【短編】夏の午後のハルト

笹倉

夏の午後のハルト

 「うっわー!あんた、背、高いね!」

「それは嫌味か?嫌味だろ?なあ、そうなんだろ?」


 東京で一人暮らしをしていた姉さんが、数年ぶりに実家に帰ってきた。

何の仕事をしているのか知らないが、とにかく本人いわく”ナイショのオシゴト”とのことらしい。その仕事のせいで、ここ数年実家に帰って来られなかったらしいのだが、現在やっているプロジェクトだか何だかが、一区切りついたとかでようやくこの夏に休みが取れたとのことで。


悠人はると、もう高校生だもんね。そりゃあ、背も伸びるわけだ。よっ!流石、成長期!」

「うぜえし、うるせえ!!」


 25歳身長175cmの姉さんが、16歳身長143cmの俺の頭を撫でるのでその手を払いのける。27cm差は大きい。おかしい。姉弟だというのに、どうしてこうも差が付いたんだよ。マジ誰か教えろ。教えてください。


「相変わらず、冷たいなあ、我が弟よ。久々に帰ってきた姉をそんな邪険に扱いなさんな。別に嫌味を言ったわけじゃなくて、挨拶がわりのジャブじゃ~ん」

「……って、何すんだ!やめろ!暑苦しいから抱きつくなバカ!!!」


 昔からスキンシップが多い姉ではあったが、その癖は働き始めても変わっていなかったようだ。今日は30度近くの猛暑日だし、引っ付かれたら暑くてかなわない。


「良いじゃん!やっぱ家族の温かみって大事だよ!本当に寂しかったし、心細かったんだから~」

「……」


 姉さんの扱い方法はわきまえている。ここで優しく反応したら、コイツ、調子に乗る。きっちり足蹴にする。


「ぐあー!本当に相変わらずつれねえ……。まあ、それで良いんだけどね。……そうだ!麦茶、入れたげる!冷蔵庫、ヘイ!冷蔵庫、カモン!」


 ちなみに無視しても、ご覧の通りなのだが。テンションが控えめに言ってクソだ。

 軒先に吊るした風鈴が揺れている。近くの林でセミが盛大に鳴いていた。俺は扇風機を引き寄せてからテーブルについて、姉さんの出す麦茶を待つ。しかし、当の姉さんは冷蔵庫を開けたまま固まって動いていなかった。


「おいバカ姉、冷気が逃げるだろ。すぐ閉めろよ。何してるんだよ?」

「え?ああ、南極大陸探してる」

「……」

「……いやあ、なんかね。こういうの懐かしくてさ~。本当に久方ぶりぜよ、愚弟!」

「良いから閉めろ!」

「えーケチ。涼しいからいーじゃん!」

「……」

「あ、はい。冷蔵庫、しっめまーす……」


 ピーッと甲高くなる警告音とともに、ガタンと冷蔵庫の戸が閉まる。その戸には、磁石で中学の年間予定表や母さんの買い物メモなんかが留めてある。戸棚から出した二つのガラスのコップに氷をカランカランと適当に入れて、麦茶を注ぐ。トクトクと、どこか小気味良い音で注がれたそれは、やがて俺の目の前に木のお盆で運ばれてきた。チラと姉さんを見れば、なんとも複雑な表情をしていた。とてもじゃないが茶化せる雰囲気ではない表情だ。そんな表情でこっちをみるもんだから尚更困る。


「何だよ……?」

「何でもない。別に深い意味はないかな、たぶん。もち、エロい意味もないよん?」

「アホか!エロい意味とか、死んでもねえわ!つか、死ね!!」

「おお、突っかかるねえ。そういうお年頃だもんね~♪」


 数年来の言葉の応酬。俺だって、懐かしさを感じないわけじゃない。言い負かされることが多かったかつてとは違って、今はある程度、”応酬”という言葉を使っても差し支えないくらいにはなっているはずだ……恐らく。

 とりあえず、姉さんの注いだお茶を口にした。咽喉を通って行く爽快感に、咽喉が鳴った。姉さんは俺の正面の席に座った。


「でも、やっぱ小さいかも、背」

「またその話かよ。しかも今度は随分とストレートなことで、」

「やっぱり少し、足りなかったのかもしれないね」


 え?


 嫌味を続けて言おうとしたら、妙なことを姉さんは口走った。


 足りない?何が?


