぁ個人差は有るけど。ほら、時計の音が耳について中々眠れない、けど眠らなきゃって焦ったりするでしょ? だからこの部屋は時計を置かないのね、一応高級品とかが無いのもそのせいみたいだけど、実は保健室の備品って細々してて高いから、何だかんだベッド上質にしただけで部屋に割り当てられた資金使っちゃったって話だよ。それで、何の話だっけ?」

「……いえ、今は何時頃かと」

 あー、と言ってポン、と手を打ち付ける彼女に不安を感じない人がいたら見てみたいです。この部屋は時計よりももっと気を使うべき存在が有るようですね、時計と養護教諭どちらが精神に多大な影響を与えるかは歴然としているでしょう。

 机の上をさっと眺めた彼女は、ふと手を止めて、何かを確認した様でした。

「えっと、19時30分――」

「えっ!?」

「――じゃないか、これずれてたっけ」

「…………」

 思わず拳を握った私を許して下さい。今度は鞄を机の下から引き上げて中を探る彼女を放っておいて、ベッド脇の小さな棚に置かれた自分の鞄から携帯電話を引き出します。

 現在時刻、15時35分。大凡5時間近く寝ていたことになりますかね。メールが1件入っているようで、はて誰だろうと首を傾げて、それから実さんだろうと思い至りました。実さんとはメールアドレスを交換してあります。

「有った! えっと、15時だから、午後5時36分!」

「教えて下さりありがとうございます」

 今更過ぎる言葉も、そして内容にも敢えて突っ込むことはせずに、おざなりとすぐに分かる口調で感謝の言葉を述べます。流石に微妙な雰囲気を感じ取ったのか、「あー」と気まずそうな声を上げた彼女は、そろそろと指を伸ばして何やら叫び始めたイヤホンの音を止めました。

「え……っと、じゃ、じゃあ、その、うん、問診しまーす!」

 コホン、とわざとらしい咳払いをし、机の引き出しを開け、しばらくごそごそと始めました。どうやら書類を探しているようですね。その間にメールを開いて確認すれば、矢張り実さんでした。

『突然倒れちゃってびっくりしたよ!

 体は大丈夫? 疲れで倒れたんだろうって話だったけど、見てたらちょっと安心できない先生だったから。あ、これ内緒ね?

 測定の方は、今日出来なかった競技はまた別の日に測れるって、木村先生が言ってたよ!

 午後の授業は私のノート見せてあげるから、安心してね。

 授業が終ったら迎えに行くから!

 そうだ、忘れてたけど、もし授業が終わる前に寮に帰っちゃってたら、私にメールしてね』

 現在時刻、15時3……いえ40分。今日の午後は2限だけなので、SHRを含め(灯清学園は朝も夕もホームルームを行います。こんなに必要ないと思うのですが)15分前に授業が終わっている予定です。そして教室からここまでは無駄に大きな学園だけあって大凡15分、つまりそろそろ――

「あ、あった! よし、じゃあ問診を」


コンコン


 控え目なノックの音が聞こえて、紙を持った女性が暫しの間硬直し、それから「どうぞ!」と扉の方を振り返りました。

 開かれた扉の前に立っていたのは実さんで、ベッドの上で起き上がっている私を見て、ほっと顔を綻ばせます。そして女性の方を向き、「怜那ちゃんのお見舞いにきました、1年夏川実です、失礼します!」と挨拶をすると、返事を待たずに私の元へやって来ました。

「良かった、いきなり倒れたからびっくりしたけど、もう元気みたいだね!」

「すみません、心配をお掛けしました」

 頭を下げれば、「心配したけど、安心したから±0!」と笑顔で言って下さったので、こちらもほっとして笑顔を返せました。その背後から、女性がぬおっと顔を出し、クリップボードを手に持って「問診しまーす!」と空気の読めない声で言いました。

「えっと、じゃあまず、貴女の名前は?」

「え?」

 ……名乗ることは別に良いのですが、まさか名も知らぬ生徒を預かっていたという事でしょうか。いえ、と言いますか普通保健室に預けられた時点で名を聞く筈ですし、人の話を聞いていないか覚えていないかどちらかでしょうね。

「えっと、黒羽怜那です」

「そっか怜那ちゃんか! うんうん、おねーさんはここの校医の水島みなじま 弥生やよいだよ、弥生ちゃんって呼んでね!」

「はい、では問診を宜しくお願いします、水島先生」

「…………弥生ちゃ」

「先生、早く始めないと怜那ちゃんに悪いですよ」

「……はい」

 実さんの援護も有って、水島先生は大人しくペンを握り直しました。

「えっと、じゃあまず倒れた状況だけど――」

 そこからは、今まで本当に給金を貰って働いても良いのかどうか怪しかった先生が、真面目な質問で倒れた際の感覚や倒れるまでの兆候などを質問、そして運動の種類などを詳しく聞いていきました。冗談も交えながら瞳は先程とは打って変わって真剣な色、ペンもこまめに動かしています。一通り聞き終わった水島先生は、「うん、やっぱり大きな病気じゃなさそうだね」と笑顔で言うと、それから少し首を傾げました。

