第5話
倉橋三佐の説明を聞き終えてから、五時間後、丁度午後十時。
俺は、市ヶ谷にある自衛隊駐屯地の生化学研究所を遠巻きに見ていた。
俺の他には、倉橋三佐、徒無一佐、そして夕方、俺の力試しを行った三佐の部下五名。
俺以外は、全員、漆黒の夜間戦闘服に身を包み、消音器が付いたアサルトライフルを装備している。
「矢追さん、貴方の分の夜間服も用意してあるのですが……」
無用、さ。このコートには、便利な機能が備わっているのさ。
俺は、コートの左襟に二つ付いてあるボタンの手前の奴を一回転させる。
コートの色が瞬時に闇色に変わったのには、防衛庁情報部の面々は流石に面食らったようだ。
詳しい仕組みは良く知らんが、前に、米国のある政界人の依頼を解決した時、お礼に貰った品さ。他にも数種類の迷彩模様が記憶されているらしい。
「…米国防省が、染色記憶繊維を開発していたとは聞いていたけど、まさか既に実用品があったとは……一体、貴方、米国のどんな要人の依頼を?」
生憎、依頼人の秘密は厳守なんだ。
流石に、一昔前の、矢鱈と奥方(ファースト・レディ)が政に出しゃばってひんしゅくを買っていた『元大統領』の依頼をべらべら話すのはヤバい。守秘義務はこの世界で生きるための鉄則さ。
午後十時十分。作戦開始時刻フタ・フタ・ヒト・マル、潜入開始だ。
俺達はマスクを被り、夜陰に乗じて研究所に近づいた。
問題の研究所は三階建ての小さな建物である。襲撃犯達が立てこもっているあの研究所には、様々なB・C兵器のデータが詰まっているのか。
おや? 直ぐ先に戦闘ヘリがあるぞ。
「あれは戦略分析用に持ち込まれた物で、武装は施されていません。迂闊に重火器を使用して、施設を破壊でもしたら大変です」
確かに、強行策はとれんな。
「何せ、研究所には僅か一滴程を都心のど真ん中で気化させただけで、都民全員を10分で抹殺出来る超強悪なものも厳重に保管されていますから」
……先生、ボク、オトコノコの日になっちゃったので早退して良いですか。
「大丈夫ですよ。問題の施設では主に抗B・C兵器の開発を行っているのです。
そのほとんどは、あそこで造られた解毒薬で中和できます」
なるほど。でも何もこんな都会のど真ん中に、そんな危険なブツを置く研究所を設置せんでも……。
「自衛隊という組織は色々な制約があってね。非常に肩身が狭いんですよ」
ふむ。地方に設置しようとしても、思う様に出来ないのは、国会のお偉いさん達の圧力があるから、かな。
まさか票の狩り場たる郷里(おくに)に、危険物を誘致するのは命取りに他ならないもんな。
都会のど真ん中にあるのは、それに対する皮肉なんだろうよ。
倉橋三佐は、流石に答える訳にはいかなかったが、浮かべた苦笑は全てを語っていた。
さて。一階の分析室にあるスパコンのサーバーから、“ほぼ解析が終わっている”新型B兵器の成分データを回収(ダウンロード)するのが、今回の仕事だったよな。
しかし回りくどいコトしないで武力制圧しちゃえば良いのに。
「場所か場所だけに派手に動く訳にはいきません。彼らも現状、大事にせず上の人間と交渉しているも幸いです。出来る限り穏便に解決出来るならそれに越したことがありませんから」
まぁ相手も自衛隊員だったのが幸いだったなぁ、端から見りゃ自衛隊の施設内で何かが起きているって気づかれないし。
「制圧は別働隊が動く手はずになってます。我々はそれに乗じてのデータの奪取を行います」
まぁ効率的っちゃ効率的か。……でもなぁ、襲撃犯達の狙いがいまいち解せないんだが。
「解せない?」
兵器マフィアと手を組んで、新型B兵器を奪取したのに、何で立てこもる必要がある?
「自衛隊の包囲陣が強固だから、研究所から脱出できなくなったのだろう」
初めて徒無一佐が俺の疑問に答えてくれた。
でも、自衛隊の特殊部隊ともあろうものが、果たして退路を考えずに行動するかね?
「考えていなかったから、こんな事になったのだ」
ナンセンスだな、それは。
大体、奴らには、新型B兵器という『切り札』があるじゃないか。
何故、それを使って逃走路を確保しないのだ?
