第ニ話

「我々、灯清ひすま学園の学生に求められるのは、明るく世を照らす灯となること、清んだ眼差しで世を見つめる事であり、その心を創立の時より受け継いで――」

 壇上に立つ貫禄のある男性は、校長先生です。力強く堂々とはしているのですが、どうにも読む事に集中しているのではなく、堂々と読む姿にこそ全力を注いでいる感じがします。人が犇めいている講堂は少しだけ蒸し暑く、4月も上旬だというのに汗が出てきそうです。

 立派な椅子が並べられた講堂はお金の掛け方も手間の掛け方もそんじょそこらの学校とは違う様で、楽団の一つも入れそうな舞台の広さといい、装飾の凝った壁といい、そして備えられたスピーカーや照明の質といい、本当にどこに金を掛けているのかと訊きたくなるくらいに格の高い施設でした。長い歳月を経た筈の建物なのに、維持費に毎年どれだけ飛ぶのでしょうかね、新築に見えます。しかし見た目と気温には大きな関連性も無いわけで、エコを意識してか流石に講堂が広すぎるのかその他の見えない金銭的な理由からか、お金も手間も掛ける割には冷房が掛けられていないようです。まぁ私としてはまだ夏でも無いので構わないのですが、しかし4月でこれは危険なレベルなのではないでしょうか。それともあの天井のどこかに冷房が備えられていて、見上げた時に気付かれない様に装飾の影に隠されているのでしょうか。

 校長の話も碌に聞かずに天井や壁に目を遣っていると、やがて壇上から校長がおり、代わりに厳かな声で私の愛しき人の名が呼ばれました。

「続きまして、各学年の代表挨拶です。第一学年、新月美利、第二学年、篠崎晃成、第三学年、――」

 勿論のこと、私の目は吸い寄せられるようにそちらを向きました。

 それぞれ立ち上がり、一礼してから壇上に登っていきます。三人とも学年代表だけあって堂々とした歩み、落ち着いた様子ですが、中でもミリューネ様は衆目を全て攫ってしまうほど優雅でした。私が言っているのだから間違いではありません。第二学年の代表はこれまたイケメンで、更に学年代表は大抵成績で決まると聞いたので、こいつも頭が良いのでしょう。色々ムカつきますね、全く。第三学年は背が低めの可愛いという言葉が似合う女性で、けれど決して頼りないということの無いしっかりした表情と態度の、まぁミリューネ様がいなかったら皆の目を奪うだろうな、という方でした。

 とと、またミリューネ様を基準に考えてしまっています。勿論、第二学年、第三学年のお二方とも、とても素晴らしい人物だというのは間違いありません。……あ、少し訂正です。第二学年のイケメンに関してはどうにも素晴らしい人物と評したくありません。個人的な問題なので、悪しからず。

「第一学年代表、新月美利です。我々一学年生は、今日この日より新たな肩書きを背負う事になりました。灯清学園の高等学部、というその肩書きは、新規入学生には勿論、中等部を卒業してきた皆様方にとっても大きく、不安と期待を同時に抱くものです。我々は――」

 ミリューネ様が喋り始めると、しん、と場が静まり返りました。ミリューネ様のお姿を見つめる事に忙しく周りを見る余裕は有りませんが、きっと皆目を釘付けにされていることでしょう。話されている内容は確かに一学年を代表した挨拶に過ぎませんが、その凛とした、硬くも包み込まれ、冷たくも癒される御声は、例えどんな何気ない言葉でも人を惹き付けて止まない物に変えてしまうのです。

 ミリューネ様はフォエラでは口数の少ない方でしたから、こんなに長い言葉を(例え声質は違うといえ)聞けるのはまさに景福としか言い様がありません。うっとりと頬に当てて見つめていると、ほんの一瞬ミリューネ様と目が合いました。

 間違いありません、偶然目が合ってしまうこの状況。運命ってあるんですね。

 とか思った途端に、一切表情を変えず動揺一つ見せず、ミリューネ様はふっと目を逸らして挨拶を続けました。そうして締め括りの一文を口にするまで、決して目を合わせようとはしてくれませんでした。すごく辛いです。胸の内が抉られた気分です。運命なんて糞喰らえだと実感しました。言葉が汚くてすみません。

 第二学年代表のイケメンが前に進み出て、その横をミリューネ様が通り過ぎ、舞台の後方へ行こうとしました。その時です。

 野郎、何も見えてないと思っているのでしょうか。小さく唇を動かして、ミリューネ様に何事かを言ったようでした。ミリューネ様は男と目を合わせ、小さく会釈をしてから位置に戻ります。

 ……あ?

 今何をやりやがったんでしょうかねコイツは。

 尊く気高いミリューネ様に気軽に声を掛けるなど言語道断、まさに処刑されて然る……って。

 危ない危ない、思考を自制します。いくらミリューネ様が素晴らしいからと言って、盲信、狂信はいけませんね。広い心を持たなくては。

「二学年代表、篠崎晃成しのざきこうせいです。去年一年は――」

 話し始めると、成る程イケメンなだけあって、キラキラと反射するステージライトがやけに眩しいです。更に眩しさを増強する為に火でも放ってやりたい気分ですが、勿論そんな事はしません。ほら私、広い心持ってますし。

 自分に言い聞かせながら最早気温など忘れさりイケメンの顔を仇を見るように凝視していると、あろうことか目を合わせてきました。

 ああ? 気安く見つめてんじゃねえよタダじゃねえんだ、見物料払え!

 運命? そんなものは有りません。怒りと脅しを込めて思い切り見返してやると、矢張りと言うべきか流石と言うべきか、またも表情を変えずにふっ、と目を逸らされました。

 やった、勝った。胸の内がすっきりした感覚が訪れます。何とも心地良い勝利の感覚です。

 優越感に浸って適当に挨拶を眺めてやっていたのですが……この野郎。最後の最後、お辞儀も終わり後は退場するだけ、そんな時にもう一度私と目を合わせ、ふっ、と微笑んだのです。しかも優しく!

 完全に負けた気分です。なんと最悪な男でしょうか、今すぐ朔の闇に沈めてやろうか。広い心などとうに捨て去りました。今のご時世、優しさだけじゃ生きていけないのです。

「第三学年代表、井上絵衣いのうええいです」

 拳を握り締め怒りと敗北感に震える私の耳に、落ち着いた声が届きました。舞台に目を向ければ、ミリューネ様の足元に及ぶかも知れないくらいに可愛らしく人目を惹く女性がお話しています。驚きです。

 気付けば周りもしんと静まり返り、少し高めの可愛らしい、しかししっかりとした声だけが講堂に響いています。不思議と目が吸い寄せられ、何故だかずっとあの人を見ていたいという気分に襲われました。

 壇上に立つ小さな姿はそれでも強く、浴びるライトを美しく跳ね返し、意志の宿る眼差しに、どこか背筋をなぞられた様なぞっとした心地になるのです。その白い首筋も、落ち着いた短い黒髪も、触れるのが躊躇われてしまう程に神々しくありました。

 目が逸らせません。

 ああ、こんな。

 何故かごくりと喉が鳴り……隣でも、息を呑む音が聞こえてきました。その事に何故か少しだけ苛立ってしまい、他にも何かを感じている人がいるのかと思うと不安でたまりません。

 けれど、不安でたまらないなんて、そんな。

 そんな。

 何かが、おかしいです。

 講堂を、異様な雰囲気が静かに満たしていきました。

 言葉を一言一句逃さぬように意識を強く向けている筈なのに、内容は何一つ頭に入ってきません。とにかくも、あの人をもっと感じたい。目を凝らして、壇上の彼女を見遣ります。こちらを向いていないのに目が合う錯覚がしました。動悸が上がり、心音が跳ね、息が苦しく、視界は狭く。

 頭のどこかで、心の真ん中で、誰かが大きく叫んでいます。違う、私には既にいるのだと。大切な人が、既にいるのだと、大きく、強く。

 けれど余りに遠すぎて、私は肝心な大切な人の名を聞き取れないまま、視界を更に狭めていきました。彼女の姿だけが視界に写り、大切な人を叫ぶ声も一層遠くなります。

 それでも、忘れたくない。

 私の大切な人は……私の、大切な人は。

 私の――


「――御静聴ありがとうございました」

 ぺこり、と頭を下げた途端、はっ、と目が覚めた心地になりました。

 途端、あまりの出来事に体が震えます。

 周りを見渡せば、未だにぼーっとしている者、落ち着かない様子できょろきょろする者、真っ青な顔で下を向く者と、様々な反応でした。けれど、皆の様子が普通でないのは間違いありません。

 ……魅了、でしょうか。

 …………一体、何故。

 壇上のミリューネ様を見ると、今度こそ真正面から目が合います。その視線はとても心配そうで、私の姿を認めた時、ほんの一瞬の喜びをすぐに隠してしまい、瞬き一つで興味無さそうにふっ、と目を逸らしてしまいました。

 そうして目を止めた、井上絵衣。

 先程までは酷く魅力的に見えた彼女でしたが、ミリューネ様に比べれば、どうってこと無いただの人でした。

 私は、とうの昔にミリューネ様に魅了されてしまっているのですから。

 それなのに魅了に掛かってしまったことが悔しくて、残りの時間はずっと、唇を噛んで俯いていました。

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