「倒れた原因に心当たりは有るかな?」

「う……はい」

「寝不足とか?」

「……ええと」

 昨日の昼ご飯がおにぎり一つだったこと、夕飯はジャーマンポテトをしっかり食べようと思って結局碌に口に出来なかったこと(逃げ出しました)、夜通し泣いて一睡もしていないこと、朝食を食べる気分では無かったこと。

 勿論細部はぼかしましたがそう告げれば、実さんは呆れた半笑いになっていて、水島先生は半眼でこちらを見てきます。

「あのねー怜那ちゃん、弥生ちゃんから言わせて貰うと、倒れたのは自業自得でしかないよ」

「……はい」

「栄養も休息も取らずにいたら、年頃の女の子じゃなくても倒れちゃうの。不養生は健康だけじゃなくて美容にも敵だしね」

「…………はい」

 水島先生の言葉に首を俯けます。後悔の念で唇を噛んでいると、「でも」と続ける声が聞こえてきました。

「体調不良は自業自得でも、原因になった悩み事は乙女には付き物だもんね。おねーさんはただの校医だけどさ、実は生徒からのお悩み相談率も高かったり?」

 おどけた調子の声に顔を上げると、びし、と目の前に指を突き付けられます。

「私でなくとも、一人で抱えずに周りに頼るんだよっ? ……あれ」

 私の顔を見た水島先生はくい、と首を傾げて、それからうんうん、と満足そうに頷きました。

「悩みを前向きに捉えることが出来たみたいだね! それって凄く良いことだから、頑張りな!」

 水島先生。第一印象とは違い、とても頼りに出来そうな先生です。起きる直前に見た嫌な夢を先生の言葉で吹き飛ばし、ミリューネ様に愛を認めて貰える日をこの手で掴むと、そう強く自分に言い聞かせることが出来ました。



――――――



 ファレイナを見つけることは、遂に叶わなかった。

 予想していたよりも多かった同学年の女子半数。その最後尾に並びながらも、目で彼女の姿を探す。あの子の身長は女子では高い部類だ、こうして並んでいる中でも、目立って目に留まるだろう――。

 半ば期待を込めながら小さく背伸びをして、並んだ頭の中でも抜けている物の顔を眺めていく。高揚した顔、疲れた顔、雑談をする為に見合わせた顔。

「……いない」

 ぷるぷる、と震える程背伸び状態をキープし続けた足を下ろして、嫌な予感をぐっと飲み込んだ。あの子はここにいる。先程各クラス毎で別の測定を回している際に、あの子の姿を見かけたから、間違いなくいる。もうスタートするのだ、落ち着いて、最後尾に着き、あの子を探しながら前に抜けていく。そうしたらあの子は見つかるはずだ。

 自分にしっかりと言い聞かせ、合図と共に動いていく集団の、その一番最後をゆっくりと走り始めた。

 周りを走るのは矢張り運動が苦手そうな子ばかりで、この世界のファレイナはどちらかと言えば得意な部類に見えた。ただあの子が中学校部活に入っていないのならば、もう少し走ればいるかも知れない。

 速度を上げて、周りの顔を一つずつ盗み見ながら姿を探す。用意されたコースは周りの風景が同じだとつまらないと考えたのか、道の両脇が初め森だったのが、今は可愛らしい花の飾られた花壇になっている。見覚えのある顔、無い顔。後者の方が圧倒的に多い。後姿があの子に似ていてもどれもぴんと来る物が無く、顔を確認してやっぱり違った、と落胆するばかりだ。そうして再び速度を上げて、また前に上がっていく。

 段々と上がった速度はやがて運動部の層に入り、周りを自分のペースを弁えた生徒達がしっかりとした足取りで走る様になった。ファレイナを探す為に徐々にペースを上げ続けてきた私はと言えば、今にも息が上がりそうになっている。それでも周りを見て、もう盗み見る余裕も無く顔を向けて探すけれど、見つからない。