「この感じだと、脳幹部は、ほぼ完璧ね。でも、やっぱりパーツが足りなかったかも。確かにもともと背が小さくはあったけれど、”あの子”はここまでじゃなかったからね。少ない予算でここまで作ってテストまでこぎつけたけど、改良が必要かね」

「は?」

「うん、すまんな、悠人」


 唐突に、姉さんが謝った。でも、おかしい。何が?分からない。けれど、確実におかしい。直感的に、姉さんがどこか正気でないように思えた。それも、身の危険を感じるレベルで。

 椅子を引き倒した。勢いで麦茶の入ったグラスも床に砕け散る。足が濡れ、冷たさが体を瞬間的に駆け上がる。あまりの危機感に、頭がうまく働かない。


「あっちゃー。まだそんな物理負荷かけてないつもりだったんだけど、ここで稼働限界かー」


 相変わらず、扇風機は回り、蝉は鳴き喚いていて。


「ねえ、悠人。私、もっと頑張るからさ。もうちょい待ってよ」

「何、言って、」

「ごめんね。いつか私が、ちゃんと完璧に作ってあげる」


 だから、それまでは。


 最後に姉さんが発した言葉を俺は聞き取ることができなかった。

 ただ、さっき飲んだ麦茶のせいなのか、頭がやたらキンキンとした。急速に思考が停止して闇に落ちていくのを感じて、


 そして、






 ◇◇◇◇




 そして、その夏の午後のHALTHighly accelerated life testは終了した。




 ◇◇◇◇







「うん!背が高くなったね!」

「それは嫌味か?嫌味だろ?なあ、そうなんだろ?」


 東京で一人暮らしをしていた姉さんが、数年ぶりに実家に帰ってきた。何の仕事をしているのか知らないが、とにかく本人いわく”ナイショのオシゴト”とのことらしい。その仕事のせいで、数年実家に帰って来られなかったらしいのだが、現在やっているプロジェクトだか何だかが、一区切りついたとかでようやくこの夏に休みが取れたとのことで。


「悠人ももう高校生だからね。流石、成長期なだけはある!」

「うるせえ!!」


 27歳身長171cmの姉さんが、16歳身長155cmの俺の頭を撫でるのでその手を払いのける。16cm差は大きい。おかしい。姉弟だというのに、どうしてこうも差が付いたんだよ。マジ誰か教えろ。教えてください。


「態度冷たすぎ!普通、弟なら久々に帰ってきた姉をそんな邪険に扱わないよ。ほら、ハグしたげるから!」

「……って、何すんだ!やめろ!暑苦しいから抱きつくなバカ!!!」


 昔からスキンシップが多い姉ではあったが、その癖は働き始めても変わっていなかったようだ。今日は30度近くの猛暑日だし、引っ付かれたら暑くてかなわない。


「良いじゃないのー!家族の温かみがないと寂しくて死んじゃう!本当に寂しかったし、心細かったんだから~」

「……」


 姉さんの扱い方法はわきまえている。ここで優しく反応したら、コイツ、調子に乗る。きっちりチョップを食らわせる。


「本当に相変わらずねえ。まあ、それでこそなんだけど。……そうだ!特別にお姉ちゃんが麦茶をいれてあげよう!冷蔵庫、開けて!ヘイヘイ!開けて!」


 ちなみに無視しても、ご覧の通りなのだが。テンションがカスすぎる。

 軒先に吊るした風鈴が揺れている。近くの林でセミが盛大に鳴いていた。俺は扇風機を引き寄せてからテーブルについて、姉さんの出す麦茶を待つ。しかし、当の姉さんは冷蔵庫を開けたまま固まって動いていなかった。


「おいバカ姉、冷気が逃げるだろ。すぐ閉めろよ。何してるんだよ?」

「え?ああ、冷凍マグロないかなって」

「良いから閉めろ!」

「えーケチ。涼しいからいーじゃん!」

「……」

「……いやあ、だってさ、なんかね。嬉しくて」


 えへへと姉さんは笑いながら、ガタンと冷蔵庫の戸を閉めた。磁石で中学の年間予定表や母さんの買い物メモなんかが留めてある。戸棚から出したガラスのコップに氷をカランカランと適当に入れて、麦茶を注ぐ。トクトクと、どこか小気味良い音で注がれたそれは、やがて俺の目の前に木のお盆で運ばれてきた。チラと姉さんを見れば、なんとも複雑な表情をしていた。とてもじゃないが茶化せる雰囲気ではない表情だ。そんな表情でこっちをみるもんだから尚更困る。


「何だよ……?」

「あ、ううん。深い意味はないかな、たぶん。エロい意味はあるかも分からんね、デュフフ」

「キモい。限りなくキモい。死ね。限りなく死ね」

「そこまで言うことないじゃんかー。冗談だっての。……いや、あのね」


 いつになく殊勝な様子で姉さんはこう続けた。

「やっと帰ってきてくれたから。素直に嬉しいよ。お帰り、悠人」

「な……何だよ、変な奴。帰ってきたのは姉さんだろ」


 調子が狂う。不覚にも、俺も姉さんの帰りが嬉しいのかもしれない。


「うわーん!悠人!本当におかえり!おかえりぃ!!!」

「だから、帰ってきたのはお前!わっけわかんねえな!っつーか、いい歳して泣くなバカ!」


 相変わらず、扇風機は回り、蝉は鳴き喚いていて。



 俺たち姉弟はバカみたいに、再会していた。

 夏の午後のことだった。

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