第四話

「ミリュ……美利様のお部屋、凄くお洒落ですね」

 必要な物だけが綺麗に整頓されて、或いは殺風景と捉えられなくもない部屋。けれど一つ一つの家具が上品に調和し、学生の部屋というよりもビジネス雑誌のビジュアルページでも飾りそうな部屋でした。ただ配置するだけだと暗い印象しか与えることが無いだろう黒の多い部屋ですが、部屋の印象を取りまとめる小さな彩色たちが家具や掛布団に見られ、とても柔らかい印象を与えています。

「どうもありがとう」

 簡潔にそれだけ言ったミリューネ様でしたが、どこか誇らしげな表情に見えます。

「でも、ホントに高校生の部屋には見えないね」

 実さんはそう言って、それから肩を落として「私の部屋とは大違い」と諦めたように呟きました。そう気を落とす事は無いですよ、私の部屋も汚かったり要らない物が転がっていたりと散々ですから。勿論ミリューネ様を思い出した今となっては、忠僕たる私がそんな部屋に住んでいるとあってはことですから、今夜中にも綺麗に整頓してしまうことにしてますが。

 私が暢気に部屋の内装をどうするか、とか新月を思い起こさせる意匠とはどんなものか、とか下らない事を考えていると、ミリューネ様が静かに質問をしてきました。

「……それで、怜那は実さんに何を知られたのかしら」

 静かな分余計に怖いです。

 それから、下手を打つとその質問で決定打になってしまうのでは、とも思ったのですが、怖かったので勿論黙っておきました。

「んー、と言っても私も本人からはっきりと聞いたわけじゃないんだけど」

 ただ、ある程度は予測出来たし。

 そう続けた実さんの言に、困惑と焦りが芽生えます。

「え……わ、私、そんなにその…………見えますか?」

「あー……それについてはNOだった筈なんだけど、美利ちゃんの近くにいたら間違いなくYESになっちゃうね」

「……じゃあどうして」

 ミリューネ様の元では決して自分を偽らないと決めているので、そんな気配が漏れようが漏れまいが一切気にしません。しかし、ミリューネ様と会う前にあんなことが有ったからには……他の要因があったということでしょう。

 私が恐る恐る尋ねると、とんでもない真実が暴露されました。

「いやほら、有名な話……っていうか、噂だったし」

「噂?」

「うん。灯清にとんでもないレベルのたらしが入学するって」

 勿論コッチのね、と悪戯っぽく笑う実さんに、気が遠くなります。たらし……ええまぁ私のことでしょう、間違い有りませんね。だってつい3日前まではその自分を満喫していたんですもの。駄目です、止めましょうこんな話は。

「誑しって?」

「それは……」

「そうですかそうですか、だから実さんは初めから賭けに出てたわけですね!」

 半ば遮るようにしてうんうんと頷きます。流石に初対面であんな流れにするのはおかしいと思いましたが、それにはある程度の可能性があったわけなんですね。

「怜那、誑しって何かしら?」

「うっ……あ、あはは、それよりもミリューネ様、実さんったら凄いんですよ! いきなり」

「怜那」

 いきなりミリューネ様の気配が恐ろしく尖ります。というか今ミリューネ様って言ってしまいました。色々終わった気がします。もうどうしましょう。

「あ、あのね美利ちゃん、説明すると」

「ごめんなさい実さん、私は怜那の口から聞きたいわ」

「……あ、あはは、分かったよ」

 助け舟すらも一瞬で沈められ、私は最後の抵抗とばかりに「ごめんなさい許して下さい」と掠れた声で訴えてみせましたが、「何に謝っているのか分からないわ」と一蹴されてしまいました。

「それで怜那、誑しってどういうこと?」

「……怒らないですか?」

「…………私が怒る理由が無いわね」

「そっちの方が辛いです……」

「良いから話してちょうだい」

「はい……」


――私は、幼い頃から少しだけ変わっている自分を自覚していました。

 何が、と聞かれると幼い頃なので何とも言えませんが、しかし他の子が「誰々君がカッコイイ」「何々君は足がとっても速い」ときゃっきゃきゃっきゃしている中で、一人だけ「○○ちゃんが可愛すぎて生きるのが辛い」とか言っていた気がします。いえ勿論今の台詞は多少脚色してしまいましたが、それでも昔の自分が恥ずかしすぎて生きるのが辛いことには変わりません。

 まぁ、それでも「誰々ちゃんが可愛い」という話が無い訳でも無かったので(或いは悪口大会に発展したりもしましたが)、そこまで浮かずにいられました。小3までは。

 何を色気付き始めたのか、小4になると周りは『そういう』話題で溢れ、誰が誰を好きだとか、誰と誰が付き合っているとか、お前ら何歳だよとツッコミたくなるような話ばかりしていた気がします。その頃になると流石に、どうして私は男の子を見ても何も思わないんだろうとか、どうして○○ちゃんと目が合うとドキッとするんだろうとか真剣に考えるようになったものですが、古本屋で偶然見つけた漫画をパッと開いた際に、私の悩みは一瞬で別物へと変化しました。

 即ち、同性愛という――その漫画は非常にソフトな付き合いかつ二人の少女は自らの感情に悩むというなるほど納得な仄かなものでしたが――、百合という概念を見知ったのです。そして私は、その漫画を即買っていました。一巻の初めの部分を読んで全巻を購入なんて経験、あの時が初めてです。親にその漫画を買ったことを知られるのが怖くて、家への配達も断り、重い漫画の束を一度庭に隠してから帰宅後にこっそりと回収したのは、懐かしき思い出です。