 どうして。

 折れそうになる心を叱咤し、短い1000mのコースが終わってしまう前にと、更に加速した。

 そうして、最前列。

 形振り構わず無理矢理トップの前に出て、振り返って彼女達の顔を確認する。

「っあ、あぶな!」

 慌てて左右に分けていく中に、ファレイナの顔は無かった。

 上がった息、いつもよりも早く疲労が溜まってしまった足、涙が出そうになる自分の弱さ。

 どうして、見つけられなかったのだろう。

 ファレイナに再び出会えた時。

 あの時の少し前に、ほんの微かな胸の高鳴りを覚えたのだ。そう、それまで人として、或いは新月の精として生きてきて一度も感じた事の無い、「何か」を予期するそれ。あの時、柄にもなく、小指を握ってしまった。そこから赤い糸が伸びてるのだろうかと自分でも赤面するようなことを考え、そうして、その運命は、実際に私をあの子へ導いた。

 あの子なら、例えどんな人混みに紛れようと見つけ出せる自信が有ったのに。

 丁寧に確認しても、見つける事が出来なかった。

 こうして待っていれば、あの子は足を止めてくれるかもしれない。

 そうしたら謝る。出来るならば思いを伝える。

 けれど私の体はゆっくりとゴールを向き、今からやって来る筈のあの子に背を向けた。

 あの子はきっとここにはいないんだ、だから見つけられなかった。それにこれ程ゴールが近いのでは、もう落ち着いて話す機会もない。

 また、自分に言い訳をして。

 あの子が皆に混ざって駆けて来た時、自分が感じた運命すらも否定されてしまうのではないか。それが怖くて、だから結果をきちんと受け止めずに、馬鹿みたいな言い訳で自分を守る。

 見つけられなかったんじゃなくて、いなかった。

 逃げるように駆け抜けた後、視線は下を向いたままだった。



――――――



 放課後。生徒会へ足を運ぶため、重い気持ちのまま文芸部棟に向かう。文芸部棟への道には大きな一本と、それに合流する沢山の小さな道が有り、一般校舎からすらも複数のルートを通って道に合流できる。最後が移動教室だった為に、一般校舎とは反対方向から道に合流した。

 とぼとぼと道を歩き、あの子を見つけられなかった事、そしてまた逃げた自分、落ち込む考えばかりが浮かんで溜め息を溢す。そうして、ふと視線を上げた時。

「っ……!」

 慌てて道端の植え込みの陰に隠れる。地面に制服が触れて少し汚れてしまったが、そんなことはもう気にならない。

「――から、見学へ――」

「演劇も楽しいから、気に入ったら――」

「はい、是非! ――」

 楽しそうな声を上げる実さんに、静かに笑って言葉を返すファレイナ。二人の距離は近く、傍から見ても親友に見える。

「……どうして」

 ぽつり、と自分の口から洩れた言葉。胸が締め付けられるような思いがして、かと思えば、すとん、と納得の行くような、心の内が空っぽになったかの様な感覚がした。

 どうして、まだ三日目の友達なのに、そんなにも仲が良いのだろう? 昨日私はファレイナと喧嘩をしたばかりなのに、私はこんなに引き摺っているのに。ファレイナはどうして、あんなにも自然に、別の、出会ったばっかりの女の子と、笑い合っているのだろう。

 そうだ、ファレイナに言ったのは私だった。

『自由な恋愛をするのは構わない、真剣な恋をするならそれでも良い』

 とすれば、ファレイナは自分の幸せを探しに行ったのだろうか。だとしたら私なんかが彼女を見つけられなかったことも納得だ。もしも再会した日までは運命の相手だったとしても、私自身の言葉のせいでそれすらも消えてしまったのだろう。

 成る程、納得、納得だ。

 納得。

 ……出来るか。

 だって私に、待ってと言ったのに。

 私だけを好きになってくれると、言ったのに。

 端々を拾い聞いた言葉たちが頭の中で勝手に連なり、一つの意味を浮かび上がらせる。


 もう、オカルト研究会に行く必要も無いから、演劇部に……好きな人のいる演劇部に行く。


 私と、フォエラに戻ってくれると言ったのに。

 嫌だ。ファレイナ、だって、私は、私は――。

 締め付けられる胸が抑えられずに、ファレイナ達に背を向け、植え込みに体を預けて、震える息を必死に整えようとする。

 大丈夫、だって、ファレイナが自分で選んだ道だ、私がどうこう言うことも出来ないし、私は大丈夫、そう、もしもファレイナが実さんを好きならば、その気持ちに嘘を吐かれるより、素直に自分を貫いて貰った方が、そう、だから、私は大丈夫。

 けれど、昨日の姿は嘘に見えなかったから。

「っ…………」

 情けない。

 止められなかった涙が溢れて、無様に顔を歪めて、必死に声を殺して、ちっぽけな私が泣いていた。

 ファレイナを諦めきれない自分が、情けなかった。

 暫く泣いて、涙を必死に止め、呼吸を整えて。

 悲しみも、怒りも、そしてささやかな憎しみさえ込めて、私は吐き捨てるように、けれど震えた声で呟いた。

「さよなら」

 それなのに心で縋っている自分が、本当に、情けなかった。

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