俺は反論しようと思ったが噤んだ。
今回の事件、余りにも出来すぎて、そして余りにも無理がある。
最初からあった俺の疑念がここに来て一気に膨れ上がった。
このヤマ、簡単に引き受けすぎたかな? 今頃になって俺は少し後悔したが、まぁ何とかなるだろ。
そうこうしているうちに研究所を隔てる手前の壁へ静かに駆け寄ると、突然、研究所の向こう側で敷地の一瞬の発光の後に煙が立ち上った。
計画通り、俺達が研究所に潜入する為に、別動隊が反対側から注意を引いてくれたようだ。
計画は見事に成功し、俺達は特殊部隊の見張りに気付かれずに、研究所の倉庫の窓から中に侵入出来た。
窓のガラスに手際良くガラス切りで溝を入れ、テープを貼って音を立てずに割り抜き、鍵を開けるのに十秒と掛からなかった倉橋三佐の腕は大したものである。自衛隊辞めても立派に泥棒でやっていけるぜ。
「その時は天下り連中の家に忍び込むのを手伝ってくれますか?」
宮仕えの癖に結構黒いなこの人。俺思わず苦笑い。
ま、なんとか全員無事侵入すると、俺達は予定通り、倉橋三佐の部下5名を退路確保の為に倉庫周辺に残し、俺と倉橋三佐と徒無一佐で一階の分析室に向かった。俺たちに与えられた時間は1時間。その後制圧部隊が突入する手はずになっている。
んー。立てこもっている割に、奴ら変に手薄だな?
「特殊部隊は、隊長の俺を入れて総勢11名の少数精鋭だ」
俺の呟きに、徒無一佐が答えた。
成る程。この研究所は結構狭いが、しかしとても11人程度では無理がある。
それでも要所要所を押さえないと拙いモンな。外の陽動にも何人か回っている様だし、気付かれていないみたいだから、どうやら分析室まで見つからずに済みそうだ。
否、待てよ。――そうだ、この研究所の中にもセキュリティ・システムは働いているだろ?
それ、奴らに押さえられていないのか?
「館内のセキュリティ・システムは、今回みたいな陸の孤島化を危惧して本庁で制御しているのよ。
お陰で、彼らは新型B兵器が保管されている地下一階と、分析室がある一階のセキュリティを壊すだけに留まったの」
ふぅん。何か一寸出来すぎの様に思えるけど、と俺は業とらしく洩らすが、二人はそれ以上何も答えない。まあ、いいや。
分析室は、結構先にあった。侵入した倉庫を出て通路の左方面を真っ直ぐ進み、突き当たった所で右に曲がって、正面玄関へと続くその通路を更に真っ直ぐ進むと、玄関に出る手前の脇にある。
しかし案の定、玄関へ続く通路の角から玄関方面を恐る恐る覗いてみると、分析室の入口の前には、俺達と同じアサルトライフルを腰溜めにした特殊部隊の隊員が三名待ち構えていた。こいつらまでは惹き付けることは出来なかったか。
3対3。やれない事も無いな。
「矢追さん、無茶を言わないで。数は少なくても、相手は特殊部隊、戦闘のプロなのよ」
なぁに、こちらには、その特殊部隊の隊長がいる。
からかう様に言ったのが悪かったらしく、徒無は両目をひん剥いて、ギロリ、俺を睨み付けている。
俺は苦笑いして肩を竦めた。冗談だよ。謀反を起こしたとは言え、徒無一佐に自分の部下を殺らせたりすると、俺も目覚めが悪い。
「……ふん」
徒無一佐はすっかりむくれてしまった。
「矢追さん、何か良い案でも?
こんな事も想定して麻酔弾は用意してあるけど、出来るだけこの場での銃撃戦は避けたいの。ここはまた、別動隊に誘導させて――」
否。これ以上の誘導は、却って警戒心を高めるだけだ。麻酔弾の使用も他の隊員に気取られるだけさ。
どうやら俺の出番らしいな。
俺はおもむろに黄金のバックルが付いたベルトを抜いた。
そして、通路の角の壁越しに、見張り達目掛けてベルトを打ち放った。
だが俺は、ベルトで直接見張り達を叩かない。
手前の見張りからその米噛みを狙い、届くか届かないかの僅かな隙間を残して引き戻す。
音速で駆け抜けたベルトの先端がもたらした衝撃波は、目標に直接打撃を与えずとも、脳震盪を起こさせて気絶させる事を可能にする。
三人の見張りを僅か二秒、目にも止まらぬベルトの三打で眠らせた。
無論、倒れる時の音も忘れず、崩れ落ちる三人の身体をベルトで纏めて縛り、ゆっくりと床に寝かした。
OK。さぁ、突入だ。
俺はベルトをズボンを差し直しながら振り返ると、背後の倉橋三佐と徒無一佐は、口をあんぐりとさせたまま絶句していた。まぁ、無理も無い。
唖然とする二人を促し、俺達は分析室の前へ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます