第三話

「はい、じゃあ今日は皆お疲れさん。もう入寮は済ませたんだっけか? とにかく、明日から授業が始まるわけだな。うちは進学校だから、疲れを引き摺ってこない様に気を付けてくれ」

 木村なんとかのその言葉を合図に、皆は席を立ち、そのまま散って行きました。

 私も早速その場を去ってミリューネ様の元に駆け付けようとしたのですが、そこを誰かに呼び止められます。

「怜那ちゃん、一緒に帰らない?」

 振り返ると、自己紹介の後の自由時間でお友達になった実さんがいました。どこか窺うような視線でそう尋ねられると、こちらもかなり断り辛くなってしまいます。

 しかし、集会での出来事のこともあり、ミリューネ様の元へ行かない訳にはいきませんでした。

 あの時のミリューネ様の様子から察するに、きっとミリューネ様は魅了に掛からなかったのでしょう。流石です。講堂中、男女問わず魅了に掛かっていたであろうあの状況で掛からないミリューネ様に一層感心するのと同時に、その忠僕であるところの自身の不甲斐なさを恥じ、ちょっとだけ反省しました。

「私は、その……少し見ていきたいところが有りますので」

「うん、大丈夫。私は時間たっぷり有るし!」

「そうなんですか、それなら構わないかも知れませんね」

「じゃあ、いこ!」

 その言葉にはい、と頷いて、どこか嬉しそうな彼女を連れて歩き始めました。

 ……あれ?

 どこで間違えたというのでしょう、なんていうのは明白で、断るつもりだったのが嬉しそうな顔を見てしまった時にそんな考えは吹き飛んでしまったのです。庇護欲をそそると言いますか、この子もまたベクトルの違う魅了を使っているのかも知れませんね、注意です、注意。

 ミリューネ様は私の友達を見てどんな顔をなさるのでしょうか、喜んで下さるか、驚くのか、どちらかと言えば後者な気がしますが、実際のところは無関心を示されそうで覚悟をしておきます。

 さて、校舎の作りも凝ったここ灯清学園は、番号にすると隣のクラスでも、廊下を少し歩けば辿り着くわけでは無くて、普通のクラス二つ分のスペースを通って次のクラスに着きます。しかもその半ばでは、立派な扉を一枚潜らなくてはなりません。

 私の吸う空気とミリューネ様の吸う空気を隔てる憎い扉を睨み付けその下を潜り抜けてやってから、私はミリューネ様のクラス前の廊下に出ました。

「見たいところってどこ?」

「え?」

 突然の質問に間抜けな返事をしてしまってから、先程言い訳でそんなことを言ったんだと気付きます。

「あ、えっと……いえその、見たいところが有るのでなくて、会いたい人がいたんです」

「え……そ、それじゃ私、お邪魔だったかな?」

「いえ、大丈夫ですよ。紹介したいですし」

 思えば、私のお友達になって下さった時点でミリューネ様と関わらない訳が無いので、さっさと紹介してしまった方が皆で仲良く過ごせて良いというものです。

 実さんがほっとした様な顔をした丁度その時、ミリューネ様のクラスから人が出てきました。

 勿論の事、教室から出てくる誰よりも目に留まるあの方と目が合った瞬間に、私は大きな声で愛しい方の名前を呼びました。

「ミリュー…………美利さ、…………ん」

 ミリューネ様と言おうとした途端にミリューネ様の目が光り、気を取り直して美利様と言おうとするとまたも恐ろしい目付きで釘を刺され、最後は弱り切った声で「ん」と付け足しました。

 そんな私の様子を周りは変な目で見てきましたが、私の話し掛けた相手がミリューネ様……美利様だったこと、そしてミリューネ様がこちらへ向かってきたことに驚いたのか、今度はまた色の違う好奇の視線を寄せられる事になりました。

「何かしら、黒羽さん」

 怖いです、不機嫌そうな眉根、それでも変わらない美貌が愛おし……あ、ごめんなさい怒らないで下さい。

「……その、えっと、あ……い、一緒に帰りたくて」

「ちょっ!!」

 驚いた様な声を上げたのは、勿論ミリューネ様ではなく実さんです。しかし何故そんな声を上げたのでしょうか。ミリューネ様に目を遣ると、こちらは深いため息を吐いていました。

 それから気を取り直したように、ミリューネ様が問い掛けてきます。

「一緒に帰るのは良いけれど、こちらの方は誰かしら?」

「あ、こちらは先程お友達になった、夏川実さんです。実さん、この方は先程挨拶をしていらした新月美利さ……んです」

「あっ……え、あ、あのっ、勿論知ってます!! たた、ただ今ご紹介あずかりました夏川実です、宜しくお願いしますっ!」

 慌てた様子で挨拶をする実さん。ミリューネ様の前に立って緊張する気持ち、凄く分かります。ミリューネ様は優雅に「こちらこそ、宜しくお願いします。後、敬語じゃなくて良いわよ、実ちゃん」と挨拶を返しました。って!実さんだけ名前で私は黒羽さんって距離感を感じませんか!?

「あの、私も怜那でお願」

「えええっ、良いんですかっ!? あ、じゃなかった、い、良い……の? えっと、……美利ちゃん?」

「ええ、じゃあ私達もお友達ね、実さん」

「初対面で名前呼びはどうかと思います!」

 駄目です駄目駄目、絶対に駄目です!

「あら、そうなの。じゃあ黒羽さんのことは怜那さんって呼べないわね」

「……私も黒羽ちゃんの方が良い?」

「あ……いえ、そうじゃなくて……」

 どうしたら名前呼んで貰えるのでしょうか。ちょっと泣きそうになりながら、私は実ちゃんに名前で呼んでも良いと答えました。考えると、記憶を取り戻したその時も喜んでいたのは私ばかりで、ミリューネ様はあまり気にしていなかった気がします。加えて実さんは、その、えっと……だってミリューネ様ですし、魅了されてしまうのは当然で、更に実さんも庇護欲を掻き立てられる可愛らしい子です。私に勝ち目なんか無いのかも知れません。ひょっとすると迷惑なのかも。

 そんな風にネガティブな思考に囚われてしまった私の耳に、深いため息が聞こえてきました。

「……冗談よ、怜那さん、帰るんでしょ?」

「…………っはい!」

 はい、ミリューネ様、一緒に帰りましょう。

 私がミリューネ様の隣に並ぶと、斜め後ろから「……あはは」と半笑いが聞こえてきました。

「二人共、いつもこうなの?」

「え?」

 一体何のことでしょう?

 ミリューネ様と二人で実さんを振り返れば、実さんは僅かに赤い頬で、悪戯っぽく笑いました。

「何だか……付き合ってるみたいなやり取りだなって」

「っな!?」

「そう見えますかっ!?」

 つ、付き合っているに見えるのでしょうか!? それは僕たるべき身としては少々悩ましい問題ではありますが、しかしそんな事を差し置いても素晴らしく嬉しい言葉です。

「あ、あはは、実さんは冗談が好きなのね!」

「いやぁ、絶対そう見えるって」

 ニヤニヤと笑いながらそう言う実さん。ミリューネ様が何を気にしているのか漸く分かった私は辺りを素早く眺めましたが、誰も真剣に聞いている者はいませんでした。ミリューネ様もそれを確認したのか、小さく溜め息を吐いて「ほら、早く行くわよ」と私達を急かしました。



 ――――――



 学園全体の敷地は広く、その中に様々な施設が有ったり豊かな森を抱えていたりもするのですが、高等科の校舎から寮まではその広さを実感させられる様な道のりでした。同じ敷地内に立っているのに、20分歩いて漸く校舎なのです。まぁ高等科の敷地面積内に収まっている事を考えれば、これでもまだほんの一部なのでしょうが。

 時折ミリューネ様は私の方へちらりと目を向けて何かを確認する様な仕草をしていましたが、しかし隣に実さんがいるからか、言葉にする事はありませんでした。私も薄々察してはいたのですが、同じ理由で返答できずにいました。

 何度か探り合っていた私達でしたが、そんな折に実さんが問題にしていたことを話題にあげてくれます。

「そう言えば……始業式での代表者挨拶、美利ちゃんも凄かったけど、井上先輩も凄かったよねぇ」

 何気無い調子でそう口にした実さんに内心感謝しながら、私もその話題に入っていきました。

「そうですね。……ただ、凄いと言うか、私は怖かったのですけど」

「怖かった?」

「いえ……何だか、私が私じゃなくなる気がして」

 何と言えば良いか分からずにそう言えば、実さんはうんうんと頷きました。

「それ分かるなー。何だか、何もかもがどうでも良いから、もっと話を聞いていたいって。そんな感じがしたの……って、流石に私だけ?」

「私もそうです。不覚にも、ですが……」

 本当に、悔しくてたまりません。唇を噛む私を見て、ミリューネ様は溜め息をつき、実さんは楽しそうな笑い声を上げました。

「でも、ホント、皆が皆そうだったなら、あの人凄いよね」

「凄い、ですか」

 実さんの瞳はワクワクした光を宿していて、魅了が残っているのでも、或いはふざけているのでも無さそうです。

「うん、凄いよ。……私の先輩にもね、あんな人がいたんだ。舞台に立った途端に、劇が色付いて、空気が変わって、観客を他の世界へ連れていってしまうような人が」

 そう言った実さんは、小さく「悔しいけど、敵わないくらいカッコよかった」と続けました。

「私の先輩は、役に浸りきって劇の世界に客を引っ張っていっちゃう人だったけど、井上先輩は、自分に惹き付けてた。……それも、ただ挨拶の文を読んでいるだけなのに」

 私はそれを魅了だと結論付けましたが、実さんは彼女の素晴らしい先輩と同じことをしているのだと捉えたようです。

 話を聞いてふむふむと頷く私でしたが、ミリューネ様は不思議そうに首を傾げました。

「けれど、何故あんな場面であんな事をしたのかしらね? あれでは、それこそ怜那みたいに怖がる子だって、下手をするとストーカーだって出るかも知れないのに」

「それもそうですね」

 そう、例え私の出した結論だろうと実さんの答えだろうと、その動機が分かりません。

 ううむ、と頭を悩ませた私の隣で、実さんが軽い口調でこう言いました。

「確かに謎だけどねー。案外練習とかだったのかも。それよりも、呼び捨てだなんて、どういう仲なのか凄く気になるな」

「えっ? ……あ」

 ミリューネ様が、しまった、といった様子で口に手を当てるのを見ながら、私はミリューネ様が私の名を自然に読んで下さったことに気付かされて、感極まって震えていました。

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