 勿論のこと、知ったからと言っていきなり開き直るなんてことは出来ませんでした。幸い、と言うべきでしょう、私に同性愛の概念を教えてくれた漫画は、同時に世間からの評価も教えてくれたからです。陰口、罵り、已む無き引っ越し……紆余曲折を経た末、二人は世間からどんな目で見られようとも二人で生きるという茨の道を歩むことを決意しました。彼女達を理解してくれる人々の協力も有って、最後のページが幸せな笑顔で溢れていたことが無性に嬉しかったことを覚えています。

 その漫画がきっかけとなって、私はそっちの世界へと足を踏み入れていきました。いえ、きっかけとなったのは確かにその漫画ですが、私はいずれそこへと辿り着いていたでしょう。何しろ、私にはミリューネ様がいるのですから。小学生からインターネットを使える環境に無かった私は、休日にこっそりと市立図書館に通い、ネットを通じて改めて世間の目と、世界の同性愛の実体を知る事となりました。小学生のやったことですから多くを知れたわけでも、正しく整理できたわけでもありませんが、決して認められない訳ではないこと、誰もが諸手を上げて歓迎するものではないことは理解できました。

 ただ、歓迎されるそれは「両者の愛」を前提にしたものが多く、私はと言えば学年に複数胸をときめかせてしまう女の子がいた物ですから、私は果たして愛を抱いているのか、それともその……ただ単に、体を欲しているのかが分からなくて、とても悩んだものでした。今になって思えば、それは普通の女の子がカッコイイ男の子に胸をときめかせてしまう、或いは男の子が可愛い女の子に顔を赤らめてしまう、そんな物と大して変わりはしないものだったのですが、当時の私はとんでもない結論を出しました。

 私はまだ本当の恋を知らない。私はきっと、体を欲しているんだ、と。

 ミリューネ様を想っている(体を重ねたいとは天地が引っ繰り返ろうとも考えませんが)私ですから、なるほど本当の恋を知らない、というか覚えていなかったことは確かでしょうが、しかしだからと言ってそこまで極端に走ってしまったのは……単純に思春期が近付き、そういう時期だったこと、そしてソフトな付き合いの漫画ながら、悩みの一面としてそういうシーンが無い訳でも無かったことも理由に上げられるでしょう。

 そして両親と周りの人間を偽ってしまおうとも自分を偽らないことに決めた私は、市内の私立女子校に入学することを決意します。とんでもなくレベルの高い学校で、所謂お受験をしてもっと小さい頃から勉強をしていた秀才や、或いは勉学以外の才能を持った子達が入学するところでした。勿論のこと両親は驚きましたが、私が5年生を勉強しながら説得に費やしたところ、なんとか了承して下さいました。

 女子校に入学することに決めたのは、何と浅はかな考えだと嘆きたくなりますが、まぁその……ひょっとすると本当の恋が出来るかも知れないと言うのはほんの少しの割合で、実際はただ単にえっと……あー、えー……いえその、小学生だってそういう知識を得ようと思えば得られますし、そうなると興味を持つのは必至なわけで、えっと、あー……いえ、私も女子校を馬鹿にしていたわけでもそう言った目で見ていたわけでもありません……と言いたいですがそういう選択をした時点である程度そんな偏見が有ったのでしょう、つまりは体目当てでした。当時の私は真剣でした!これは間違いないです、ほんとに、それは信じて下さい。

 とにかくも5年生からの急ごしらえの勉強はしかし上手くいき、まぁかなりの倍率だったその女子校に、私は無事入学を果たしていました。そして入学が決まったその日に、私は母親を自室に呼びました。入学費だって馬鹿にならない上に、学費となると目が飛び出すようなものでしたから……両親を偽ることは止めて、と言っても少しだけ頭の固い父の反応は怖くて、母に打ち明けることにしたのです。

 私をここまで歩ませてくれた漫画を隠し場所から引っ張り出し、更にその他色々なその手の雑誌やら本やらを母の前に並べ置き、「私は女の子が好きです!」と大きな声で……震え声で宣言しました。体が今にもどこかへ消えてしまいそうでしたが、そんな私の耳に届いたのは、「元気でよろしい」という笑顔の母の声でした。

「てっきり自分大好きな子かと思っちゃったけど、ちゃんと恋愛もするのね、良かったわ」

 そう言った母の言葉を失礼と捉えるべきか迷いましたが、けれど溢れる安堵でそんなことも忘れてしまいました。いやまぁ、怖いものです、両親に告白するなんて。それから母にしばらく縋っていましたが、ふと思い出したように、「女子校に入学するのは……」と呟いた母に、ギクッとなりました。自分の性癖を暴露することと、性欲を暴露することはまた違い過ぎる問題です。体を硬直させてしまった私に、母は苦笑とともに「誰も泣かせちゃ駄目よ?」と釘を刺すと、最後に私の頭を一撫で、それから夕飯の支度をしに行ってしまいました。

 どれだけ恵まれた環境なのか計り知れません。大感謝です。ただ、次の日に朝食の席で父が「まぁ、どこぞの馬の骨に取られるよりはマシだ」とぽつり呟いた時には、不覚にも飲んでいた味噌汁をぶちまけてしまいましたが。どんな手品を使ったかは分かりませんが、母は私の知らないうちに一晩で父を納得させてくれたようでした。

 そして中学校に入学した私は、晴れて「たらし」と呼ばれるようになったわけです。まぁネコなんですけどね、相手をその気にさせるのは大得意でした。色んな意味でごめんなさい。

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